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序章「勇者(笑)アルス」

 ――夢を、見た。


 それは不思議な夢だ。

 俺の視界は一面星空に包まれ、方向感覚を見失うほどの果てしない夜が広がっている。


 それは美しい景色だ。

 初めて見る正に星の海と呼ぶに相応しい光景は、誰であろうとも息を飲まずにはいられない。


 景色に見惚れることしばし。ふと、天から聞き覚えのない声が聴こえてきた。


『――――……』


 ……聴き取れない。

 ノイズだとか何かしら別の音に遮られたわけではなく、単純に声量が小さすぎて聴き取れなかった。

 ただ、耳に届いたそれは誰かの声であるという確信。


 ――誰だ?


 と、尋ねる。


『――ほしい……』


 問いかけに応じるように、声は少しだけ声量を振り絞って答えた。

 どうやら何かを求めているらしい。

 俺はもう一度声が聴こえてこないかと、耳をすませる。


『――名……せて、ほしい』


 小さいことに変わりは無いが先程よりもはっきりと聞こえる。しかし未だに全ては聴こえない。

 俺は流石に焦ったくなって、誰だ、と、今度は語調を強めて空に向かって言った。


『――名を、聞かせて……ほしい』


 質問を質問で返すな! ……と怒鳴ったらどんな反応をするだろうか。

 と、お茶目な悪戯心は脇に追いやっておき、名を尋ねられたことに純粋な疑問を覚える。

 どうやら声は俺の声に反応していたわけではないらしい。その証拠にそれ以上俺が何かを聞いても応ずることはなく、同じ質問を繰り返すばかりだ。


『名を……聞かせて、ほしい』


 何度目かにもなる、同じ言葉。同じ声。

 ともあれ声の主と意思の疎通は出来ないという事が分かった。

 まあ夢に対して意固地になる必要も無いし、名前は別に減るものでもない。俺は大人しく名乗ることにする。


「……アルス。アルス=フォートカス」


 しかし名乗ったからと言ってなんなのか。そもそもからしてこの声の主は誰なのか。

 疑問だらけではあるが、どうせ尋ねても返答がないことは知っている。俺は黙って空からの返答を待つ。


『――感謝する……』


 ……うん、お礼を言うのは大事なことだ。

 だからお前は一体誰なんだ。ついぞ俺は我慢ができなくなってぶっきらぼうに聞いた。


『我は……』


 空の声が何かを答えようとした時。


 俺の夢は、そこで途切れてしまった。




 ◆




「……んぁっ?」


 ぽんっ、と小気味良く鼻提灯を弾けさせ、閉じていた瞼が開かれた。

 ぼやけていた意識と視界は徐々に鮮明になっていき、周囲の喧騒が耳に届いてくる。

 ……どうやらいつの間にか俺は寝ていたようだ。

 何か夢を見た気がするが、はっきりとは覚えていない。寝ぼけている頭を働かせて、ひとまず自分の今いる場所を再確認する。


 現在地はかなり広い大衆酒場。の、取り分け隅っこの方に配置されているカウンター席だ。

おひとりさま御用達の通称隅っこ席は今では俺の専用になっているほど人気がない。


 風情ある木材で作られたこの建物は[ギルド]と呼ばれる施設だ。貴族や王族に雇われている兵士に、洞窟や迷宮を探索する冒険者、旅人といった所謂流浪の人々が集まる場所で、一日中酔っ払った男女の集団が談笑したり、見目麗しい女性ウエイトレスが料理を運んだりと、人の流れが絶えない。


 さて、俺の目の前には冷めてしまっている紅茶が一杯。まだカップになみなみと残っていることからすると、どうやら殆ど飲む前に眠りに落ちてしまったようだ。


 そんな急に眠気に襲われた覚えもなく、はて、と首を傾げつつ俺は冷めた紅茶に口をつける。

 高級の茶葉というわけではないが、流石に巧く淹れられている。冷めても尚透き通るような香りと味は変わらない。


「……っはぁ」


 半分ほど一気に喉に流し込んだところで俺はようやく一息つくことができた。

 いかにも田舎者まるだしの格好で吐息を漏らすその様は、さながら折角都に出てきたはいいものの、就職活動に失敗してしまって落ちぶれた若者のようであった。

 うん、現実味があって正直笑えない。


だが俺は決して就職に失敗したわけではないし、どちらかというと勝ち組、エリート国家公務員だ。……まぁその事が俺を悩ませているわけなんだが。


 数年ほど前……この国に、というかこの世界に魔王と名乗る者が現れた。思春期特有の黒歴史とか頭のネジが飛んだ奴かとか思うが、決してそんな鼻で笑って一蹴できる物じゃなくて。この魔王は実際に人だって羽虫のように殺すし、今まで潰されてきた街や国は一つや二つではないのだ。

 数千年前に女神との戦争で敗れた邪神だとか、魔族を統べる存在だとか、諸説あるらしいがそれは今は置いておくとして。


 つまりこの国は一見平和に見えて正に現在進行形でその魔王とかいう奴に狙われている場所だということだ。

 魔王の目的はなんだか知らないが、よくまあそこまで非道の限りをつくせるなとは思う。


 ここ、『王都ソルディース』はそんな諸悪の根源、魔王率いる魔物軍団の侵攻を食い止める最前線に位置する街だ。だからこそ傭兵や冒険者をサポートする施設であるギルドは巨大で三階建てだし、集まる人々の質も高い。


「カップ、お下げしますね」


「あ。ありがとうございます」


 ちょうど紅茶を飲み終わったところでウエイトレスが慣れた手つきで空になったカップをトレイに乗せて下げてくれる。

 毎度思うが毎日のようにギルドに入り浸っては仕事もせずにのんべんだらりしている俺を彼女達ウエイトレスはどう思っているのだろうか。

 どう考えても良くは思われていないだろうから俺は考えるのをやめた。


 閑話休題。


 ……で、なぜにそんな戦場の最前線に何もできなさそうというか何もできてない俺がいるのかというと、だ。

 俺の職種が勇者だからだ。先程言った通り、国に認められた職種の一つ。超エリート公務員。

 いや、とは言っても半ば強制的に任命されて勢いに流されて辺境の村からこんな王都とかいう大都会まで来ちゃったただの貧弱田舎者なわけだが。勇ましい者とはなんだったのかと言わんばかりの自他共に認めるヘタレ少年だ。


 女神に選ばれた勇者の資格を持つ者の元には専用神器(アーティファクト)と呼ばれる武器が降臨するという。

 人違いなのかなんなのか、俺の元にその専用神器(アーティファクト)が来てしまったのだ。

 勇者はその武器と、内に眠ると言われる魔力を使って魔王を打ち倒すという大変光栄かつ名誉な使命を授かる。クソ喰らえ。


 俺には武器こそあるものの生まれてから18年の間で本物の剣なんて振ったことないし、そもそも内に眠る力ってなんだよ。そんな都合よく使えるようにならないっての。実際ならなかったからな。


 勇者などという肩書きのせいで村のみんなにはやけに祭り上げられるし、親は泣いて喜ぶしでもう俺の人生は散々だ。

 魔物と戦ったことも無いし、だいたい一国の騎士団と戦争始めて勝っちゃう魔王になんて勝てるわけないだろいい加減にしろ。

 ……だから俺は村にとんぼ返りする事もできず、日がな一日中こうやってギルドの酒場の一角で一人寂しく項垂れているというわけだ。


「……お前が俺のとこに来なきゃ良かったんだよ、馬鹿」


 なんて吐き捨てようとも、立てかけてある剣……専用神器(アーティファクト)は喋らない。

 俺はやるせない気持ちでいっぱいになってまた机に項垂れた。はらり、と俺の茶色い髪の毛が一本机に落ちる。

 自らに課せられた使命の重さとどうにもならない絶望感で毎日現実逃避が捗りまくっているのだ。


『……なんだ、随分と腑抜けた奴だ』


「ちがうよ、俺が腑抜けなんじゃないよ……この世の中がおかしいんだって……」


 不意に聞こえてきた声に俺は反射でそう答える。もう罵倒に反論する元気もない。


 ……はた、と思考が一瞬停止する。


『……どうした。なにをそんなに驚いている』


 再度聞こえてきた言葉に俺は身体を起こして慌てて辺りを見渡す。


 俺の周りには誰もいない。


 それもその筈。俺は紛う事なき生粋のぼっち。更に言えば座っているのは壁に向かい合う形のカウンター席という外界との繋がりを完全に絶っている陸の孤島だ。隅っこ席の名前は伊達じゃない。

 とすれば今の声は、ひょっとして幻聴か、他の人の会話が聞こえただけなのかもしれない。

 そう思いなおして再び机に体を預ける。


「き、気のせいか。なんだ、脅かすなよ……」


『気のせい、とは何に対してだ?』


 気のせいじゃない。

 絶対気のせいじゃない。この声は間違いなく俺に話しかけている。というか、この声に痛烈なデジャヴを感じる。


「まさか、剣が喋った!?」


『お前はバカか。我は先ほど名乗ったばかりだろう、アルスよ』


 フラグは立てておけばなんとやら。自分の内なる力が覚醒でもしたかと飛び起きるように剣を手に取る。

 だが、声の主は自ら其れを否定した。それも心底バカにするような声色で。


 声は今度こそ俺の言葉に反応していた。先程も名乗った、というのは記憶に無いが少なくともこいつはあの夢(・・・)に出てきた声の主だ。ひょっとして俺の精神はトチ狂ってしまったのだろうか。夢の中の出来事が現実に乗り込んでくるなんて中々終わってるとしか言いようがない。


「あー、まだ夢見てんのかな」


 明晰夢という言葉を聞いた事がある。寝てるのに起きてるみたいな感覚になるアレ。きっとそれだろう。現実に戻るため、俺は自分の頬を勢いよく……は赤くなりそうで嫌だから少し抓る。

 するとピリッとした痛みが俺の頬に伝わってきた。……夢ではない。


『夢? なんだ、お前はあの出来事を夢と勘違いしたか。随分と愉快な頭を持っているのだな。……我が名はオルガニア。……思い出したか?』


 なんか、さっきからこいつ凄い上から目線でムカつく。

 じゃあ聞くが、普通の精神の持ち主が見えない何かが自分に語りかけてきたこの状況を夢以外の何かと捉えると思っているのだろうか。

 オルガニア……と名乗った声は俺の疑問に対して何処までも落ち着き払ったように答えた。


『見えない何かというのは言い得て妙だが、我はお前の中にいる存在。お前は我に名を教え、依り代となる事を許可したではないか』


「……は?」


 声は動揺する俺を気遣うことなく話を続けているが、言っている意味が全く頭に入ってこない。

 確かに夢の中で名を教えはしたが。


『我は異界より流れてきた魔族を統べる王。……魔王、とでも言うべきか。説明はした筈だが、よもや聴こえていなかった、などという事はあるまい』


 聴こえていませんでした。

 だいぶ壮大な話をされていたみたいだけれど、それ全部聴いてませんでした。


「ちょ、ちょちょちょ。俺の中ってなんだ。お前は……ま、魔王? ってあの魔王?」


『そうだ。あの魔王が何を指してるのかは知らんが、我は異界から来たと先程も言ったぞ』


 理解が追いつかずに俺の思考回路がショートしかかる。ただ、凄く面倒な事が起こっているという確信にも似た予感が俺の胸中を支配していた。


『まあ、良い。暫くの間、世話になるぞ』


「ちょっと待ってホントに誰だお前ぇえええ!!!??」



 かくして、俺は異界の魔王に取り憑かれたのだった。


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