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「人生、やり直しできます。ただし“選択のログ”は消えません」  作者: kaiくん
第1部 やり直しの快感編

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第15話 他者影響ログ

人は、自分の選択だけで生きているわけじゃない。


 そんな当たり前のことを、俺はずっとどこかで忘れていたのかもしれない。


 朝、目が覚めた瞬間から、胸の奥に薄いざわつきがあった。


 昨日の最後に表示されたログ。


 “うまくいくこと”そのものが目的化した場合、他者影響の把握精度が低下します。


 その一文が、まだ頭の奥にこびりついている。


 把握精度。

 つまり、俺はすでに何かを見落とし始めているのかもしれない。


 洗面台で顔を洗いながら、鏡の中の自分を見た。


 顔色は悪くない。

 むしろここ数日の中では整っているほうだ。


 けれど目だけが少し落ち着かない。


 最適化はうまくいっている。

 仕事も、人との会話も、奈緒とのやり取りも。


 それなのに、胸の奥には小さな不安が沈んでいる。


 部屋を出る前、いつものように視界の端へ意識を向ける。


【選択ログ】

失敗:127

回避:3

保留:12

成功記録:13


 数字は変わらない。


 それを見て、少しだけ安心しそうになる。

 だが今日は、その安心感を自分で止めた。


 成功記録ばかり見ていたら、たぶん駄目だ。

 昨日、ログはそう言っていた。


「……他者影響ログ、表示」


 小さく呟く。


 数秒の沈黙のあと、視界の中央に新しい表示が浮かんだ。


【他者影響ログ】

現在の正方向分岐に伴い、周辺関係へ遅延影響が発生しています

可視範囲:限定的

主な変動候補:

1.職場内の関係濃度変化

2.役割配分の偏り

3.未選択機会の消失


 喉の奥が少し冷える。


 曖昧だ。

 だが、曖昧なぶんだけ嫌な現実味がある。


 職場内の関係濃度変化。

 役割配分の偏り。

 未選択機会の消失。


 どれも、誰かが明確に不幸になるという話ではない。

 でも、そのぶん見落としやすい。


 自分がうまくいけば、そのぶん何かの配置が変わる。

 誰かが取るはずだった役割がずれる。

 誰かとの距離が近づけば、別の誰かとの距離は遠のく。


 頭ではわかる。

 わかるのに、今まではそこまで意識してこなかった。


 駅へ向かう道でも、今日は足取りが少し重かった。


 昨日まで感じていた“整っていく快感”が、少しだけ鈍っている。

 代わりに、自分が何を動かしてしまっているのかを考える時間が増えた。


 ホームに立つ。


 奈緒の姿はない。

 それ自体はもう驚かない。


 だが今日は、それを確認したあと、別のことが気になった。


 もし俺が奈緒との接点を増やしていくなら、そのぶん失う“別の可能性”とは何なのか。


 奈緒自身の未来かもしれない。

 俺の職場での人間関係かもしれない。

 あるいは、まだ見えていない誰かとの線かもしれない。


 考えすぎだ、と自分に言い聞かせる。


 けれどログが存在する以上、“考えすぎ”で片づけきれないのも事実だった。


 会社へ着くと、朝の空気に微妙なざらつきがあった。


 ほんの小さなものだ。

 誰も表立って不機嫌なわけではない。

 ただ、昨日まで噛み合っていた流れの中に、わずかな引っかかりが混じっている。


「おはようございます」


 声をかけると、何人かはいつも通り返してくれる。

 だが、その中で一人だけ、少し反応の遅い相手がいた。


 同じチームの先輩社員だ。


 別に露骨な態度ではない。

 ただ、ほんの少しだけ距離がある。


 それだけのことなのに、今の俺は妙に気づいてしまう。


 席についてPCを立ち上げる。

 しばらくして、高橋が近づいてきた。


「おはようございます」


「おはよう」


「……何かありました?」


 いきなりそう聞かれて、少し戸惑う。


「どうして」


「いや、今日ちょっと顔が硬いです」


 自覚はあった。

 他者影響ログを見たあとから、頭の中が妙に静かじゃない。


「少し考えごとだよ」


「仕事の?」


「まあ、そんな感じ」


 曖昧に答えると、高橋は軽く頷いた。

 だが、それ以上に気になることを口にした。


「昨日、先輩ちょっと機嫌悪かったんですよね」


 胸の奥が、静かに鳴る。


「……先輩?」


「ほら、提案の件で前は先輩が入る予定だったやつ」


 その言葉で、ようやく繋がる。


 そうだ。

 前の人生では、あの提案同行は俺じゃなく、あの先輩により多く比重が乗っていたはずだ。


 けれど今回は、俺が受けた。

 いや、受けるように動いた。


 もちろん先輩の仕事が消えたわけじゃない。

 だが、役割の見え方は変わったはずだ。


「別に、俺のせいってわけじゃ……」


 言いかけて、言葉が止まる。


 “俺のせい”というほど単純じゃない。

 でも、“俺の選択と無関係”とも言い切れない。


 視界の端で、ログが静かに更新される。


【他者影響ログ更新】

候補B:既存評価バランスの崩れ

一致率:上昇

内容:役割の再配分により、他者の立場認識が変動しています


 喉が少し乾く。


 やっぱり、これか。


 俺が前へ出たぶん、誰かの位置は少し下がる。

 誰かが本来受けるはずだった印象は、少し変わる。


 それは奪ったというほど明確じゃない。

 けれど、何も影響がないわけでもない。


 午前の業務に入っても、その感覚が頭から離れなかった。


 資料を開く。

 メールを返す。

 打ち合わせに参加する。


 やることはいつも通りだ。

 だが、その“いつも通り”の中に、今まで気づかなかった他者の重みが混ざり始めている。


 自分がうまくいく。

 評価される。

 役割を任される。


 それ自体は悪いことじゃない。

 むしろ前の俺に足りなかったものだ。


 でも、組織の中でそれが起きるということは、誰かの見え方もまた変わるということだ。


 昼前、課長から軽い確認を受けたあと、問題の先輩と二人きりになる瞬間があった。


「昨日の提案、うまくいったみたいだな」


 声は平坦だった。

 別に刺々しいわけじゃない。


「はい。課長からも、反応は悪くなかったと」


「そうか」


 それだけ言って、先輩は書類を整える。


 会話としては何もおかしくない。

 だが、空気の中にわずかな硬さがある。


 前の俺なら、気づかないふりをして終わっていたと思う。

 でも今は、それができない。


「……先輩、前にこの手の案件、結構やってましたよね」


 気づけば、そんな言葉が出ていた。


 先輩が少しだけ手を止める。


「まあな」


「もしよければ、今度少し聞かせてもらえませんか。今回、自分はまだ浅いので」


 沈黙が数秒落ちた。


 余計なことを言ったかもしれないと、遅れて不安になる。


 だが先輩はやがて、小さく息を吐いた。


「……別にいいけど」


「ありがとうございます」


「お前、最近変わったよな」


 その言葉に、胸がわずかに強く鳴る。


「変わった、ですか」


「前はもっと引いてた。今は前に出るようになった」


 そこで一拍置いて、先輩は続けた。


「悪いことじゃない。でも、周り見てやれよ」


 まっすぐすぎる言葉だった。


 責める口調ではない。

 それだけに、余計に刺さる。


「……はい」


 それしか言えなかった。


 先輩が去ったあと、しばらく動けなかった。


 周りを見てやれ。


 それはたぶん、まさに今の俺が見落としかけていたことだ。


 視界の端で、ログが更新される。


【他者影響ログ更新】

職場内接点の希薄化:軽度発生

補正行動:一部成功

備考:他者の感情は、最適化のみでは処理できません


「……最適化のみでは処理できません」


 小さく読み上げる。


 その通りだと思った。


 俺はここ数日、うまくいく選択を積み重ねてきた。

 でもそれは、自分の視点から見た“より良い答え”に寄っていただけかもしれない。


 誰かの気持ち。

 誰かの立場。

 誰かが感じる微妙なズレ。


 そういうものは、数字や手順だけでは扱いきれない。


 昼休み、食堂にいても、いつもの高揚感は薄かった。


 成功記録が増えることへの満足感はある。

 でも今日は、それと同じ重さで“その裏に動くもの”が頭を離れない。


 奈緒からメッセージが届いたのは、そんなときだった。


 


『今日は少し疲れてますか?

 昨日より文章が静かに見えます』


 


 目が止まる。


 そんなことまで伝わるのか、と思った。


 同時に、少しだけ救われる。


 奈緒は俺を“うまく返事をする人”として見ているだけじゃない。

 変化そのものを、ちゃんと感じ取っている。


 俺は少し考えてから返した。


 


『少しだけ、考えすぎてるかもしれません。

 自分がうまくいくことで、別の何かがずれてる気がして』


 


 送信してから、少しだけ息を呑む。


 こんな曖昧で重たいことを送るべきだったのか、自信がなかった。


 だが返事はすぐに来た。


 


『それって、ちゃんと周りを見ようとしてるってことですよね。

 たぶん、悪いことじゃないと思います』


 


 胸の奥で、何かが静かにほどける。


 悪いことじゃない。


 その一言で、少しだけ呼吸がしやすくなった。


 視界の端で、ログが淡く光る。


【関連分岐更新】

対象人物:不安共有への受容

感情状態:安定補正

備考:理解は、最適化とは別の補正軸です


 理解は、最適化とは別の補正軸。


 その言葉が、今日はやけに深く刺さる。


 そうだ。

 全部をうまく処理する必要はないのかもしれない。

 ただ“わかってもらえる”だけで、少し整うこともある。


 午後、先輩に改めて資料の見方を聞きに行った。


 ほんの数分の会話だったが、それは思っていたよりずっと意味があった。


 先輩の視点。

 営業の現場で何が嫌われるか。

 どういう順番で話すと相手が警戒しにくいか。


 前ならたぶん、聞くこと自体を遠慮していたと思う。

 でも今日は違った。


 自分が前に出たのなら、そのぶん周りとの線も結び直さなければいけない。

 そう思えたからだ。


 夕方、ようやく少しだけ肩の力が抜けた。


 完全に何かが解決したわけではない。

 他者影響ログが消えたわけでもない。


 それでも一つだけ、わかったことがある。


 自分の成功は、自分一人で完結しない。

 その先には必ず誰かがいる。

 良くも悪くも、何かが動く。


 そして、それを“なかったこと”にはできない。


 帰り道、駅へ向かう途中で、視界の端に最後のログが浮かんだ。


【本日の総合記録】

成功記録:13

他者影響ログ:顕在化

補正行動:実施

感情状態:不安定安定


要点:

あなたの成功は、他者の失敗ではありません

ただし、他者に無関係でもありません


 その一文を、しばらく見つめる。


 他者の失敗ではない。

 でも、無関係でもない。


 たぶんそれが、今の俺にとって一番受け入れにくくて、一番大事な事実だった。


 白か黒かじゃない。

 奪ったとも言い切れないし、何も動かしていないとも言えない。


 選び直すということは、そういう曖昧な影響まで引き受けることなのかもしれない。


 部屋へ戻り、ベッドに腰を下ろす。


 今日一日を思い返す。


 先輩の言葉。

 奈緒の返事。

 ログの警告。

 そして、自分がようやく少しだけ理解し始めたこと。


 選択は、自分一人のものじゃない。


 それを知ってしまった今、前みたいに無邪気に“うまくいけばいい”とは思えなくなっていた。


 けれど同時に、だからこそ次の選択はもっと重くなるのだともわかる。


 ここから先は、ただ成功を増やすだけでは進めない。


 誰かと、自分と、失うかもしれないものと。

 その全部を見ながら選ばなければいけない。


 たぶん物語は、ここから少しずつ別の顔を見せ始める。

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