再会
ザリッ、ザリッ、と河原を歩く音が響く。
無数の人間が俯きながら当てもなく彷徨う灰色の土地。
そんなもの悲しさを感じさせる土地にある河原の近くで、誠は目を覚ました。
「────こ、こは?」
うつ伏せに倒れていた誠は、目を覚ますと上体を起こし周囲を見回した。
彼の周りでは現代の服を着ている人や、あるいは歴史の教科書で見た事があるような古い服を着た人間が虚ろな目をしている。
そんな人の群れで誠の周囲は埋め尽くされており、彼らは誠を一瞥することも無く一心不乱に前進していく。
「なんだ……? いや、それよりも俺はどうして生きて……首を刎ねられた筈……」
誠はゆっくりと体を体を起こし、自分の首や体を確認した。
服装はいつの間にか、魔人の時のものではなく学生服に戻っており、上着を脱いで上半身を見る。
すると先ほど意識が途絶える寸前まで胸に空いていた穴は消えており、首にも傷跡だけが其処に残っていた。
「傷が治ってる……?」
胸を何度も触るが、特に違和感も無く痛みも誠は感じない。
それに一瞬安堵を感じるが、直ぐに彼はより大事な事に気が付いた。
「そうだ、皆は!?」
学生服を着直し、誠は慌てて人の群れをかき分け自らの仲間を探す。
「晶! 花ちゃん! 古森さん! 居たら返事をしてくれ!」
誠の声が河原に響くが、直ぐにそれは虚空に吸い込まれていき誰からの返事も無い。
代わりに返ってくるのは、人が砂利を踏みしめる音だけである。
「……ダメか、しかし一体ここはどこなんだ? 皆も居なければアモンも居ない……そのせいかは分からないが変身も解けているし」
それに、と誠は付け加えながら周囲を歩く人間達を見た。
「彼らは一体なんなんだ……? 俺には見向きもしない、何の反応も返さない……一体どこに向かっているんだ?」
「やれやれ、今日は騒がしいのう」
謎だらけの空間で、誠が疑問を口に出しながら今後のことについて考え始めると不意に言葉が聞こえてきた。
「だ、誰だ!?」
「目の前だ」
しわがれた老人の様な声が目の前から聞こえると、直ぐに地面から水が湧き出るようにして声の主が現れた。
声と違わぬ風貌に、全身を黒づくめのローブで覆った杖を持った老人は誠を見ると直ぐに右手の掌を差し出した。
「まずは聞いておくかの、1オボロス」
「……お、おぼろす?」
「はぁ……お前もか、全く最近の人間はどうなってるんじゃ」
老人の言葉に、誠は困惑した表情を浮かべながら問い返す。
すると老人はため息を吐きながら首を横に振った。
「いや、そんな事よりお前は誰だ! お前もさっきの奴の仲間なのか!?」
「……何を言っておる小童、奴とは誰の事じゃ」
「騙されないぞ、皆をどこにやったんだ! ここはどこだ、答えろ!」
誠は老人から距離を取ると、拳を握り構える。
だが老人は再び首を振りながらため息を吐くと、老人は杖の先端に置いていた右手の指を一本上から下に動かした。
「何を──うわっ!?」
すると、誠の体が突然何かに操られるように地面に叩きつけられる。
「か、体がいきなり……!」
「不遜な態度をまずは改めよ小童、そうすればお主の質問に答えてやろう」
「くっ……分かった」
「やれやれ、最近の人間は……さてお主の質問は儂が誰でここがどこかじゃったか」
嫌々ながら老人の指示に従う誠を見て、老人は誠の質問を反芻し始める。
「儂の名はカロン、渡し守じゃ。 そしてここは生者と死者の領域を峻別する冥界の川ステュクスの畔」
「カロン? 冥界の川……!?」
「そうじゃ、ほれ、あそこを見てみろ」
カロンは驚く誠へ、左上を指し示した。
地面に這いつくばった状態で誠が顔を向けると、真っ黒な天井から小さな何かが大量に降ってきていた。
「あれは?」
「今日地上で死んだ連中じゃ、死ぬとああやって上から落ちてくる、そして儂に船賃を渡せたものが死者の国へ行くんじゃ」
「死んだ人って……あれが全部!? それに船賃って、もしかしてさっき言ってたオボロスとか言うの?」
「左様、もっともここ数世紀で儂に船代を渡せた人間は居らんがの」
カロンと名乗った老人はそう言うと、遠い目をしながら落下してくる人間達を見る。
その表情は、自らの職務に疲れているようにも悲しんでいるようにも見えた。
「さて、お主の質問には答えた。 儂は今死んで来た連中に船賃を請求しにいかねばならん」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! ここが本当に冥界の川だって言うなら、俺は死んだのか!?」
「そうじゃ、ここには死人以外は来ることは出来ん」
「そんな……! 仲間が今戦ってるんだ、俺を地上に戻してくれ!」
「それは出来ん、地上で死した者は皆冥界に行く」
こういった問答もカロンは恐らく何万、何十万回と繰り返してきたのだろう。
事務的にそう言うと、老人は誠から背を向け歩き出す。
「船賃を渡せなかった人間はステュクスの周りを200年彷徨う決まりじゃ、お前の仲間もその間にここへ落ちてくるじゃろう」
「ま、待て! 待ってくれ!」
「現世で死んだ者が冥界に行くのは当然の事、定めは破れん、お前も直に他の連中と同じく記憶を無くし彷徨うことになる」
カロンはそう言うと、もう誠には振り返らずに人混みの中に消えて行った。
「くっそぉ……! まだだ、何か方法がある筈だ……!」
「ククク、冥界の渡し守に否定されても尚諦めないとは相変わらずだな」
冷笑を伴いながら、アモンが地面に倒れ込む誠の前に上空から現れた。
「アモン、お前今までどこに……いや、そんなことはどうでもいい、地上に戻るぞアモン!」
「戻ってどうする? 今のお前の実力では戻ったところで再び死んでここに戻ってくるだけだ」
「それは……でも、何もしない訳にはいかないだろ!」
「そんなことは我の知った事ではない、我はお前の自己満足に力を貸してやっていたまでであの連中には何の思い入れも無い」
「自己満足!? 俺はそんなつもりでやっていた訳じゃない、それにお前が力を取り戻せば父さんの事件についてだって分かると言ったから……!」
誠の懇願に、アモンは冷笑を浮かべながら拒否をする。
アモンの言葉に、今まで彼も大事な仲間だと思っていた誠は怒りを覚え、叫ぶ。
「ふん、ならばてっとり早く魔人の姿で地上で破壊活動でもしていれば我の力はより早く戻った筈だ、人間に名を知られれば知られる程我は力を得る故な」
「そんなことは出来ない、誰かに迷惑を掛けて父さんの死の理由を解き明かしても俺も、そして父さんや母さんも決して喜ばない!」
「だがお前のその下らん拘りで現状お前は死を迎えている、これを自己満足と言わず何と言う?」
「……それは」
「諦めるのだな、渡し守の言うように少し待てばあの連中もここへ落ちてくるだろう」
「アモンはそれでいいのか!? 復活して、地球の全部を手に入れるんだろう!?」
アモンの言葉に誠は叫ぶ。
だが当人は涼し気な顔で反論する。
「元より原初の時代から待っていた我だ、今更お前が失敗した所で何とも思わん、ただ待つ時間が増えただけだ」
「そんな……」
アモンの反論に、誠は顔を俯けた。
「いや、ダメだ……俺はまだ諦められない」
「諦めの悪い男だ、仮にここを抜け出し地上に戻ったとしてどうするというのだ」
「……それは、今は何も思いついてないけど、でも戻って皆の為に戦わなきゃいけないんだ!」
誠の言葉に、アモンは肩眉を上げ呆れた表情を作る。
「お前の発言には何一つ現状を打開する案がないな、ただ願望を述べるだけか」
「あぁ、そうだ。 今の俺は何も出来ない、だからせめて諦める事だけはしちゃいけないんだ」
俯きながら、それでもゆっくりと上体を起こすと誠は力強く叫ぶ。
「俺が諦めたら今戦ってる皆や今日俺が助けられなかった人達の死が無駄になってしまう、だから……俺は諦めちゃいけないんだ!」
「心意気は結構、だが打開策が無ければそれも自己満足に過ぎん」
「……アモン、俺との契約は俺の体を一年後に明け渡すだったな、ならそれを半年後に縮めたらどうなる?」
「目の付け所は良い。 だが不可能だ、一度取り決めた契約内容の変更はな、悪魔とは契約に縛られる存在だ」
「そうか、なら……新しい契約をすればいいんだな?」
ニヤリ、とアモンが口角を上げた。
「正解だ、だが一度死んだお前を蘇らせ、尚且つ奴に勝つ力を得るとなると相応の供物でなければな」
「何が必要だ、教えてくれアモン」
「お前が最も大事にする者の魂を貰おう」
自分が最も大事にする者。
そう言われ、誠の脳裏には直ぐに自らの母親と父親の姿が過った。
「それは出来ない、他の──」
「出来ないとは言わせん、お前の望みを叶える代償はそれだけ重い」
「俺に、母さんを殺せと言うのか……晶達を救うために」
「生きるという事は選択をすることだ、何かを得る為には何かを失わなければならない」
アモンの口調は強く、そして誠の心に深く響いた。
「何かを得るために、何かを失う……俺は、俺はどうしたら……」
苦悩する誠を見て、ほくそ笑むアモン。
そんな二人の間に、陽気な声で一人の男が乱入した。
「どうやらお悩みの様だね、若人」
「…………その、声は──!!」
「ほう、まだ自我が残っている死人が居たか」
「あぁ、と言っても本当にギリギリだがね。 何せ愛する妻と我が子の声以外の事はとんと忘れてしまったよ」
白いスーツに、白い中折れ帽子を被った40台前後の男は笑いながら言うと倒れている誠へ近づいていく。
「久しぶりだね、誠」
「────父さん!」
男の声が聞こえてきた瞬間、誠にはそれが誰の声なのか直ぐに理解できた。
顔を上げ、それが実の父であることを認識した瞬間、誠の父を失ってからの三年分の気持ちが爆発し、止めどない奔流の様に目から涙と言う形で溢れ出した。
「ははは、どうした誠、昔はそんなに泣き虫じゃなかった……よな?」
「父さん、父さん……!!」
誠は地面に縛り付けられている体を無理やり起こすと、父へ抱き着いた。
「大きくなったな……いや、もう昔の事も思い出せないんだけどな、はははは!」
「誠の父……そうか、死ねば誰もがここへ来る、船賃を渡せなかった奴もここで彷徨っていたということか」
「ま、そんなところさ。 だが良かったよ、何もかもを忘れる前にまた息子に会えて」
「お父さん、どうして、どうして死んじゃったんだよ……お母さん、凄い悲しんでたんだ、それでも俺の為にって頑張って……」
父の胸に縋りつき、誠は泣きじゃくる。
そんな我が子を父は抱きしめながら、頭を優しく撫でた。
「……ごめんな、お前達にはいっぱい迷惑を掛けたよな」
「俺の事は良いんだ、でも、でも……!」
「そうか……お前は優しい子だな誠、母さんの教育の賜物かな」
優しい眼差しで父は息子を見る。
それは死しても尚、自らの子と妻を忘れなかった男の深い愛情を感じさせた。
「父さん、どうして死んじゃったの、父さんは本当に悪いことをしたの!? そうじゃないなら、一体誰が父さんを殺したの!?」
「すまないな誠、答えてやりたいが……父さんはもう死ぬ前の事は殆ど思い出せないんだ、覚えているのはお前と母さんの事だけなんだ」
「そんな少しだけでも何か──」
悲しそうな顔をする誠に、父は首を横に振る。
「すまないな、本当に何も覚えていないんだ。 正直、今は僕が誠の父という事と綺麗で優しい奥さんが居たってことしか覚えていない」
「……そう、なんだ」
「だが良いじゃないか、盗み聞きさせてもらったが父さんの命を使えばお前は生き返れるんだろう? ならお前の疑問はお前が調べてくるんだ」
父の言葉に、誠はハッと顔を上げた。
息子の泣き濡らした顔と対照的に、父は優しい顔をしていた。
「出来ないよ、父さんを犠牲にして生き返るなんて!」
「なら地上で戦っているお前の仲間を見捨てるのか? 違うだろう、それは正しい事じゃあない」
「でも!」
「でもじゃない、甘ったれるな誠!」
笑顔で、自分を犠牲にしろと言う父に誠は反論をしようとする。
だが父は誠の両肩を腕で押すと、誠の顔をしっかりと見つめた。
「もう父さんは死んでるんだ、だがただ死者の国に行けずにここで彷徨っているだけに過ぎない、誠が父さんの命を使わなくても僕が蘇るわけじゃないんだ」
「あ、あぁぁぁ……」
「お前の仲間もまだ戦ってるんだろう、時間は無いぞ誠。 骸が動いたんだ、儲けものだと思え。 そして、母さんを僕の代わりに守ってくれ」
「おどうざん……!」
「はは、今日の誠は本当に泣き虫だなぁ。 父さんも……少し涙が出てきたよ」
父の言葉に、誠は泣きながらゆっくりと頷いた。
それを見て、父も泣いた。
少しの間、二人は抱き合ったまま動かなかった。
「……さて、感動の再開と別れの挨拶はもう終わったか?」
二人が泣き終わり、満足するまで待っていたアモンは辟易とした表情で言った。
「あぁ、待たせたねフクロウ君、流石に三年ぶりの家族との再会は堪えたよ」
「こっちも大丈夫だ……やってくれアモン」
「ではこれより復活の儀を行う、我の前に立て男、マコトはこっち側だ」
アモンは二人が抱き合っていた間に河原に描いた魔法陣の中心に誠の父を立たせ、誠は相対する魔法陣の中に立ち、互いを見つめる。
それを確認するとアモンは誠の側の魔法陣の中に立つと、何やら呪文の詠唱を始めた。
すると魔法陣が光を放ち始めていく。
「……さて、本当にここまでみたいだ誠。 死ぬ前に会えて良かったよ、実際はもう死んでるんだけど」
「俺も、父さんにまた会えて良かったよ」
「母さんの事、よろしく頼む。 それと今でも愛していると伝えてくれ」
魔法陣の光が強まるにつれ、父の体が徐々に透けていく。
「父さん!」
「来るな誠! ……来るんじゃない、お前は生きて、そしてお前の人生を全うするんだ」
覚悟はしていたが、それでも消えていく父の姿を見て誠の体が一歩前に出る。
だが父はそれを制止すると、優しい顔でそう告げた。
「心はいつもお前と一緒だ誠──元気でな」
そして、二人は光に包まれ、冥界の川辺から消えた。
今日から実家に帰るので一日早めの更新となります




