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最終話「一つ実って落ちた恋」

 廉康が隠れ家にしている廃墟の奥、薄暗い部屋の隅で、三娘は縛られ体の自由を奪われていた。

 その姿を肴に、濁った目で愉快そうに見下ろす鎧姿の廉康。二人の他には弟の廉旬が控え、こちらに攻めてくるはずの孟均について話し合っていた。


「奴なら居場所を突き止めるのにもそうかかるまい……。だがお前がいる限り手は出せん。ここに来た時が奴の最期だ」


 下卑た笑いを浮かべる廉康に、三娘は臆することなく鼻を鳴らす。


「残念だったわね。あの人は来ないわ。あんたみたいな小者が仕掛けたチンケな罠に引っ掛かるほどバカじゃない」

「口の減らない小娘が!!」


 ドカッと腹を蹴られ、床に転がされて呻く三娘。ガチャリと鎧が不快な音を立て、舌打ちした廉康は忌々しげに吐く。

 

「下手に出てりゃ付け上がりやがって、大人しく嫁いでいればいいものを、誰のおかげでここまでやったと思ってる!?」


 上半身だけ起こして苦しそうに咳き込んでいた三娘だったが、廉康の口汚い罵りにも、吐き捨てるように嘲笑う。


「その鎧、笑えるぐらい似合ってないね」

「誤魔化すんじゃねえ、てめぇが寸法を間違えたんだろうが!! 一体誰に合わせて作りやがった!? 女のくせに我が侭抜かしたばかりか、あんな若造に色目使うなんぞ……鮑家の令嬢ともあろう者が、いつからそんな雌豚に成り下がった、ああ!?」


 二人のやり取りから、廉康の鎧はあの南海赤龍鱗甲から作られたのだと分かる。しかし廉康が動くたびに軋んだ音を立てるそれは、彼を拒む三娘の声に共鳴するかのようだった。


「見苦しいったらないね。自分の何がいけないのか棚に上げて、亭主気取り? いい加減、これっぽっちも愛されてないって認めたらどうなのよ。あの人はね、あんたなんか及びもつかないような男の中の男なの。こんな姑息な手段しか取れないカスに嫁ぐくらいなら、死んだ方がマシ」


 廉康がスラリと剣を抜く。怒りでこめかみが引き攣っていた。


「よく言った。望み通り、死ぬがいい」


「れ…廉康様…!」


 打ち破るような声に振り返ると、扉に真っ青な顔をした劉登が立っていた。


「どうした!?」

「か、花帽童が……」


 最後まで言い切ることができず、劉登がドサリと倒れる。

 その後ろに立っていたのは……


「孟均……!?」


 三娘が声を漏らす。


「助けに来たぞ、三娘」


 視線を真っ直ぐ向けての力強い声に、思わず笑みが零れる。

 …が。


「何故、来た!? 私のことなんて、もう…!」


 よろりと立ち上がり、駆け寄ろうとしたところを廉旬に取り押さえられる。


「三娘!!」

「動くな、この娘がどうなってもいいのか」


 三娘の首に剣が当てられ、孟均の足が止まる。


「よくやった、廉旬。さあどうする、花帽童?」


 にやついて孟均に向き直り、腕を組んで余裕を見せる廉康。ギリッと歯を噛み締める音が響く。


「あんたって男は……どこまで卑怯なの…っ!」

「おや、分かってると思ってたがな。さっきも散々大口叩いてたじゃねえか」


「……廉康」


 押し殺したような孟均の声。


「お前が三娘に執着する気持ち、歪んでしまった想い。俺の中にも闇があるから分からんでもない。

だが、お前は三娘の心を蔑ろにした。それで彼女を愛しているのか?」


「愛? 愛だとよ」


 廉康は三娘に剣を向けている弟を振り返り、せせら笑った。


「こいつの気持ちなんて関係あるか。俺はこの生意気な小娘を跪かせればそれでいいんだ。そのために愛する男の首でも目の前で落としてやりゃ、さぞ痛快だろうよ。さあ、さっさと剣を捨てな! お前が死ななけりゃ、こいつが代わりに死ぬだけだ」

「……よく分かった。お前は救えぬ男だ」

「早くしねえか!!」


 廉旬が剣を構え直すのを視界に捕え、孟均はスッと剣を持つ手を差し出す。


「本当に三娘を無事帰すんだろうな」

「ああ、お前が死ねばな」

「こいつが約束なんて守るわけない!! お願い、止めて孟均!!」


 三娘の悲痛な声と、ガシャン、と剣が床に落ちる音が重なった。


「ぎゃはははははは、よかったな三娘? どうやらこいつは本気でお前に惚れていたようだ。待ってろ、今すぐこいつの首をお前にやるからな!!」


 歓喜の声を上げ、無抵抗の孟均の頭上めがけて剣を振り被った廉康は、廉旬が彼等に見入って三娘から視線を外していたことに気付かなかった。


 ドカッと鈍い音がした。


「ぐは…っ」

「何っ!?」


 縛られたまま、体を捻った三娘の回し蹴りが決まったのだ。あっけなく床に沈んだ廉旬に、思わず廉康がそちらを振り返ってしまう。


 その一瞬の隙。


 床に落とされた剣の柄がキィンと蹴り上げられる。

 廉康が焦って視線を戻した時には、剣は孟均の手に収まっていた。


「てっ、てめぇ!!」


 頭に血の上った廉康が剣を振り下ろした時、鎧がギッと一際耳障りな音を立てた。僅かに、廉康の動きが鈍る。孟均にはその姿が、暗い想いに絡めとられたかつての自分と重なった。


「…さらばだ」


 孟均の憂いを断ち切る一閃で首を失くした廉康は、ドサリと地に伏した。




「無事か、三娘!?」


 足をふらつかせながらも立っている三娘に駆け寄り、縄を解いてやる。つい先ほど足蹴にされたものの、それ以外は大した怪我もないことを確認すると、孟均はほっと息を吐いた。


「……よかった」

「…………」


 安心させるように笑いかけるが、三娘は俯いたままだ。


「何がよかったの…? バカ、何故来たのよバカ!!」


 覗き込んだ孟均が見た彼女の表情に浮かんでいたのは、怒りだった。


「君の家族がどれだけ心配したと」

「だから、頼まれて来たって? 他人なんだから、そんなの放っておけばいいじゃない。ずっと付き纏われて、迷惑だったんでしょう!?」


 ドン、と胸を突き飛ばして距離を取る三娘。そこまで自分に助けられたくなかったのかと困惑するが、彼女とは傷付けて別れたきりだったのを思い出した。


「私は廉康とは違う。愛されない相手に縋るなんて惨めな真似はしたくないの。だからもう……貴方とは会わない」


 三娘の言葉が胸を突く。その痛みに、孟均はもう逃げることは許されないのを悟った。瞳を閉じ、覚悟を決める。


「三娘」


 名を呼ばれて動揺した気配に目を開くと、孟均は腕の中に彼女を閉じ込めた。


「君を助けられるなら、そのために死んでも良いと思った。攫われたと聞いたあの時、心にあったのはただ、それだけだ」


 そんな資格はないとばかりぐるぐる考えていたが、単純に突き詰めればその一点だった。鮑三娘という娘のために、命を懸ける。自分にはもう、それができるのだと。


「嬉しくない」


 だが三娘は首を振り、弱々しく笑った。


「貴方がお慕いしているのは玉華様で、命を懸けるべきは御父上でしょう?」

「俺にとって、今や君も同じ場所に居ると言ったら?」


 背中に回した手に力を込める。好きだという意味だった。

 三娘の瞳から、ポロポロと涙が零れ落ちる。思わぬ告白を聞いて、今まで張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう。肩に頭を乗せ、耳元でぽつりと呟かれる。


「ダメ……貴方が死んだ時点で、私は命を絶っているから」


 顔が燃え上がるように熱くなった。これだけ熱烈な愛の言葉を吐かれて、応えなければ男じゃない。

 目元に浮かぶ涙を指で掬ってやってから、孟均は二、三度咳払いをした。


「それにしても、見事な蹴りだった。感服し申した」


 誤魔化すためにわざと仰々しく言うと、悪戯っぽい眼差しを見せた三娘がニヤッと笑う。


「貴方の良き相棒になれると思うの、私」





 それから年を越した後、孟均と三娘は祝言を挙げた。劉備一行や鮑家の他、花帽童の傭兵団も呼ばれ、皆が二人を祝福した。

 孟均はこの宴で廉康から奪った赤龍鎧を着て披露したのだが、嫌な音一つすることもなく、彼の体にぴたりと合ったので驚いた。


「これは、廉康のために作った鎧ではないのか?」

「あいつの体寸など知ったことではないわ。ずっと貴方が纏うところを想像していたの。最初から…」


 ここまで来ると廉康がいっそ哀れでもあるが、悪びれもせず幸せそうな三娘にはもう何も言えない。せめて自分は廉康のように暗い情念には囚われるまいと誓うだけだった。


「孟均殿、おめでとうございます。防具のことはよく分かりませんが、私から見てもその鎧はとても雄々しく、貴方にお似合いですわ」

「玉華殿。私は…」


 玉華から祝われた孟均は、ちらりと傍らに控える三娘を見る。彼女の瞳には一瞬、不安の影が見えたが、二人で話ができるよう距離を取ろうとした。その手を、ぎゅっと握って引き留める。


「私は、この鎧よりも何よりも素晴らしい宝を、今日手に入れました。今後、玉華殿が自慢できるような甥夫婦に、私たちは成ってみせます。だから…」


 決意を込めて玉華を見つめる孟均の表情と誓いに、らしくもなく三娘は白粉の下からでも分かるほど赤くなってしまう。


「ええ、必ず幸せになって……見守ってるから」


 そう言って、玉華は花のように笑った。


「荊州に花は咲く」はこれにて完結です。

その後の話などあれば、「張飛の花嫁」の方に番外編として書くと思います。

よろしければ感想などいただければ嬉しいです。

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