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もしも俺が若い女性が1人で切り盛りしているカフェのカウンターにいつもいるおっさんになってしまったらそのときは躊躇わず殺してくれ  作者: 梅野飴


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もしも俺が若い女性が1人で切り盛りしているカフェのカウンターにいつもいるおっさんになってしまったらそのときは躊躇わず殺してくれ

ゾンビ映画でさ、

「俺が発症してゾンビになったら、その時はひと思いに撃ち殺してくれ」

ってあるやん。あれいいよね。ゾンビ映画のクライマックスって感じ。ゾンビ映画と言えば、あれと、中盤の余裕こいてゾンビ撃ち殺しゲームで遊び始めるシーンの二大看板じゃんやっぱ。

で、俺今あれなのよ。

俺さ、多分もう駄目なのよ。

そう遠くない未来にゾンビ、ていうかバケモノになるのよ。

だからこれはまだ人間の形を保っていられているうちに書き残しておくバケモノになるまでの日記。


35歳になったよ

先日ついに35歳になってしまったんよ。まさか俺が35歳になるなんて思ってもみなかったよ。人間って本当に35歳になるのね。ひっくり返したら53歳。すごいね。人生の神秘だね。

ちなみに30歳を過ぎて5年も経つのにまだ自分の事をおおよそ30歳だと思ってるよ。怖いね。

しかし、改めて35歳という数字にはなかなかの絶望感がある。

平成生まれが若さの象徴だった時代も今は昔。

あっ、もう駄目かも。と日々思っている。

23歳ころから少しずつ焦りは合った。

高校球児が年下になり、アイドルが年下になり、芸人が年下になり、助っ人外国人選手が年下になり、そして大人が年下になった。

画面の向こうや現実でみかける若者の枠から外れた大人達。

中堅のサラリーマンや、年商しか言わない謎の社長、二児の父、野原ひろし、マスオさん、殺人犯に性犯罪者、特殊詐欺グループの主犯格、それらがみんな同世代になった。

なのに、俺は変わらない。外見は老けても中身は良くも悪くも十代の頃から変わってないじゃん。マジヤバくない?これ大丈夫?

……なんて思っていたのも5年前くらいまでなんよ。


変わっていきそう

最近気づいたんだけど、俺、なんか中身も老けてきてない?

BeReal、Vtuber、見分けのつかないアイドル、恋愛リアリティーショーにMrs. GREEN APPLE。理由もなくこれらの文化に対し否定から入っている自分がいる。

いや、それすらもはや過去の話で、否定から入っていたのは20代後半くらいまで、今は「本当は頭ごなしに拒否したいのにおっさんと思われたくないから理解があるフリをしている」というフェーズに入っている。

ちょっと緩やかに、だいぶやわらかに、かなり確実に変わっていっている。

おじさんになっていっている。そんな世界の終わりが近づいている気がする。

こんな引用している時点でもうヤバいかもしれない。

このままの速度で世界が回ったら45歳や55歳の俺はどこまで行ってしまうんだろうと不安になる。ほらもう引用やめようって。ヤバいって。すぐ昔の曲の歌詞をパロッてくるのほんとゾンビ化の初期症状だから。

とにかく、俺の未来はどうなってしまうのかと考えると、不安で不安で仕方なかったのだが、よく考えてみたら自分の将来像はいくらでも周りに存在した。

それが世のおじさん達だ。


おじさん

おじさん。俺はとにかく世の中のおじさんが苦手だった。おじさんには本当にいい思い出がない。ガキの時分からおじさんには可愛がられたためしがない。

まず臭い、声が汚い、声がデカい、くしゃみもデカい、酒を飲む、基本失礼、がさつ、無神経、年下相手には初対面なのにため口、それに臭い、若者の文化に理解がない、見え透いた女性への下心、あと臭い。

これらの要素全部苦手だった。

なんで世のおじさんはこんなにも醜いのかいつもそればかり考えていた。

そんなおじさんらしさの中で最も醜さを感じる行為、

それこそが「20代後半くらいの若い女性の切り盛りするオシャレなカフェの常連として居座る」というアレだ。

このタイプのおじさん、昨今はSNSでも稀に言及されるようになったが、俺自身、子供の頃から何度も遭遇してしまったことがある。

そんな店は入った瞬間に霊能者よろしく「ここ、いますね」って気付く。

いや、氣付くね。

だって常連おじさんたら入店したら睨むんだもん。

だって常連おじさんたらこっちの注文のせいで会話を中断されると露骨に不機嫌そうな顔すんだもん。

だって常連おじさんはずっっっっっっっとカウンターの向こうにいる女性に話しかけてんだもん。

誰でもわかるよそら。

どれだけ店がオシャレでも、そんな寒気のする空間に金払って居る理由はないし、お祓いもできない。

当然、二度とその店には行くことはないよね。

お店の人はなんにも悪くないのにね。

去り際に店内を振り返ると、そこには必ずと言っていいほどまたカウンターのお姉さんを独り占めできてうれしそうなおじさんの顔がある。

その下衆顔を見て、いつも不思議に感じていた。

どうして、彼らは相手の気持ちを慮れないのだろう。

あんなあからさまに下心をぶら下げてさ、相手の女性は客だから邪険にできないだけでどう見ても嫌がっているし、おじさんのせいで一見さんの客は寄り付かなくなる。早晩、店は潰れることになるだろう。

自分が好意を寄せている相手にこれほどまでに迷惑をかけているのにどうしてそれに気付けないのか。

これはカフェに限らない。先日などは花屋にまで取り憑いていた。

友人の為に花を買いに行った花屋のレジ前に置かれたテーブルでおじさんが1人でコーヒーを飲みながら20代前半とおぼしき綺麗な女性に「この前のインスタ見たよ~」などとずっと話しかけていた。

それを見て俺は叫びたかった。

そのテーブルは!そのコーヒーは!そのインスタは!おじさんを想定していないだろうが!花を本当に愛してくれる方々の為に用意されたものに決まってんじゃねえか!その対象は主に女性だろうが!なんでそれがわかんないんだよ!

もちろん俺もおっさん側だよ。決して上品な人間ではないよ。花なんか普段買わねえよ。買うかよ。だからこそわかるんだよ。その場所は俺達の場所じゃないって。

店主さんが素敵なテーブルを選んだ時の気持ちとか、お客さんの為にコーヒーを出そうと決めた時のワクワクを考えると、その夢の果てに汚いおじさんがニヤつきながら居座っているという事実がどうしても許せない。ていうかなんであれ各店舗に一人配置されてるの。なんかおじさん界隈で担当店とか決めてんのかあれ。エリアマネージャーとかいんの。

と、まあこんな風に、俺は彼らを心の底から軽蔑していた。

それくらい、俺はあのおじさん達と自分とは違う生き物だと思っていた。

しかし、35歳になった今、ふと思う。

果たして本当にそうなのだろうか。

本当に、彼らは俺とは別のレールに乗っているのだろうか。


若者はいない

経験上、そのような行為を行っているのは圧倒的におじさんばかりで、若者は少ない。

もし、彼らが本当に根っこから俺とは違う生き物、つまりただの生まれつきの人間性でそうなっているのならこれは矛盾する。

だって、もしそうなら彼らが突然この世界におじさんとして生を受けたことになる。

しかし、神はいくらなんでもそこまで残酷な真似はしないはずだ。いきなりおじさんとして生まれてくるなんて死ぬために生まれる家畜じゃあねえんだからさ。

ということは、だ。信じたくはないがあれらはやはり俺と同じレールの先にいるということになる。

俺も、時を経て年を負うと将来的にああなっていく。かもしれないということだ。

こんなとき「俺はあんな風にならないように気を付けよう」と、よくこんな風に自戒をする人がいるが、これではイメージが弱い。

これだと心の底にある「俺はあいつらと違う」という驕りが消えていない上に、先の事なのでイメージのしようがない。

だから大切なのは、反対のイメージ。

つまり「俺は彼らの過去を生きている」という意識を持つことだ。

10年前20年前に戻った彼らが今の俺だという意識で彼らの心情をリアルに想像することでこそ、今この瞬間の人生というレールの分岐点を多少なりともマシな方にスイッチングするヒントになる。のではないか。知らんけど。


自分をおっさんの20年前だとする

今がおじさんの過去だと考える時に大切なのは、今の自分のこの感性を「20年前のおじさんも持っていた」と仮定することだ。

別に俺は特別に先進的な感覚を持った人間ではない。平均的な感覚を持った凡人である。静岡県民くらい平均的。

だから今の俺のこの感性というのは20年前の平凡なおじさん達だって普通に持ち合わせていたはずなんだ。

ということは「カフェで女性店員に嫌われてんのになんであのおっさんそれがわからないんだろう」に近い感性だって、彼らは持っていたはずなのだ。

そんな純粋な感性がここからの10年や20年という時間の中で傷つき、痛みとなって、やがて麻痺して、薄まり鈍ってしまい現状のあの醜態をさらすことになっていると考えることが出来る。

なにが彼らを変えてしまったのか、なにがこれからの俺を変えてしまうのか、を考えて備えなければならない。


誰がおじさんを傷つけたのか

これはやはり世間の自分に対する扱いの変化だろう。

つまりみんなだ。世界がおじさんを傷つけた。俺も、あなたも。

おじさんだって傷つけば世界が怖くなる。

俺自身、もう10年前と違って新しい世界に飛び込むことが日に日に恐ろしくなっている。

「うわ、おっちゃんきたよ」という周囲の反応が怖い。

だから年を取るとどうしても新たなコミュニティを作ることが出来なくなる。

家族がいても、仕事の同僚がいても、おじさんはおじさんというだけで世間という舞台の上から弾かれていく。

そんな焦燥感から舞台袖にしがみついても「若者に媚びている痛いおっさん」と呼ばれてしまう。そうしてどんどん孤独になっていく。

35歳の現時点ですらそう感じているのだから40代50代とステージが上がるにつれて加速度的にこの感覚は強まっていくだろう。そうなったら人はどうなるか。

多分開き直る。

孤独に対し開き直ったバケモノ。これが醜いおじさんという生き物の正体ではないかと俺は思う。

自分がおじさんになってしまうことを嫌がって抗って、食らいついて、それでも時の流れは残酷で、どこかでその孤独を受け入れないといけなくなる。

そして、受け入れた後で思うのだ

「ほな、もうええですわ。そっちがその気ならこっちも好きにやらせてもらいますわ」と。

開き直ったおじさんは、もうおじさんとして表立ってイキイキと若者に嫌悪感を示し、昔はよかったと言い切り、あんなに悟られないように頑張っていた女性への下心を隠さなくなる。

だっておじさんだもん。どうせ嫌われてんだもん。どうせ世間から疎まれてんだもん。なら遠慮しなくていいじゃん。正直に生きるよ俺は。となる。

その結果生まれるのがカフェのカウンターに居座るあのバケモノだ。

だから決して彼らは、周りが彼らを見る軽蔑の目に、カウンターの向こうにいる女性の本心にも鈍感なわけではない。

気付いているのだ。自分がバケモノであることに。

でも、知らないふりをしている。気付かないふりをしている。心を麻痺させて羞恥心に蓋をして、嫌われてでも世間と関わろうとする。

悲鳴でもいいから、人の声が聴きたくなる。

それだけ孤独は人を蝕むのだ。


ならどうするか

まずは孤独にならないようにするしかない。しかし、実はこれは結構難しいと思う。

おじさん、プロフィール的にはみんながみんな孤独ではない。むしろ多くのおじさんに家族がいて同僚がいて友人がいる。なのに開き直っているおじさんは妙に多い。

ということは彼らの孤独は物理的にではなくやはり精神的な面なのだ。

「おじさん」という属性が彼らの過去を孤独にし、俺の未来を孤独にし、花屋のカウンターに居座るという凶行に走らせてしまう。

だからこればかりはもうどうしようもないのかもしれない。

おじさんになる限り孤独はセットで付いてくる。

だったら、せめて意識するしかない。胸に刻み付けるしかない。

「人はおじさんになると孤独になり、孤独は人を狂わせ、醜悪にしていく」

という自分なりに考えてたどり着いた未だ見ぬ地獄を瞼の裏にでも書き込んでおくことで、毎晩眠る度に耐性が付いて、やがてやってくる孤独の毒に当てられてもショックを起こさず人の形を保てるかもしれない。


最後に

ここまでおじさんおじさんとさんざ言ってきたが、現実の世界にはそんな開き直っていないおじさんも沢山いることももちろん知っている。

人間として元来持っている奥ゆかしさや羞恥心を忘れず、他人に迷惑もかけず、現役世代からは一歩引きつつも世間からは隔離されていない。そんな絶妙な立ち位置をキープしている品のあるおじさんだって沢山いる。

35歳という年齢は岐路だ、ここから俺は醜悪な孤独のバケモノになっていくのか人間として生きていけるのか、その分かれ道だ。

ここから先の人生、一歩踏み外した先には常に地獄が待っている。

ひとつ間違うだけで醜悪化する。

そうならないために、俺は今の自分の感性を活字に残して未来の俺を戒める。

いつかこの先の人生で自分が世間の毒に侵されバケモノになりそうになった時、きっと今日の俺が過去から俺を止めてくれるのではないか、そう期待している。

あっ、でも別にここにはたいそうな人生論ばかりをのっけるつもりはないよ。

今の自分を忘れないように思ったことを全て書こうと思う。

今思っていることとか、好きな物とか、まだ忘れずに覚えている思い出とか、年齢と共にこの先の自分がどんどん忘れていくであろうことを、自分の心を100%表現できる言葉で、言葉を上げも下げもせずに。遠慮しない言葉で書いていこうと思う。

できれば笑える話をたくさん書きたい。そういうの好きだし。週一くらいで。


仕事柄、身体や認知機能が衰えて人が変わってしまった人を沢山見てきた。

家族も辛いが本人が一番辛いと思う。

自分が自分でなくなる感覚の恐ろしさは想像を絶する。以前、自分の名前を何度書いても思い出せず、握っていたペンで自分の喉を刺そうとしたおばあさんを見たことがある。

俺は自分が大好きだ。世界で一番好きだし世界で一番自分が正しいと思っている。

そんな自分の好きな自分じゃなくなるくらいなら消えてしまいたいという甘い願望もまだある。

だからこの先、孤独に敗れて

「女性が1人で切り盛りしているカフェのカウンターにいつもいるおっさん」

というバケモノに俺自身が堕ちてしまったそのときは、これを読み直してほしい、それでも止められないならその時は、どうか躊躇わずひと思いに殺してもらいたい。あっ、あと、氣付くとか言い出した時はもう普通に、うん。なんか灰皿とかで殴って殺してね。


35歳の俺へ。


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