ぺセニアホテルでの怪異
ジェロームはロレーナの肖像画を少し乾かしています。まだ塗った油絵の具が完全に乾いていないのです。ラグターンはジェロームとロレーナに食事を提供する事にしたのです。ラグターンは何やら乾麺のパスタを茹で始めました。パスタを茹でている間オリーブオイルと、バジル、にんにく、松の実、粉チーズ、塩、胡椒を使いジェノベーゼソースを使います。ジャガイモ、いんげん、粉チーズを用意して材料を用意します。パスタを茹で終わると、ジェノベーゼソースをかけてジ出来上がりです。お皿に乗せて提供するとラグターンはジェロームとロレーナの前に持って来ました。
「はい、お待ち。」
「兄さん、ありがとう。さて頂くとするかな。」
「ありがとうございます。私も頂きます。」
そう言うと、フォークを綺麗に使用してパスタを巻き始めて食べ始めます。オリーブオイルが全体に染みた甘い香りが漂います。パルメザンチーズをかけてラグターンが用意したコーヒーを飲み、優雅なお昼の時間が流れていくのです。ラグターンは話し始めました。
「昔、ひたすら親父は俺達兄弟を殴りながら、ガラス彫刻や、絵画を教えてもんだ。それは厳しかった。」
『なんで上手く書けねえんだよ。下手くそ。てめえ、俺の跡継ぎなんだから、しっかり書けよ。この野郎。線がなってねえんだよ。センスが感じれねえっつてんだよ。』
ジェロームも厳しかった頃の父の記憶が少しずつ蘇って来ました。上手く書けないと叩かれて、怒鳴られて暴力を振るわれた幼少期。しかし父は厳しくも画家としての才能を鍛え上げたのです。ジェロームは国立の美術大学に通い油絵を学びます。ラグターンは工芸大学に通い、ガラス彫刻を専門に学び始めました。母親と父親は他界してしまいましたが両親の与えた英才教育は間違いなくジェロームとラグターンという天才を育て上げたのでした。
ロレーナはその話を聞くとへえと納得をしながら言います。パスタを食べる手が止まります。
「厳しいご両親だったんですね。でもその英才教育があったからこんなに素晴らしい芸術家の兄弟が育って。私も厳しかったですよ。絵が上達しないと母親は筆を持たせてくれなかったのです。食事を与えてくれない時もありましたよ。今思えばそれは愛情の証だったんでしょうね。」
「ロレーナさんのとこも厳しかったんですね。そうか。俺達の両親よりは優しかったでしょう。」
「いえいえ、私の家も本当に厳しかったので、熱が入りすぎてしまっているのですよ。両親は教育熱心だったんです。それが故にあそこまで、でも両親がある日、サンタマリア大聖堂に連れて行ってくれたのです。その大聖堂に描かれていたのは最後の審判っていう天井画だったんですよ。そこに描かれていたフレスコ画を見て私の中で芸術への道が開けたのです。」
「最後の審判か。あの大聖堂のクーポラは。ブルネレスキーの大円蓋は世界の象徴だったよ。さてそろそろ、次の旅に出なければいけないから兄さんの工房を後にするよ。ぺセニアホテルまで向かいたいから、是非兄さんのラウエンブルクにお願いして頂きたいんだよ。」
「分かった。ラウエンブルク、ジェロームをぺセニアホテルまで送り届けてあげてくれ。それからロレーナさんはどちらへ行かれるんですか?」
「私もぺセニアホテルへ向かいます。」
「ならば、馬車で送迎致しますよ。ラウエンブルクの運転する馬車は少々運転が荒いかもしれませんが。」
荷物を持つとラグターンは、ロレーナとジェロームを玄関まで送り届けます。馬車が待機しています。馬車の先頭にはラウエンブルクが座っています。ラウエンブルクはガラス彫刻ですが、アビ・ア・ラ・フランセーズを着ています。馬車の扉が開くとロレーナとジェロームは馬車の中に乗ります。
ラグターンは、ジェロームに声をかけます。
「ジェローム、また何かあったらうちに来なさいな。
その時はまたパスタをご馳走するよ。」
「ありがとう。兄さん。」
ジェロームがラグターンに挨拶をするとラウエンブルクの運転する馬車は出発します。静かに後ろの車輪が動き始めます。馬車の窓からは景色が一望出来ます。豊かな大自然と大聖堂や教会が立ち並ぶギューマの風景が映り込んでいくのでした。山を下っていくと小川が流れています。その小川には何やら沢山の鯉が泳いでいます。鯉に餌やりを行う街の動物達を通り過ぎていくと小川の辺りの部分にポンプで水を汲んでいるのでしょうか。水が水路へと流れていくのでした。
「あの鯉は、餌を必死に求めている。沢山集まり一斉に水面に顔を出している。あれだけでもとても絵になる光景だ。」
「ジェローム様のセンスは素晴らしい。流石はここまで絵画を描かれているだけあります。ラグターン様もきっとそれを楽しみにしていると思われます。」
「お前はエイルース、いつのまに馬車に乗り込んでいたのだ。そうか、お前はガラスで出来た彫刻だから、全然周りの景色に紛れてしまっていて気が付かなかった。エイルース、お前は可愛い奴だ。私にとっては甥のようなものだ。」
「エイルース、口を慎むのだ。ジェローム様に失礼のないようにな。」
そして馬車はぺセニアホテルに到着しました。ぺセニアホテルの入り口で馬車の扉が開くとジェロームとロレーナ、エイルースが下ります。ぺセニアホテルにはバロック建築で作られた古き良き時代を感じさせるホテルなのです。ホテルの入り口が開くとチーターの従業員がお出迎えをしています。
「いらっしゃいませ。当ホテルをご予約の方ですか?2名様で。」
「はい、ジャン・レオン・ジェロームです。それからこちらは。」
「ロレーナです。私は、お隣のお部屋をお取りしたいのですが、宜しいですか?」
「かしこまりました。それではルームキーをお持ち致しますので少々お待ち下さい。」
チーターの従業員は、ルームキーをそれぞれ渡します。部屋はジェロームが507号室、ロレーナが508号室です。ルームキーを渡されるとエレベーターで部屋の前まで到着します。部屋の前でジェロームはロレーナに挨拶をします。
「それではロレーナ、今夜、夕食の席で。」
「はい。」
そう言い、ジェロームは部屋の中に入ります。ドアを開け中に入ったその時でした。ホテルの部屋の中に誰かいたのです。ジェロームが電気を付けるとそこには美術館にいたはずのロベティームに虚像が立っていたではありませんか。
「ぎゃぁぁ、なんだ、お前は?ロベティームの虚像?お前は、あの美術館にいたのではないのか?」
「ジェローム、よくも私を青銅製の無価値な芸術と馬鹿にしたな、ならば、お前の絵画も全て破壊してやる。」
するとロベティームの虚像はジェローム目掛けて迫って来ます。ジェロームは、あまりの恐怖に怯えて逃げようとしますが、気がつくとそこにロベティームの虚像の姿はありませんでした。部屋には誰もいません。なんだ幻かとジェロームは静かに荷物を下ろします。ジェロームはもしかしてこの部屋は不思議な現象が起きる部屋なのかと不思議に思いました。
荷物を置くとジェロームはベッドで横になります。夕食前まで仮眠を取ります。
こんこんとドアを叩く音が聞こえています。ロレーナの声です。
「ジェロームさん、夕食に参りましょう。」
「おお、では行くとするか。」
夕食会場へと向かいます。夕食会場ではチーターのウエイターがにこやかに挨拶をします。
「ごゆっくり、夕食をお楽しみ下さい。」
テーブルまで案内されるとチーターのウエイトレスが来て、白ワインを運んで来ます。
ジェロームは、ロレーナに白ワインを注ぎます。ロレーナはグラスを持ちます。ジェロームもグラスに白ワインを注ぐと乾杯をします。
「それでは乾杯。」
「ええ、乾杯。」
フルコースでぺセニア料理が提供されています。アンティパスト(軽めの前菜)が運ばれて来ます。生ハムとカルパッチョです。ジェロームはナイフを使いカルパッチョを食べます。
「すごくしっとりとした味付けだね。これは素晴らしい前菜だ。」
前菜を食べ終えると本日のメインとなるアラビアータが到着しました。それに合わせてピアノの演奏がなります。ピアノ演奏に合わせて美しい女性歌手が歌っています。ぺセニア音楽大学卒業の女性オペラ歌手です。ぺセニアのオペラアリアを歌っています。
「素晴らしい歌声だ。彼女は、ぺセニア一のオペラ歌手だよ。」
アラビアータをゆっくりと食べて優雅な夕食を楽しんでいます。
その日の夕食を終えて、ジェロームが眠りに付くと突然ジェロームは金縛りにあったのです。そして辺りは暗くなり、先程現れたロベティームの虚像がジェロームの上に立っていました。
「ジェローム、この恩は忘れんぞ。私の虚像を馬鹿にした罪は重いし耐え難き仕打ち。
「お前、ロベティームなのか?そんなはずはない。ロベティームはずっと前に死んだんだ。悪かった。虚像を悪く言ってしまってすまなかった。」
その時、ジェロームのカバンの中に入っているキャンバスが突然破られ始めたのです。キャンバスは真っ二つに破られるとジェロームの前に集合体として現れます。そしてジェロームのベッドの上に降って来ました。激しい痛みがジェロームを襲います。やめてくれとジェロームが叫んだ次の瞬間、それは夢だったのでしょうか。何事も無かったかのように辺りは静かになっています。ロベティームの虚像の姿は無く、ジェロームは幻覚をみたのさと錯覚しました。ジェロームがカバンの中身をチェックしても中の絵画は破られていなかったのです。ジェロームは静かに眠りにつきました。




