研究者の言葉
ウフォッツィオ美術館を後にするとガーネットの母親ジェリナが運転する車の後部座席にジェロームとロレーナが乗っています。道路はレンガ調で作られており至る建物が遺跡のように輝いています。ガーネットは助手席で静かにお昼寝をしてしまっています。ジェロームはフィリッポ・リッピから渡された住所の紙を見つめます。ジェリナは、ジェロームに話しかけます。
「ごめんなさいね、お忙しいのに、娘の頼みを聞いて頂いて。私の夫はガービュラスという宗教画の研究者なのです。研究者の娘で、幼少期から夫に教養のように絵を習わされた結果美術が大好きになってしまったんです。夫は今書斎で何か仕事をしていると思いますので、
「お気遣いありがとうございます。まさか、私もお会いしたかったのです。デルヴィアの作品を研究していらっしゃる第1人者のガービュラス博士にお会いできるなんて、こんな光栄な事はございません。」
まもなく目の前にガービュラスの自宅が見えてきました。なんて素敵な家なのでしょうか。ロココ建築で作られた石造の家で茶色の煉瓦に素敵な門構えです。屋根瓦にはなんと彫像が置かれているではありませんか。ガービュラスの自宅の駐車場にジェリナは車を駐車します。すると昼寝をしていたガーネットはゆっくりと目を覚ましました。ジェリナは、運転席から出るとガーネットを助手席から下ろして抱えます。
「ママ、お腹空いたよ!なんかご飯食べたい!」
「もう後にしなさい!」
そう言うと、ジェロームとロレーナはその後を付いていきます。なんとその家の前には小さな噴水があったのです。その噴水からは泉のように水が噴き出ています。そしてその周りにはスイレンの花が咲いています。ジェリナが鍵を開けて玄関に入ると書斎の方から眼鏡をかけたリスの男性が姿を現します。眼鏡の中央部は2つに割れていてます。
「お帰り、ジェリナ、ガーネット、どうしたんだい?旅行は楽しかったかい?それにこちらのお客様達は?」
「画家のジェロームさんと、ロレーナさんよ。」
「初めまして、ジェロームです。」
「初めまして、ロレーナです。」
ジェロームとロレーナがそれぞれ挨拶をすると、するとガービュラスはジェロームに握手をします。そしてニコニコと笑いながら言います。
「ジェロームさん、貴方が描いた作品は私が大変お気に入りの作品です。特に奴隷市場は素晴らしかった。それに貴方は確かモデルとしても有名なお方ですよね。ガーネットがお世話になったようで、是非お上がりください。」
そう言うと、ジェロームとロレーナはガービュラスの書斎へと案内されます。その書斎には色々な時代の彫刻や絵画、そして画家に関する関連本が置かれています。そんな中でガービュラスはある直筆で描かれた貴重な手記を出し始めたのです。
「この手記には、ヴェナウの誕生のモデルになったとされる人物について記載があるのです。その人物の名はマルガリーナ・ヴォルフ。デルヴィアが美術学生時代に付き合っていた恋人です。ここにその言葉が描かれています。
『マルガリーナは私の作品を愛してくれた。私は彼女の事をヴェナウ(女神)だと思い、彼女を愛した。私が美術大学で油絵を専攻している時、彼女はモデルとなり私にこう言った。私をアフロディーテだと思って宗教画を描いてくれ。私は彼女をアフロディーテだと思い何枚も絵を描き続けた。アフロディーテの宗教画を描くうちに彼女は病気になった。結核に侵された。僅か19歳で世を去る前日の夜、彼女は私にこう言った。「私が生きた証を作品に残してね。その作品の中で私はいき続けるから」と。そしてデルヴィアが愛した彼女とデルヴィアは婚約したのです。しかし、その翌日彼女は亡くなってしまった。そしてデルヴィアは決めました。彼女を生きた証として死の逆となる誕生をテーマにしたヴェナウの誕生という作品を描くことにした』とね」その手記を手渡します。ジェロームは手記をじっくりと読み始めます。デルヴィアが残した作品への本音がじっくりと描かれていく様子を見て、ジェロームは思い出します。デルヴィアの作品を真似して必死に書いていたあの頃を。
「まあ何てロマンチックで切ないお話なのでしょう。そうだったのね。ヴェナウはアフロディーテであり、デルヴィアが生涯愛した恋人がモデルだったのね。その事は今も秘密としてガービュラスさんの心の中に閉まってるのですね。確かに研究者だからと言って何でも公に発表すれば良いと言うわけではありませんよね。」
「私はデルヴィアが描いた絵画の中ではこのヴェナウの誕生の誕生秘話がかなり気に入っています。それ以外にも娘が好きな作品であるのですが、『書物の聖母』という作品があります。この作品は幼子イエスが時祷書を読む聖母マリアを見つめているというものなのですが、これは娘が好きなのですよ。特にね。」
その時書斎の向こうからバタバタと足音が聞こえてきます。そしてガーネットが入ってきました。するとガービュラスはガーネットに対して少し怒ったように言います。
「こら、ガーネット、あまり騒ぐのはやめなさい。お父さんは大事なお話をしているんだよ。」
「パパ!パパ!見て、見て、これマナティおじさんとアシカのお姉さんの絵を描いたよ。」
そう言うとガーネットは2枚の画用紙を出しました。その画用紙にはまるで写実的に描かれたジェロームとロレーナの姿が描かれていたのです。普通の幼稚園児が描くような絵ではなく画家の素質を持つ天才的な才能にジェロームとロレーナは感心しました。
「まあありがとう!ガーネットちゃん、本当に上手ね。この絵の中に確かに私もいるわ。」
「お嬢ちゃん、これはこれは何て上手な絵なんだ。ありがとね。ガービュラスさん、貴方の娘さんは天才的な才能がある。君のその才能を絶対に捨てては駄目だぞ。そしていつか、画家になって私に見せにきておくれ!」
「うん!おじちゃんありがとう!」
こうしてガーネットから貰った絵画をジェロームとロレーナは自分のバッグへとしまいました。おやもう帰る時間のようです。ジェロームとロレーナはガービュラスの家を後にします。ガービュラスは玄関までジェリナとガーネットと共にお見送りに来ました。するとジェロームはガービュラスに言います。
「ガービュラス先生、今日は貴重なお時間を割いてくれてありがとう。私もヴェナウの誕生の事をじっくり知る事ができたよ。」
ジェロームからのお礼の言葉を聞くとガービュラスが握手をしながらジェロームに挨拶をします。
「いえこちらこそ、ジェローム先生にお会いできて良かったです。ヴェナウの誕生について語れる仲間がまた出会う事が出来る事が私にとって非常に嬉しい。また他の美術館でもお会いできる事を期待していますよ。」
そしてジェロームはガーネットの方を向くとニコニコしながら言います。
「それからお嬢ちゃん、君はこれからも絵を描くのを続けて立派な画家になるんだよ。」
「ガーネットちゃん、またね。」
「うん!おじちゃんと出会った事は絶対に忘れない!おじちゃん、お姉さん、ありがとう!またね!」
ガーネットの活気のある声が響きガーネットはずっと手を振り続けています。ジェロームとロレーナはトスカーナホテルに向けて歩き出します。ジェロームは言います。
「ガービュラス先生の娘さんがあの子だったとは、本当に驚きだったけど、あの子との出会いはきっと私の人生にとってもプラスになるしあの子はいつか才能を開花させるだろう。」
「私も同じ事を思うわ。ジェローム、私は今日貴方が初めて子供と喋っている姿を見た。あなたは素敵よ。本当に。さてこれからどうやってホテルへ行くの?」
ロレーナが言うと、ジェロームはバッグからスイッチを出します。ペセニアでラウエンブルクから渡されたスイッチです。そのスイッチを押すとガラスのうさぎエイルースが現れました。エイルースは言います。
「ご主人様、お呼びでしょうか?何かご要望があればなんなりとお申し付けください。」
「トスカーナホテルまで行きたいんだが連れて行ってくれないか?」
「かしこまりました!」
するとエイルースは手を振ります。すると目の前に馬車が出現したのです。馬が現れるとエイルースは御者として前に座ります。そして、馬車の扉が開くとジェロームとロレーナは馬車に乗りました。そしてエイルースが鞭を叩くと馬車はトスカーナホテルへ向かい静かに走り出しました。
その頃、ガービュラス一家ではガーネットが楽しそうにジェリナが作ったお菓子を食べていたのです。




