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嘘松

京都の東南、山裾に抱かれた清水焼団地には、

独特の静けさがある。

観光地の喧噪から離れ、

轆轤の回転音と窯の息遣いだけが、

一日を通して低く響き続ける。


古い家々の屋根には釉薬の色がこびりつき、

路地を歩けば、粉塵と粘土の混ざった匂いが

どこからともなく流れてくる。


ここに生まれ育った一人の少女がいた。

彼女の家もまた陶器の仕事をしていたわけではないが、

子どものころから、登り窯の炎を見て育った。


炎は生き物だ。

ときに怒り、

ときに歌い、

ときに人の心に寄り添う。


だが清水焼団地に暮らす人々は、

炎と同じように気難しかった。


噂は三分で広がる。

余所者には冷たい。

近所付き合いは密だが、同時に鋭くもある。

それは“村八分”と言い切るには少し違うが、

京都特有の柔らかな笑顔の奥に、

どこか刺すような沈黙が潜む土地だった。


少女は、その沈黙の中で育った。


ある年の冬の終わり、

世界を揺らした疫病がようやく収束に向かいかけたころ、

少女は病に倒れ、

小さな隔離病棟にしばらく入っていた。


退院が決まったその朝、

彼女の胸には複雑な不安が渦巻いていた。


――戻ったら、どう迎えられるだろう。

――噂になっていないだろうか。

――「あの子、かかったらしいで」と陰で笑われるのでは。


京都の日常は、

やわらかな口調の裏に、

時として鋭い「距離」を孕む。


その距離が、

彼女にはどうしようもなく怖かった。


退院の日、

外に出ると、白い光が眩しかった。

春の気配はまだ遠いのに、

空気はやけに温かかった。


タクシーで清水焼団地の入口まで帰りつくと、

見慣れた景色が目に入った。


坂道、窯元の看板、

陶土の袋が積まれた倉庫、

風に揺れる釉薬の匂い。


彼女は歩き出した。


そのときだった。


どこかの工房の二階から、

乾いた“コンコン”という音が響いた。


見ると、

昔から無愛想だった旋盤工のおじさんが、

アルミのコップを指で弾いていた。

音が澄んで、町に響く。


彼は照れくさそうに会釈し、

コップをもう一度叩いた。

“おかえり”のリズムで。


その音に誘われたように、

隣の工房からパートのおばさんたちが顔を出した。

油と粘土の粉がついた作業着のまま、

大きく手を振っている。


少し離れた窯元では、

フォークリフトの兄ちゃんが

短くクラクションを鳴らし、

釉薬の袋を降ろす手を止めて笑った。


坂の上の家から、

誰かが風呂場の窓を少しだけ開け、

「おかえり!」と声をかけた。


驚きに息を呑みながら、

少女はゆっくり歩いた。


まるで、

まるで――

異国の映像で見た、

サバイバーへの“生還フェスタ”のようではないか。


少女は家に帰ると、

震える手でスマートフォンを開き、

SNSに一つの投稿をした。


清水焼団地に戻ってきたら、

旋盤工のおっちゃんが焼酎のコップで音鳴らしてくれて、

パートさんたちが作業着のまま手ぇ振ってくれて、

フォークリフトの兄ちゃんが

クラクションで“おかえり”言うてくれて……


なんや、生きて帰ってきた人を祝う

小さなフェスタみたいやった。


噂好きの村みたいな場所やけど、

今日だけは、この土地に生まれたことを

誇りに思えた。


投稿したあと、

少女はスマートフォンを伏せた。


なぜなら、

その出来事は、すべて彼女の願いの中で起きたことだったからだ。


清水焼団地の工房は静かだった。

クラクションも、手を振る人影もない。


町はいつも通り、

淡々と仕事に追われていた。


少女の心だけが、

少しだけ温かくなっていた。


では、この語りは嘘なのか。

単なる虚言なのか。


そう断じるのは簡単だ。

だが、文化の歴史はこう教えている。


妄想とは、心が壊れないために編み出す古い技術である。

嘘松とは、心に必要な物語が形を得た小さな神話である。


人は、耐えられない現実に直面すると、

それを補うための物語を紡ぐ。


英雄神話も、民間伝承も、

その始まりは一人の妄想だった。


清水焼団地の少女が紡いだ“生還フェスタ”もまた、

彼女の心が必要とした小さな祈りであり、

世界に対して彼女が「こうであってほしい」と願う、

ささやかな神話の原石だった。


私たちは、

事実と虚構の境界に立ち上がる語りを、

笑い飛ばすよりも、

そこに宿った願いのかたちを受け止めるべきだ。


陶器の窯が炎で器を生むように、

人の心も炎で物語を生む。


少女の嘘松は、

清水焼団地という土地が孕む冷たさと、

どこかにあるはずの温かさが混ざり合った

不思議な釉薬のように、

彼女の世界をほんの少しだけ彩っていた。


いつかこの物語も、

清水焼の欠片のように、

誰かの記憶の棚にそっと残るだろう。


それは嘘ではなく――

願いでできた、ひとつの神話なのだから。

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