Saelum 58
ほんの一瞬、全ての時間が止まったように思えた。理由も分からない何かに引き寄せられるような感覚に、鼓動までが反応を示し、波打つ速度を早めていく。
左目がブルー、右目が紫のオッドアイを持つ青年は、まるで映画の中から飛び出してきたような美形だ。初めて会ったイケメンについときめいてしまったから、こんなにドキドキしている訳じゃないのは自分が一番よく分かっている。例えるなら、恋い焦がれた人に再会して、溢れる愛おしさに胸高鳴らせている感覚だ。
知らない他人に、触れたいなんて思ってしまう自分はきっとおかしい。
(こんなんじゃ、ただの変人じゃない!)
心を一度切り替え、改め彼の顔を見る。
冷静になって、ようやく気が付いたことがあった。
(なんで、睨まれてるんだろ?)
何だか眉間に皺を寄せ、こちらを凝視している。一先ず、助けてもらったのだからお礼を言わなくてはと、クレナは戸惑いつつも小さく頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
頭の上で何故か舌打ちが聞こえる。
(なんで!? わたし舌打ちされるようなことなんかした!?)
そっと顔を上げると、仏頂面した金髪男が文句でも言いたげな表情でクレナを見下ろしていた。さっきまで感じた嬉しさが嘘のようにどこかへ消え去ってしまった。
――けど、何だろう?
(こんなこと、前にもあった気がする)
とは言っても彼とは初対面だ。こんな知りもしない人から理由もなく睨まれるなんて、クレナ自身はじめての経験で、少し納得がいかない。ここは毅然とした態度で注意するべきかと思っていた矢先、なにも言わないまま青年がクレナの手元を指差した。
「それ」
“それ”とは、先程買ってきたスノードロップの事を言っているのだろう。
(だから、なに? これを持ってるからって、なんで睨まれてるの!?)
しかし、すぐに察する。
(もしかして)
あの花屋のお爺さんが話していたことを思い出した。慌てて彼を見ると、真剣な目をスノードロップへ注いでいる。
「もしかして、これを予約した人ですか?」
その質問に吊り上がっていた眉がぴくりと動き、彼は無言で頷いた。
花が売れてしまったのを知って、慌てて会えるかどうかも分からないクレナを探し歩いていたのだろう。よく見れば、この寒さの中で額に汗を滲ませていることに気が付く。それほどまでに、今この手に持っているスノードロップは彼にとって大事なものだったのだろう。
予約をして受取日に来なかった彼の自業自得ではあるけれど、なんだか大切な物を奪ってしまった申し訳なさを感じた。クレナはそっとスノードロップの入った袋を彼の前に差し出す。
「はい」
彼は少し意外そうな顔でクレナを見つめた。
「もともと、あなたのなんでしょ?」
受け取ろうか躊躇っている手に、クレナは強引に袋を握らせる。触れた手はひどく冷えきっていた。
「ごめんなさい。横取りしちゃって……」
何だか気になる彼から離れがたさを感じるが、クレナは静かに立ち去ろうと足を踏み出す。
「おいっ! 料金返すから」
「いいですよ。助けてもらったお礼ってことにしてください」
笑顔で返すと、何だか気まずそうに目線を逸らす。
「ありがとうございました」
そのまま背を向ける。何だか胸にじわじわと鈍い痛みが広がってきた。名前すら知らない相手に、なんでこんなに心が痛むのだろう。
クレナは振り切るように、冷たい向かい風を受けながら歩き出した。
◇◇◇ ◇◇◇
そんな出来事があってから二日後、プロのデザイナーのもとで修行の日々が始まった。見るもの全てが新鮮で、目まぐるしい忙しさに付いていくのが精一杯。
だからか、徐々にあの日出会った彼のことを思い出す頻度は減りつつあった。
「クレナ!」
デザイナーのマヌエラの声が掛かる。
「はいっ」
「作業も一区切り付いたから今日は終わりにしましょう」
仕事になれば厳しい人だったが、普段は優しい口調の上品な女性だ。50代という年齢にしては肌艶もよく、かなり若く見える。マヌエラがデザインする服はどれも斬新で、デザイナーとしてとても尊敬できる存在だ。
「お疲れ様でした! 明日もよろしくお願いします!」
「クレナ、明日は休みよ」
「あれっ、そうでしたっけ?」
そう返したわたしを見て、マヌエラはおかしそうに笑う。
「本当にクレナは真面目ね……明日はゆっくり休みなさい。じゃあ、お疲れ様」
「はい。お疲れ様でした!」
頭を下げ、クレナは再び作業台を見つめた。プロの仕事を間近で見てきて、自分の才能の無さを痛感し、落ち込む瞬間もある。あんな凄い人に自分はなれるだろうかと、悩む事もあった。
けど今はただ、この貴重な時間の中で成長したい。そう強く思える。
「さてと、帰ろうかな」
立ち上がった瞬間、バックからスマホのバイブ音が聞こえてきた。画面に表示されていた相手を見て、クレナは慌てて通話のマークを指でなぞる。
「お母さん?」
相手は母・マイリーだった。
『仕事は終わった?』
「今終わって帰るとこ」
『どう? 仕事には慣れた?』
「まだまだかな。付いていくので精一杯って感じだけど……それ以上に楽しいよ」
その一言に、マイリーは安心したような声で“良かった”と呟いた。
『町は住みやすい?』
「うん。なんか懐かしい感じ」
『そうね……わたしも一度行ってみようかしら』
きっとマイリーの方が思い出深い国。
「今度遊びに来たらいいよ。お父さんと旅行なんて久しくしてないんだから、一度ゆっくり来てみたら?」
『そうね、近いうちにでも……そうだ、クレナ。そっちで何か出会いはないの? あなたから好きな人が出来たって話なにも聞かないから』
「仕方ないでしょ? 仕事が忙しくて、そんな余裕ないもん」
『そうかもしれないけど、ちょっとぐらいそういう話があってもおかしくない年なんだから……仕事も大事だけど、恋愛だって同じくらい大事よ?』
そうは言われても、出会いなんて何もない。そう思っていたが、忘れかけていたあの出来事が頭に浮かんだ。




