Saelum 57
寒さ続く2月。
クレナは幼き日の記憶を辿るように、ドイツの地へと降り立った。自分が生まれた場所からは少々離れた町だが、景色に懐かしさを感じる。肌に凍みる冷たい風に、巻いていたマフラーで口許を隠す。白い息を吐きながら、クレナはハンブルクの街並みを荷物片手に眺めた。
二日後には早速プロのデザイナーと一緒に仕事ができると思うと、緊張感で落ち着かない。一度深呼吸をし、クレナは自分の暮らすアパートへと向かった。
ドイツも多くの世界遺産があり、歴史を感じさせる建物が今も多く残っている。印象的な建物が建ち並ぶ細い路地を進んでいくと、ようやく目的地に辿り着く。赤いレンガの壁がオシャレな、街並みに溶け込む大きなアパート。建物自体は古さを感じさせるが、一歩中へと入れば別世界が広がっていた。華やかな絨毯が敷かれたエントランスを通り抜け、少し軋む音が鳴る長い階段を上がっていく。上り終えてすぐ目の前のドアが、これから一年間住む自分の部屋。
ちょうど二週間前にアパート契約に来て、預かっていた部屋の鍵をバックから取り出す。アンティーク雑貨店に置いてありそうな銅の鍵を鍵穴に差し込み回し、解錠の音とともにドアを開け放った。すぐに小さなキッチンと大きな出窓が目に入る。左右の窓を同時に開けると、ドイツの街並みが一望できた。その光景にクレナは感動の溜息をつく。
「よし、明日には荷物が来るから掃除しておかなくちゃ!」
そう意気込むもクレナはあることに気づく。
「そうだ、掃除道具がないか……とりあえず買い出しが先かな」
家具や家電は備え付けのため、買い揃えるものが少なく済んだ。しかし、アンティーク家具に囲まれた豪華な部屋なのにどこかもの寂しさを感じさせる。クレナはしばらく部屋を見渡してから、買い出しへと向かった。
細い路地を抜け、ひらけた場所へと出れば様々な店が並ぶ。日本とは違う賑やかな雰囲気に、ついつい足を止めてしまう。行き交う人たちも、寒いはずなのにどこか楽しそうに映った。幸せそうな恋人たちに、微笑ましい親子や仲睦まじい老人夫婦。そんな人たちを見ると、なんだか自分も幸せな気分になったような気がした。
「お嬢さん」
急に横から声を掛けられ、クレナは驚いたように振り向く。そこには綺麗な白髪のお爺さんが手招きしていた。同じ真っ白な髭を蓄え、一瞬サンタクロースに見えたのは、きっとクレナだけではないだろう。どうやら花屋のようで、様々な色の可愛らしい花が店の外まで並べられていた。
「花のように可憐なお嬢さん、どうだい? 花、買っていかないかい?」
見るからに優しそうで、商売上手なお爺さんにクレナは笑顔で近づく。
「部屋に飾るような鉢植えはありますか?」
少し殺風景でもの寂しさを感じた部屋に花でもあれば少し明るくなるかもしれないと思った。お爺さんはすぐ近くの花を指差す。
「あっちのがおすすめだよ」
そこにはアネモネやクンシラン、プリムラなど色々な花が寒い空気に堪えながらも綺麗に咲いていた。
「綺麗……どれがいいかなぁ?」
その場にしゃがみ込み、並ぶ花に目移りしていると、隅の方に寄せられたある花に目が惹かれる。
白い可憐な、神様の贈り物“スノードロップ”。
「お爺さん、これ」
「悪いね、それは予約なんだ」
「そうですか」
なぜか、強く心惹かれてしまう。少し残念そうにしたクレナを見兼ね、お爺さんが口を開く。
「やっぱり、それ売ろうか?」
「え? 予約なんじゃ」
「実は、昨日取りに来る約束だったんだが、結局現れなくてね……このまま待ち続けて枯らしちゃうぐらいなら、あんたみたいな可愛らしいお嬢さんに買われた方が、この花も幸せだろう」
「ありがとうございます……けど、もし取りに来たらお爺さんが怒られるんじゃ」
お爺さんは外見に似合わない豪快な笑い声を上げた。
「大丈夫だ! 約束を守らなかったアイツが悪いんだ。怒ったら、怒り返すさ!」
「なら、これでお願いしますっ」
会計を済ませ、袋に入ったスノードロップを受け取る。
「ありがとう、お爺さんっ」
「こちらこそありがとう」
お爺さんと別れ、クレナはスノードロップを片手に買い物を再開した。
掃除道具に食材と一気に買い込んでしまったため、気づけば両手いっぱいの荷物に、いったん歩みを止める。
「少し休憩しよう」
いろんな所を歩き回ったせいで、アパートからだいぶ離れてしまっていた。いいタイミングで、道端でホットコーヒーを売っているキッチンカーを見かけ、クレナは休憩がてら立ち寄る。
「すみません、ホットコーヒーを一つ」
「はい、どうぞっ」
店員から温かなコーヒーを受け取り、側にあったベンチに腰を掛けた。冷えきった身体に染み渡る温かさに、ホッと一息つく。もう一口飲もうとカップを口元へと寄せた矢先、クレナの前に二人組の若い男が近づいてきた。
「君、今ひとり?」
「見かけない顔だけど観光? 良かったら俺たちが案内するよ」
変にニヤニヤした様子に、怪しさしか感じない。クレナは即座に立ち上がる。
「いえ、結構です」
そう言って離れようとしたが、強引に肩を掴まれて、歩みを止められてしまう。
「ちょっと」
「いいじゃん、ちょっとくらい」
両手の荷物さえなければ、全速力で走って逃げていた。しかし、今はスノードロップも持っているから、そうはいかない。
「離してください!」
なんとか身体をよじって逃れようとするも、しつこい手はまたクレナの肩へと近づいてきた。だが、次はクレナに触れることなく、その手は弾き飛ばされる。
「おいっ! なんだよ、お前っ」
(誰?)
クレナの目の前に、綺麗な金髪が印象的な青年の後ろ姿が映った。
どういう訳かその後ろ姿に目が離せなくなり、寒いはずなのに全身が熱く震えた。
「悪いがこいつは俺の連れなんだ。さっさと消えてくれないか?」
青年がどんな顔をして言ったのかわからないが、二人組の男は青ざめた表情になり、怖気付いて逃げ出してしまった。
「……あの」
声に反応するように振り返った青年の瞳を見た瞬間、クレナは心奪われる。左右違う色をした金髪の彼に、なんだか涙が出るほどの嬉しさを感じてしまった。
――まるで、ずっと探し続けたものをやっと見つけられたように。




