Saelum 55
クレナは、未だに何も声を発しない彼女に向かって静かに告げる。
「わたし、ずっと夏紀に謝りたかった。あの時、何もしてあげられなくて……何度も会いに行こうとしたけど、会わす顔もなくて」
あの日の後悔を思い出しては、いつも罪悪感で胸が痛かった。けれど、それ以上に苦しかったのは夏希のはずだ。友達を守るために身代わりとなって、あんな結末を迎えてしまったことを誰より悔やんだだろう。一言謝ったぐらいで、その過去が断ち切れないことは承知している。
いくら、憎まれて恨まれていたとしてもしょうがない。それでも、夏紀にだけは伝えなくてはならない。
たとえ、これが夏紀との最後になったとしても、クレナは受け入れる覚悟だった。
「夏紀、わたしのせいでごめんなさい!」
クレナは勢いよく頭を下げる。
「あと……わたしのこと、庇ってくれて、守ってくれて……親友だって言ってくれて本当にありがとうっ」
しばらく沈黙が続く。夏紀がどんな顔をしているのか不安で、なかなか頭を上げられずにいると、肩に暖かな手が触れる。
「わたしは今でもクレナのこと、親友だって思ってるよ」
その一言に顔を上げると、懐かしい夏紀の笑顔があった。
「夏紀」
「そもそもクレナのこと恨んだりしてないし……今日だってクレナに会うために来たんだからね」
夏紀の目にも涙がにじむ。
「それに謝るのは、わたしの方」
「なんでっ! 夏紀は何も謝ることしてないじゃないっ」
「黙って居なくなって、クレナを一人置き去りみたいにしちゃったこと……ずっと後悔してた」
夏紀の手がクレナの手を優しく包み込んだ。
「あの日、怪我で入院することになって……退院した時には、親が勝手に転校の手続きを済ませてて、そのまま引っ越すことになっちゃって……クレナに会いに行くことができなかった。絶対にクレナのことだから自分を責めて、わたしのことを引き摺り続けてるんじゃないかって心配だったの」
溢れ出した涙が幾度となく頬を伝い、クレナの手に零れ落ちていく。夏紀の涙に、クレナもいつの間にか我慢してきた涙を流していた。
「クレナにわたしは大丈夫だから、自分のこと責めないでって一言伝えたかったのに……できないまま離れて本当にごめんね。ずっと一人で抱え込ませて傷付けて、悪いのはわたしなの」
「そんなことないよ! 夏紀が居なかったら、自分をずっと否定し続けてた。こうして、自分と向き合えるようになったのは他の誰でもない……夏紀のおかげだよ」
「ありがとう、クレナっ」
満面の笑みを浮かべる少し大人びた夏紀と、中学時代の姿が重なって映る。ずっと、後悔し続けた場面だけを思い出し、勝手に思い悩んでいた自分が恥ずかしくなった。
夏紀が自分を恨むはずない。
彼女はこういう人だった。
――自分が信じる道を突き進み、どんな困難にも立ち向かえる人。
――そして、真っ直ぐに相手を信じる強さと優しさを兼ね備えた人。
そんな夏紀が拒んだりするはずもないのに、悪い思い込みだけの夢に魘されていた自分は、本当に馬鹿だったと気付かされた。
「夏紀、またわたしと親友になってくれる?」
「馬鹿だなぁ。さっきも言ったよ? わたしは今でも、これからもクレナの親友だからねっ」
「ありがとう……夏紀っ」
再び動き出した大切な人との時間。それを噛み締めるように、クレナは夏紀の手をさらに強く握り締めた。
◇◇◇ ◇◇◇
同窓会での再会をきっかけに、夏紀とクレナは頻繁に会うようになっていった。離れていた時間を埋めるように、会えば何時間も話し込む。そんな日々を送っていた。
会って何度目かの時、話の流れで柏木の話題が出る。
夏紀が誰かから、柏木が自殺してしまったらしいと聞いたようだ。
それを聞いて、クレナはショックも受けたが、それよりも先に次はもっと幸せな人生を歩んでほしいと願ってしまった。
――あんなに憎んでいたはずなのに、なぜなのだろうか。
過去の柏木を思い出すと、前までは恐怖にも似た感情が押し寄せてきたはずなのに、不思議とそれは消え去っていた。今思えば、柏木は何か苦しんでいたように思えて仕方がなかった。
もう少し違った形で出会っていたのなら、きっと仲良くなれたかもしれないと今は思う。
それから、あっという間にまた数ヶ月が経ち、クレナは休日のカフェの席に座っていた。
もちろん、夏紀と待ち合わせるためだ。
「お待たせ」
本を読みながら待っていたクレナに、笑顔の夏紀が声をかける。手元にあった栞を手に取り本に挟むと、それを見ていた夏紀が質問を投げかけた。
「それってスノードロップ?」
「え? うん、そう」
「もしかして、この間話してくれた……事故のあと握ってた花ってそれのこと?」
「うん……なんだか捨てられなくてさ」
変わらず、あの日感じた違和感の意味をクレナは無意識に追い求めてる。何を探しているかもわからないのに、何をしていても不意に周りを見渡しては溜め息を漏らした。
――自分は“記憶”ではないものを探しているんだろうか。
「そういえば知ってる?」
「え?」
向かい側の席で、店員に注文を済ませた夏紀が思い出したように話を切り出す。
「スノードロップの伝説」
「なに、それ?」
「昔、花にはそれぞれ伝説があるって知ってさ、いろいろ調べてた時期があったんだよね」
本をよく読んでいた夏紀のことを思い出し、クレナは懐かしみながら「それで?」と、続きを催促する。
「スノードロップの伝説は印象的で、今も覚えてるんだ」
「どんな伝説なの?」
この花を知れば、違和感の正体を知ることが出来るかもしれないと、クレナは真剣に耳を傾けた。
――スノードロップの伝説はまだ人の存在しない時代まで遡る。
地球を生み出し、生物を造り出した“神”はやがて“人”を誕生させた。この世界で初めて生を受けたのが、神話にも出てくる“アダムとイヴ”である。よく目にする本は、アダムとイヴが食べてはならないと決められていた“禁断の果実”を口にしてしまったことから、天界から追放されるという物語だ。
追放されたアダムとイブは地上に下ろされ、今の世を造り出した最初の人間だと言われている。大抵、そこで物語は終わってしまうのだが、夏紀の話すスノードロップの伝説は大地に下ろされた二人の続きだった。




