Saelum 50
一通り話し終え、彼は小さく息を吐く。
「少し場所を移しましょうか。まだアランにも話さなくてはならないこともありますから、ゆっくり話ができるところがいいでしょう」
胸に当てていた手を空へと翳し、また軽く指を鳴らした。
それは一瞬の出来事だった。
さっきまで自分たちがいた光の庭は姿を消し、目の前に見覚えのある空間が現れた。そこは、はじめにクレナがヨンギたちと来たあのコテージの中。
「ここって、はじまりの地?」
一晩しか居なかったが、ひどく懐かしく思える。
「ここなら落ち着くでしょう」
彼はそう言ってソファに腰をかけた。それに合わせるように、クレナとアランも向かい側のソファに並んで座る。
こうしてヨンギと向かい合って、天界の庭の話を聞いた時の光景が、昨日のことのように浮かんだ。二人との出会いを懐かしんでいると、ヨンギが口を開く。
「アラン、あなたが今一番知りたがっていることは、自分が生者側か死者側か……ということですよね?」
「ああ、教えてくれ」
ヨンギの視線が、アランの手首に付けられたブレスレットへと向けられた。
「アラン……あなたはまだ生きています」
「本当に?」
クレナは思わず声を漏らす。アランのブレスレットに新たな石が現れてから、ずっと気にしていたことだった。アランにもまだ生きる道があると知り、クレナは嬉しさから瞳を潤ませた。
「護衛隊は、生きることを断念した人間がなるって言ったのはお前だろ?」
「護衛隊は真っ当な人間がなるという決まりではありますが、それに志願したからといって“生きることを断念した”ことにはなりません」
「けど、俺は一度生きることを諦めた。断念したのと同じじゃないのか?」
「気付いていなかったかもしれませんが、あなたは心の奥底では、まだ迷いが残っていたんです。生きることへの思いを捨てきれていなかったから、断念したことにはならなかった」
アランは少し考え込んだ末に、またヨンギを真っ直ぐ見据える。
「なら、なんで嘘を?」
「これは僕の意思ではなく、ヨンギの意思でした。もしもまだあなたが生者で、本当のことを言えば本気で“生きること”を諦めてしまう。それを心配したんでしょう」
アランがいつか断念したことを後悔しないように、またいつか“生きること”を考えた時のための、ヨンギの優しい嘘だった。
「言ったでしょ? 僕は見守っていたにすぎないと……出逢いとは誰かが仕組むものではなく、お互いの強い想いによって引き寄せられるものなんです。すべての出逢いには必ず意味がある。アランとクレナさんが出会ったのにも意味があった……そうでしょ?」
ヨンギの言ったことを、今なら少し理解できる。
ヨンギとアランに出会わなければ、きっと生きることを諦めていた。この世界でいろんな人と関わったことで、柏木を許し、受け止めることができたのだと思う。
「アラン、もう君は護衛隊ではなくなりました。あとはあなた次第です」
「俺は」
アランはクレナに目を向け、決意を込めた面持ちで告げる。
「生きるよ」
答えを聞いた途端、ヨンギはソファから立ち上がり、二人に笑顔を零した。
「いい答えを聞けて良かった。この世界が少しでも希望に満ちたものであると僕は信じたい」
不意に彼の目がクレナに向く。
「クレナさん、あなたは本当に素晴らしい人でした。この世界で挫折することもなく、ただ生きることに懸命で……個人的に興味も湧きました」
「えっ、ありがとうございます」
いきなりの発言に戸惑いつつも、クレナは軽く頭を下げた。よくよく考えれば、目の前にいるのはあの“神様”なのだ。急に実感が出てきたせいか、畏まってしまう。
すると、突然ヨンギの顔が近づき、耳元でアランに聞こえないように囁く。
「あの夜……言ったのは僕です」
「えっ!?」
“あの夜”とは、ヨンギの意味深発言のあった日のことを指していると、すぐにわかった。
「ヨンギが寝てる間だけ体を借りました。直接、あなたに伝えたくなったので」
そう言い残し、ヨンギの顔がゆっくりと離された。いきなり、近距離に寄ってきたヨンギに動揺したせいで、なかなか返事を返さないでいると、面白がるように笑い出した。
「なっ、何ですかっ!?」
「いえ、クレナさんじゃないです」
その意味がわからなかったが、反射的に後ろにいるアランの方へ振り返った。予想通りと言うべきか、ひどく機嫌の悪そうな顔をしている。今まで見てきた中で、一番の仏頂面だった。
「アラン?」
「さすが、アランですね。相手が誰でもブレないのが君の良いところです」
「うるさいっ……ヨンギと同じようなことするな」
クレナはキョトンと、目を丸くする。
(それはつまり、アランが神様相手に嫉妬したってこと?)
「ヨンギがアランを気に入っていたのがわかります」
まだ笑い続けるヨンギに、眉間に皺を寄せて睨むアラン。
久しぶりに見た光景に、さっきまでの緊張が嘘のように解けていく。そのおかげで、頭の中の整理が徐々についていき、クレナは平静さを取り戻した。
「あのっ、ヨンギさん……じゃなくて、神様。聞きたいことがあります」
「なんでしょうか?」
「わたし達の試練はもう終わったんでしょうか? それと、もとの世界へ戻った時……」
太陽の都市を一人飛び出した日から、ずっと気がかりだった。
それを聞けるのは、きっと今しかない。そう思いクレナは意を決する。
「この世界で過ごしてきた記憶は残ったままですか? それとも、消されてしまうんですか?」
ヨンギの顔がまた切なそうな表情へ変わっていった。
それが、答えなのだと知る。
「クレナさんはもう察しているという顔をしていますね。残念ですが……それが掟なんです」
わかってはいたけれど、強く胸が痛んだ。




