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ヘヴンリー・ガーデン~天界の庭~  作者: 石田あやね
第3章【桎梏の瞳】
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Saelum 31

「あのね……」


 クレナは真っ直ぐノアを見つめる。


「もしも、ヨンギさんとアランが万が一わたしを追いかけてきたとしたら……止めてほしいの」


「引き留められるから嫌?」


 クレナは首を左右に振り、ノアに否定を示す。


「違う……きっと、引き止められてもわたしが行くって言い張ったら、ふたりの事だから一緒に来るって言い出しそうで」


 優しすぎる彼らに、そこまでしてほしくない。この世界で生きるふたりの居場所を奪いたくなかった。

 けど、最大の理由はそこではない。


「ふたりのため?」


「それも違うかな……これは、わたしのため」


 クレナはもう一度、果てしなく広がる空を眺めながらそっと微笑む。


「この世界へ来て、ずっとふたりに助けられて、守ってもらった。感謝してもしきれないくらい……でも、今はふたりと居るのが怖いの」


「怖い?」


「ふたりが大切な存在で、掛け替えのない人になってて……これ以上は一緒に居られないよ」


 ヨンギの想いを知って戸惑う自分が、アランに対する感情の変化に混乱しつつある自分が、最後まで彼らと居続けたらどうなるだろうか。別れを惜しみ、涙するだけではきっと終わらない。


「わたし帰れなくなる……ふたりと離れたくなくなっちゃうから」


 本当は何も知らないまま、何も気付かないままの方が良かった。そしたら、例え記憶を消され、夢物語から覚めても何ともない。そう考えられた筈だった。


「この世界は残酷だけど……わたしには優しすぎるんだよ」


 自分は大切な人を傷付け、手離してしまった。それから、大切なものをつくらないようにと、ただひたすらに夢だけを追い掛け生きてきた。人と深く関わることもせずに、仕事だけに没頭しようとしていた。そんな時に、この世界へ導かれ、彼らと出逢ったことでクレナは変わり始めた。


 ――試練と向き合い、生きていこうと。

 それだけなら、問題はなにもなかった。


 彼らと居たら居ただけ、別れが怖くなってくる自分に気が付いた。


「ここから先はわたしひとりじゃなきゃ駄目なの。また目の前で誰かが傷付いたり、失うのは見たくないから……」


 ――ふたりが大切だから、側にはいられない。


「ノアくん、だからお願い……ふたりが来たら必ず止めて」


 そう懇願したクレナの瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が揺らいでいた。




 ノアは記憶の中の全てを話終え、改めてふたりを見据え立つ。


「彼女の事を考えるなら行かない方がいい」


 しかし、話を聞いたふたりの顔からは決意を曇らすものなど感じさせないような笑顔を浮かべていた。


「クレナさんらしいですね……自分のことと言いながら、結局僕たちの心配じゃないですか」


「そんなこと聞かせられたら逆効果だ、ノア……」


「でもっ」


 ノアが何かを言い掛けたが、ルカの手が制止を求めるように肩へと置かれる。


「ルカ……」


「馬鹿には何言っても通用しないけど……これだけ言わせてくれる?」


 ルカの真剣な表情に、ふたりも真面目な顔で向き合う。


「これは僕からの最後の忠告……あんまりしつこいのと、嫉妬深い男はモテないよ」


 いきなりの発言に、ふたりは吹き出すように笑い出した。


「それは厳しいご意見ですね」


「黙れ、ルカ!」


「ノアに嫉妬しかけた奴に言われたくないね」


 図星をつかれ、アランは舌打ちする。


「アランは分かりやすいですからねー」


「お前もだろ、ヨンギ!」


「アランほどしゃないですよ」


 いつもの調子を取り戻したふたりは、また岩山のある方角へ体を向けた。


「ルカさん、ノアさん、ありがとうございました。行ってきます」


「戻ってこれたら、また来るよ」


 そう言い残し、背を向けるふたりをルカとノアは少し複雑な面持ちで見送る。


「本当に馬鹿だね、あのふたりは……けど嫌いじゃない」


「止めなくて、本当に良かったの?」


「止めても無駄だと思うけど? お互い既に手遅れなんじゃない……歯止めがきかないぐらいに惹かれ合う出逢いをしたってとこかな」


 ノアは彼女の感触の残る手のひらを暫し見つめてから、無言のまま頷く。


「ノア……君も案外、馬鹿かもね」


挿絵(By みてみん)


「馬鹿?」


「なんでもない。さあ、仕事するよ!」


 小さく笑って、ふたりはまたいつもの日常に戻っていった。





  ◇◇◇  ◇◇◇




 岩山を登り始めて、一時間は経っただろうか。クレナは今、恐怖という名の試練に直面していた。

 最初は緩やかな坂道で、道も悪くなく順調のように感じられた。しかし、それは本当に初めだけのこと。次第に坂の角度が上がり、道幅は徐々に狭まっていく。今や人ひとり通るのがやっとという細さになっていた。片側は頂上まで続く岩の壁。もう片側は、断崖絶壁。下に川が流れているのが窺えたが、落ちたら間違いなく大怪我では済まないだろう。

 そして、一番クレナを苦戦させたのは時折吹き付ける突風だった。下からと横から吹き付ける風の勢いは凄まじく、壁にしがみつかないと飛ばされてしまいそうになる。これも試練のひとつだと意気込んでいたクレナではあったが、あまりにも険しい道のりに挫折の言葉が浮かんでいた。


「こんな山……どうやったら越えられるの?」


 ここにヨンギやアランが居たらと、心細さを感じてしまう。


「今頃、どうしてるかな」


 もし、追いかけてきたとしてもノアが止めてくれている。だから、もうふたりと会うことは二度とない。


「しっかりしろ、ひとりで乗り越えなきゃ!」


 再び歩みを止めていた足を動かした瞬間、下から今までよりも強い突風が吹き上がってきた。思わずよろめき、バランスを失いかける。だが、ぎりぎりのところで岩の出っぱりを掴み、落ちずに済んだ。


「危なかった……」


 安堵したのも束の間。

 次は頭上から、小さな岩の欠片が降り始めた。嫌な予感に顔を上へと向ける。しかし、霧のかかった頂上の様子ははっきりとは窺い知れない。幾度となく降ってくる岩の欠片は次第に大きさを増していた。


「落石だったらまずいよ!」


 その場から急いで離れようとしたクレナだったが、次は向かい風に襲われ、動くことすら出来なくなってしまう。何かが音を立てて転がり落ちてくる。そう感じた途端、霧の中を突き破るように何かが姿を現した。クレナの瞳にはっきり映し出されたのは、人ひとりの大きさはあるであろう岩の塊だった。

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