Saelum 28
黒髪のさらさらなショートヘアに、深緑のような濃いグリーンの瞳が月明かりで鮮明に映し出される。あまりにも意外で、クレナは声も出さずに相手を凝視してしまった。しばらくの間、長い沈黙が続いた。
「……ノアくん?」
ノアは口を開かずに小さく頷く。
「あの……さっき、喋ったよね?」
クレナの問いかけに少し照れたように目を背けた。相手の間の抜けた反応を見たせいか、それとも先ほど感じた危機感が消えたせいなのか、体の力が一気に抜けていく。
「良かった……ノアくんで」
そこで、未だにお姫様抱っこされた状態だと気づき、クレナは慌ててノアの肩を叩いた。
「ノアくん、下ろしていいよ! 重いからっ」
クレナの顔を覗き込み、小さく笑って見せたノア。
「………もしかして、重くないよって言ってくれてる?」
ノアが少し驚いた顔をしてから、また微笑んだ。そこでようやく、クレナは地面へと下ろされる。
「ノアくん、ありがとう。助かったよ」
ノアはなぜか辺りをキョロキョロと見回し、またクレナへと顔を向けると、小首を傾げた。
「あ、もしかしてアランとヨンギさん?」
「あの二人がまた来れるわけがないじゃん!」
どこからか声が響いたと思ったら、木の上から突然ルカが飛び降りてきた。華麗な着地技に、クレナは思わず拍手してしまう。
「なんだ、もう来たんだね。っていうか、こんな時間に来るくらいなら、僕たちが帰る時に一緒に来ればよかったじゃん」
「あの時はまだ目的がはっきりと決まってなかったから」
ルカは「ふーん」と言うと、じっとクレナを見つめる。
「それで? ここへ来たってことは、何か僕たちに用があったからなんでしょ?」
「そうなの。実はどうしても行かなきゃいけない場所ができて……だから、その道を知ってたら教えて欲しいの!」
「それは良いけどさ……こんな真夜中に、しかも一人で、一体どこへ行きたいわけ?」
「光の庭っていうところへ行きたいんだけど、知ってたりする?」
そう言った途端に、二人は驚いた表情になる。
「本気で言ってんの?」
「え?」
ルカは少し鋭い目つきでクレナを見上げた。
「その顔、なんにも知らないって顔だね」
「それって、どういう事?」
それには答えず、ルカは器用に木の枝にぶら下がり、勢いをつけて飛び乗った。
「ノア、クレナを連れてきて」
そうノアに指示したルカは、木々を飛び移っていき、あっという間に姿を消してしまう。すると、またしてもノアがクレナを抱き抱える。
「ノアくん!? もしかしてまた走るの!?」
ノアは頷く代わりに、にっこりと微笑んだ。また暗い森をひたすらに走り抜けていく。気がつけば、あっという間に暗闇から光差す広野へと辿り着いていた。
「すごいね、もう森から抜けちゃった」
そっと地面へと下ろされると、先に着いていたルカがある方向を指差した。
「あっちに行けば光の庭へ行ける」
まだ暗くてよく分からないが、ぼんやりと山のようなものが見えた。
「あの山を越えたら三途の川っていう村がある……村の中間に川が流れてて、大きな橋がかかってるんだ。それを渡ると、クレナの探してる光の庭があるよ」
「ルカくん、教えてくれてありがとう!!」
「感謝するのは勝手だけど……僕はあそこへ行くのはやめた方がいいと思う。というか、反対するね」
「え?」
ルカの鋭い眼差しに、変な緊張感が走った。
「三途の川は境界線なんだ。その村の中間にある川を渡ったら、クレナは二度とこちら側には戻れなくなる」
「でも、神様に会えるかもしれないなら……」
「それはただの噂ね。実際に会ったかどうかなんて誰にも分からないよ……だって、入った人は戻ってこないんだから。本当に神様がいるかなんて誰も分からないし、適当に作った作り話かもよ」
「そんなっ」
少し悩んでから、クレナはローマンの言ったことを思い出した。
「ルカくん、こんなブレスレットをした男の人を見なかった? その人も光の庭へ向かったらしいんだけど」
「ここに来て十年ちょっといるけど、知らないかな……ノア、お前は?」
「見た」
ノアが知っていたことにも驚いたが、喋った姿を間近で見れたことにも驚いて、一瞬気を取られてしまった。
「へぇ、珍しい。ノアが喋った」
ルカも意外そうな顔をしながら、クレナとノアの方へ歩み寄る。
「で? このブレスレットはなんなの?」
「わたし、魂だけ神隠しにあって……これが帰る手がかりになるらしいんだけど」
「ふーん。なるほどね……ノア、ブレスレットをつけた奴を見たのっていつ?」
「女の子だった……」
ノアは思い出したようにこちらを見ると、クレナの髪の毛にそっと触れた。
「ノアくん?」
「君ぐらいの長さの、男の子に変装した女の子だった」
「いつぐらいの話っ!?」
「五十年くらい前」
男装していたなら、ローマンさんが見たという男の子は、ノアの見た女の子と同一人物の可能性が高い。
「悪しき人に襲われて……監禁されてた」
「それをノアくんが助けたの?」
小さく頷くと、ノアの手がブレスレットに移された。
「長い間、監禁されてた……助けたあとすぐに森から出て、ブレスレットの手がかりを探しに行った」
「光の庭に?」
「違う。太陽の都市に……ブレスレット以外に何か探したかったみたい。何ヶ月かして、ここへまた戻って来た。それから光の庭へ向かった」
「その後、彼女を見た?」
ノアは首を横に振った。
やはり、それぐらいの危険が待ち受けているのか、それとも生き返る道がそこにあるのか。行ってみなければわからない、未知の領域なのだ。
「しかし、よくあいつらが許したよね……そんな場所に行くなんて言ったら、また持ち場そっちのけで付いてきそうなもんなのに」
「黙って来たの」
「嘘でしょ? なんかあったわけ?」
クレナは否定も肯定もせずに、ただ微笑んだ。ルカは溜め息を一つつくと、ノアの方へと視線を移す。
「ノア、クレナを山の入り口まで送ってあげな」
「いいの?」
「まだ夜明け前で暗いから、迷ったら困るのは君でしょ? それに行くのを決めるのもやめるのも、僕たちが判断することじゃないしね。行くだけ行ってみたら? 川を渡らなければ、引き返す事もできる……自分の行く末を見極めてくればいいよ」
「わかった……ありがとう」
クレナは迷いを振り払い、力強く頷いた。
「けど、黙ってきたのは正解だったかもね。あの二人なら猛反対して引き止めるか、仕事放棄してクレナに最後まで付き合うかのどっちかだろうからね」
「そんなことまではしないと思うよ」
「そう? 自分の持ち場を放棄して、町までクレナを連れてきたことだって、悪いけど十分“規則違反”なんだから」
「え?」
「知らないだろうから教えておくけど、護衛隊は持ち場である場所を護衛することが義務付けられてるんだ。それを放棄し続ければ、二人は護衛隊の任務を強制的に剥奪される」
そんなこと、一言だって聞いていなかった。
二人がそんなリスクを背負って、今まで自分を守っていてくれていたことを、クレナはこの時初めて知った。




