エピローグ「光の差す場所で君と」
分厚いカーテンの隙間から、春の暖かな陽光が差し込んでいた。
小鳥たちの賑やかなさえずりが、静かな寝室に心地よく響いている。
俺はゆっくりとまぶたを開き、ぼんやりとした頭で周囲の景色を見渡した。
王宮の刺客を退け、王都との関係を完全に断ち切ってから、早くも三年という月日が流れていた。
ここは辺境のヴァルツ家本邸。
今では、俺たち二人の独立領地として、穏やかで平和な時間が流れている。
背中に感じる温かい体温に、俺は自然と唇をほころばせた。
振り返ると、クロードが俺の腰に腕を回したまま、静かな寝息を立てている。
銀色の髪が白い枕に広がり、長く美しいまつ毛が朝の光に透けていた。
かつて氷の騎士と恐れられ、一切の感情を見せなかった彼の顔には、今や険しい影は微塵もない。
俺は布団の中から手を伸ばし、彼の頬を指先でそっとなでた。
そのわずかな感触で、彼は静かに目を覚ます。
青い瞳がゆっくりと開き、俺の顔を捉えた瞬間に、目尻が優しく下がった。
「おはようございます、ルシアン」
寝起き特有の低い声が、俺の耳を心地よくくすぐる。
彼から漂う雪の森のフェロモンは、かつて俺を威圧した冷たいものではなく、今は陽だまりのように温かく俺を包み込んでいた。
「おはよう。今日は少し寝坊だな」
俺が笑いかけると、彼は俺の指先に口づけを落とし、そのまま俺の体を強く抱き寄せた。
「貴方の体温が心地よすぎて、つい微睡んでしまいました」
彼の大きな手が、俺の背中を優しくなで下ろす。
うなじにある刻印の痕を親指でそっと擦られ、俺はくすぐったさに身をよじった。
朝の静寂の中、こうして互いの体温を確かめ合う時間が、今の俺にとって何よりもかけがえのないものになっていた。
ベッドから起き上がり、共に身支度を整える。
俺は簡素だが仕立ての良い執務用の衣服に腕を通した。
この三年間で、俺はこの辺境の領地の運営に深く関わるようになっていた。
前世の現代日本の知識を活かし、農地の改良や新しい特産品の開発を進め、領民たちの生活は以前よりもずっと豊かになっている。
初めは王族である俺を警戒していた領民たちも、今では心から俺たちを信頼し、領主の伴侶として慕ってくれていた。
朝食を終え、俺は屋敷の一階にある執務室へと向かった。
窓を開け放つと、冬の厳しい寒さが嘘のように、春の柔らかな風が吹き込んでくる。
庭園では、雪解け水を含んだ黒い土から、色鮮やかな花々が次々と蕾をほころばせていた。
「午後の視察ですが、私も同行いたします」
俺の隣で書類に目を通していたクロードが、静かに口を開いた。
「隣の村の新しい水路の確認だろう? お前は軍の訓練があるはずだ」
俺が尋ねると、彼は書類から顔を上げ、真剣な眼差しで俺を見つめた。
「訓練は副官に任せてあります。貴方を一人で遠出させるわけにはいきません」
その過保護ぶりは、三年前からまったく変わっていなかった。
いや、正式な伴侶となってからは、むしろ拍車がかかっているかもしれない。
俺は小さくため息をつきながらも、彼のその不器用な愛情が嬉しくて、思わず笑みをこぼしてしまった。
「わかった。なら、お前の馬に同乗させてもらおうかな」
俺の提案に、彼の青い瞳がぱっと輝きを増す。
「承知いたしました。安全に、そして快適に目的地までお送りしましょう」
午後になり、俺たちは屋敷を出て、春の陽光が降り注ぐ平原を馬で駆けた。
クロードの巨大な黒馬に二人乗りをし、俺は彼の広い胸に背中を預けている。
彼のがっしりとした腕が俺の腰をしっかりと抱き支え、手綱を操っていた。
馬の蹄の音が、草原の風に乗って軽やかに響く。
視界の先には、雪解け水で水量を増した川が輝き、遠くの山々が青々とした木々に覆われていた。
王宮の狭く冷たい檻の中では、決して見ることのできなかった美しい景色。
前世の記憶を持つ俺が、この異世界で居場所を見つけられるとは、最初は思ってもみなかった。
理不尽な身分制度も、Ωという運命の鎖も、すべては彼と出会うための試練だったのかもしれない。
村の視察を終え、屋敷へと戻る頃には、西の空が美しい茜色に染まっていた。
夕焼けの光が、二人の影を長く草原に落としている。
「ルシアン」
背後から、クロードの静かな声が響いた。
「あの夜、貴方が私を選んでくださらなければ、私は今でも暗い泥の底で、ただ剣を振るうだけの機械だったでしょう」
彼の吐息が、俺の耳元をくすぐる。
「私に光を与え、生きる意味を与えてくださった。貴方は、私の生涯の主君であり、ただ一人の愛する人です」
その言葉の重みに、俺の胸の奥が熱く締め付けられた。
馬の歩みがゆっくりと止まる。
俺は体をひねり、彼の方へと向き直った。
茜色の光に照らされた彼の顔は、この世の何よりも美しく、そして優しかった。
「俺の方こそ、お前に救われたんだ」
俺は彼の手のひらを両手で包み込み、その温かさをしっかりと確かめた。
「お前がいなければ、俺はとっくに自分を見失っていた。俺を愛し、俺のすべてを守ってくれて、本当にありがとう」
照れくさくて普段は言えない言葉が、この美しい夕景の中で自然と口をついて出た。
クロードは驚いたようにわずかに目を見開いた後、泣き出しそうなほど幸せな笑みを浮かべた。
彼の手が俺の頬をそっと包み込み、ゆっくりと顔が近づく。
夕焼けの空の下、俺たちはどちらからともなく唇を重ね合わせた。
互いの体温とフェロモンが優しく溶け合い、魂の奥底まで満たされていくのを感じる。
主従の壁も、年齢の差も、過去の因縁も、すべてがこの光の中に溶けて消え去っていた。
ここにあるのは、ただ深く愛し合う二人の人間の、確かな未来だけだ。
穏やかな余韻の中で、俺は彼の腕に抱かれながら、これから先も永遠に続く幸福な日々に思いを馳せていた。




