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最強の魔王、転生したら余命1ヶ月の悪役令嬢だった。  作者: あめたす


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第11話:十七歳の終焉と、泥のゆりかご

第11話:十七歳の終焉と、泥のゆりかご


 左目の砂嵐も、とうとう実をむすび始めた。

 

 粗い灰色の粒が網膜の裏側でガチガチと噛み合い、光の通り道を完全に塞いでいく。もう、天井のひび割れも、そこを這う小さな羽虫の影も、掠れた輪郭さえ見えない。ただ、鼓膜の奥で、監獄の古い空調が低く、錆びた鉄を擦り合わせるような唸りを上げ続けているだけだった。

 

 寝返りを打とうとした瞬間、胸の奥でピキリと硬い音がした。

 

 肋骨が、自らの肺の浅い膨らみに耐えかねて、乾いた木の枝のように軋んだのだ。十七歳のエルザの身体は、もう内臓の自重を支えることすら嫌がっている。シーツに触れている背中の皮膚は、絶え間ない微熱でふやけ、生乾きの雑巾のような酸っぱい臭いを放っていた。

 

 カチ、カチ、と乾いた音が規則正しく響く。

 

 マザルが、肉芽の露出した指先で、乾いた羊皮紙の束をめくっている音だ。彼の爪の剥がれた痕からは、すでに浸出液も止まり、ただ黒く硬いかさぶたが指先を不格好に太く変形させていた。

 

「……地上は、静かになった?」

 

 私の口から出たのは、もはや言葉の体をなしていない、濡れた砂を吐き出すような湿った摩擦音だった。

 

「ええ。驚くほどに」

 

 マザルの声は、冷え切った地下牢の湿気を吸って、低く粘りついていた。

 

「アルフレッド王子が、あなたの『告白書』を広場で読み上げました。民衆は息を呑み、それから、自らの正義が証明されたことに鳥肌を立てて歓喜した。すべての不都合は監獄の中の悪女が仕組んだことだったと、脳の髄まで納得したのです。クラリスは、その熱狂の波に置いていかれました。彼女の叫ぶ『膿を潰せ』という言葉は、すでにあなたという最大の膿が処理されたことで、行き場を失った。今では、中央の配給所の隅で、身内の官僚たちの汚職をヒステリックに暴こうとしては、『頭の狂った偽聖女』と冷笑されています。彼女の口内は、いまや自分の舌を噛み切った血の味で満ちているでしょう」

 

 暗闇の中で、私は喉の奥を小さく鳴らした。笑おうとした横隔膜が、鋭い針で刺されたように痙攣し、口の端からぬるりとした液が伝う。それを拭うだけの筋力は、もう私の腕には残っていなかった。

 

「オデットは、どう動いたの」

 

「あの魔女は、足元に泥が跳ねる前に跳びましたよ。アルフレッド王子が告白書を握りしめて階段を駆け上がったその日の夜には、すべての荷物をまとめ、隣国のブラド執政官の馬車に滑り込んでいた。王子の金髪が寝汗でカサカサに乾いていく様を、彼女は『カロリーが高くて見ていられない』とフリップボードを片付けるように切り捨てた。今は、氷の帝国の冷たい大理石の上で、新しい流行の風を嗅ぎ回っています」

 

「……、……そう」

 

 胸の谷間に、じわじわと不快な湿気が溜まっていくのが分かる。周期を完全に無視して、下腹部の奥から、どろりとした重い出血が始まっていた。下着が粘り気のある熱を吸い、シーツへとしみていく。前世の魔王であった頃、どれほどの敵を屠ろうとも、このような「制御の利かない肉体の狂い」に自尊心を削られることはなかった。武力という単純な記号を剥ぎ取られたこの少女の肉体は、ただただ不条理に、自らの内側を腐食させていく冷酷な檻だった。

 

 カチ、とマザルがペンを置く。

 

「レイモンドだけが、あなたの遺した部屋に籠もっています」

 

 その言葉に、私は暗闇の中でわずかに耳を澄ませた。

 

「彼は、あなたがブラドやバルザックと結んでいた、あの『濁った利害の帳簿』を前に、一滴の汗もかかずに数式を叩き続けている。非効率な辺境を切り捨てた結果、中央の小麦が足りなくなる。その穴を埋めるためには、あなたが魔族の残党と通じて確保していた『闇の水脈』の流通データに頼るしかない。彼は、自分が最も軽蔑していたはずの『汚い配管作業』の数字を、寝食を忘れて貪っている。彼の白い指先は、今やインクと、計算の摩耗でボロボロです。自分の数理が、あなたの遺した泥水の上でしか踊れなかったことを、あの男は数字の冷徹さによって理解させられている」

 

 地下牢の天井から、冷たい水滴がぽつりと私の額に落ちた。

 皮脂と混ざり合い、こめかみを伝って耳の穴へと流れ込む。その冷たさが、ひどく遠い世界の出来事のように思えた。

 

 ギルバートたち平民は、今頃、中央の広場で新しいパンを口に運んでいるのだろう。

 

 悪女が処刑され、国が正しく洗練されたと信じ込み、その高揚感で皮膚を粟立たせながら、カビ臭い麦の塊を噛み締めている。彼らは誰も知らない。そのパンの原材料が、私が死にゆく身体でブラドと交渉し、バルザックの脂ぎった手と握手を交わして引っ張ってきた、汚職と情実の泥水から吸い上げられたものであることを。彼らは、私が遺した濁った水脈の生臭さを、それとは気づかずに喉を鳴らして貪り続けているのだ。

 

「マザル」

 

「ここに」

 

 カサリ、と衣服の擦れる音が近づき、私の枕元に気配が止まる。彼の指先から漂う、壊死した皮膚の酸っぱい臭いが、私の鼻腔を優しく蹂躙した。

 

「……、手を」

 

 差し出されたマザルの手に、私は自分の右手を重ねようとした。しかし、私の指先は、冷え切った油粘土のように硬直して、彼の皮膚の温度をうまく感知できない。剥がれた爪の、カサカサとした不格好なかさぶたの感触だけが、かすかに神経の末端に触れた。

 

 かつて、前世の私には、世界を平伏させるための巨大な拳があった。多くの部下と、その骨の重みを共有する連中がいた。しかし、今この暗闇の中で私が握っているのは、爪を剥がされ、組織を腐らせながらも、私の死のプロセスを淡々と記録し続ける、一人の不細工な男の、小さな手だけだった。

 

 不思議と、嫌悪感はなかった。

 

 アルフレッドのあの、正しい、善良な手の温もりに触れた時に走った、皮膚がひっくり返るような粟立ちは、ここにはない。この泥のような冷たさと、酸っぱい臭いの中にだけ、十七歳のエルザの、そして前世の魔王の魂の輪郭が、静かに沈殿していくのを感じていた。

 

 喉の奥で、ヒュー、と乾いた音が鳴る。

 

 呼吸が、極端に浅くなっていく。肺の肺胞が、一つずつ、粘り気のある体液で満たされ、閉じていくのが物理的な手触りとして伝わってくる。

 

 前世の武力統治の果て、私は飢えと内部分裂の中で、憤怒と共に絶命した。

 しかし、この脆弱な少女の肉体の底で迎える終焉は、ひどく静かだった。言葉を操り、人間の泥のような欲望をシステムとして配管しきったという、冷たい確信が、私の背骨の重みを床の奥へと溶かしていく。

 

 世界はきれいな背景ではない。

 私を、そして地上で正しさに溺れて踊る哀れな人形たちを、等しくすり潰し、発酵させるための、巨大な檻だ。

 

 私の指先から、完全に力が抜けた。マザルの不格好な手の感触が、ゆっくりと灰色の霧の向こうへと遠ざかっていく。

 

 十七歳のエルザの細い骨は、間もなく、冷たい床の上で自らの重さに耐えかねて、静かに崩壊するだろう。

 

 

 ——けれど、ねえ。

 

 

 この断罪の舞台を上から見下ろし、悪役令嬢が惨めに、ドロドロに崩壊して死んでいく様を凝視している、あなたたち。

 

 王法や、教理や、誰かの「正しい言葉」に皮膚をズタズタにされ、日々のひもじさと呼吸の浅さを誤魔化しながら、私のこの『告白書』の文字を消費しているあなたたちは、いま、少しだけ喉の奥が潤うような、奇妙な『救い』を覚えたでしょう。

 

 自分より血の汚れた、あるいは自分たちの代わりにすべての泥をかぶって死んでいくエルザという悪女を食べて、つかの間の癒やしを得て、明日の朝、またあの息苦しい生活へと戻っていく。

 

 私のこの、シーツの血生臭さや、下腹部を貫く鈍痛や、吐き出された内臓の汁を、都合のいい娯楽として消費して、あなたたちの明日の活力にする。

 

 その、あなたたちの『健やかな正しさ』は、一体誰の不幸を噛み砕いて成り立っているの?


 カチ、と空調の唸りが一瞬、途切れた。

 

 地下牢を満たす生温かい泥の匂いと、抜けない寝汗の湿気だけが、閉じられた網膜の裏側に、溶けない異物として永続的に沈殿していく。

 

 私は、喉の奥の最後の血の味を噛み締めながら、ゆっくりと、完璧な闇の中へと、その輪郭を消していった。

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