09. ブランシュ、やり返す
ブランシュとレオンの結婚式から4年が経ち、ブランシュは22歳になった。その間ブランシュは二人の娘を出産し、現在3歳と1歳である。
4年の間にブランシュはすっかりオーベルヴィリエ公爵家次期当主夫人として内外から認められ、公爵家にとってなくてはならない存在となった。公爵家の執務も今やブランシュが主となって熟しており、現当主シモンが補佐に回るようになっていた。
レオンは相変わらず第5騎士団副団長という肩書きだけの役職についてフラフラしており、騎士団のボンクラ仲間とつるんでいるか、あるいは愛人のララのところに入り浸るかで、滅多に公爵家に帰ってこなかった。当然のことながら公爵家の執務には一切携わっていなかった。
そしてこの日、ブランシュにとって待ちに待った日がやってきた。シモン・オーベルヴィリエが公爵家当主の座をいよいよ次代に渡す時が来たのだ。
シモンは領地にとどまらせている『真実の愛』の相手―レオンの母親を気にかけていた。しかし、王都での執務が忙しく、なかなか領地に戻ることが出来なかった。当主の座を次代に渡すことで自身は領地での執務に専念しながら、これまで離れていた『真実の愛』と穏やかに暮らしたいのだろう。
「問題ばかりだけれど、それも僕が選んでしまった『真実の愛』だからね。できればそばにいてやりたいんだ」
当主の座を譲ったシモン・オーベルヴィリエはそう語ると、ふうと息を吐いた。彼としてはようやく重い荷を下ろせたといったところなのだろう。そして「困ったことがあれば遠慮なく連絡して欲しい。いつでも手助けをするから」と残し、シモン・オーベルヴィリエは王都の公爵邸を後にした。
レオン・オーベルヴィリエが当主交代に気がついたのはそれから2週間も経った日のことだった。
彼は人づてでオーベルヴィリエ公爵家の当主交代を知り、王都の公爵邸に駆け込んだのだった。そしてどたどたと当主の執務室の前までやってきて、乱暴に扉を叩いたのである。
5分ほど待たされてようやく扉が開かれ、そこで待っていたのは父親のシモン・オーベルヴィリエではなく、妻のブランシュ・オーベルヴィリエであった。
レオンはブランシュの姿を見るなり激昂して叫んだ。
「どうしてお前がオーベルヴィリエ公爵家当主になっているんだ!!」
ブランシュは「まあ今頃ですか?」といたずらっぽくクスクスと笑う。そしてレオンに告げた。
「シモン・オーベルヴィリエ前公爵閣下が私を次期オーベルヴィリエ公爵として指名されたからですよ」
前当主が指名したから、そこだけ聞けば何らおかしな点はない。だがレオンにとってあり得ない話だった。
「お前は女だろ!」
ブランシュはきょとんとしたような表情をする。
「あら、我が国は当主の座を継ぐのに男女の定めはありませんわ。もちろん男性の方が多い傾向はありますけれど、女性当主だってそれなりにいるでしょう?」
この程度のことはこの国の貴族であれば常識だったし、なにより社交界に出れば女当主として活躍している人物がいるのだ。女だから当主になれないという疑問は学んでいればまず出ない。
レオンはぐぬぬと歯がみする。しかしようやく気づいたようにはっとした表情を浮かべる。この当主交代劇が明らかにおかしい点に気づいたのだ。口元を三日月型にゆがめた。
「お前にはオーベルヴィリエ公爵家の血は流れていない」
ブランシュは黙って聞いていた。レオンは勝ち誇った様子で続けた。
「お前はこのオーベルヴィリエ公爵家に嫁いできた“嫁”でしかないだろう! お前が公爵になれるはずはないんだ!!」
そう、ブランシュはあくまでもイエール伯爵家の出身でオーベルヴィリエ公爵家の血は流れていない。“嫁”である彼女がオーベルヴィリエ公爵になれるはずはない。だからこの当主交代劇は無効だとレオンは主張しているのだ。
だがブランシュにとっては織り込み済みだった。
「そう、通常であれば私に当主継承権はありません。ですが、特例がございますの」
「と、特例だと・・・?」
完全論破したつもりになっていたレオンは焦りの表情を浮かべる。
「ええ、かつて戦乱の時代に定められたものです。当時は若き次期当主が妻と子を残し戦争で命を散らしてしまう、あるいは無事帰還できても重い後遺症で当主の仕事を出来ない身体になってしまうといったことがそれは多く起きました。ですが、貴族家の運営を滞らせるわけにはいかない。そこでこの特例が生まれたのです。
次期当主が当主としての執務が不能な状態に陥った場合、配偶者にその家の血統を継ぐ子がいる場合において、その子を次々代当主と定めることを条件に、配偶者を次期当主として指名することが出来る」
「なんだそれは・・・」
レオンは言葉が出ない。理解が全く追いついていなかった。
「もう少しわかりやすく説明しましょう。現当主が父、次期当主が夫で、その夫には妻と子がいる。夫の次の当主はその子になりますわね」
これはレオンにもわかる。女性が当主になれるとは言え、多いのはこのパターンだろう。
「そして戦乱の時代は次期当主となる夫が戦争に出てしまう。そして戦没してしまった、あるいは帰還しても戦傷で当主のお役目は果たせない。そのような場合にこの特例が適用されます。
現当主である夫の父は、当主の役割を果たせなくなった夫に変わり、次の次の当主をその夫と妻の子に定めることにより、子が成長するまで夫の妻を次期当主にできる。妻はその家の血を継いでいませんが、その次に家の血を継ぐ子がいるからこそ許される例外規定ですわ」
もっとも、夫に兄弟姉妹がいればそちらの方に次期当主の座は行くだろうし、次に家の血を継ぐ子がいることが前提の特例なので、万が一その子が不慮の事故などで亡くなれば、妻は当主の座から外される。
「私にはオーベルヴィリエの血を受け継ぐ娘が既に2人いる。そして3人目も。特例の条件は満たしておりますわ」
ブランシュはうっとりとした表情で愛おしそうに自分のお腹をなでた。
「だがおかしいだろう! 俺は健在だ! 俺が公爵になるんだ!!」
「ですがレオン様、貴方は公爵家のお仕事を全くされていないではないですか」
「なんだと・・・!」
レオンは言葉を詰まらせた。しかしブランシュは容赦なくたたみかける。
「私がこのオーベルヴィリエ公爵家に迎えられて6年。あなたが公爵家の執務をしたところを見たところがありませんもの。ずっと前公爵閣下と私で公爵家を回しておりました。私が来る前は前公爵閣下お一人で全て背負われていたとも聞いておりますわ。
レオン様はこのオーベルヴィリエ公爵家で何をしておられたのかしら? 何の貢献をされたのかしら?」
「俺は第5騎士団副団長だ!」
レオンは自分が信じる輝かしい立場を主張する。だがブランシュはため息をつくだけだった。
「その第5騎士団、第5の“5”は“ごろつき”の“ご”とか言われているのですがご存じありませんか? 普段はそこら辺を適当にうろついているか、あるい詰め所で何をするわけでもなくゴロゴロしているか。貴方でしたら愛人のララさんとのデートかしら? たまにお呼びがかかった時に式典の警護や国王陛下や王太子殿下の護衛につく。そんな暇な騎士団がまともな騎士団であると思いますか?」
「な・・・!」
図星だった。だがレオンは公爵令息であり、敬われて当然の立場だと思っていたから、これまで気にとめることもしなかったのだ。今ブランシュに指摘されてようやく自覚するという遅さだった。
「言ってしまえば第5騎士団は使えない人間の吹きだまりですわ」
レオンの頭がカッと沸騰する。拳を振り上げようとするが、そこはどうにか理性を働かせて耐えた。
ブランシュは何がおかしいのか先ほどからクスクスと笑っている。その青い瞳もこちらを挑発するような視線をぶつけてくる。そしてブランシュが執務机に腰掛け、脚をぷらぷらさせてる様子も気に食わない。まるでレオンに対して礼節をもって接する必要がないと言っているようだ。そもそも、今の今まで椅子の一つも勧められていない。何故自分は突っ立っているのか。
「騎士団のお仕事は名ばかり。公爵家の仕事はしないしできない。この6年分ですが、レオン様の実績はきちんと記録し、然るべきところへ提出しました。そして判断が下りましたわ。レオン・オーベルヴィリエに公爵家当主の役割を果たす能力はなく、次期公爵とすることは出来ないと」
レオンは頭を殴られたような衝撃を受けた。お前は無能だと突きつけられたのだ。レオンには目の前のブランシュが自分の知る彼女と同一人物には見えなかった。ブランシュは穏やかで従順で、レオンが少し強く言えば困ったような表情を浮かべはするものの、身を引いて従うようなおとなしい女だったはずだ。初夜の時に白い結婚を言い渡した時ですら、ブランシュは悲しそうな表情を浮かべながらも自分の機嫌を取ってきたのだ。
そうだ白い結婚・・・レオンはブランシュとは白い結婚だったはずだ。だが娘が二人いる。確かに4年前も2年前もレオンはブランシュとベッドで朝まで過ごしたが、どちらも一度きりだ。一度だけで子を孕むものなのか。まて、先ほどブランシュはなんと言った? 3人目と言わなかったか?
「おい。今お前の腹の中には何がいる?」
ブランシュは恍惚とした表情を浮かべ、お腹をなでながらこう言った。
「オーベルヴィリエの血を引く私の3人目の子ですわ」
レオンは愕然とした。レオンは今年に入ってブランシュと寝床をともにしていない。
つまりこれは・・・!
「不貞だ! お前のその腹の子はオーベルヴィリエの血を継いでいない不義の子だ!!」
「いいえ! この子はオーベルヴィリエの血を継ぐ子です。この国と神に誓えますわ」
レオンはやり返したつもりだが、ブランシュにぴしゃりと言い返されてしまう。そして国と神に誓うとまで言われてしまっては、反論の余地はない。この「国と神に誓う」というフレーズをもってして偽りの宣誓をすれば貴族の身分を剥奪されるからだ。それ程この宣誓は重いものだった。
「もちろん、2人の娘もオーベルヴィリエの血を継ぐ子です。レオン様は娘達に興味を持たれなかったようなのでご存じないでしょうけれど、あの子達が産まれた時にきちんと魔法鑑定でオーベルヴィリエ公爵家の血筋であることを証明しているのですよ。もちろん、この子が産まれる時も血統証明をして、オーベルヴィリエの子であることを知らしめなければいけませんわね」
何故そこまで言えるのか。レオンには理解できなかった。上2人はまだ自分の子の可能性がある。だが今ブランシュの腹にいる子は自分の子ではないはずだ。ならどこからオーベルヴィリエの血を持ってきたというのか。
ブランシュは相変わらず執務机に腰掛け、機嫌良さそうに脚をぷらぷらさせている。顔に浮かんでいる笑みも、レオンがよく知っている穏やかなものではなく、自信に満ちあふれたものだ。ブランシュの青い瞳はこれまでレオンを見上げていたが、今は見下ろされているようだ。
レオンから見たブランシュはともすれば消えてしまいそうな儚げな女だったはずなのに、今はどうしてこんなに生気に満ちあふれているのか。その整ったスタイルも相まっていっそ蠱惑的にすら見える。
一体この女は誰だ?
本当に子供は俺の子なのか?
いや、ブランシュはオーベルヴィリエの血を引く子とは言っているが、一度もレオンの子とは言っていない。
そしてレオンは最も考えたくなかった可能性にたどり着いてしまった。
「お前、その腹の子は・・・、いや上の二人の子供も・・・」
レオンは最後まで言葉を紡げなかった。もしそれを肯定されたら正気でいられる自信がない。目の前のブランシュという女が得体の知れない化け物に見える。
目線がブランシュと合う。ブランシュは左手で口元を隠すようにしていたが、隙間から口角がつり上がる様子が見えた。
それはレオンを挑発するかのように、彼の思考を見透かすかのように。
ブランシュが口を動かしている。音は発していないが、何かの言葉を示しているかのように。彼女の左手の隙間から読み取れる唇の動きは・・・。
「せ」「い」「か」「い」
レオンは発狂した。うがぁぁぁぁと絶叫しながらブランシュに殴りかかる。だが彼の拳は彼女に届くことはなく、レオンは身体ごと結界で弾かれた。
「貴族たるもの、貴方程度の暴漢から身を守ることくらい出来なければね」
結界で弾かれたレオンの身体に光の鎖が巻き付いて拘束する。ブランシュの拘束魔法だ。魔力の乏しいレオンには抵抗する術はなかった。
騒ぎを聞きつけて私兵が駆けつけてきた。
「この悪漢を地下牢に入れて」
ブランシュが命じると、拘束されたレオンは私兵に乱暴に担がれ、執務室を退去させられた。
執務室にはブランシュと家令のジョルジュが残された。
「お嬢様・・・いえ公爵閣下、彼はどのようになさいますか?」
「あれは私のオーベルヴィリエ公爵家にいらないわ。領地の片隅に送って病を得させるか、可能だったらその途中の馬車の事故でもいいわね」
「畏まりました」
その後、レオンを公の場で見た者はいなかった。




