第11話「王都へ」
王都への道のりは、来た時とは景色が違っていた。
一月半前、王都から逃げるように歩いた山道。あのときは足元ばかり見ていて、周りの景色など目に入らなかった。
今は、ハヤテが隣にいて、コハクが肩にいて、帰る場所がある。
同じ道でも、見える世界がまるで違う。
「ハヤテ、この花なんだかわかる?」
「……知らん」
「薬草の一種で、煎じると解熱剤になるんですよ。あ、こっちの苔は傷薬の材料になるの」
「お前、楽しそうだな」
「え? そうですか?」
ハヤテが、呆れたような──でも少し嬉しそうな顔をした。
「村に来た頃とは別人だ。あの頃は死にかけの子猫みたいだった」
「子猫……」
「目が合うと怯えるし、食べてるのを見たことがなかったし」
思い当たりすぎて否定できなかった。
「……今は、ちゃんと食べてます」
「知ってる」
ハヤテがかすかに笑った。
この人が笑うと、硬い印象の顔が少年のようになる。最近、それを見るたびに胸が少しだけざわつく。
──今は考えないようにしよう。
三日目の夜、野営をしていたとき、異変が起きた。
封印を通じて、玉藻さまの声が届いた。
『小娘。急げ』
「玉藻さま? 何かあったんですか」
『馬鹿どもが封印を弄った。亀裂が広がった』
血の気が引いた。
「弄った? まさか修繕しようとして──」
『修繕どころか悪化させおった。わしが内側から押さえなければ、今頃封印は半壊しておったぞ』
「玉藻さま、お体は──」
『平気だ。だが、あと七日が限界だ。それまでに来い』
七日。王都まではあと四日の距離。間に合う──ギリギリで。
「ツムギ。顔色が悪い」
ハヤテが焚き火越しにこちらを見ていた。
「封印に何かあったのか」
「……退魔師団が封印を修繕しようとして、逆に悪化させたみたいです。あと七日で封印が限界を迎えます」
「七日。王都まで四日──走れば三日だな」
「走る?」
「俺の脚なら三日で着く。お前は──」
ハヤテが言いかけたとき、コハクが「きゅう!」と大きく鳴いた。
次の瞬間、コハクの体が金色の光に包まれた。
「コハク!?」
手のひらサイズだった子狐が、みるみるうちに大きくなる。
光が収まったとき、そこには大型犬ほどの金色の狐がいた。
九本──ではなく、三本の尾を持つ妖狐。
「三尾の……妖狐……?」
『驚くことはない、小娘。言っただろう、わしの分霊だと』
玉藻さまの声が、コハクを通じて響いた。
『その子はわしの霊力の欠片から生まれた分霊だ。力は微々たるものだが、脚だけは速い。三人を乗せて王都まで一日で着ける』
「玉藻さま……」
『さっさと乗れ。時間がないのだろう』
コハクは──大きくなったコハクは、ぱたぱたと三本の尻尾を振っている。表情はいつものコハクのままだ。
「……ありがとう、コハク」
「きゅう!」
ハヤテと二人でコハクの背に乗った。
ふわふわの金色の毛は、想像以上に温かくて乗り心地がいい。
「行け、コハク」
コハクが地を蹴った。
風景が一気に流れ始める。
普通の馬の数倍の速度で、山道を駆け抜けていく。
「速い……!」
「妖狐の脚か。噂には聞いていたが、とんでもないな」
ハヤテが私の腰に手を回して支えてくれた。
密着した背中から、ハヤテの体温が伝わってくる。
──今は、それに気を取られている場合ではない。
コハクは夜通し走り続けた。
月明かりの下、金色の狐が風のように山を越え、野を越え、街道を駆ける。
すれ違う旅人が目を丸くしていたが、気にしている余裕はなかった。
翌日の夕方。
王都の城壁が見えた。
「……変わったな」
ハヤテが呟いた。
王都の上空を覆うように、黒い瘴気の雲が渦巻いている。
結界がほとんど機能していない証拠だ。
「ひどい……たった一月半で、ここまで……」
城門の前では、避難する市民の列が続いていた。
子どもの泣き声、怒鳴り声、悲鳴。
かつて平穏だった王都の面影はない。
コハクが城門の前で立ち止まった。
元の小さな姿に戻ったコハクを肩に乗せて、私は門をくぐった。
「ツムギ」
ハヤテが、隣を歩きながら言った。
「ここから先は、お前の戦場だ。俺にできることがあれば何でも言え」
「……うん。ありがとう」
王都の空気は、瘴気で重く濁っていた。
体に封印の負荷が圧し掛かってくる。離れた場所から遠隔で維持するのと、封印の近くにいるのとでは、感じる重圧が段違いだ。
でも、不思議と怖くはなかった。
一人じゃないから。
退魔師団の詰所に向かって、歩き始めた。




