第七十九話 戦士たちの修行
「――僕に稽古をつけてほしいって?」
その日、冴え渡る陽光が気持ち良い、午後の中庭。リゲルは、マルコとテレジアから頼み事を受けていた。
「はい、どうしても普通の鍛錬では物足りなくって。それで、リゲルさんに模擬戦をしていただきたいんです」
マルコとテレジアが真剣な眼差しで見つめる。
彼らがそう頼む理由は単純だ。
先日、ギルドの参謀長レベッカから、『ギルド・トーナメント』なる催しの開催が連絡されたためだ。
表向きは、都市の復興の記念、人々の苦労の労いを兼ねての大イベント。
つまり各種街や村から『探索者』や『傭兵』、様々な人々が集まり、武技を競う催しだ。
裏では、各町から『強者』を集め、同時に、『楽園創造会』の刺客をあぶり出す狙い。
裏はもちろん、表向きの理由も無視は出来ない。
『青魔石事変』では、多くの施設や建物が倒壊し、都市は半壊した。
その復興を記念とし、人々の英気を養う意味での狙いが強いイベントだ。
三日前――リゲルのもとにもたらされたあの時の光景を彼は思い出す。
『……僕たちにトーナメントの参加を、ですか?』
『そうですー。『青魔石事変』を終わらせた《英雄》のリゲルさん、そのパーティである皆さん――メアさん、マルコさん、テレジアさん。あなた達四名にはぜひとも出て欲しいとの幹部の願いです』
『表向きは復興記念……裏では強者の選別と刺客の判別、ですか。責任重大ですね』
『もちろん重要ですが、リゲルさんたちには負担はかけないつもりです。あくまで裏は私たちギルドが行いますので』
『そうですか、それは助かりますが……』
その時はレベッカにそう言われたが、リゲルとしても無関係ではいられない。
『楽園創造会』はリゲルにも因縁がある組織だ。もし騒乱が起これば鎮圧に手を貸すつもりではある。
リゲルがそう思うように、マルコとテレジアも奮起を、と考えているようだった。
「なるほど、話は判った。でもマルコ、テレジア。君たちはボルコス伯爵の『強化人間』だよね? 特訓が必要とは思えないけど」
彼らはボスコス伯爵の強化を受けた『戦士』だ。並みの人間より遥かに強いはず。
加えて彼らはレストール家に来てから、彼らは毎日鍛錬に精を出していた。
魔術で編んだ人形――鍛錬用の人形を使って対人戦、対魔物戦……どちらにも対応するべく、日々、腕を磨いている。
もはや並みの人間では太刀打ちできないだろう。
それでも、どうやら彼らには足りないらしい。
マルコがまず説明した。
「はい、もちろん僕たちは『青魔石』の後も、鍛錬は欠かしていません。でもまだ足りないと感じていて」
「あたし達は、あくまで『強化人間の候補』よ。途中で『劣等者』の烙印を押された身だわ。だから力不足なのは否めない」
「そうは思わないけど……」
リゲルは首を傾げた。
「鍛錬用の人形では無理なの? あれもそれなりに強いはずだけど……」
「いえ。戦闘用の人形とは言え、所詮は人形……命ぎりぎりの戦いを経験するには役者不足です」
「なるほど」
「あたしたちはボルコス伯爵家で『戦士』になるため鍛えられたわ。……あれは、闘技奴隷並みのしごきで地獄だったけど、今思えば、この人形よりよほど実戦向きではあった。でも、もうそれもない」
「……そうだね、判る気がする」
マルコとテレジアは、最高位の探索者を目指して鍛えられた存在。
並みの探索者より腕が立つし、実際、役に立った。
けれど、彼らが日頃使っているのは人形……それも戦闘用ではあるが、本物の殺気など出せるわけがないし、殺す気で攻めては来ない。
当たり前と言えば当たり前の話。けれどそれでは鍛錬としては不十分なのだ。
ボルコス家にいたときのような『真剣』が出せない……そこで、リゲルへの依頼というわけだ。
「つまり、もっと本気の戦いがしたいってこと?」
「そう、それです」
「このままでは腕が鈍ってしまうわ。トーナメントで無様な姿は晒せないでしょ?」
「なるほどね、判った」
その心意気はリゲルとしては素直に嬉しかった。
彼らはやろうと思えばいつでもリゲルと一緒に、《迷宮》で探索が出来る。けれどそれをしない。
なぜなら、最近リゲルは桃のミュリーと過ごす時間も増えていたからだ。
新しく加わった彼女との交流を邪魔したくない――そんなリゲルへの配慮があったのだが、それでも特訓を依頼した。
ならば、リゲルの答える言葉は一つだ。
「わかった。じゃあ僕と模擬戦してみようか?」
「え? 本当ですか?」
「助かるわ!」
テレジアとマルコは素直に喜んだ。
「うん。今から五本勝負しよう。場所はこの鍛錬場。武器や道具は自由に使っていいから、二人とも好きに攻めてほしい」
「……え、二人同時に、ですか? その、実剣で?」
「もちろん。その代わり、僕も容赦はしないよ?」
「さすがはリゲルさん、ふふ、これであたし達もいい鍛錬になるわ!」
テレジアが喜ぶ。
久々に身のある戦闘が行えると思ったのだろう。
マルコもそれは一緒だ。にわかに顔を輝かせ、軽く微笑み合う。
その様子を微笑ましいと思いつつ、リゲルは補足説明する。
「あ、そうだ。ハンデとして、僕は『ランク四』以上の魔石は使わないから」
「え?」
「それと。『左腕』と『左脚』も使わない。そのつもりで」
「「ええ!?」」
マルコとテレジアの目が点になった。
それはそうだろう、ボルコス伯爵の『強化戦士』、その劣等とはいえ二人がかりなのだ、普通なら『舐めている』と取られても仕方ない。
「本気ですか? 僕たちを相手に片手片足で?」
「しかも、ランク四以上を使わないって……という事は下級ばかりの魔石よね?」
魔石はランクが高ければ高いほど強さを発揮する。
ランク三までなら、おおよそ《迷宮》の三十階層までといった所だろう。
加えて片手片足で戦うというのは、いくらなんでも手加減に過ぎる。
「どうしたの? 自信ない?」
「いや、そんな事はないですけど……」
リゲルの物言いにマルコがためらう。
「そんなに手加減してもらって、万一、リゲルさんの身にもしもがあったら……」
「あはは、僕も舐められたものだね。魔石の力を舐めない方がいいよ。それに君たちは、盾役と、補助・回復役だ。攻め手に欠ける君たちを相手にして、遅れを取るほど僕は弱くない」
「……」
その声音に本気を見たのだろう、マルコも、テレジアも、反論はしなかった。
むしろ――。
ゾッ、と。
「っ!」
リゲルから発せられた、強い戦意に当てられ、咄嗟にその場から下がる。
今。
一瞬で。
リゲルの周囲から、柔い空気が消え去った。
あとに残るのは柔らかな物腰の少年ではなく、死闘を越えた一人の探索者。ランク黒銀、『青魔石事変』を収めた戦士だ。
その、魔物の殺気にも似た圧力に――反射的にマルコやテレジアが構える。
メイスと、短剣、それらが陽光に照らされ光り輝く。
「ん、いい反応だ。じゃあいくよ?」
マルコやテレジアがそれぞれの得物を掲げる。
リゲルは魔石を複数放り出し――そして、柔和に微笑むと、告げる。
「最初は正面から行く。上手くさばいて」
そして模擬戦が始まる。
いや、模擬戦と言う名の、地獄が。
「っ! そんな!?」
一瞬だった。
テレジアが補助魔術をかけるべく、詠唱をした瞬間、
リゲルは八つの魔石を解き放ち彼女を翻弄。
一瞬で壁のように佇立する魔石で出現した《ゴブリン》の姿に集中が一時乱され、テレジアの詠唱がほんの半秒遅れる。その間にリゲルは跳躍、右足のみでの驚異的な跳躍をし、テレジアが絶句する間に回し蹴りを背中に放つ。
「うあ!?」
《速度倍加》の魔術。
《ケルピー》の魔石による蹴撃。
《アイアンホーク》の魔石による浮遊力。
それを使われたとテレジアが判ったのは、吹き飛ばされ、地面に激突した瞬間だった。
「次だ」
あっという間にテレジアを倒したリゲルが、マルコの側面へ瞬時に回る。
「――そこです!」
マルコが咄嗟に振り向く。彼の反応もなかなかだった、前衛ならではの俊敏さでリゲルの右手刀をかわし、逆にカイトシールドを振り回してくる。
が、そこまで。
リゲルの放った《スノウフェアリィ》の霜の力で動きを鈍らされ、そのまま《ストーンリザード》の体当たりでチェックメイト。
マルコは、鍛錬場の反対にまで吹き飛んだ。
かはっ、という深い息と共に、彼は倒れ伏す。
「ま、負けた……?」
こんなに、あっさりと。
起き上がったテレジアが、思わず身を震わせ呟く。
「ま、こんなところかな」
リゲルが余裕の顔で言ってみせる。
「片手片足だけだと思って油断した? あと魔石もランク三以下と聞いて、気が緩んだけど、駄目だよ、それじゃあ。――《迷宮》は理不尽や不可解の連続だ。見た目や前情報に踊らされて、油断してしまうなんて愚の骨頂だ」
確かに敗因は油断だろう。
いかにリゲルとて、マルコとテレジア二人を相手に、本来ならこうも圧倒出来ない。
そもそもハンデ付きで、二人は元・ボルコス伯爵家の探索者候補なのだ。
それを一蹴してしまえたのは、リゲルが的確に隙を狙ったから。
「テレジアは僕が魔石三以下しか使わないと踏んで一瞬、詠唱が遅くなった。ゴブリンの姿を八体見て一瞬身がすくんだね。マルコは味方のテレジアがやられた衝撃を打ち消せず、僕に攻撃を許した……まあ、こんなところかな」
一瞬で模擬戦を終わらせたことを誇るでもなく、淡々と分析を語るリゲル。
その、端的だからこそ事実を雄弁に語る様子に、マルコ達は苦笑するしかない。
「あはは……いや、さすがですね」
「本当。一瞬で隙を見抜き、突いてくる。――勉強になるわ」
テレジアは回復魔術をマルコと自分にかける。
まだまだ、二人とも闘志は十分だ。
「さて、二回戦といきましょう。このまま負けてだなんて許せません」
「あたしとマルコの連携、次こそは見せてあげるわ!」
リゲルは笑みを浮かべた。
「ふふ、いくらなんでも瞬殺は勘弁してよ? 模擬戦、どうせなら僕も楽しみたい」
「当たり前です。このまま負けて終わる僕とテレジアじゃありません!」
「その吠え面をかかせてあげるわ! さあ、行くわよ!」
マルコとテレジアは再びリゲルに挑んだ。
魔石に翻弄されては弾かれ、倒れ。
それでも、彼らは一矢報いるために立ち向かう。
気がつけば、五本勝負などあっという間に終わりを告げていた。
「はあ……はあ……はあ……」
それから一時間後。
膝に手を付き、息を吐くマルコとテレジア。
「まあこんなところかな。さて二人とも、自分に足りない所は見つかったかな?」
余裕綽々のまま問いかけるリゲル。
すでに彼らはボロボロだが、闘志は瞳から消えてはいない。
「ま、まだです。もう一度、お願いします」
「あたしも。このまま負けてばかりじゃ、面目立たないわ」
「いいね、その粋だ、君たちが満足するまで、何度でも付き合うよ」
そうして模擬戦は再開される。
マルコとテレジアは弾かれては敗北して。
それでも、己のために戦い続けた。
それは、一方的で、圧倒的な敗北だったけれど。
彼らの中には、確かな充足感が存在していた――。
三時間後。
「ねえ、もうそろそろ終わりにしない? ――疲れてきたんだけど、僕」
「まだまだ。お願いします、リゲルさん!」
「これからが本番よ!」
「ええー……」
さらに三時間後。
「ねえ! もういい加減いいんじゃないかな!? 脚が疲れたよ!」
「まだまだ! リゲルさん、覚悟!」
「しつこい!」
マルコとテレジアは、鍛錬熱心だった。
というか鍛錬バカだった。
熱心過ぎてリゲルが「もうやめようよ!」と言っても危機はしない。しまいには無理やいr気絶させて、部屋に運び込んだのだった。
そんな、日常の一風景。
かくしてそんな鍛錬を経て、いよいよギルド・トーナメントが開催される。
各所から集まり武技を競う実力たちが、都市ギエルダへと集う。
お読み頂き、ありがとうございます。
次回の更新は2週間後、11月7日の予定です。





