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憑依代行黄泉代 世知辛閻魔大王編 第三幕


 腹が減った。


 それが、高坂清優朗が黄泉の国へ来てから、最初に感じた感情だった。


「……腹減ったな」


 見知らぬ町を歩く。


 木造の建物。


 石畳の道。


 小さな川が町の中央を流れ、その両岸にはいくつもの屋台が並んでいる。


「へい、らっしゃい!」


「そこの旦那! うちの団子は天下一品だよ!」


「焼き魚、焼きたてだよ!」


「おいおい、そこの兄さん! そんな暗ぇ顔してちゃあ、飯もまずくなるぜ!」


 町は活気に満ちていた。


 だが、高坂には違和感があった。


 ここは死者の国。


 なのに――


 人々は笑い、怒り、酒を飲み、飯を食っている。


 まるで、本当に江戸の町へ迷い込んだようだった。


「……腹減った」


 高坂の視線の先。


 小さな屋台に、


 『うどん』


 と書かれた暖簾が揺れていた。


「……よし」


「へい! 何にするってんでぇ!」


「うどん。一杯」


「へいよ!」


 しばらくして、目の前に湯気を立てるうどんが置かれた。


「いただきます」


「おう! たんと食いな!」


 高坂は夢中でうどんをすすった。


「……うまい」


「そうだろうとも!」


 店主が胸を張る。


 しかし――


「……」


 高坂は財布を取り出した。


 中を見る。


 当然、現世の金しかない。


 黄泉の国で使える金など、一銭も持っていない。


「……」


「……」


「……」


 店主と高坂が見つめ合う。


「旦那」


「はい」


「まさかとは思うが……」


「金、ありません」


「やっぱりかい!!」


「すみません」


「いや、謝ったって腹は膨れたまんまだろうが!」


「……」


「ったく、しょうがねぇなぁ」


 店主は頭を掻いた。


「だったら仕事してきな」


「仕事?」


「ああ。ちょいと荷物を届けてほしいんでぇ」


「それだけでいいんですか?」


「飯代ぐれぇ、働いて返しゃいいんだよ!」


「助かります」


 これが江戸っ子。


 宵越しの金はもたない


「じゃあ、これを持って、川向こうの遊郭まで届けてくんな」


「遊郭……?」


「細けぇことはいいんでぇい!」


 高坂は荷物を受け取った。


「それじゃ、行ってきます」


「おう! 気ぃつけてな!」



 高坂は町を歩いていた。


 その手には、小さな木箱。


「簡単な仕事だな……」


 そう思っていた。


 ところが。


「まぁ!」


「?」


 突然、目の前に一人の女性が現れた。


 艶やかな着物。


 美しい髪。


 そして、見るからに華やかな化粧。


「お前さん、見ねぇ顔だねぇ」


「え?」


「どこから来なすった?」


「……現世から」


「げ、現世!?」


 女性の顔が引きつった。


「ちょ、ちょいとお待ち!」


「?」


「そんなところで現世なんて言葉を口にしちゃあいけないよ!」


「なぜ?」


「面倒なことになるからさ!」


「……?」


 高坂が首を傾げる。


 女性はため息をついた。


「まぁいいさ。お前さん、仕事だろ?」


「そうです」


「どこへ行くんだい?」


「遊郭です」


「あら、奇遇だねぇ」


「……?」


「私もそっちへ行くところさ」


 そう言って女性は歩き出す。


「ついておいで」


「いや、俺は荷物を届けるだけで――」


「いいからいいから!」


「……」


 高坂は仕方なくついていった。


 そして――


 気づけば。


「……ここは?」


「遊郭だよ」


「……」


 高坂は絶句した。


 派手な建物。


 客引きの声。


 行き交う人々。


 そして何より――


「……なんで大正の服を着た人がいるんだ?」


 袴姿の男。


 洋装の男。


 スーツ姿の男。


 さらには現代の服装をした若者までいる。


「観光客さ」


 花魁が言った。


「ここは江戸区の中でも、比較的いろんな時代の人間が集まる場所だからねぇ」


「なるほど……」


「お前さんも、珍しい客だよ」


「俺は客じゃないです」


「あら、そうかい」


 そう言いながら、女性は高坂を奥へ案内した。


「ここだよ」


 障子が開く。


「おう!」


 中から、野太い声。


「入んな!」


 高坂が部屋へ入る。


 そこには――


 とんでもない大男がいた。


 豪快に酒を飲み、豪快に笑う。


「誰だ、こいつは?」


「荷物を届けに来たんだってさ」


「おう、そうかい!」


 男は高坂を見る。


「まぁ座んな!」


「いや、俺は荷物を――」


「酒飲め!」


「……はい?」


「酒だ!」


「いや、仕事が」


「まぁいいから飲めって!」


「……」


 気づけば高坂は、その男と酒を飲んでいた。


「俺ぁ江戸川平八ってんだ!」


「高坂です」


「高坂か!」


 平八は豪快に笑う。


「噂は聞いてるぜ!」


「噂?」


「死んでもいねぇのに、黄泉に来ちまった男がいるってな!」


「……」


 高坂は酒を置いた。


「あぁ。韓国マフィアに襲われて――」


「ちょいと、お前さん!」


 花魁が慌てて止める。


「良いんだ」


 平八が言った。


「気にするな」


 高坂は不思議そうに平八を見る。


「ここに来る人間は、いつもそうだ」


「……?」


「訳の分からねぇ言葉ばかり並べ立てやがる」


「あ……」


 高坂は理解した。


 江戸区。


 ここでは、現代の言葉そのものが異物なのだ。


「明治も大正の奴らも、おれぁ大っ嫌ぇだ」


「……」


「あいつらには義理ってもんがねぇ」


「人情もねぇ」


「……」


「黄泉の国はな」


 平八は酒を一口飲んだ。


「元々、江戸っ子たちが作ったもんなんだ」


「……え?」


「最初は何もなかった」


 平八は語り始めた。


「閻魔が行き先を決めるまでの間、死んだ連中は、空っぽの黄泉の国をさまよっていた」


「まぁ、今ほど人も多くなかったからな」


「数日、長くても数週間もすりゃ、行き先は決まった」


「だがよ――」


 平八の表情が変わる。


「みんな、覇気を失ってやがった」


「そこで、一人の男が現れた」


「その男は閻魔と喧嘩をした」


「そして――勝った」


「……閻魔に?」


「ああ」


 平八が笑う。


「そんで言ったのさ」


「空っぽの黄泉なんざ、つまらねぇ」


「だったら俺たちの町を作らせろ、ってな」


「それで……江戸が?」


「ああ」


 平八は胸を張った。


「それが、この江戸区よ」


 高坂は町を思い出した。


 川。


 屋台。


 笑い声。


 喧嘩の声。


 酒を飲む人。


 飯を食う人。


 死者の国とは思えないほどの活気。


「……あんた、何年ここに?」


「さぁな」


 平八は笑った。


「もう忘れちまった」


「ただな」


 平八は少しだけ遠くを見る。


「閻魔とした約束だけは覚えてらぁ」


「約束?」


「江戸を作る代わり――」


「お前が江戸を仕切れ、って約束だ」


「……」



 その後、高坂は知った。


 江戸区には、長い歴史がある。


 やがて明治の時代を生きた死者たちが増えた。


 彼らは江戸の仕組みに馴染めなかった。


 そして新たに――


 **明治区**が作られた。


 さらに大正。


 **大正区。**


 そして昭和。


 昭和の人間たちは、明治と大正よりも遥かに新しい文化を持っていた。


 明治と大正は早々に悟った。


 ――昭和の方が進んでいる。


 ならば、手を組もう。


 こうして、


**江戸**


 対


**明治・大正・昭和**


 という構図が生まれた。


 それは長く続いた。


 しかし――


 平成の死者たちがやってきた。


 平成は江戸側についた。


 そして令和。


 令和もまた、江戸側へ。


 こうして黄泉の国には、


**江戸・平成・令和**


 対


**明治・大正・昭和**


 という奇妙な対立構造が出来上がった。


「……随分ややこしいな」


「そういうこった」


 平八は笑った。


 高坂はふと思いついた。


「なぁ」


「なんでぇい?」


「細かいんだけど」


「言ってみな」


「世代をまたいで生きた人間もいるだろ?」


「……」


「そういう人たちは?」


 平八は黙った。


 そして障子を開けた。


「見てみな」


 外。


 路地の隅。


 一人の老人が座っていた。


 ぼろぼろの服。


 誰とも話さず、ただ地面を見つめている。


「ああいう連中だ」


「どっちつかずの連中はな」


「どっちの時代にも馴染めねぇ」


「だから、どっちからも見放される」


「……」


「そういう連中は――」


 平八は外へ小判を投げた。


「江戸に集まってくるんでぇい!」


「早くどっか消えな!」


 老人は小判を拾った。


 何も言わない。


 その姿を、高坂はじっと見ていた。


「江戸川……」


「なんでぇい」


「……あんたは、ああいう人たちをどう思ってる?」


「……」


 平八は答えなかった。


 しばらくして、ぽつりと言う。


「お前さんも」


「はよう、ここから出るんだな」


「……」


「ここに長くいると、いろんなもんを背負っちまう」


「江戸川」


「なんでぇい」


「いつか――」


 高坂は平八を見る。


「俺が、本当に黄泉の国に来た時は」


「……」


「俺たちが、この黄泉の国を一つにまとめてやる」


「無茶なこと言うな」


「いや」


 高坂は笑った。


「きっとできる」


 高坂は夜空を見上げる。


「時代が違っても」


「思想が違っても」


「体格が違っても」


「格好が違っても」


 川の向こうから、屋台の声が聞こえる。


「みんなで同じ方向を向いて、熱くなれる何かが――」


 高坂は平八を見る。


「きっとあるはずさ」


「……」


 平八は笑った。


「昔にも――」


「誰かが、同じようなことを言ってたな」


「誰です?」


「確か……」


 平八は首を傾げる。


「名は……坂……」


「坂?」


「まぁ、忘れちまった」


「……」


 高坂は苦笑する。


「こりゃ、大層なこったな」


 平八も笑った。


 川面に月が揺れている。


 屋台からは、焼き魚の香り。


 遠くから、誰かの笑い声。


 喧嘩の声。


 子供たちの声。


 江戸の夜は――


 美しかった。


∼憑依代行黄泉代 終∼


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