父親
勢いで、契約してしまった。
そのことで、自室に戻るなり太郎は一人で頭を抱えていた。
「農家だって、まだ半人前なのに……」
太郎は根っこが生真面目である。
いま農家をしているのだって、親と交わした約束を守っているからである。就職の自由があるのだし、親の跡など継がず他の仕事に就くこともできるのだが、それをしない。
冒険者になりたかったというのもあるのだが、それ以上に農家としての自分に誇りを持っているからだ。
たとえ給料が手取り20万円無くとも、農家という仕事は他人様に胸を張って生きていけるものだと信じて疑っていない。
太郎にとって、農家としての仕事が中途半端な状態で投げ出す事は「したくない事」だ。
農家としてちゃんと仕事ができるようになって、一人前として――。
そこまで考え太郎は、そんな事をしていれば何年経っても農家を辞められない事に思い至った。
両親でさえ道半ば。
たった3年程度で農家として一人前になれるはずもない。
ただ漫然と農作業をするのではなく、天気を読み、気候を読み、それに合わせた作業をする。
作物を見て、そこで何が行われているか、病害に曝されていないかを知り、問題があればそれを解決する方法を用意する。
既存の品種と別の品種を掛け合わせ、新しい、自分たちだけの品種を作り出す。
作物を育てる、収穫するだけではない。それを卸売り・小売りのお客様に届け、消費者の手に渡るようにすることも農家にとっては大事な仕事だ。
知識と経験に裏打ちされた農の実績。
作物と人を繋ぐ商の人脈。
どちらも太郎には無いものである。
そして、一朝一夕でどうにもならないことは、太郎自身よく知っている。
ならばどうするか?
中途半端な言葉では、両親に申し訳が立たない。
いい加減な仕事をする事は、自分の周りに居る誰に対しても失礼にあたる。
誠実に、己に恥じない振る舞いとは?
太郎は悶々とするが、一向に答えを出せないでいた。
「太郎、もうすぐご飯よー」
「はーい、いま行くー」
何の答えも出せない無駄な時間はあっという間に過ぎ、夕飯の時間になって、母親の呼び声が聞こえた。
悩むのは後回し。
太郎は台所に向かった。
台所には、既に父親がいた。
料理を並べる手伝いなどはしていない。亭主関白だからという訳ではなく、単純に、そういった仕事に向いていないからだ。雑誌を片手に、夕飯の準備が終わるのを待っている。
「来たか」
太郎の父親、陽介は太郎を一瞥すると、すぐに視線を雑誌に戻す。
太郎は母親の手伝いで料理を並べると、すぐに夕飯となった。
親子三人でテーブルを囲む。
太郎には姉が一人いるが、彼女は都会のサラリーマンと結婚して家を出ている。彼女やその夫に農家を継ぐ意思は無さそうだ。
改めて、太郎は自分が家を継がなかった時の事を考えてしまう。自分が冒険者になった後を考えてしまう。
農地をどうするのかだとか、畑の世話は人手が減ったらどうなるのかとか。
もっと前に考えておくべき事だったのだが、学生時代は冒険者になることしか頭になく、農家になってからは自分が家を継いだ後の事しか見ていなかった。自分が冒険者になった場合、家がどうなるのかなど考えていなかったのだ。
太郎の頭の中はどんどんグチャグチャになる。考えがまとまらず、顔をしかめてしまう。
「太郎」
「へ? なんだよ、親父」
「好きにやれ。家の事は考えなくていい」
悩む太郎に、陽介が急にそんな事を言いだした。
「今日、ダンジョン関係の研究所に行ったんだろう。そこで、お前が冒険者としてやっていける何かを教わったんだな?
なら、悩む必要は無い。冒険者になれ、太郎。元から、そういう約束だっただろうが」
陽介は、太郎の事をちゃんと見ていた。
冒険者になりたくて、でも向いていなくて。
約束で農家になったもののずっと燻ったままでいた、自分の息子の事を。
「気にすることは無い。冒険者稼業なんて、スポーツマンと同じで生涯続けられるものじゃないんだ。農家は、冒険者を引退した後でいい。
やりたいようにやれ。我慢なんてしなくていい。後悔の無いように生きろ」
不器用な父親は、ぶっきらぼうな言葉で息子の背中を押した。
太郎は、声も無く泣いた。




