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8・結末

『証拠もないのに、一方的に思い込んで誰かを罪びとになさろうとする。それが、王太子殿下ともあろうお方のご発言でしょうか?』


 あの時誰かが言った台詞に、僕は深く考え込んでしまう。

 それは、かつて僕の婚約者であったクリスアンが僕に対してした事と同じ行為だ。あの時、彼女は別の男に気を惹かれ、奴の讒言を鵜呑みにして、僕が奴にこっそり危害を加えるような卑怯者と皆の前で断罪し、婚約破棄を宣言した。

 今、僕は、マリーアンを階段から突き落としたのはセレイラの命を受けた者に違いないと思っている。出来る事ならば、あんな性根の悪い女性との婚約なんて破棄したい。

 ……僕の考えは、あの時のクリスアンと同じなのだろうか? 証拠がないのに、マリーアン可愛さに、セレイラを悪く見てしまっている?

 判らない……自分では、違うつもりだ。王女であっても無力なマリーアンに危害を加えようなどと思いつくのは彼女しかいない筈だ。だが、誰が何を考えているかなんて、本当はわかりはしない。セレイラに罪を被せようという陰謀が存在する可能性だってないとは言えない。


―――


 それから表面上は特別な事はなく、当たり前の毎日が流れて、一年が過ぎる。僕は、マリーアンの安全の為にさっさとセレイラと結婚してしまおうと思っていたが、何故かセレイラは嬉しい嬉しいと言いながらも、挙式の話になると、あの吉日がいい、いややっぱり別の日がいい、式の規模は……段取りは……と、両親と共にころころ意見を変えて来て、なかなか進まなかった。僕はどんな形だって別に拘りはないのに。


 僕が25歳、セレイラが22歳、そしてマリーアンが15歳になった。

 学院をさぼってばかりだったセレイラは今年、マリーアンと共に遂に学院を卒業する。その卒業パーティの翌月にようやく挙式をする段取りがついた。そして僕は挙式と同時に即位する。国王陛下は病床にあり、政務は全て王妃陛下と僕が担っている状況だ。


 卒業パーティの日、セレイラの婚約者である僕も出席して彼女をエスコートする。

 マリーアンをエスコートしているのは、彼女の母方の従兄の伯爵家の子息だ。普段特に親しい付き合いもないらしいけれど、他に適当な相手がいないらしい。側妃の娘とはいえ、彼女は王女なのに、あんまりではないだろうか? でも、ウィルバートに睨まれるのを恐れて、可憐で可愛いマリーアンに近づく男は身分の低い男ばかりらしい。

 結婚したら、マリーアンにもちゃんとした公爵家の子息を探してあげないと……いつの間にか彼女もとっくに、婚約者がいていい年頃になっていたのに、僕はなんとなくその問題を先送りにしていた自分の心に気付く。


「ローレン殿下……ようこそ」

「王太子殿下、こちらに」


 周囲の人間は丁重に接してくるけれど、一年前の事から、学院の主だった者は大抵セレイラの息がかかっていると今では僕にも解っている。翌月には妻になる女性の配下から、何となく慇懃無礼にされているというのはおかしな感じがする。


 そして僕はセレイラと共に席に案内され、パーティが始まった。

 僕は何曲かセレイラと踊ったけれど、彼女は何故か上の空。なにかおかしい……。


 マリーアンは、いつの間にかパートナーと別れ別れになって、二階のテラスから僕たちを眺めている。寂しげな微笑を浮かべて。

 僕の視線の先にあるものに気付いたセレイラは、何故か親切顔で、


「まあ、マリーアン殿下、おひとりであんな所に。お呼び致しましょう」

「え、セレイラ?」


 セレイラがマリーアンに親切にするなんて、嫌な予感しかしない。でも僕が呼び止めても素知らぬ顔でセレイラはマリーアンに近づいていく。誰もそちらを見てはいない。楽し気にそれぞれ談笑している。


「マリーアンさま、こちらで一緒にお話しましょう」


 セレイラの笑顔にマリーアンも戸惑ったようだけど、素直に頷き、セレイラの手を取った。


「―――!!」


 次の瞬間、僕ははっきりとこの目で見た。セレイラがマリーアンの腕をぐいと引いて足を引っかけ、階段から落とすのを―――。


「マリーアン!!」


 マリーアンは派手に階段から落ち、この日の為の美しいピンクのドレスのあちこちが引き裂けた。ただ、幸い前回と違って、打ち身以外の怪我はない様子。駆け寄った僕に、情けなさそうな顔で、


「大丈夫ですわ、お兄さま。でも、ドレスが……これじゃ、部屋に戻るしかありませんわね……」


 と呟く。


「セレイラ!!」


 激怒した僕は、階段上のセレイラを見上げ、声を張り上げた。


「マリーアン王女に何という狼藉を! 私は見たぞ。そなたが王女を落とすのを。もう我慢できない。きみとの婚約は破棄する!!」

「わたくしが王女殿下を? おお、とんでもない、殿下は躓かれただけですわ」

「いいや、私は見たぞ。そなたが足を引っかけるのを……」

「言いがかりはよして頂きたいわ。他に誰か見た者がおりまして?」


 僕は救いを求めて辺りを見回したけれど、誰一人名乗り出ない。

 全て、仕組まれていた……。


 ゆっくりとセレイラは階段を下りて来る。


「殿下は、成長なされたマリーアンさまに心を移された……それで、邪魔なわたくしとの婚約を破棄する為にそのようなでっちあげを」

「でっちあげはそっちの方だろう!」

「証拠がどこにありますの?」

「…………」

「殿下は、昔、証拠もなしに殿下を断罪したクリスアン王女殿下から王位継承権を奪った」

「それは陛下が決められた事で」

「同じ事ですわ。そして十年が経ち、今、殿下はクリスアンさまと同じ事をなさったのです」


 セレイラに同意する声があちこちから上がる。


「お、おにいさま……」


 僕とマリーアンは完全に孤立していた。


「ローレンさまは王に相応しくないおかた……」

「それを決めるのはきみじゃない。陛下だ!」


「今は、わたくしです」


 張りのある女性の声が、ざわめいていたホールを静まり返らせる。

 入口に立っていたのは、王妃陛下。

 僕は、完全に罠に嵌められた……。


 王妃陛下は書状を取り出し、


「陛下から、全ての政に関する委任状を頂きました。だからわたくしが裁きます。ローレン、それにマリーアン。私情に走り、セレイラを傷つけたそなたたちは、王族に相応しくありません。ローレン、そなたはもう王太子ではありません!」

「しかし、王妃陛下……陛下に血の近い男子は私しか……」

「ふふ……」


 王妃陛下は僕の疑問に、満足そうに笑み、


「クリスアンはこの十年に、四人の男子を産んでいます。その一人を養子として迎えます。陛下の孫よ。そなたより近い」

「…………」


 僕は茫然としつつも、


「……そう、仰せなら、致し方ありません。王太子の位は返上致しましょう。でも、マリーアン王女には関係のない事です。彼女はどうか、今まで通りに……誰か公爵家の令息と結婚して……」

「何を言いだすやら。可愛い振りをして、十歳も年上のそなたを誑かす恐ろしい娘……母親共々、王宮から出て行きなさい!」


 クリスアンを追い出す形になった僕……陛下の寵愛を奪ったマリーアン母子……王妃陛下はどちらもずっと憎んで、十年もこの時を待っていた……。


「ごめんなさい、お兄さま! わたくしのせいでこんな!」


 とマリーアンはわっと泣き出した。


「きみのせいじゃない。僕のせいだ……」


 僕のせい……。唯一の頼みの綱が間に合わず、本当にここで王位継承権放棄のサインをさせられてしまうならば。


―――


 でも、僕が王妃陛下の前でペンを取らされた時、その救いは間に合った。


「お待ちください、王妃陛下」


 入口から姿を現したのは……アルシード公爵。僕の育ての父。


「今頃何の用ですか、アルシード殿。そなたはどうやら息子の教育を誤ったようですね」


 父は僕と王妃陛下とマリーアンの様子を見て、今なにが起きているのか概ね察した様子。それでも一応、


「ローレン殿下は何をなさったのですか?」


 と、僕を息子ではなく王族として呼びながら尋ねた。


「もう殿下ではないわ。丁度いい、そなた、ローレンを連れて帰ればいいわ。もう王宮に住むところはないのだから。でも、今後の出仕は許しません」

「いったい何があったのです?」

「わたくしの血族である婚約者のセレイラの名誉を汚しました……何の証拠もなく、私情に流されて。王としては不適格です。十年前、陛下が同じ判断をなさった事を覚えているでしょう? こうして因果は巡るのです」

「証拠もなく。では、証拠があれば発言は撤回なさって頂けますか?」

「証拠? 何の証拠です?」

「セレイラ嬢がマリーアン殿下に、ある時はお命に関わったかも知れぬ嫌がらせをなさっていた事について」


 セレイラははっと顔色を変えたけれど、すぐにむっとした表情で、


「まあ、アルシード殿下、何を仰せやら。息子が息子なら親も親だわ」


 と言い放つ。


「セレイラ嬢。貴女は慎重にやったつもりかも知れないが、一年前の事件以来、ローレンはマリーアン殿下に何人も腹心の部下を警護につけていました。皆、貴女の取り巻きのように振る舞っていた筈ですが、実は違うのです。一年前の階段の件の後も、マリーアン殿下の頭上に二階から花瓶を落としたりなさったそうですね。そうした事から殿下を守った証人が何人もいます。皆、神殿で宣誓しても構わないと申しています」


 何人かの学生が進み出た。


「そっ、そなたたち……」


 セレイラは蒼ざめる。皆、自分の言うなりと確信していたのだろう。


「今まで黙っていて、掌返しとはどういう事なの! 目をかけてやっていたのを忘れたの!」

「セレイラ!」


 自分の非を認めてしまいそうなセレイラの発言を慌てて王妃陛下は制する。


「そんな……宣誓なんて、当てになりません!」

「これだけの人間が、自分の人生を賭けて宣誓しようとしているのにですか。虚偽の宣誓をすれば破門され、一生日の目を見られないというのに。でもまあいいでしょう。もっと他に大きな罪がありますから」

「アルシード! さっきからそなたはわたくしに向かって何様のつもりなの! わたくしは陛下から全権を託され……」

「いいえ、ローレン王太子殿下もまた託されているのですよ。王妃陛下のお持ちの書状は無効だとも書かれております。ここに、先ほど陛下がしたためられた書状をお持ちしました。……ローレン殿下は、わたくしがこれを持参するのを、じっと待っておられたのです」

「なんですって!」


 父は僕に恭しく書状を渡す。感謝の念を込めた視線を送りながら僕はそれを受け取った。

 そして皆に聞こえるよう大声でそれを読み上げる。


『王妃リリアナの罪が確定した。リリアナと離縁し、投獄とする。譲位まで、王太子ローレンに全ての国王の責務、権利を委ねる事とする』


 乱れてはいるけど確かに陛下の直筆だ。


「罪?! わたくしの罪とは何です?!」


 と王妃陛下は意外な内容に半狂乱。


 僕は、


「陛下のご病気、そのご容体、次第に意識が混濁されてゆく様子……アルシード公は、この症状はレギオンの毒ではないか、と疑いを持たれたのです。ですが、確証はなかった……それを掴むのに苦労をしました」

「ローレン? いったい何を……!」


 そこに、父の背後からもう一人の人物が入って来る。巨漢が小柄な人物を縛り上げている。


「よくやってくれた、ライオス」


 と僕は労いの言葉をかける。


「いえ、殿下への罪滅ぼしとご恩返しはこれくらいではとても」


 とライオス。

 十年前、クリスアンを誑かし、僕を追い落とそうとしたこの男は、三年間の兵役を経て人間的に成長し、今では僕の側近となっている。


「フリードリクセン! そなた、まさか……!!」


 そこへ、王妃陛下の悲鳴が重なった。


「も、申し訳ございません、王妃陛下。この者に証拠を掴まれ、全て話さない訳にはいかなくなり……」


 と、小柄な男が消え入りそうな声で言う。

 王妃陛下はがっくりと膝をついた。


「ど、どうなさったのですか、王妃陛下! 何が起こってるの!」


 とセレイラ。


「王妃陛下は、ウィルバートの為、そして私怨の為、僕とマリーアンを排除したかった。でも陛下の目があるうちはそんな事は出来ない。……そして、王妃陛下は、側妃とその娘を愛する国王陛下へもいつしか憎しみを持たれていた。それで、そこの医師を抱き込み、陛下にレギオンの毒を、長い間少しずつ盛っていた……。そうだな? フリードリクセンとやら」

「はい……ローレン王太子殿下の仰る通りです」


 あまりの展開に、ホールは咳をする者すらおらず、静まり返っている。


「王妃陛下……私はこの十年、ずっと伯母上である陛下に好意を持って頂けるよう努力したつもりです。クリスアンの事は私が決めた事ではありませんし……。でも、最後まで伯母上は憎しみを解いて下さらなかった」

「当たり前じゃないの。側妃を持つ事は辛うじて我慢出来ても、クリスアンの事は我慢できずに陛下と大喧嘩して、仲は修復不可能になった。わたくしはそなたのせいで全てを失ったのよ!」

「クリスアンは幸せに過ごしていると聞きますし、陛下のご判断は間違っていなかったと思います」

「クリスアンが女王になるべきだったのよ! そなたなんか! マリーアンも! みんな王宮にいるべき者ではないのよ!」


 僕は溜息をつき、陛下の命令を実行するように、とライオスと背後の衛兵たちに言った。


―――


「証拠、証拠……公の場では、やはり証拠は不可欠なのね」

「勿論そうだよ。そうでなければ、公平は保たれないからね」


 二年後。

 17歳になったマリーアンと僕は遂に結婚した。彼女がおとなになるのを待つのはちっとも苦ではなかった。だって、あの、階段から彼女が落ちて意識不明になった時、僕ははっきりと、どんな形でも彼女を守るのが僕の役目だと、理解したから。

 それがいつ、男女の愛になったのかは、自分でも良く判らない。どうも僕は色々と鈍いところがあるんだと思う。でもマリーアンは笑って、そんな僕だから待ってくれたのだろうと言ってくれる。


 僕は前王妃陛下の裁きを前王陛下のお身体が良くなるまで待って委ねたけれど、王妃陛下は処刑され、セレイラは修道院行きとなり、ウィルバート家は没落した。今は父が宰相に立ち、まだ王としては未熟な僕を公私ともに支えてくれる。


「でも、証拠がなければ、人間は何も信じられないのかしら?」

「そんな事はない。裁く事は出来なくても、信じる事は出来るさ。僕はずっときみを信じていたよ」

「愛があれば信じられる?」

「そうだよ。誰かへの押し付けでさえなければ、人は闇雲に愛する人を信じていていいのだと思う」


―――


 そうして季節は巡り、年月は流れてゆく。

 僕とマリーアンは幸せな家庭を築いた。

 これは、統治者には許されない若気の至りの婚約破棄から始まった、ひとつの物語。 

完結です。色々粗があるかも知れませんが、お読み頂きありがとうございました。

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[気になる点] 「まあ、アルシード殿下、何を仰せやら。息子が息子なら親も親だわ」 アルシードが殿下になってる・・・
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