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RIB(仮)  作者: 曖昧
10/15

H

「ちぃーっす!」


 週が明けて月曜日。

 学校が終わり裏都庁に出勤した次郎は大変上機嫌だった。

 上機嫌の理由については語るまでもないだろう。土曜日のデートである。

 すれ違う職員らとも顔馴染みになって来たので苦笑しながら挨拶を返してくれている。


「こんにちは次郎くん。ご機嫌ですねえ」

「ああ、オルガさん。こんちゃーっす」

「? 桔梗さんは居ないの?」

「ぜよぜよ言ってるボスと話があるそうで、後で迎えに来るから休憩室で待ってろって言われました」

「あらまあ、それじゃ一緒にお茶でもどうです? 私も一息入れるところだったんですよ」

「良いっすねえ」


 オルガと肩を並べて歩いていると、ふと気付く。


「(? 何か慌しさがちょっと薄れてるような……んで何か脱力感のような……)」


 流石に鼻が利く。何を説明されずとも何かがあったことを嗅ぎ取っていた。

 オルガに聞いてみようかとも思ったが、


「次郎くん次郎くん、お菓子は何が良いですか?」

「んー……チョコとかクッキー系で(後で桔梗辺りにでも聞くかね)」

「はいはーい」


 休憩に入るオルガに聞くことでもないかと思い直す。


「ところでどうです? そこそこ経ちましたがもう神祇省には慣れましたか?」


 次郎が神祇省入りしたのは四月の上旬で、今は四月も終わりに差し掛かっている。

 確かにそろそろ落ち着いて来る頃だろう。


「そうっすねえ……まだまだ驚くこととか知らないこととか多いです」


 荒事に関しては問題無いのだがそれ以外の部分が問題であると次郎自身も自覚していた。

 なので今は此方側の常識を努めているのだが、


「種族とか覚えるのが特に大変で……」

「ああ、それは確かに。色々ややこしいところもありますからねえ」


 例えば首無しライダーとデュラハン。

 似たようなものだし国や時代が違うから呼び名が異なっているだけで本質は同じ――ではなかったりする。

 そもそもデュラハンは首が繋がっていないだけで頭部は存在しているし。

 オカルトに対して熱心な人間であれば全然違うと断言するだろうが、そうでない人間の認識からすれば紛らわしいのである。


「ですよね? いや、一応端末の図鑑とかもありますけど毎回それに頼るわけにもいかんし」


 この仕事をやっていく以上、最低限の知識は身に着けておくべきだ。

 種族特有の気を付けねばならない振る舞いなどもあるだろうし。


「良い心がけですよ次郎くん!」

「はは、どうも……でも、俺って勉強とか苦手なんすよ。見ての通り」


 記憶能力が著しく劣っているわけではない。

 印象的な、或いは興味を引く事柄なら些細なことであろうとも記憶している。

 例えばそう。滅茶苦茶笑った漫才のワンフレーズ等幾つも覚えていたりする――容量の無駄遣いだ。


「あーあ、暗記パンとか売ってねえかなー」

「オカルトがありなら秘密道具もありですよねえ」


 などと中身の無い雑談をしていると休憩室の扉が開かれた。


「おっと……これはお恥ずかしいところをば」


 芋けんぴを咥え鼻歌交じりに入室して来た泰山は二人の姿を見つけるや頬を赤くしてしまう。


「あはは、良いじゃないっすか泰山さん。休憩しに来たんでしょ? だったら緩くいきましょうよ」

「そうそう。泰山さんも一緒にお菓子食べましょう?」

「いやぁ、ハハハ」


 恥ずかしそうに後頭部をかきながら二人の近くに腰掛ける泰山。

 品の良い紳士然とした振る舞いのイメージが強かったが存外お茶目なのだなと次郎の好感度が上がる。


「んん! しかし次郎さん、最近御活躍のようで何よりですな」

「活躍? いや、ふっつーに仕事してただけで特に変わったことはしてないつもりっすけど」


 派手な捕り物があったわけでもないしと付け加える。


「おや、御存知でない?」

「はい?」


 その点コイツ最後までチョコたっぷりでお馴染みな菓子を咥えたまま首を傾げる。


「件の事件、情報提供のお陰で大きく進展したのですよ」

「へー……でも、それ俺と関係なくないっすか?」

「え? 次郎くん、桔梗さんから聞いてないんですか?」

「えっと……だから何を?」


 と、此処で初めて次郎は闘技場の一件が良い意味で神祇省に作用したことを知る。

 本人としては後悔は無いけれど反省はしている状態だったのでかなり意外だった。


「どうやら此処数日の情勢を御存知ではないようですので、順を追って説明致しましょう」

「あ、御願いします」


 先程は休憩しているのだし仕事の話から離れようと考えていたが、泰山がそう言うのだから素直に聞くべきだろう。

 咥えていた菓子をガリガリと噛み砕き次郎は聞く体勢に入る。

 その姿は若干犬めいていて、オルガは密かにホッコリしていた。


「先ず、カマイタチらから押収した薬物について」

「ああ、解析に回したんですよね……どうでした?」

「細心の注意を払って解析に乗り出しましたが、トラップに引っ掛かってしまいましてね」

「トラップ?」

「ええ、此方が使う解析手段を完全に把握していたのでしょう。それに反応して自壊する術式が組み込まれていたのですよ」


 次郎にはこれまた採算度外視の仕掛けに思えた。


「厭らしいことに一つ発動してしまうと連鎖するようになっていましてね」

「つーことは……」

「はい、空振りです。ものの見事にスカされてしまいました」


 折角の成果を無駄にして申し訳ないと頭を下げる泰山。

 別に彼が解析を行ったわけではないのだが……性分だろう。


「よしてくれよ、偶然が重なってゲット出来ただけのもんなんだし。

それに、無駄になったけど……何ですっけ? 術式? ってのがあるって分かっただけ一歩前進じゃないすか」


 次クスリを手に入れた時、同じ轍を踏まずに済むのだから。

 もっとも、次も上手くクスリを手に入れられるかどうかが問題なのだが。


「そう言って頂けると気が楽になります」

「はは……あ、続きを御願いして良いですか?」

「これは失礼。貴重なサンプルをふいにしてしまい足掛かりを失ったことで再びスタート地点に戻ったわけですが……」


 現場のエージェント達はこれまで通り薬物によって起きる事件を解決しつつ、その出所を探る運びとなった。

 しかし、その矢先である。


「次郎さんが闘技場で人外達の心を掴んだお陰でしょう。

これまで入って来なかった情報が入って来るようになりました。

玉石混交、有益な情報は少なくはありましたが皆無ではありません。

その少ない情報を辿りようやく、あるエージェントが一つだけクスリの現物を手に入れることが出来たのです」

「おお! やったじゃないっすか!」

「ええ、まあ……はい」


 どうにも歯切れが悪い。

 何と言うか、喜びはあるけれども徒労感に満ち満ちている。


「え、また解析失敗とか?」

「いえ、物自体は解析出来ました。そして、製造者兼黒幕の正体も判明しました」

「良いことじゃないっすか、何でそんな……」

「……あのですね次郎くん、その黒幕の正体が問題なんですよ」


 二人揃ってはぁ、と大きな溜息を吐く。


「その男は優れた医師であり、優れた錬金術師でもあります」

「錬金術師……っつーとこれですか?」


 パァン! と両手を合わせる次郎だが、泰山らは首を傾げるばかりであった。

 どうやらお爺ちゃんと年齢不詳のレディにはネタが通じなかったようだ。


「ご、ごめんなさい……続きどうぞです」

「え、ええ……あー、その男の名は”テオフラストゥス・V・ホーエンハイム”」


 ホーエンハイムと言う名に再びフルメタルな何かを想起する次郎であったがぐっと我慢。

 通じないのにボケても寂しいだけだから。


「パラケルススの名の方が通りが良いかもしれませんね。調べれば分かると思いますが彼は医化学の祖とも言われる偉人です」

「……何だってそんな人が麻薬をばら撒いたりしたんです? 製造者ってだけで黒幕ではないんじゃ……」

「次郎くん、ホーエンハイムが偉人であったのは人としての生涯を終えるまでの話なんです」

「と言うと?」

「彼はカトリックではありましたが、同時に不老不死や万能の霊薬を夢見、真理を探求する錬金術師でもありました」


 ゆえに、神の子のみに赦された奇跡にまで手を伸ばしてしまったのだ。

 自身の死期を悟ったホーエンハイムは、それでも座して死を待つつもりなど毛頭なかった。

 学徒として、探求者として、医師として、まだまだやることがある。

 とは言え未だ不老不死の秘法には至っておらず青褪めた死は避けられないかに思えた。


”不老不死が成らぬのであれば次善の法を”


 不老不死と言うのは完全の体現だ。

 ある意味では終着点と言える。

 未熟な身で終点に至れるのであれば、一段階ハードルを下げてしまえば良い。

 つまりは死後の蘇りだ。


「結論から言えば、蘇り自体は成功しました。しかし、彼は生前の彼ではなかった。多くが欠落していたのです」

「欠落……」

「そう。生前は備えていたであろう倫理道徳理性、それらが一切合切抜け落ちていたのです。

蘇ったホーエンハイムは子供とそう変わりありません。好奇心の赴くままに何でもする。

こうすればどうなるのだろう? ああしてあげたいけど、そのためには何が必要だろう?

そんな情動の赴くままに多くの事件を引き起こしています。近代で有名なのは”クッキーレイン事件”でしょうか」


 クッキーレイン事件、字面から馬鹿っぽさを感じたあなた、ずばり正解である。


「……それ、どんな事件なんです?」

「ある時、ホーエンハイムはアフリカのとある貧しい村落で医師をしていました。

その際、彼は村の子供にクッキーを振舞ってやり大層喜ばれ機嫌を良くしたそうです」


 錬金術師がクッキー? と一瞬疑問に思う次郎だったが直ぐに疑問は解消する。

 錬金術は台所が発祥、みたいな話を思い出したからだ。ありがとうフルメタル何ちゃら。


「その時、ふと思いついたのです。

皆で分ければたかだか一人数枚にしかならぬクッキーでこれ程喜ぶのならもっと沢山。

それこそ、天より注ぐ雨が総てクッキーであったのならばどれ程喜んでくれるのだろうか、と」

「う、うわぁ……」

「そしてその通りに彼は全世界にクッキーの雨を降らせました」


 当然のことながら表の歴史にそんな記述は一切無い。

 神祇省を初めとする空想の侵食を阻む者らが大規模な記憶処理を行ったからだ。


「他にも”野菜達の反逆”、”海の羊飼いVS鯨”などアレな事件は多々ありますが……」


 興味があるなら端末で調べてくれと言い泰山はガックリと肩を落とした。


「あの、何でそんなキ●ガイを放置しとくんです……?」

「違うのよ。私達もホーエンハイム捕獲、抹殺作戦を何度も行ってるの」

「ただ、その度に煮え湯を呑まされているだけで……」


 例えキチっていても天才なのだ。それも厄介なことに生前よりもずっとずっと。


「……面倒な手合いっすね」

「ええ、実に」


 しかしこれで神祇省内に満ちる空気にも合点がいった。

 善悪や損得、そんなものとは無縁の好奇心で動くはた迷惑な馬鹿が黒幕なのだ。

 真っ当なやり方では動きを捉えることは出来ないだろう。

 何せ行動の理由が本人にしか分からない好奇心なのだから。

 無論、今ある材料から推測も可能かもしれないが下手な先入観を持つのは危険だろう。


「とは言え、これまでがこれまでなだけに一つ肩の荷が降りたと言う感じもしますがね。

ええ、阿呆な事件は起こせども世界の在りようを根本から変えたり大量虐殺などを起こしたことはありませんから。


 世界は実験場、人は実験材料の一つ。

 世界と言う箱が壊れるようなことを起こせば好奇心どころの話ではない。

 人間と言う実験材料が絶えてしまえば二度と人間を用いた好奇心を満たすことは出来ない。

 だからこそホーエンハイムは致命的な馬鹿をやらかさないのだと泰山は言う。


「それなりの被害は出ても致命的な被害は起こらず。最悪、待っているだけでも事件は収束しますから」


 今でこそ販売経路などは掴めていないがそれは裏でホーエンハイムと言う天才が差配しているから。

 ホーエンハイムが手を引いた後も甘い汁を啜っていた連中がクスリの売買を継続しようとしても無駄。

 同じやり方をしていてもいずれは追い詰められて一斉摘発されるのが関の山だと泰山が苦笑すれば、


「ですねえ……あーあ、一段落ついたらまとまった休みを取って温泉にでも行きたいですよ」


 オルガも同意を示す。

 これが神祇省内の共通認識らしい。

 次郎も話を聞いたことでそんなものかと思い始めていたが、


”どうしても一般人の視点とは乖離してしまう”


 桔梗の言葉が脳裏をよぎり、一応気持ちは切らさずにおこうと気を引き締め直す。


「(……こっちの常識では殆ど片付いたようなもんなのかもしれないが万が一ってこともあるしな)」


 ただ、桔梗にやり手と評された泰山までもが終わった気になっているのは少しばかり気にかかった。

 やはり引退間際ゆえに勘が鈍っているのか。

 だが、それはきっと良いことなのだろうと思い直す。

 争いのために必要な能力が退化していると言うことは平和に近付いていると言うことだから。

 そこまで考えて次郎は思考を打ち切った。


「にしても桔梗め……事態が大きく動いてんなら教えてくれても良いだろうに。ちょっと俺の扱い雑じゃね?」


 それは殆ど独り言のようなものであったが、泰山が反応を示す。


「いえいえ、そんなことはありませんよ。桔梗さんは次郎さんのことをとても高く買っていらっしゃる」

「えー……そうなの?」

「私も長年コンビを組んで来ましたが、あの方が特別な目で誰かを見ているところなど初めて見ましたよ」

「特別な目?」


 はて? と首を傾げる。

 次郎にはイマイチピンと来ないがあー、と頷いているオルガを見るにどうやら共通認識らしい。


「ええ、人も神も総て一緒くた。

個人に目を向けていないわけではありませんが、あの方の目にはきっとどれも同じように見えているのでしょう」


 そう語る泰山の瞳には形容し難い光が宿っていた。


「正直な話、若い時分には随分と反発したものです」

「反発、っすか?」


 棘と言うものが皆無なザ・紳士な泰山が尖っていたのが先ず想像出来ない。

 それはオルガも同じらしく嘘ー、みたいな顔をしている。


「今でこそ男女平等などと言われておりますが、私が若い頃はそうでもありませんでした。

それゆえ女の癖に俺よりも強いとか面白くないと言うのが先ず第一にありました」

「意外ですぅ。空想そのままの英国紳士とまで謳われた泰山さんがそんな……」

「え? 何ですそれ? 初耳なんですがそれ」

「えー? 女子の間では有名ですよー?」

「そ、そうですか」


 深く追求しても恥ずかしい思いをするだけだと思ったのかそれ以上の追求はなかった。

 泰山と言う男は実に賢明である。


「あ、すいません話の腰折っちゃって。続きどうぞ」


 オルガとしても泰山の若い頃の話に興味があるのだろう。

 その瞳には隠しきれない好奇心が滲んでいた。


「ええと……では。女性蔑視に起因する鬱屈もそうですが他にも正直気に入らない点はありました。

まだ力で劣ると言うのは呑み込むことが出来ました。ええはい、いずれ超えてやれば良いと自分を誤魔化せましたから」


 桔梗が優れているのは自分より歳が上だから。

 女の身でもあそこまでやれるなら自分であれば数年で追い越してみせる。

 何とも男の子らしい思考で、同じ男子である次郎には共感出来るものだった。


「じゃあ何が嫌だったんです?」

「あー……そこでさっきの同じようにしか見てないって部分に戻るんじゃないすかね」

「次郎さんの仰る通りです。自分で言うのも口幅ったい気もしますが入った当初から私はそれなりにやれる男でした」


 元々素養があったのだろう。

 人外から逃げ切るだけの機転や身体能力、戦争帰りゆえの度胸。

 それらがエージェントとしての適正に繋がり花開いた。

 だからこそ今に至るまで続けて来られたのだと考えると納得である。


「桔梗さんには及ばずとも、他の凡百のエージェント達より頭一つ二つは抜きん出た自身の力に自信があった。

それゆえ、一緒くたにされるのが我慢ならなかった。一瞥も寄越さないあの冷たい瞳が酷く気に障る。

悔しい、何時か俺を無視出来ないようにしてやる……と嫌悪しつつも青い野心を燃やしていたのですよ」


 そこで再び泰山の瞳に、先程も見えた光が宿った。

 話を聞いて次郎はようやっと理解した。

 この人はきっと今も昔日の悔しさを引き摺っているのだろうと。

 だが、


「(それだけ……って感じでもねえな。人生経験の無い俺にゃあよう分からんが)」


 しかしそう言うのは嫌いじゃあない。簡単に捨てられるなら誰もプライドなんて持つものか。

 男と言うのは何時まで経っても男を辞められないのだなと少しばかりおかしく思う次郎であった。


「って……オルガさん、どうかなされましたか?」


 若干引き気味の泰山、はて一体どうしたのかとその視線を辿ると……。


「むふふ」


 オルガが何やらアレな笑みを浮かべているではないか。


「良い、良い! 良いですよ泰山さん!!」

「は、はぁ……何が、で御座いましょう?」


 困惑する泰山が次郎を見るが次郎にだって分かりはしない。

 と言うかあまり分かりたいとも思えなかった。


「普段ジェントルな泰山さんに、そんなやんちゃな一面があったとは……素晴らしいギャップです!」

「はぁ……どうも?」

「次の女子会で良い話の種になります! これはもう、今年の神祇省良い男ランキングは貰ったも同然ですね!」

「……そんなのやってるんすか?」

「私も長く勤めておりますが寡聞にして……」


 良い感じに盛り上がったオルガに男二人がドン引いていると、がちゃりとドアが開かれた。


「待たせたわね――って、オルガが間抜けな顔してるけど何かあったの?」

「酷い!? ちょっと乙女ってるだけじゃないですかぁ!!」


 抗議の声を上げるオルガに桔梗はこてんと首を傾げ、


「……乙女?」

「更に酷いですぅ!!」

「まあ、それはそれとして」


 この言葉が出たらもう終わりだ。

 どれだけ追求しようとも押し切られてうやむやにされてしまう。

 尚、それでも諦めない相手には鉛玉が飛んで来ると言うのが神祇省職員一同の共通見解である。


「よう桔梗、軍鶏鍋好きそうなオッサンと何話してたんだ?」


 余談ではあるが神祇省内の食堂のメニューは実に豊富だ。

 世界各国から人を揃えているので彼らの舌に馴染むものをと言う配慮ゆえである。

 その中でも一際目を引く品数の多いメニューが軍鶏を使った料理だ。

 十中八九Rの仕業であろうと次郎は睨んでいる。


「ん? ああ……あなた個人に来た依頼の話とか……まあ、色々よ」

「俺個人への依頼?」


 呆れたように口の端を釣り上げる桔梗だが、次郎にとっては初耳であった。


「そう。ついこの間のことなのに、随分と耳聡いことだわ」

「何で俺に依頼なんか来てんだ?」


 泰山とオルガから自分の影響で情報提供が増えたことは聞いた。

 しかし、依頼が来るのは解せない。

 あの一件を見るだけでは荒事に長けていることぐらいしか分からないだろう。

 そして荒事であればわざわざ自分を指名する必要は無いはずだ。


「安心なさい。面倒事の解決を目的にしている依頼は殆ど無いから」

「はぁ?」


 ますます意味が分からない。

 自分達では手に余る面倒事を解決したいからこそ神祇省を頼るはずなのにそれが目的ではないと言うのはおかしいだろう。


「人外達の価値観において”強い”と言うのはそれだけでステータス足り得るのよ」

「ほうほう……ん、ちょっと待て……あー……」


 何となく察しがついて来た。

 表の社会でも次郎にはこの手の面倒に覚えがあったからだ。


「お察しの通り。依頼の名を借りてあなたと戦い名を上げたいのよ。

或いは純粋な力比べをしたいとか……正直、まともに取り合うのも馬鹿らしいものばかり。

ああでもそれだけじゃないわね。中には種を目当てにしてそうなのもちらほら」

「種?」


 はて? と首を傾げる次郎に泰山が耳打ちをし意味を伝える。

 桔梗だとド直球な物言いで場の空気を微妙なものにしかねないと空気を読んだのだ。


「…………人外ってのは、その、何だ……性に奔放なのか?」


 若干声が窄みがちになり頬が赤らんでいる。

 これで案外純な男なのだ。そう、初デートの嬉しさが後を引いてテンションを上げたりするぐらいには。


「総てが総てと言うわけではありませんが、まあはい。多少は」

「……勘弁してくれよ。俺ぁ嫌だぞ。絶対嫌だぞ」


 知らない女を抱けるものか。

 いや、知っていても好きでもない女を抱けるものか。

 どれだけ美人で気立てが良くても絶対NO!

 いざとなったら依頼者を殴り倒してでも逃げてやると息巻く次郎だったが、その心配は杞憂である。


「安心なさい。全部断っておいたから」

「おお、サンキュー!」


 ほっと胸を撫で下ろす。

 子種を寄越せと言うのも嫌だが、戦うのも正直御免だった。

 ビビっているわけではないし、喧嘩が嫌いと言うわけでもない。

 ただ単純にその手の目的で絡んで来るのは雑魚が多いと経験則で知っていたから。

 そんな雑魚を相手にしてやる程暇ではないのだ。


「別にお礼を言われるようなことでもないわ。そんなくだらない依頼にまで一々付き合ってあげてたら人外連中が調子に乗るだけだもの」

「あー……それもそうか。いやだが、それでもありがとよ」

「だから――いえ、良いわ」


 テーブルの上に置いてあった菓子の入った小皿に手を伸ばす桔梗。

 照れているのか、或いは後ろめたいのか……さて?


「あ! そういや桔梗、アンタ俺に事件の進展があったこと教えてくんなかっただろ?」


 その言葉を受けて桔梗は泰山とオルガに視線をやった。


「その、いけなかったでしょうか?」

「何か考えがおありでしたかな?」

「……知ってしまったのならしょうがないわね」


 桔梗が黙っていたのには勿論理由がある。

 休息中の次郎に心をおきなく休んでもらうため、そして妙な先入観を与えないためだ。

 今、神祇省には次郎も気付いていたが心の何処かでもう安心だと言う安堵が蔓延していた。

 年明けから続く事件のせいで張り詰め続けていたので無理はないが桔梗からすれば愚の骨頂。

 最悪が起きる可能性が低い、そう考えることそれ自体が隙となり得るから。

 それゆえ次郎には伝えなかったのだが、知ってしまったものはしょうがない。


「(まあでも、この分だと心配は無さそうね)」


 多少の緩みは見える――が、完全に気持ちを切らしているわけではない。

 次郎の精神状態を完全に看破しているその眼力は流石である。

 とは言え、その眼力でも完全な畑違いゆえ自身に向けられている好意にはまるで気付いていないのだが。


「何で黙ってたんだよ。一言ぐらいあっても良かったんじゃねえか?」

「ああはいはい、悪かったわね。反省してるわ。次から気を付けまーす」

「すんげえムカつくその態度!」


 胸倉を引っ掴んで揺さぶるも桔梗は無表情のままもっしゃもっしゃと戦争が起こりかねない筍を模した菓子を食うばかり。

 暖簾に腕押し柳に風、無駄だと悟った次郎は敗北感に打ちひしがれながら手を離した。


「畜生……覚えてろよ」

「忘れなければ、ね」

「ぐぬぬ……!」

「それよりほら、お仕事の時間よ。それじゃあねオルガ、泰山」


 桔梗は次郎を連れ休憩室を出て行った。

 完全にドアが閉まったところでオルガはぽつりと呟く。


「やっぱり、次郎くんに対しては違いますよねえ」

「ええ」


 オルガの見立てでは胸倉を掴んだ時点で他の人間。

 自分や泰山であろうとも速攻でヘッドショットを喰らっていたはずだと確信している。


「後楽園での一件だって、あれ次郎くんから提案したんですよね?」

「そのようですなぁ」

「許可して最後まで見守るって時点でもう私達とは扱い違いますよ」


 結果から見れば次郎の選択は確かにベストだった。

 だが、破れた場合の不利益を考えればとても許可を出せるものではない。

 何せ相手は並みの職員では武装していても敵わないレベルの鬼だ。

 何時もの桔梗であれば迷わず次善を以って仕留めていたはずなのに、そうはならなかった。

 唇に人差し指を当てうーんと唸っていたオルガだが、直ぐにその顔は喜色に染まる。


「人を、女を変えると言えばこれもうラブ以外にあり得なくありません!? 桔梗さんは年下の男の子にホ――――」

「それはありえませんな」


 即座に否定されてしまった。

 被せ気味どころか普通に被せてバッサリ否定されてしまった。


「いやいやでもぉ! 次郎くんと組み出してから桔梗さんホント柔らかくなったような気がしません!?

具体的には南極の凍土がシベリアの凍土ぐらいになったかのような変化!!」


 それは変化と言えるのだろうか?

 そして何気に例えが酷い。冷血女とでも言いたいのか。


「間違いないですって! 私の乙女センサーがバリ3ですもん!」

「バリ3って……」


 ロシア人が何言ってんだと思わなくもない泰山であった。


「と言うか、あまりこう言うことは言いたくありませんがねオルガさん。あなたも良い年頃でしょう?

女学生のように他人の色恋を想像してはしゃいでいる場合ではないのでは?」

「う……」


 オルガの見た目は二十代前半と言ったところで、その容姿は素晴らしいの一言だ。

 明るい雪のような銀髪に青い瞳、生唾ものの肢体。

 しかし、実年齢は見た目通りではない。

 九十を超えている泰山が六十代のそれにしか見えなかったり、何百年も生きているはずの桔梗がJCにしか見えないのと同じ。

 穢れを得て超人となった者は大概そうだ。

 個人差はあるけれど老化は緩やかになり、全盛期を長く維持出来る――サイヤ的なアレである。


「いやほら、こんな仕事してますし?

今でこそ事務方の私ですが呪いが完全に抜ければエージェントとして復帰するつもりですからはい。

何時死ぬかも分からないような状態で夫や子を作るのはどうかなーなんて? それにほら、何よりも愛する人に隠しごとをしたくない!」


 キリリッ! と決め顔で言い放つオルガだが、


「私、子は居ませんが妻は居りますよ」

「う……それはほら、泰山さんはあれじゃないですか! 神祇省入る前から妻帯してたわけで!」

「それに、職場で相手を見繕えば危惧している問題も幾つか解決するでしょう」


 実際神祇省内で人生のパートナーを見つける者は多い。

 だからと言うべきか、そこらの福利厚生もしっかりしていたりする。神祇省はホワイトな職場です。


「まあ何が言いたいかと言うと――――良い歳なのですから少しは落ち着きましょう、ね?」


 何時まで経っても落ち着かない娘を諭す父親のような言葉に、


「はうわ!?」


 遂にオルガは膝から崩れ落ちた。

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