頑なな心を溶かして
カーヴィさんに「学校でのルイの姿をよく見てごらんなさい」と言われてから数日後。
その機会は、思いがけない形で訪れた。
放課後、教員に提出物を届けるために大演習場の横を通りかかった。
その時、地響きのような歓声と、大気がピリピリと震えるような魔法の流れを感じて、私は思わず足を止めた。
大演習場の中心には大勢の生徒たちが群がり、幾重にも人だかりができている。
……一体、何が始まったの?
好奇心に駆られて、人混みの隙間から恐る恐るのぞき込んだ瞬間ーー私は息を呑んだ。
その中心に立っていたのは、ルイだった。
彼は制服のローブを無造作に翻し、訓練用の巨大なゴーレム数体を前に、一人で対峙していた。
いつも見るような穏やかな笑顔は一切ない。冷徹なまでに研ぎ澄まされた、切れ長の瞳。
……嘘、本当に、ルイなの?
ルイが杖も使わず、ただ片手をかざしただけで、空間に巨大な魔法陣が幾重にも展開していく。その瞬間、大演習場の空気が一変した。
直後、轟音と共に放たれた圧倒的な氷の嵐が、一瞬にしてゴーレムたちを飲み込み、塵へと変えていく。荒れ狂う魔力の風が演習場に吹き荒れ、私の髪を激しく揺らした。
ルイは息一つ乱さず、静かに手を下ろす。遅れて、わっと地を揺らすような大歓声が沸き起こった。
ーー「すげえ……さすが四回生の首席……!」「詠唱無しであの緻密さ、あの速度、あの展開規模の魔法を使うなんて……」「本当に同じ人間かよ」
周囲の生徒たちが興奮気味に口々にルイを称賛している。女の子たちは頬を染め、羨望の眼差しで彼を見つめていた。
その中心で、ルイはただ一人、冷ややかで、どこか近寄りがたい絶対的なオーラを纏って佇んでいる。
あぁ、そっか……
胸の奥が、ツンと痛んだ。
ここにいる彼は、レオンが以前言っていたような、誰もが憧れ、跪くような、遠い世界の天才だった。
でも、私の知っているルイは違う。少し強引で独占欲があって、時々甘えてくるような優しい幼馴染だ。
遠すぎる彼の背中を見つめながら、私は祈るように拳を握りしめていた。
ーー怖い、すごく怖くて堪らない。あなたの強大な魔法があなたを連れていってしまいそうで。
お願いだから、そっち側へ行かないで。私の手の届くところに、帰ってきて……
割れんばかりの拍手と歓声の中、ルイは冷え切った瞳のまま、ゆっくりと周囲を見回した。誰もが彼からの視線を求めて熱狂している。
『……レーナ?』
冷酷だった彼の唇が、私にだけ分かる優しい形に綻んだ。声は聞こえなくても、彼の唇がそう動いたのが分かって、心臓が跳ね上がった。
ルイの視線が正確に私を捉えていた。
彼は周囲の賞賛を気にする様子もなく、長い足で真っ直ぐに私の方へと歩を進める。
「こんなところにいるなんて驚いた。……怖くなかった?」
私は弱々しく首を振る。
「……今、五分くらい仕事抜けられる?」
頷こうとする私に、周囲の視線が突き刺さる。刺々しいヒソヒソ話が、いやでも耳に飛び込んできた。
ーー「なにあれ、事務員の人だよね? 一緒に帰ってるって噂の人でしょ」「ずるい、職権濫用じゃないの? 彼の隣にいたいなら、魔法学校の学生になればいいのに」「もしかして試験に落ちたんじゃないの?」
悪意に満ちた言葉に胸が締め付けられ、言い返す言葉どころか、息の吸い方さえ忘れてしまいそうだった。
重厚な刺繍が施された、格式高い漆黒のローブ。
それが波打つ人混みの中で、オフィスカジュアルに身を包んだ私は、あまりにも異質で、ひどく場違いだった。
彼らと自分の間にある世界の壁が、痛いほど肌に擦りつけられる。
ルイは溢れそうになる魔法を抑え込むように、拳をきつく握りしめていた。
躊躇し、俯く私に、彼は何か言いたげに口元を歪めたが、「西側の非常階段の三階に来て。……俺もすぐ行くから」とだけそっと囁いた。
残されたその言葉だけを命綱にするように、私は冷え切った指先を暖めるように握り締め、人混みをかき分けて走り出した。
◇
校舎の外に取り付けられた、美しい螺旋階段。
ここは、物語の中でマリリンが呪いを解くために一人で旅立とうとするのを、幼馴染のフリードリックに止められ、『一緒に行く』と決意した場所だ。
胸につかえた思いを吐き出すように、私はポツリとつぶやいた。
「マリリンはすごいなぁ……」
「……さすが。マリリンの聖地って、すぐにわかった?」
振り返ると、すぐそこにルイが立っていた。
驚く私に、「最近できるようになった転移魔法使ってみた。帰りはそれで一緒に戻ろう」と悪戯っぽく笑う。
さっきまでの圧倒的な『首席』の顔から、私の知っている『幼馴染のルイ』に戻っていて、安心する。
でも、彼の身体からは冷たい魔法の気配がまだ微かに立ち上っていた。
「……教室の方はなかなか来れないから、誘ってくれて嬉しい。ありがとう!」
「どういたしまして」
「私……マリリンみたいになりたいんだ。魔法が上手で、明るくて、可愛くて、何事にもめげずに頑張る姿にずっと憧れてるんだ」
「レーナも、ほとんど当てはまっていると思うけど。……あとは、魔法だけかな」
「魔法かぁ……」
ため息をつく私に、ルイが顔を近づける。
「俺が教えようか? 魔法使いの資格さえ取っちゃえば、卒業は必須じゃないし」
「えっ、いいの……?」
「もちろん。実技は練習スペース借りてさ。
行事はないけど、自分のペースで学べるし、それはそれでメリットもあると思うよ」
見上げるルイの瞳があまりにも優しくて、私は胸がいっぱいになる。
「……あの、ルイの教科書、私にくれる?」
「いいけど。レーナのお父さんなら、張り切って新品の一式揃えそうだけどな」
その光景を想像したのか、ルイはおかしそうに目元を和ませる。
「そうかもしれないけど……ルイのがいいの。その方が頑張れるから」
私は少し俯き、言葉を繋いだ。
「今日、大演習場で初めてルイの魔法を見たよ。悔しいくらい、カッコよかった」
「『悔しい』ってなんだよ……」
ルイは呆れたように笑うと、私の身体を愛おしそうに強く抱きしめた。彼のローブが二人を包みこみ、まるで私たちだけの世界になったかのようだった。
「レーナのこと、俺が守るから。絶対、離さないよ。……愛してる」
囁かれた言葉の甘さに思考が溶ける。
確かめるように重なる唇。この前は拒んでしまった、熱くて甘いキス。逃げようとしない私を、ルイの腕がさらに深く引き寄せた。
やがて、名残惜しそうにほんの少しだけ隙間が空く。
「今日は拒まないんだ」
吐息が触れ合うほどの近さ。
彼は私から視線を外さないまま、赤く色づいた自分の唇を親指の腹でそっとなぞり、満足そうに微笑んだ。
「だって……一度にたくさん、意地悪しないで。
その後、何も考えられなくなっちゃうからーーんっ」
言葉を遮るように、再び口を塞がれた。
隙間から滑り込んできた熱い質量に、思わず声が漏れる。
「んんーーっ!?」
舌が絡まり、深く深く吸いあげられて、頭がぼーっと熱くなっていく。
ルイの「愛してる」の言葉が脳裏で何度も反芻し、全身が彼の色で満たされていく。どうしたらいいかわからないまま、私は精一杯、その熱に応えようとした。
「俺のことだけ、いっぱい考えてて」
耳元で囁く、低くて甘い声。
この幼馴染の腕の中こそが、世界で一番甘くて幸せな私の居場所なのだと、今度こそ心の底から思い知らされた。
私はそっと手を回し、彼の広い背中をきゅっと抱きしめ返す。
「うん……。ずっと、ルイのことだけ見てる」
私のささやかな変化に気づいたルイは、嬉しそうに顔を上げると、再び息もできないほど深く、二人の唇を重ね合わせるのだった。
(THE END)
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