前世の記憶
「ル、ルイ……っ?」
校門を出て人気の無い路地裏まで、早足で連れてこられ、ようやく立ち止まる。
乱れたスカートを直していると、ルイは逃がさないとでもいうように、私を壁と自分の身体の間にすっぽりと閉じ込めた。
「……!?」
いつもより何倍も近くにある端正な顔。じっと見つめてくる切れ長の瞳には、見たこともないような熱が灯っている。
「あいつが綺麗なら、俺だって顔は悪くないだろ? ……レーナが中学生の頃も、かっこいいって言ってくれてたじゃん」
「えっ!?」
ちょっと待って、中学生の頃ってなんの話……!?
もしかして、「学校に来ていた教育実習生が優しくてかっこよくて好き」って話した後、「俺は?」って聞いてくるから、つい「かっこいいと思うよ」って答えたアレのこと!?
「背だって俺の方が高いし。魔法だって、学年で首席を取っているから、俺の方ができるはずだ。
……俺の方がずっと、男として悪くないと思うけど」
低く掠れた声が、私の耳元を優しく、けれど強烈に刺激する。ルイの綺麗な顔が、かつてないほど色気を放っていて、私の頭は一瞬ショートした。
「……ルイは今もすごくかっこいいよ。
でも、私はただの学校の事務員だから、ルイみたいな将来有望な人とは、もう住む世界が違うから」
精一杯の強がり。ルイを諦めようと紡いだ言葉は、やっぱり私の胸をチクリと刺した。
「住む世界が違う、ね」
ルイはふっと、低く可笑しそうに笑った。
その笑みが、年上の男としての圧倒的な余裕を醸し出していて、私の心臓が跳ね上がる。
ルイの手が解かれて、身体が少し離れる。
「レーナ。俺のことを舐めすぎ」
ルイは私の目から一切視線を逸らさず、静かに微笑んだ。
「レーナが事務員で、俺が四回生だから何?
歳の差なんて、たったの三年だよ。学生と社会人っていう立場の違いなんて、俺が次の春卒業したら一瞬で消えるよ」
「っ、でも……!」
「事務員だろうが何だろうが、俺はレーナの側にいたい。
レーナの隣に立つために、俺がどれだけ努力してきたと思ってるの? ……それとも何? まだ俺は男として不満?」
不満なんて、あるわけがない……
私の心を激しく揺さぶる端正な容姿も、身も心も溶かされそうなほど包容力も、その強大な魔法の能力でさえも、ルイの何もかもが完璧だから……幼馴染に過ぎない私には到底釣り合わないのに。
彼の隣にふさわしい人間にはなれないと、卑屈になっていたのは私の方だった。
それなのに、ルイは、最初から私だけを見て、私のためにその完璧な身の上を築き上げてきたというの?
ルイの言葉が、私の頑なな心を容赦なく溶かしていく。向けられた熱い眼差しから目を逸らすことさえできず、ただ速くなる鼓動を持て余すことしかできない。
意地悪く、けれど独占欲を隠そうともせずに囁くルイ。子ども扱いするどころか、私を完全に一人の女性として扱い、逃げ道をすべて塞いでくる。
「俺が今まで頑張ってきたのは、全部レーナにかっこいいって思われたいから。
……だから、勝手に俺の隣からいなくなろうとしないで」
すとん、とルイの額が、私の肩に預けられた。さっきまでの余裕が嘘のように、少しだけ切なげに響く声。
「俺じゃ……ダメ?」
う、嘘でしょ……
立場を気にして諦めようとした自分がバカらしくなるくらい、本気で口説かれてるの……!?
完全に攻め寄せる男の目をしておきながら、声だけは捨てられた子犬のように、私の拒絶を恐れている。
逃げ道を塞がれているのは、私の方なのに…!
私の理性は、ルイが放つ包容力と強引さの前に、跡形もなく崩れ去ろうとしていたーー
◇◇◇
時は遡り、魔法学校の合格発表日。
豪華絢爛な正門を潜ると、大きな掲示板が並んでいた。魔法学校なのに、なんとアナログなことか。
掲示板の前には既に人だかりができている。そこに飛び込むのは、なかなか気が進まなかった。そもそも、この場に足を踏み入れたくすらなかったのだ。受験勉強をみてくれていたルイが「一緒に行こう」と何度も誘うから、「一人で行く!」と言い張って、ここまで来たのだ。
ルイは、現役の魔法学校三回生であり、近所に住む幼馴染だ。
グダグダと考えている内に、いつの間にか掲示内容が見える位置に来ていた。
私の受験番号はーー。
やはり、ない。
うん。わかっていた。わかっていたけれど、目の当たりにすると、思っていたよりも心臓がどろりと重くなった。
周りからは、喜びの歓声や、嬉し涙のすすり泣き、胴上げされている者たちの騒ぎ声など、あらゆる音が降ってきた。
そのどれもが今の私には眩しすぎて、耳が痛い。
雑踏に紛れるようにして、私は正門へと引き返した。
まだ、ここではダメだ。
もう少し、もう少しだけ。
最寄り駅を通り過ぎ、人通りの少ない反対側の出口へと足を向ける。誰もいない路地に入り、ようやく足を止めた。張り詰めていた糸が切れたように、頬を熱いものが伝っていった。
◇
私には前世での記憶がある。
思い出したのはーーそう、あろうことか、魔法学校の入学試験の真っ最中だった。
「はじめ」
定刻の合図とともに、受験生が一斉にペンを握る。私もカリカリと音を立てて、受験番号と名前を書き込んだ。……そこまでは、よかったのだ。
『レーナ・イーリィ』って誰だ?
私は、入江玲奈なんだが……
突如として脳裏に浮かんだ奇妙な疑問。
それを引き金に、前世の記憶が怒涛のごとく押し寄せてきた。
私は日本という国の中学三年生で、念願の高校に合格し、春休みを満喫していたこと。魔法世界が好きで、特に小説『魔法少女マリリン』シリーズを愛読し、受験期に発売された新刊をボロボロになるまで読み込んでいたこと。
ーーそんな矢先、突然目の前が霞み、頭がぼんやりして、気がつけばこの椅子に座っていたこと。
ここは、あの『魔法少女マリリン』の世界に出てくる魔法学校だ。もしかして、憧れのマリリンに会えるの!?
興奮で心臓が跳ね上がった、その瞬間だった。無常にも、冷徹なベルの音が教室に響き渡る。
「止め。ペンを置いてください」
一気に血の気が引いた。目の前には、受験番号と名前だけがぽつんと書かれた、真っ白な解答用紙。それが無慈悲に回収されていくのを、私はただ呆然と見つめることしかできなかった。
その日、どうやって家に帰ったかはよく覚えていない。
両親は「今日までよく頑張ったね」と温かい言葉をかけてくれた後、ひどく落ち込む私をそっとしておいてくれた。
家庭教師として勉強を見てくれたルイは、気分転換にと何度も遊びに誘ってくれたけれど、すべて断った。
合否結果なんて、見るまでもない。直前の模試ではA判定をもらっていた。だからこそ、誰も私が不合格になるなんて一ミリも考えていない様子だった。
そんな温かい家族やルイを前に、『試験中に前世を思い出して白紙で出しました』なんて言える度胸はあるはずもない。
私はただ真実を隠し、決定的な裁きが下る合格発表日まで、息を潜めるようにして過ごしてきたのだ。
ーーあんなに、あんなに覚悟していたのになぁ。
駅から少し離れた、幼い頃によく遊んだ大きな公園。空いたベンチに力なく腰掛けると、止まることのない涙が次から次へと溢れて視界をにじませる。
近くで遊んでいた子どもたちが、私の異様な様子を察したのか、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
レーナとして、一生懸命に頑張ってきた受験勉強が報われたかった。そして玲奈として、憧れのマリリンが通った魔法学校の生徒になりたかった。
悔しさと悲しさで、もう立ち上がる気力すら残っていなかった。
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次回、明日投稿予定です。




