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第2章「蒼き騎士の咆哮」

第2章:王命の矛盾

「――総員、盾を構えなさい」

ナナが凛とした声を響かせ、漆黒の大剣を頭上で旋回させたのと、ギルバートの率いる「青い軍勢」が動いたのは完全なる同時だった。

激しい豪雨が視界を遮る中、ギルバート軍の後方に控えた大型の投石機が、重苦しい金属音を立てて作動する。引き絞られた強靭な弦が放たれれば、巨石が古城の脆弱な城壁を粉砕し、中にいる百人の民を文字通り圧殺するだろう。

「ルーク! アルト軍、散開して防御陣形を――っ」

アルトが叫ぼうとしたが、彼の率いる第一騎士団の兵たちは、あまりの状況の急変に完全に足がすくんでいた。

信じていた正義の崩壊。何より、自分たちの直属の上司であり、最も尊敬していたギルバート副長が、どす黒い霧を纏って自分たちをも殺そうとしているという絶対的な絶望。

「な、なぜですかギルバート副長! お答えください!」

「俺たちは、王国の騎士のはずだろ……!?」

悲痛な叫びを上げるアルトの兵たちは、武器を構えることすらできず、ぬかるむ泥の中で防戦一方に追い込まれていた。ただ盾を並べ、かつての同胞からの容赦ない圧迫に怯え、混乱の極みに達している。

だが、その絶望の火蓋が切られる直前、古城の尖塔から一筋の「閃光」が奔った。

――ピシィィィンッ!!

雨音を切り裂いたのは、落雷の音ではない。

ムーンライトの長弓から放たれた、目にも留らぬ一矢。それは豪雨の暴風を一切苦にすることなく直線で飛び、まさに巨石を放とうとしていた投石機の「主弦」を寸分の狂いもなく射抜いたのだ。

凄まじい張力で張られていた太い弦が、悲鳴を上げて弾け飛ぶ。

推進力を失った巨石は、射出台の上で無様に転がり、ギルバート軍の足元を直撃して泥水を派手に跳ね上げた。

「……一基、沈黙」

感情の抜け落ちた声でそう呟くと、ムーンライトは即座に長弓を背負い、腰から取り回しの良い短弓ショートボウを引き抜いた。

「見事です、ムーンライト。……第7騎士団、前へ! 各員、動揺する王都の兵をカバーしつつ、防衛ラインを維持しなさい」

ナナが漆黒の大剣を構え直し、鋭く、的確な指示を飛ばす。

「おうよ、副長!」

「任せとけ!」

戦場の真っただ中とは思えない、揺るぎない信頼で結ばれた連帯感。

混乱し、ただ怯えることしかできないアルトの軍勢を尻目に、濃い灰色の鎧を纏った第7騎士団の百名は、一糸乱れぬ動きで三百のギルバート軍を迎え撃つべく展開を始めた。

雨が降り頻る戦場の中、リチャードは愛馬の手綱を握りながら、冷徹な声で告げた。

その騎上からの視線は、先ほどまでの軽薄さを完全に消し去り、ギルバート軍の布陣を解剖している。傍らには、未だ混乱から立ち直れないアルトとルークが馬を並べていた。

「ギルバートの狙いは、この古城の完全圧殺だ。だから、あいつらは最短距離で、兵力を集中させて中央突破してくる」

「はい。副長の戦術はいつも堅実で、圧倒的な力で正面から踏み潰すスタイルです。ましてや今の副長は……」

アルトは言葉を詰まらせた。

「だからこそ、読みやすい。……ナナ、お前の部隊でギルバートの先遣隊を左右から揺さぶれ。中央が薄くなったと錯覚させて、あいつらを沼のど真ん中に誘い込むんだ」

「了解。すぐに動く」

ナナが短く頷き、馬を走らせる。

「……前進」

ギルバートの、感情の抜け落ちた声が響く。

呪われた青い軍勢が、一糸乱れぬ足取りで泥を踏みしめ、古城へと迫る。

その中央、ギルバートは身の丈ほどもある大剣を片手で引き摺りながら、一歩一歩、確実に距離を詰めていた。大剣が泥を削る不気味な音が、雨音に混じる。

「今だ、お前ら! 派手に行こうじゃねえか!」

リチャードの号令とともに、ナナ率いる第7騎士団の精鋭が泥を爆発させてギルバート軍の左右両翼へと突撃した。

ナナの振るう漆黒の大剣が激しい雨を切り裂くたび、青い鎧の兵たちが次々と弾き飛ばされる。しかし、ギルバート軍は動じない。彼らはナナの奇襲に惑わされることなく、むしろ「中央の守りが薄くなった」と判断し、一斉に古城の正面へと突撃の速度を上げた。

ズブブブ、と奇妙な音が戦場に広がった。

ギルバート軍の先頭集団が、一歩踏み込んだ瞬間、腰まで泥に沈み込んだのだ。そこは、リチャードがあらかじめ仕込んでいた底なしの泥濘地帯だった。雨水を含んだ泥が、青い重装甲の騎士たちの自由を完全に奪う。

「ちっ、足止めとしては上出来だが……やっぱりあの男は止まらないか」

リチャードが苦そうに眉をひそめた。

ギルバートは、自身の足元が泥に埋まるのを見ると、鬱陶しそうに一瞥した。そして、完全に痺れを切らしたように、その虚ろな瞳をアルトたちではなく、古城の防壁へと向けた。

「……標的、変更。……防壁の奥を、すべて排除する」

ギルバートは泥濘を強引に踏みちぎりながら、第7騎士団の最大の弱点であり、絶対に守らなければならない「古城の民」へと、大剣を向けようと進軍を開始したのだ。

「しまっ――あいつ、正気を失ってなお、一番嫌なところを突きにきやがった!」

リチャードの顔から余裕が消える。第7騎士団の百名だけでは、泥に囚われた敵兵を抑えつつ、ギルバートの本隊を止めるには距離が足りない。

(このままじゃ、城の中の人たちが殺される……!)

アルトは、恐怖に震える自分の手を見た。

自分たちは王国軍だ。王命に従うのが騎士だ。

だが、あの大剣が向けられている先には、怯える老人や、泣き叫ぶ子供たちがいる。

「本当に守るべきもの」は、一体どちらだ?

「……違う」

アルトの脳裏に、かつて夢見た「理想の騎士」の姿が蘇る。王の操り人形になるためじゃない。困っている人を、弱き人を守るために、僕は剣を取ったんだ。

アルトの中で、眠っていた騎士としての魂が、仲間を鼓舞する真の力が完全に覚醒した。

「アルト軍!立ち上がって剣を抜け!!」

アルトはぬかるむ泥を蹴り、混乱していた第一小隊の真ん中で、自身の細身の長剣を天高く掲げた。

その蒼髪が雨に濡れ、しかしその瞳には、今までにない強固な意志の光が宿っていた。

「第一騎士団の誇りある騎士たちよ! 僕たちの正義は、民の悲鳴の上に成り立つものか!? 違うはずだ! 僕たちが命を懸けて守るべきは、あの城の中にいる人たちだ!!」

「隊長……!」

ルークが目を見開く。その言葉は、絶望と混乱に支配されていたアルト軍の兵たちの胸に、確かな火を灯した。

「敵は第7騎士団にあらず!!民を守れ!!ギルバート軍に突撃ーー!!!」

「「「おおおおお大オオォォォッ!!!」」」

その叫びに応え、アルト軍が一斉に息を吹き返した。

アルトは自ら先頭に立ち、ギルバート軍の進軍ルートに対して、側面からの見事な横撃を敢行した。

「ハァァァッ!!」

アルトの細身の長剣が閃き、ギルバート軍の側面の要を正確に捉え、無力化する。予期せぬ身内からの完璧なタイミングでの横槍に、ひるんだギルバート軍の布陣が大きく歪んだ。

「――よく言った、アルト! 全員、泥の悪魔に追い打ちをかけなさい!」

ナナが凛とした声を張り上げ、第7騎士団の百名が、ひるんだ敵軍へ向けて怒濤の追撃を開始した。

第7騎士団の兵たちは、泥濘に足を取られたギルバート軍の隙を突き、容赦なく肉薄する。二人一組で連携し、一人が盾で敵の視界を遮り、もう一人が鎧の隙間へ的確に打撃を叩き込む。ナナの漆黒の大剣が豪雨を薙ぐたびに敵の戦列が消し飛んでいく。

さらに尖塔の上からは、ムーンライトが短弓による驚異的な「速射」を開始した。

バババババッ! と、雨音に混じって絶え間なく放たれる矢の雨。泥にハマって身動きの取れないギルバート軍の兵士たちの、兜の覗き穴や関節の隙間を、針の穴を通すような精度で次々と射抜いていく。一瞬で十数人の前衛が戦闘不能に陥り、敵の統制は完全に崩壊した。

アルト軍の気迫に満ちた横撃と、第7騎士団の練達の無慈悲な追撃が完璧に噛み合い、三百いたギルバート軍は瞬く間に半壊へと追い込まれていく。

「……退くぞ」

ギルバートは、大剣を構えたまま、これ以上の進軍は不可能と判断したのか、短い言葉を残して、霧の奥へと退却を始めた。呪われた兵たちも、主の命令に従い、泥から這い出て一斉に退いていく。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

剣を杖代わりにし、泥まみれになって息を荒げるアルト。

そこへ、城門の陰から戦況を見守っていたアルカードが、静かに歩み寄ってきた。その手には、聖なる祈りを捧げるための古い十字架が握られている。

「見事な戦いでした、アルト。お前が示したのは、王命ではなく天の正義……真に民を想う心です。ギルバートの身に宿る邪悪な気配も、お前たちの光に一瞬、怯んだように見えました」

「アルカード様……。僕は、自分のしたことが正しいのか、まだ分かりません。でも……」

アルトは去りゆくギルバートの背中を見つめた。

そんな彼の肩を、ポン、と軽い手つきで叩く者がいた。

「お前、案外“反逆者”の才能あるかもな(笑)」

振り返ると、そこにはいつもの軽薄な笑みを浮かべたリチャードが立っていた。

しかし、その細められた瞳の奥には、アルトの英雄性をはっきりと認めた、確かな熱が宿っていた。

(第2章 完)


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