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地底の星  作者: 広育 春美


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3/5

現実の外側

 颯がしゃがみ込んだ、その瞬間だった。視界が、閃光のような黄色に塗り潰される。一瞬――いや、瞬きほどの時間。だが次の瞬間には、何事もなかったかのように元へ戻っていた。

 「……今の、なんだ?」

 訝しみながら、颯は手を伸ばす。触れようとしていたはずのサークル。

 ――だが、そこには何もなかった。あるのは、ただの白い床。

 「は?……おい、待てよ」

 思わず声が漏れる。その違和感に気づいたとき、さらに異変が重なった。周囲が、やけに明るい。颯はゆっくりと立ち上がり、振り返る。二人に状況を確認しようとして言葉を失った。

 「……え?」

 視界に広がっていたのは、どこまでも続く純白の空間。壁も、天井も、境界すら存在しない。

 「え……ぇ……」

 喉が乾く。声にならない。

 「……どこだよ、ここ……」

 理解が追いつかない。現実感が、指の間からこぼれ落ちていく。

 「久保田!鍋島!……おーい、富貴!澪!」

 呼びかける。だが、返事はない。

 白。ただ、それだけの世界。上も下も分からない空間が、じわじわと恐怖を膨らませていく。颯はその場に座り込み、膝を抱えた。さっきまでの出来事を、必死に思い出そうとする。

 ――そのとき。

 「……えっ、この黄色の光……」

 声。確かに、聞こえた。

 「……富貴?」

 弾かれるように顔を上げる。振り返ると――そこに、二人の姿があった。

 「富貴!澪!」

 二人も気づき、振り返る。

 「あ、颯……って、ここどこ?」

 澪が眉をひそめ、周囲を見渡す。

 「真っ白やん……何これ。どういう状況?」

 三人は、互いの存在を確かめるように立ち尽くした。

 ――そのときだった。

 二人の背後から、音が響く。

 『◎◆△○◇★→□◎◇☆▼※●◇■◆◎★』

 言葉ではない。意味も、構造も理解できない音。

 三人は同時に音の方を振り向き――息を呑んだ。

 「……っ!!」

 そこに立っていたのは、“人の形をした何か”。身長は二メートルほど。目も、鼻も、口もない。ただ、滑らかな白で構成された存在。それが、すぐ近くに立っていた。

 「うぁああッ!」

 反射的に後ずさる。白い存在が、腕を持ち上げた。掌すら存在しないその先端から――泡が溢れ出す。無数の泡。それは空中で弾け、崩れ、やがて形を変えていく。

 そして――一人の老婆が、そこに立っていた。

 「……っ、うあぁあ!?」

 三人の悲鳴が重なる。老婆は、しばし無言で彼らを見つめたあと、口を開いた。

 「あんたら……こんな所で何しとんのや」

 しかし、その言葉は届かない。三人はただ、硬直したまま見つめるだけだった。

 「ワシの部屋に客が来た言うから戻ってみりゃ……お前らかいな」

 反応はない。

 「……どうやって入ってきたんや。ここには来れんはずやがのぅ」

 老婆が一歩近づく。その分、三人は後退る。

 「……まあ、無理もないかのぅ」

 小さくため息をついた。

 「頭が追いつかんかのぅ」

 三人は、ようやく小さく頷いた。

 「しゃあないの。ほな――」

 老婆は両手を胸の前に掲げる。再び、泡が湧き上がる。その輪郭が崩れ、再構成され――次の瞬間、そこに立っていたのは。若い美しい女性だった。

 「どう?この姿の方が話しやすいでしょ?」

 柔らかな笑み。整った顔立ち。現実離れした“美しさ”があった。三人は顔を見合わせる。やがて、富貴が口を開いた。

 「あの……今日はずっと変なことばっかり起きてて……」

 言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。

 「……もう、何が現実なのかも分からなくて……その……私たち……ここで、殺されたり……しませんよね?」

 女性は、ふっと笑った。

 「何言ってるのよ」

 軽く肩をすくめる。

 「そんなこと、するわけないでしょ」

 少し考えるように視線を上げる。

 「そうね……まずは、落ち着きましょ」

 そう言って、右腕を大きく振った。その瞬間、白一色だった世界が――書き換わる。

 重厚なリビング。洗練された家具。大きな窓の向こうには、雪化粧を纏った山々。空間そのものが、別の現実へと変貌していた。

 さらに、左手を軽く持ち上げる。すると、テーブルの上に四つのカップが現れる。湯気が立ち上り、コーヒーの香りが静かに広がった。

 「どうぞ」

 女性はソファに腰掛け、優雅に足を組む。

 「座って」

 その一言に、三人は顔を見合わせる。恐る恐る、肩を寄せ合いながら腰を下ろした。その様子を見て、女性は呆れたように笑う。

 「なにそれ。普段からそんな詰めて座ってんの?」

 軽く息をつく。

 「安心して。何かするつもりなら、とっくにやってるって」

 コーヒーに手を伸ばしながら、さらりと言った。

 「食ったりもしないから。……ほら、力抜きなさい」

 その声だけが、この異質な空間の中で、妙に現実的に響いていた。

 澪が、ふっと肩の力を抜いた。

 「……せや」

 半ば投げやりに、しかしどこか吹っ切れたように口を開く。

 「もうえぇ。何とでもなれって感じ」

 二人が視線を向ける。

 「これは夢や。こんなん夢やないと起こるわけない」

 鼻で笑うように言い切った。

 「怖がるだけ損。何しても問題なし。誰の夢かは知らんけど――」

 ぐっと前に身を乗り出す。

 「逆に調べてみよ。どこまで続く夢なんか、誰の夢なんか」

 その言葉に、颯と富貴は一瞬だけ顔を見合わせ――小さく頷いた。三人は、ゆっくりと間隔を空けて座り直す。さっきまでの密着が、ほんの少しだけ解けていた。

 「……じゃ、まず」

 澪が改めて女性を見る。

 「お姉さんの名前を教えてください」

 女性は一瞬だけ目を細め、考える素振りを見せた。

 「名前ねぇ……」

 くすっと笑う。

 「この姿のときは――水芭蕉みずば・しょう

 軽く首を傾げる。

 「“蕉”って呼んでくれる?」

 「OK」

 澪は頷き、テーブルのカップへ視線を落とす。

 「蕉さん。このコーヒーは飲めるんですか?」

 「もちろん。飲むために出したんだから」

 澪はカップを持ち上げ、慎重に口をつけた。

 ――一口。

 その瞬間、わずかに眉が動く。

 「……キリマンジャロやな」

 蕉の口元が、にやりと歪んだ。

 「へぇ。澪ちゃん、コーヒー通なのね」

 「いや、まあ通ってほどでも……」

 間を置かず、蕉が言う。

 「エチオピアよ」

 「……えっ」

 一瞬、固まる。

 「……あー、なるほどな。エチオピアか。初めて飲んだけど」

 誤魔化すように笑う澪。そのやり取りに、わずかに空気が緩む。雰囲気を変えようとコーヒーの話を続けて、張り詰めていた緊張が、少しずつほどけていった。

 ――そのタイミングを見計らったように。

 蕉が、静かに本題へ入る。

 「じゃあ、説明するわ」

 声のトーンが変わる。軽さが消え、芯が通る。

 「話の途中でも聞きたい事があれば、いつでも言って、答えるから」

 澪が肩をすくめる。

 「夢やし。何でも聞く聞く」

 「……夢じゃないけどね」

 さらりと言い捨てる。そして、姿勢を正した。

 「まず――私は、人間じゃない」

 「知ってるって」

 即答。

 「……もう少しだけ、話を聞いてくれる」

 蕉の目が鋭く細まる。空気が一瞬だけ張り詰めた。澪は口にチャックをする仕草をした。

 「私は、クラシク星から来た“シンフォ種族”が作った存在」

 淡々と続ける。

 「セルヴァント。分かりやすく地球風に言えば、アンドロイドとかロボットね」

 その言葉に、三人の表情がわずかに変わる。

 「もともとは、こんな感じじゃなかった。でも――」

 蕉がゆっくりと手を差し出す。

 「人間が増えすぎた」

 掌の上に、光が集まる。

 次の瞬間――

 超精密な地球の立体映像が浮かび上がった。息を呑むほどのリアリティ。雲の流れすら再現されている。

 「だから、監視用に改良された」

 その地球の各地に、光点が次々と灯る。

 「セルヴァントは私だけじゃない」

 無数の光。都市の夜景のように、地球全体が輝く。

 「これ全部――セルヴァントの位置」

 「……多すぎやろ」

 颯が思わず漏らす。蕉は指を広げる。映像が一気に拡大される。日本、四国、さらに徳島。そして、市街地。

 「徳島市内だけで、三百三体」

 静かに言い切る。数字の重みが、じわりと現実味を帯びる。

 「……」

 誰も、軽口を叩けなかった。やがて映像は消える。

 「本来の姿は、さっき見た通り」

 そして、続ける。

 「監視してるのは――人間が地球の“内部”に潜るかどうか」

 三人の視線が集まる。

 「地殻の下には、“シンフォ”と“オケスト”っていう二つの種族が住んでる」

 「……地下に?」

 富貴が小さく呟く。

 「そう」

 蕉は頷いた。

 「人間がそこまで辿り着かないか――それを監視してる。まずはそれが第一の理由」

 「なんで?」

 颯の問い。蕉は、わずかに目を細めた。

 「人間ってさ」

 少しだけ、声音に冷たさが混じる。

 「同族でも平気で殺し合うでしょ。他の種族なんて、なおさら」

 沈黙。

 「もしも争う事になっても、蟻が人間に勝てないのと一緒。人間は勝てない。でも――」

 指先で、テーブルを軽く叩く。

 「人間は環境を壊す力だけは、異常に高い」

 その言葉に、誰も反論できない。

 「だから、地下の環境も汚される可能性もあるから、会わない方がいいという判断から、監視してる」

 簡潔な結論だった。そのとき、富貴がそっと手を上げる。

 「……質問、いいですか?」

 「どうぞ」

 「いつから……地球に住んで居るんですか?」

 蕉は少しだけ考え――あっさりと言った。

 「地球時間で言えば、四十億年前くらい」

 空気が止まる。

 「……は?」

 「四十……億……?」

 富貴の声が震える。

 「地球ができた頃やん……」

 澪が乾いた笑いを漏らす。

 「……やっぱ夢や。設定盛りすぎや」

 だが、蕉は表情一つ変えない。

 「当時は二つの種族も地表にいた。でも、冷えてきたから地下へ移動した。それだけ」

 淡々とした説明。余計に現実味が増す。

 「他に質問は?」

 澪が手を上げる。

 「じゃ、一つ。その話からすると、ここって地下ですか?」

 「違うわ」

 即答。

 「地上でもない」

 そして――わずかに口角を上げた。

 「あなた達がよく知ってる場所よ」

 一拍。

 「――月」

 沈黙。澪は一瞬だけ固まり――

 「はいはい」

 と、軽く流した。だがその目の奥に、微かな揺らぎがあった。

 「……証明、できますか?」

 挑発するように言う。蕉は、笑った。指を鳴らす。

 ――次の瞬間。

 天井が消えた。広がる、宇宙。無数の星。そして、その中心に――青く輝く地球。息を呑む三人。蕉は、その地球へ指を向けながら、澪の実家の住所を聞いた。

 ズーム。日本。大阪。街。――澪の実家。完全な“現在”の映像。人が歩き、車が通る。時間が、動いている。

 「……嘘やろ」

 「澪ちゃん、お母さんでもお父さんでもいい、今、実家に居る人に連絡して」

 澪はスマホを取り出し、電波がある事を確認する。

 「月やのに電波があるっておかしい話や」

 蕉がすぐさま補足する。

 「ここは世界中と繫がるようになっているわ」

 澪はスマホで母親に電話をかけ、外に出て欲しいと伝える。一致する音声と映像。疑いようのない現実。一方的に電話を切ると、母親がスマホの画面を確認して、家に戻る様が見えた。

 「……まじで」

 その言葉は、もう軽くなかった。蕉が微笑む。

 「月から通話した最初の人間ね」

 その一言が、静かに突き刺さる。澪は力なく笑った。

 「……ほっぺ叩いてくれへん?」

 富貴に顔を向ける。

 「夢から覚めたいわ」

 「まだ疑うのね」

 蕉が立ち上がる。

 「なら――外、見せてあげる」

 三人の視線が上がる。

 「宇宙服は?」

 「いらない」

 背を向ける。

 「もっと便利な私達のものを使うから」

 扉へと歩き出す。三人は、その背中を追う。

 「……やっぱ夢やって」

 澪の呟きが、かすかに響く。扉の前で、蕉が振り返った。手の中に、二つの指輪。白いリングに、緑と黄色のライン。

 「これを両方ともつけて」

 順に手渡す。

 「緑は防御。“ヴォイド・スキン”――身体を包むバリアね」

 「黄色は呼吸。“ブレス・スフィア”――どこでも息ができるわ」

 颯が指輪を見つめる。

 「……小さすぎない?」

 指に当てた、その瞬間。絡みつく。まるで、生き物のように。

 「うわっ!?」

 指にぴたりと収まり、固定される。同時に、視界の端で七色の光が弾けた。だが、それもすぐに消える。三人は自分の身体を確かめる。違和感は、ない。何も変わっていない。

 「行くわよ」

 蕉が扉に手をかける。ゆっくりと、開く。その向こうに広がっていたのは――

 “灰色の砂と岩の世界”だった。


 三人は、言葉を失ったまま――ゆっくりと扉の外へ踏み出した。その瞬間。内臓がふわりと浮き上がるような、奇妙な感覚が身体を駆け抜ける。

 「……軽い」

 颯が呟く。足に力を込めると、身体が――跳ねた。まるで、重力から解き放たれたかのように。映画で見た月面の動き。それが今、自分の身体で再現されている。

 「うわっ……!」

 澪が小さく跳ねる。そのまま、ゆっくりと空中に浮き、ふわりと着地した。

 「やば……これ、めっちゃ楽しいやん」

 恐怖は、いつの間にか消えていた。三人は、子供のように跳ね回る。宇宙服もない。酸素ボンベもない。それなのに、呼吸はできている。その“異常”すら、今はもう現実として受け入れていた。

 颯が、深く膝を曲げる。

 「いくで」

 思い切り、跳ぶ。身体は一気に宙へ放り出され――三メートルほど上空へ。そして、ゆっくりと。本当にゆっくりと、地面へと降りていく。

 「……すげぇ」

 その一言に、すべてが詰まっていた。

 ――その時だった。

 砂を踏む音もなく、すっと蕉が近づいて来た。まるで重力の影響など存在しないかのように、静かに歩いてくる。異質さが、際立つ。

 「……満足した?」

 穏やかな声。

 「月にいることは、もう分かったでしょ」

 一拍。

 「そろそろ、戻りましょうか」

 その一言で、現実が引き戻される。三人は名残惜しそうに、最後の一歩を踏み――室内へと戻った。ドアをくぐると同時に重力が、元に戻る。

 沈黙。

 そして、真っ先に口を開いたのは澪だった。

 「……蕉さん」

 深く頭を下げる。

 「さっきは、すいませんでした」

 顔を上げる。その表情は、もう疑いではなかった。

 「……信じます。ここ、月です」

 言葉に、迷いはない。

 「私ら……あの黄色い光を受けて、一瞬でここに来たんですよね?」

 蕉は小さく頷いた。

 「そうよ」

 軽く肩をすくめる。

 「本当は、どうやって転送装置を見つけたのか聞くつもりだったんだけどね」

 くすっと笑う。

 「話がそれて、この通り」

 ソファへと歩きながら続ける。

 「普段は使わないの。満月のときだけ、ここに戻る」

 振り返る。

 「だから――あなた達は、かなり運がいい」

 その言葉の重みを、三人は理解し始めていた。

 「人間で“初めて”をいくつ重ねてるか……分かってる?」

 誰も答えられない。そのとき、富貴がふと顔を上げた。

 「あれ……?」

 「ん?」

 「私達……さっき、外で普通に話してたよね」

 「……ほんまや」

 澪が目を見開く。

 「確かに……普通に会話してた」

 蕉はあっさりと答えた。

 「ブレス・スフィアが通信してるのよ」

 その一言で片付けられる。

 だが――

 「……やば」

 澪がぽつりと呟く。

 「私ら、めっちゃとんでもないことしてるやん」

 颯が苦笑する。

 「今さらやけどな」

 富貴が、小さく息を吐く。

 「こんな体験……普通は絶対できないよね」

 その言葉に、誰も否定しなかった。やがて、富貴が改めて蕉を見る。

 「さっき、蕉さんは普通に歩いてましたけど……あれも何か仕組みが?」

 蕉はソファに腰を下ろし、足を組む。

 「私はね」

 少しだけ視線を落とす。

 「外部環境の影響を受けないように設計されてるの」

 さらりと言う。

 「重力も、浮力も、関係ない」

 「……」

 三人は言葉を失う。

 「便利なのかどうかは、まあ……考え方次第ね」

 その軽さが、逆に異常だった。しばしの沈黙。やがて、澪が口を開く。

 「ねぇ、蕉さん」

 真剣な眼差し。

 「それだけの高度な技術があるのに……なんで地下に潜ったんですか?」

 問いの核心。空気が、わずかに変わる。蕉は背もたれに身を預けながら話す。

 「……本能でしょうね」

 静かな声。

 「人間にもあるでしょ。“そうせずにはいられない”ってやつ」

 三人は、黙って聞く。

 「最初から地下にいたわけじゃない」

 ゆっくりと視線を戻す。

 「でも、選んだのよ。地上ではなく、下を。寒くなったって理由もあるでしょうけど」

 その言葉には、どこか重みがあった。

 「……まあ」

 ふっと微笑む。

 「二つの種族のことを話してあげるわ」

 空気が、再び張り詰める。この先にある“真実”を予感させるように。蕉は姿勢を正し、三人を見渡した。静かに、物語の扉が開く。


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