サークルイベント
久保田富貴の足取りは軽かった。
今日から始まる五日間――サークル創設以来、初めての合宿調査。昨夜は興奮で、ほとんど眠れていない。それでも不思議と疲れは感じなかった。
幼い頃から考古学と歴史に魅せられてきた富貴は、岡山大学文学部へ進学し、考古学研究会サークルに入った。だが、そこで行われていたのは博物館巡りや遺跡見学、石器や土器づくりといった実習、そして学生らしいイベントごと――。
悪くはない。けれど、違った。
それは“楽しむための考古学”であって、富貴が求めていたものではなかった。
だから彼女は、そのサークルを辞め、自分で立ち上げた。
――本気で考古学をやるためのサークルを。
研究も、本気。探検も、本物志向。ホテルに泊まり、夜な夜な騒ぐようなサークルとは、一線を引くサークルだった。
その最初の探検のきっかけは、三人の中で最も気楽で陽気な大阪人――鍋島澪の、何気ない一言だった。
「友達から聞いたんやけどな、徳島県に、あれあるらしいで。ほら……伝説の箱みたいなやつ。インディージョーンズで出てきた……開けたらあかんやつ」
富貴が即座に答える。
「アークのこと?」
澪の目がぱっと見開かれた。
「それそれ!それや!徳島に埋まっとるって言うてた」
富貴ともう一人のメンバーが、無言で澪を見つめる。
「……ほんまかどうか、知らんけど」
小さく付け足す澪に、富貴は肩をすくめた。
「そうね。そういう話自体は、確かにあるわ」
そして続ける。
「徳島には、その手の伝承が二つある。剣山と祖谷。どちらも、場所はそれほど離れていない」
その説明に頷きながら、サークル随一の知識量を誇る神戸出身の新政颯が口を開いた。
「俺もちょっと気になっとることがあるわ。『かごめかごめ』……あれ、アークを指しとるかもよ」
二人の表情が、一瞬で“普通の女子大生”に戻る。
「え、何それ。どういうことなん?」
「『かーごめ、かーごめ――』って童謡、知っとるやろ」
二人が頷くと、颯は鞄から小さなノートを取り出した。
「これな、ヘブライ語として解釈した説があるんや。説明するより見た方が早い」
ページを開き、差し出す。
『囲め、囲め(カゴ メー カゴ メー)
籠の中の秘宝(カグ ノェ ナカナ トリー)
いつ解放されるのか(イツィ イツィ ディユゥー)
夜明けの前夜に(ヤー アカ バニティ)
聖なる蓋が滑る(ツル カメ スーヴェシタ)
蓋の裏を証明するのは誰(ウーシラッ ショーメン ダラ)』
二人は顔を見合わせる。
「……これ、ほんまなん?」
「嘘をわざわざメモるか?」
「まぁ……せやな」
富貴が静かに言う。
「つまり、ヘブライ語の歌を聞いた日本人が、それを日本の歌にした可能性があるってことね」
「ほんまの事は分からんけどな」
颯は別のページをめくる。
「これも、みんな知っとる有名なやつや」
『立ち上がり、神を讃えよ(クム ガ ヨワ)
シオンの民 神の民(チヨニ ヤ チヨニ)
選民として喜べ 救いが訪れる(ササレー イシィノ)
神の意思は成就した(イワオト ナリタ)
全ての地に伝えろ(コカノ ムーシュマッテ)』
それを一目見て、富貴が呟く。
「……マジで」
「え、もう分かったん?」
颯が笑いながら言う。
「澪はお前ほんまに日本人か?」
「いや、そんなこと言われてもわからんもんは……えっ」
澪の顔に、遅れて理解が浮かぶ。颯がにやりと笑った。
「気づいたか」
「嘘やろ……」
「解釈はいろいろあるけどな。聖書の場面を歌っとるって説もある。けど――」
颯は少しだけ声を落とす。
「これ見たら、“ヘブライ語と日本語に関係があるかもしれん”って、誰でも思うやろ」
静かな間が流れる。
「もし、やで。アークが剣山に埋められとるって話と、ヘブライ人が日本に来た理由が“それ”やったとしたら――」
その言葉に、空気が少しだけ変わった。
富貴が、わずかに口元を上げる。
「……面白いじゃない」
「やろ?」
「ヘブライ人が徳島に来て、宝を埋める。そのときの歌が、日本に残った――って考え方も、悪くないわね」
澪が勢いよく言った。
「それ、めっちゃロマンあるやん!夏休み、四国行こや!」
富貴は少し考え、すぐに答えを出した。
「祖谷から入って、東へ。四国山脈を縦断しながら徳島市へ抜ける。キャンプしながらの探索――」
そして、二人を見た。
「このサークル、最初の“本物の探検”としてね」
二人は即座に頷いた。
こうして――四泊五日の初探検が、決まった。
装備を揃えて、ついに出発の当日。
サークルに与えられた部屋は、四畳ほど。――いや、正確には物置を片付けて、ようやく確保したスペースだ。
予定より一時間早く到着した富貴だったが、すでに二人は来ていた。床に四国の地図を広げ、顔を寄せ合って何やら議論している。その光景を見て、少しだけ嬉しくなる。スマホじゃない。紙の地図だ。棚に全国の地図を揃えておいた甲斐があった、と思った。
「おはよう。二人とも、ずいぶん早いわね」
澪が振り返る。
「おはよう、富貴。昨日、興奮して寝れへんくてな。早めに来たんよ。――けど、こいつの方が上やわ」
にやけながら、颯を指さす。
「なあ、は・や・て」
颯は頭をかきながら、気まずそうに口を開く。
「……その、遠足の前の日とか、寝らへれんタイプな」
「いや、それちゃうやろ」
澪がすぐに遮る。
「富貴、聞いて。こいつ、ここで泊まり込みやったんよ。私が朝イチで来て、誰もおらんと思ってドア開けたら、人が倒れとって、ほんま声出たわ」
颯は一瞬だけ澪を睨み、すぐに視線を逸らした。
「……女の子二人と旅行なんて初めてやし、……緊張するやろ」
「なんや、そんなことか。安心し、誰も颯をそういう目で見てへんから」
間髪入れずに澪が返す。
「……いや、俺だけ遅れてもいややし」
富貴は思わず笑みを浮かべた。
「颯って、中学とか高校のときも、あまり女子と話さなかったタイプ?」
「……男しかおらん学校やったからな。それに――」
「それに?」
二人の声が揃う。颯は視線を落としたまま、小さく言った。
「……あんまり、人と喋らんかった、そういうのもちょっと苦手なんよ」
富貴と澪は、軽く頷いた。
「なるほどね。それで人数の多い考古学研究会サークルじゃなくて、こっちを選んだ理由も分かるわ」
「まぁ……そんなとこやな」
「なんや、人間恐怖症やったんか」
「澪、その言い方」
そう言いながらも、澪は颯の肩を軽く叩く。
「大丈夫やって。気楽にいこうや。こんな山の中歩く旅、初めてやし――めっちゃ楽しみなんや、三人やから仲間意識の方がつようなるって」
少しだけ真面目な声になる。
「この探検が終わったら、颯も私らの見方も変わっとると思うで」
颯は小さく頷いた。
「……そうやな」
富貴が言う。
「とりあえず、楽しみましょう」
その空気を切り替えるように、澪が地図を指した。
「それでな、颯とルート見てたんやけど。JR祖谷口駅から南東に入って、山の中を抜けるルート――五日で徳島市まで行くのは厳しい」
富貴も地図を覗き込み、頷く。
「ハイキングじゃないものね。道も整備されてないし、時間はかかるでしょうね」
「せやろ。だからな、ゴールを剣山にしようって話をしてたんや」
澪が続ける。
「どう?富貴もちゃんとルート見てみ」
地図だけでは分かりづらいが、確かに勾配はきつそうだった。
「……うーん、そうね」
富貴は短く答えた。
「剣山を目標にしましょう。あとは現地で判断する」
二人は即座に頷いた。
岡山から電車を乗り継ぎ、マリンライナーで瀬戸大橋を渡る。坂出で一度改札を出て、朝うどんで腹を満たし、さらに乗り継いで南へ。
祖谷口に着いたのは、出発から約四時間後だった。
川沿いを南へ歩き、祖谷橋の手前にある食事処で最後の腹ごしらえを済ませる。そこから先は、もう“街”ではなかった。舗装路は徐々に細くなり、やがて土の道へと変わる。三人は立ち止まり、帽子や手袋を身に着け、お互いの装備を確認した。
メリノウールのインナーに、軽量の化繊ジャケット。その上にゴアテックス。トレッキングパンツに登山靴。靴下もメリノウール。つばの広い帽子にはヘッドネット。虫と日差し、そして見えないクモの巣を防ぐため。
――完璧な装備だった。
山に一歩足を踏み入れた瞬間、世界が変わる。光は遮られ、空気は湿り、音が濃くなる。そして――虫。想像以上だった。
「……やばいな、これ」
澪が思わず顔をしかめる。
「服、ほんま助かったわ……」
出発前、“やりすぎ”だと笑っていた二人は、今や完全に考えを改めていた。
蝉の声が、絶え間なく続く。まるで、この山そのものが鳴いているかのようだった。草木をかき分け、三人は進む。汗は流れるが、体温は奪われない。だが――重い。
装備と食料の重みが、じわじわと体力を削っていく。整備されていない道を進むということが、これほど過酷だとは思っていなかった。
やがて、小さな沢のほとりに、わずかに開けた場所を見つけた。
「ここにしましょう」
まだ日没まで三時間あったが、富貴は迷わなかった。
「設営と食事、慣れてないでしょ。早めに動くわ」
二人は素直に従う。
富貴は慣れた手つきでテントを設営し、焚き火の準備を進めていく。幼い頃から父親にアウトドアに連れられてきた経験が、そのまま動きに出ていた。動きに迷いがなかった。夜は、思っていたよりも早く降りてきた。
焚き火を囲むように並んだ三つのテント。その中心に掘られた浅い穴の中で、火が静かに育っていく。ぱち、と乾いた音。橙の光が、三人の顔を照らした。飯盒の湯気が立ち上る。
「なあ富貴、なんで水筒の水使わへんの?」
枝で火をいじりながら、澪が聞く。
「水筒の飲料用は温存。ペットボトルは予備」
富貴は簡潔に答えた。
「この山、人里はあるけどね。――でも、せっかくなら“それっぽく”やりたいでしょ」
颯が頷く。
「湧き水をろ過して、沸騰させて、それで炊く……ええな。アウトドアって感じや」
「余ったら、私の水筒の水になるわ」
澪が富貴の顔を覗いて言う。
「富貴のこと……ちょっと好きになりそうやわ」
「え、今まで好きじゃなかったの?」
「いえ、大好きっす、先輩」
「うむ、よろしい」
その時、鍋の中身がぐつぐつと溢れかけた。
「……食べ頃ね」
「いただきますや!」
初めての山での食事は、驚くほど美味かった。素朴で、単純で、けれど――忘れられない味だった。三人は笑いながら、互いの話を茶化し合い、火を囲む。
時間は静かに流れていった。
やがて、火を埋め、水をかけ、完全に消す。
見上げると――
星が、落ちてきそうなほど広がっていた。スーパームーンの二日前。月明かりは強く、夜であることを忘れさせるほどだった。
その光の中で。
――三人は、気づかなかった。
少し離れた闇の奥。木々の隙間から、何者かが、じっとこちらを見ていたことに。
大きな構成だけ考えて書いていきます。
エピソードはその時の思いつきで書いていくので、矛盾的なことが出てきたら教えてください。




