◆ウェズリーside②
◇
兄が亡くなり、葬儀も済んだ頃。ウェズリーは父の執務室へと呼び出された。
「アーノルドが亡くなった」
「……はい」
分かりきったことを言ってきたので、ウェズリーは怪訝に思いながらも返事をした。
「これがどう言う事かわかっているか?」
「は、はい」
兄がいなくなったのだから、弟の自分が跡を継ぐことになる。
それくらいはいくらなんでも、ウェズリーだってわかる。だってそうなるようにしたのだから。
尤も、本当に上手くいくとは思わなかったのだが。
「この家に子供は、アーノルドとウェズリーお前だけだ。つまりはお前がこの家の跡取りとなる」
「はいっ」
「わかっているか? お前はこれからスノードロップ侯爵家の跡取りとして、領地運営をすることになる。
西の辺境伯からの支援があるとはいえ、いまだに安定していない魔の森を管理する。
それだけではない。魔の森発生に伴い農耕主体の生活から魔の森に関する仕事に急速に移行し、戸惑っている領民の支援も当分は必要だ。彼らの不満を受け止める必要もある。
更にこれから我が領地には冒険者も増える。おそらくならず者も増え、それに伴い領地内の治安も悪くなる。そのために王都で衛兵の増強を頼まねばならん。そのやり取りも必要だ。
ゆくゆくは獣人国とのやり取りも強固にしたい。 つまりはまだまだ、我が領地には問題が山積している。
それらをお前は捌き切り、平定させることができるのか?」
「あ、あの……」
ウェズリーはここにきてようやく、兄が背負っていたものの重さを理解する。
「それにお前には付き合っている女がいたな? その女とは別れてもらう。そしてお前は、ホリー様と結婚してもらう」
「は、はあ!? なぜですか!?」
確かに自分には愛する女がすでにいる。それなのに何故、父は別れさせ兄のお古の女と結婚しなければならないのか?
他のことはまだしも、それだけは納得できなかった。
しかもホリーとかいう女は、暗い青色の髪に、これまた暗い紫の瞳を持つ、暗くて地味な女だ。顔は整っているが、ウェズリーの好みではない。ウェズリーはもっと華やかで肉付きの良い女性が好みなのだ。
そもそも、彼女と一緒になる為にこうなる様に仕向けたのに。
「お前は阿呆なのか?」
「は──!?」
「我が家は、西の辺境伯リューココリネ家によって、ここまでやってこれた。アーノルドとホリー様の婚約はリューココリネ家からの援助を得るために必要なものなのだ。ホリー様のご好意にも報うためにもな」
「それは、政略結婚をするということではないですか!」
「貴族であれば、当たり前だろう? その上で、お互い良い関係を築くのが普通だ。他の家がどうかは知らないが、私達は愛人を囲う、浮気をするなどという愚行は認めないからな?」
冷たい目がウェズリーを射抜く。
そういえば、両親や兄は祖父のばら撒いた種の後始末に、かなり苦労させられた事を思い出した。
特に父は、子供の頃から父の浮気に嘆く母親を見ていたので、不貞にかなり否定的だ。
「──っ」
「もちろん、お前にも選ぶ権利位はある。スノードロップ侯爵家を継ぐのが嫌なら、親戚から優秀な者を養子に迎えることも考えている。前当主がアチコチで子供を作ったおかげで、その辺りは困らないからな」
「い、いえ! 精一杯努めさせていただきます!!」
スノードロップ侯爵家に生まれたということ以外に、自分には何もないことをウェズリーは理解していた。
「学園の勉強を疎かにし、簡単な書類整理すらできないお前がか?」
「努力させていただきます!」
「そうか……。それなら、ホリー様との再婚約を進めておく。お前も結婚までにできることをしておけ」
「はい!」
なんとか乗り切ったという安堵感が、ウェズリーを包む。
しかし、彼は結局、責任の重圧に耐えきれず、やはり愛人に逃げた。
アリスンだけでは不安を拭えず、多い時で五人の愛人を作っていた。
そして、ある考えに思い至る。
望まぬ妻などお飾りにしてしまえばいい。
そして、真に愛する人と愛し合えばいい。
両親はいずれ死ぬ。
それまで、愛人になってしまう彼女の事は、別れたと言って隠せばいい。
領地の事も、魔の森の事も、できる奴に押し付けておけば良い。
妻になる女はそのできる奴なのだろうから、お飾りになる彼女も退屈はしないだろう。
最近結婚した伯爵令息の友人も、結婚をしても愛人を囲っているが、上手くいっていると話を聞いた。
だから、なんの根拠も無くうまくいくと、そう思う事にした。
しかし、アドバイスをくれた伯爵令息は、その後愛人と再婚する為に妻と子供達を追い出したが、結局は自滅してその後行方知れずとなった事を、その後の人生でウェズリーが知る事は無かった。
そして、アーノルドの死から約一年後、ウェズリーとホリーは結婚。
ウェズリーはようやく焦り始めるがどうすることもできず、その苛立ちを初夜の晩にホリーにぶつけ、またもや愛人の元に逃げてしまった。
そして、兄を亡き者にしたことを激しく後悔した。
だから、自分が引き継いだ全ての責任から目を逸らし、現実から逃避するように愛人の元に通い続けた。
◆
「ちょっと、いつになったら私と結婚してくれるのよ!?」
ある時、本命の愛人であるアリスンがキレた。
ウェズリーがホリーと結婚して一年が経とうとしていた。ウェズリーは相変わらずホリーにも現実にも向き合うことはせず、今日も愛人の所へ逃げてきていた。
「アリスン? 落ち着いてくれ……」
ウェズリーはアリスンと別れたくなくて、彼女をいつか妻にすると口約束をしていた。
しかし事態が変わり、妻にするどころか愛人として関係を持ち続けることすら難しくなってきたのだ。
元貴族令嬢のアリスンは美しい見た目も相まって、平民男性にも人気がある。
そばに置くだけでも価値があり、中には裕福な商家の男性から結婚の打診を受けたこともあった。それを断ってまで、ウェズリーを選んだのだ。いつか貴族に戻れることを信じて若い時間をウェズリーに捧げてきたのだ。
平民女性の結婚適齢期は貴族令嬢よりは期限が長いとはいえ、そろそろ不味い年齢だ。
夜の酒場の仕事でも、最近若くて可愛らしい娘が入店してきて、アリスンの地位が揺らぎ始めている。
アリスンには後がないのだ。
「あなた、私に嘘をついていたの!? 騙していたのね!?」
「ち、違う! 兄が死んで、色々と予定が狂ってしまったんだ!! 俺だってアリスンと結婚したいんだ!!」
アリスンは兄の死には関わっていない。あれはウェズリーの独断だった。
アリスンに相談していたら、何か変わっただろうか?
ぼんやりとそんな事を思う。
「それは、残念だと思うけど…私、ずっと愛人でいる気はないから!!」
「だが、領地の為には仕方がなかったんだ!」
ウェズリーがアリスンを選び、跡を継がないという選択肢を蹴ったことを、彼は言わない。
「それに、両親もあの女も、離縁は許してはくれないと思う。俺はアリスンと一緒になりたいけど、皆が反対していて……」
とりあえず、自分以外の責任にしておく。アリスンのことは好きだが、その怒りや負の感情を向けられるのは好きではないから。
「……そう、その三人のせいで、私とあなたは結婚できないのね?」
「え? う、うん。そうなるかな?」
「そう」
アリスンはそのまま、ウェズリーの与えた家から出て行った。
懐には、以前にウェズリーが護身用にと贈った、炎を発するナイフを携行している事を、ウェズリーは知らない。
その後、アリスンはスノードロップ侯爵夫妻と妻のホリーを襲うという、凶行に及んだ。