表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自殺屋  作者:
喜怒哀楽
17/17

怒声の真意

鳴海は、なんだかんだ言ってとても強い人間だった。


普段は頼りがいがないただのヘタレだけれど、本当はあたしよりずっと大人。

エハラアズマの一件から、さらに強くなった気がする。


自殺屋、と言うだけあって、たくさんの自殺志願者を見てきた。

実際に、自殺を手伝った例も数知れず。泣きながら死んでいく者、謝りながら死んでいく者、喜びながら死んでいく者、たくさんたくさん見てきた。

けれど鳴海は、あたしたちには直接手を下させない。

なんだかんだ、一人で全て遂行してしまう。

あたしたちは鳴海の後ろから、鳴海に護られていた。


甘い人間。

言ってしまえば、本当に甘っちょろい人間だった。


普段へらへら笑っているだけに、あたしたちも深くは入り込めない。


辛いくせに。

辛くて仕方がないくせに。

あたしたちばかりが護られ、あたしたちばかりが与えられている。


それが本当に、嫌だった。



「今からでも…断って、いいんだぞ」


帰ってきたあたしを出迎えた鳴海が、しかめっ面であたしの顔を見ていた。

どうやらあたしが出て行ってから、ずっと玄関で待っていたようだ。

壁に寄りかかり、腕を組み、あたしを見下ろす鳴海。

あたしは、途端に顔をそらした。


「この件は、完全に自殺屋の出る幕じゃない。本人の依頼でない時点で、彼女が頼むべき相手は”殺し屋”の方だ」

鳴海の声が、少し震えている。

あたしが黙っていると、鳴海の手があたしの肩に乗った。

「お前が何を焦ってるのか、俺にはよくわかってねェけど…勝手な行動、すんじゃねェよ。お前が出しゃばるところじゃねェんだよ、この件」

口調が荒くなっている、これは鳴海が怒ってる時の口調だ。


やはり、怒っている―――けれど。

あたしだって、譲れない。


「ナルは、あたしたちを家族と言うけれど、それにしては随分と壁を作るんだね」

「あ…?」

「あたしたちがまだ子供だから、護ってあげなきゃって思うの?それって、あたしたちの気持ちは置いてけぼりじゃん」

「おい、潤」

「全部を言えだなんて、言わないよ。誰だって秘密にしたいことはある、あたしだってある。けど、独りよがりな自己犠牲は―――正直、癪に障る」


肩に乗っていた手を振り払うと、あたしは再び外へ駈け出した。

鳴海の顔は、見れなかった。


心臓が、落ち着かない。

頭が真っ白になり、目頭が熱くなる。


ああ、あんな言い方。

どうしてあたしの口は、素直に動かないんだろう。


―――少しは頼ってよ。

言いたかったことは、こんなにシンプルで簡単な言葉なのに。



ポケットの中に入っている、粉末―――殺すための、毒。

粉末自体は軽いのに、なんだか重く感じた。


この期に及んで、まだあたしは逃げようとしている。決心したはず、なのに。

あたしは未だに、生死に無関係な”何も知らない人間”のままでいたいらしい。


落ち着かない胸に手を当て、深呼吸する。

真っ白な頭に、無理矢理”やらなければならないこと”を刻む。


あたしは、自殺屋の従業員。

人の死を、手伝う仕事をする人間。


人の死に怖がって、どうする。


大きな病院を見上げ、あたしは息を吐いた。


―――


病室に入り、再びベッドに横たわるちよさんに挨拶をした。


「さっきは飛び出してしまって、ごめんなさい」

そうやって謝れば、ちよさんはなんでもないように笑う。


「それより、お嬢ちゃん。名前は、なんだったかしら…?」

「潤です。潤うって書いて、ジュン」

「ああ、そうそう。悪いわねぇ、最近よく、人の名前がわからなくなってしまって」

「いえ」

他愛のない話、心が幾分か穏やかになる。

さっきまで動揺していた心が、今は元通り。


今なら、きっと―――


「ちよさん。さっき、看護婦さんからお薬を預かったんです。水に溶かして飲むお薬。苦しさが紛れるくらい、よく効くらしいですよ。今、用意しますね」

あたしは機械的に言葉を並べながら、近くのコップに水を汲む。

ちよさんは、しわくちゃな顔で微笑みながら「そうかい、わざわざ悪いねえ」と言った。


ポケットから、薬を取り出す。

手に汗が滲み、あたしの心臓は再び暴れだした。


さらさら、とコップの水に薬を入れると、薬は一瞬にして溶け、跡形もなく消えた。

震える手で、コップを持つ。


「ちよさん、できましたよ」

笑う必要はない。いつも通り、無表情のまま。

あくまで、平然に。


「ありがとうね」

やめて、そんな目で見ないで。

あたしは、今からあなたを殺す。

だから、やめて。

お願い、こっちを見ないで。


「いえ、どういたしまして」

うまく動かない口を、必死に動かす。

早く、飲んでしまえ。

そうすれば、こんな思いはもうしなくて済む。


鳴海は、すごい。

自殺屋として”仕事をこなしていた”とき、平然としていた。

それなのに、いつもこんなぐちゃぐちゃな思いを抱えていたんだ。

人を死なす罪悪感、人の命を見届ける切なさ、直接手を下す気持ち悪さ、その人間を消す恐怖。

いろんな感情が入り混じって、眩暈がしそう。


早く。

早く、飲んで。



「―――ごめんねぇ」


心臓が、止まるかと思った。



「こんなこと、させて…ごめんねぇ」

「―――ッ!?」

な、に。

もしかして。

もしかして、この人は。


ちよさんが、コップに口をつける。


「あ…」

今なら、間に合う。そう思っても、体が硬直して動かない。


この人は、わかっていた。

あたしがちよさんを殺そうとして、毎日毎日お見舞いに見せかけて、ここに来ていたことを。

この人は、全て、わかっていたんだ。


声が、出ない。

と、止めなきゃ。


やだ、待って。


ちよさんが、毒を。

毒を飲んでしまう。


待ってよ。

お願い、待って。


死なないで―――



「はい、ストーップ」


大きな手が私を通り過ぎ、ちよさんの持つコップが傾くのを止めていた。

あたしの聞き慣れた声が、背後からちよさんに言う。


「いやあ、ごめんなさいね。この薬、間違いだったみたいで。すぐに新しいの用意させますんで、それ飲まないでくださいね」


軽快に笑って、コップを受け取る背後の人物。

あたしは、振り返ることができなかった。

ちよさんは少し躊躇ったものの、素直にコップを手放した。


背後では、息を切らしている人間。

急いで、走ってきたのだろうか。


「あなたは、どちらさま?」

「ああ、申し遅れました。僕はこの子の保護者で、鳴海といいます」

「あら、そうなの?かっこいいわねぇ」

「あ、よく言われますー」

そう言って笑った鳴海は、あたしの右手を握った。


「それじゃ、僕たちは帰ります。ドタバタしてすみませんでした、さよなら」

「はい、さようなら」


くいっと右手を引かれ、あたしは引っ張られるように病室を出た。

足の震えが、止まらない。

殺せなかった。

殺せなかった、はずなのに。


あたしは、とてもほっとしていた。



病院の外まで出ると、鳴海が急に振り返った。


パンッと乾いた音が、周囲に響く。

じぃん、と左頬が熱くなり、数秒遅れてあたしは頬を叩かれたのだと気付いた。

足がもともとふらついていたため、地面に座り込んでしまった。



「―――てめェはッ!!救いようのねェ馬鹿だな、おい!!」


途端に降り注がれる怒声に、身がすくむ。

こんな鳴海の怒った声、聞いたことない。


「てめェが何を焦って、何を思って、何をしたくてこんなことしたのか、俺は全く知らねェし、詮索もしねェ。けどな、」


ああ、あたし。

こんなに、鳴海を怒らせた。


「―――人の命は、てめェの覚悟を決めるための道具じゃねェぞッ」


鳴海の怒鳴り声で、あたしは気付いた。

あたしは、ちよさんの命を、道具にした。

自分が自殺屋として生きていく、覚悟を構築するための、道具。

そのためだけに、殺そうとした。依頼を受けたのは、その口実。


あたしは、誰のことも考えていなかった。

ただ、自分のことだけ。

自分の覚悟が固まることだけ。

それしか、頭になかった。


鳴海は、息を二度三度整えると、あたしと同じように、崩れ落ちるように地面に座り込んだ。



「…間に合って、よかったぁ」

心底、気が抜けたような声だった。


「ごめん」

「いいよ、間に合ったんだし」

鳴海の声は、優しかった。

いつものように、優しかった。


「帰ろっか」


そう言った鳴海は、無駄に綺麗な顔で、無駄に優しく笑った。



その数日後、ちよさんの娘である女性から連絡が来た。

ちよさんが亡くなった、と。


体調が、突然悪化したそうだ。

最善を尽くしたようだったが、ちよさんの体がもたなかった。


自殺屋としての仕事は、失敗してしまったわけだけれど、女性からは失敗に対しての怒りはなく、むしろお礼を言われた。

息を引き取る直前、ちよさんは笑って言ったそうだ。


“私は、幸せ者だよ。こんなに娘に愛されて、看取られて逝くことができるんだ”


あのとき、失敗してもらってよかった。看取るのは辛かったけれど、母の笑顔を最期まで見届けることができて、本当によかった。と、そう言われた。


思い浮かぶのは、ちよさんの笑顔。

しわくちゃで、どうも弱弱しい笑顔であるのに、そこには何とも言えない美しさと強さがあった。


「ああ、あと伝言。ちよさんから、らしい」

「ん」

「”毎日来てくれて、ありがとう。お嬢ちゃんと話すのが私の楽しみでした”だってさ」

鳴海はそこまで言うと、私の寝ころぶソファーの、向かいのソファーに腰を下ろした。


「ちよさんの家族の俺たちに関する記憶は消え、俺たちの存在はすっかりなくなった。今や、娘さんの記憶の中には、”自分の母を殺すように依頼した”という事実はない。ということで、罪悪感もすっかりなく、新しい生活に入ったわけだが……」

暫く、沈黙が流れた。


「潤」

「んー」

「頬、大丈夫か」

あたしの左頬は、少しだけ腫れていた。

一応湿布は貼ってあるが、喋れば痛みはある。


鳴海は、頬のことをかなり気にしていた。

頬の腫れを見るたびに、眉を下げ、困惑の表情を見せる。


「へーき」

「ごめんな、嫁入り前なのに」


こうやって、謝れてしまうんだ。

あれだけ怒っていたのに、鳴海は素直に謝罪できてしまう。

言いたいことが言えないあたしとは、大違い。

やはりあたしは、まだまだ子供なんだろうか。

あたしがこんなだから、鳴海はあたしたちをまだ護ろうとするのだろうか。


あたしは、鳴海に視線を向けなかった。

あくまで天井を見ながら、呟くように言った。

「…こっちこそ」

「え?」

「こっちこそ、ごめん」


鳴海が、息を呑んだのがわかった。

逆に謝られるとは、思ってなかったのだろう。


「”独りよがりの自己犠牲”だなんて、思ってない」

「ああ、そのこと?もういいよ、気にしてない」


へらっと笑う鳴海。

気にしてないなんて、嘘。

傷ついてたくせに。

これを言ったら鳴海が傷つくの、わかっていて言ったんだ。


「ナル」

「ん?」

「……それでも、あたしも自殺屋の一員だよ。いつまでも、ナルに護られていられない」


ああ、幾分か言葉がすらすらと出る。

あたしは言い終えてから、ちらっと鳴海を見た。

鳴海はこちらを見て、笑っていた。


「潤」

「なに」

「それでも、俺はお前らが大切なんだ。できる限りは、護ってやりたいって思う」


そうやって、"大切"だからとこんなに真っ直ぐ言われてしまえば、何も言えないじゃあないか。

それがわかって言っている鳴海は、本当に卑怯だ。


「…分からず屋」

「どっちがだよ」


それから、あたしたちは同時に噴き出し、笑った。


「人の生死に直接触れる。そんな酷なこと、お前らはまだしなくていいよ」

「ナルのばぁーか」



駅前近くのマンションの一室。

キーボードを叩く音だけが、その部屋に響く。


その部屋は、一言で言えば普通ではなかった。


壁一面に、画面が張り巡らされていた。

大きい画面から、小さい画面まで。数にしておよそ、百前後。

全てに電源が入れられ、起動している状態にある。

その部屋の中心では、部屋一番の大きな画面に、一人の青年が向き合っていた。


青年はヘッドホンをし、大きな画面を一心に見ていた。

ころころとマウスをスクロールし、ずらした眼鏡を直した青年―――花菱は、笑った。


「ほっほう、これはこれは…」

花菱の視線の先には、一つの掲示板。

そこには、”あるはずのない”情報が載っていた。


「なかなか、粋なことするじゃないの」

あるはずのない情報―――それは、自殺屋についてのことである。


自殺屋のサイトには、”ある仕掛け”がしてある。


必要のない人間には絶対に、そのサイトを見つけることができない仕掛け。

そして、そのサイトを万が一見つけても、自殺をするという意思がなくなり、再び生きる選択肢をとれば、そのサイトの存在自体を綺麗に忘れるという仕掛け。

ネットから、自殺屋の情報が漏れることはない。

自殺屋で掲げられる絶対的な“規約”によって、自殺屋に関わった人間の記憶は消すことになっているため、依頼主から漏れることも絶対にない。


そのため、自殺屋は今も全く知られることなく存在していた。


「―――はず、なのにね」

とりあえず、消しておいてあげよう。

閲覧数を見てみると、幸いにも多くはない。五分もあれば、全てを消しに行ける。

記録を全て辿って、消しに行こう。


花菱はヘッドホンを外し、ポケットから携帯電話を取り出した。

コールを鳴らすと、暫くして繋がる。


「もしもしー?」

〈…〉

「あれ、榊?聞こえてますかー?」

〈…〉

「ねーぇ、さっかきぃ?」

〈三秒以内に要件を言え、でないと切る〉

「わお、もしもしの応答もくれず、相変わらずの理不尽ッ」

花菱の突込みの間に、ぶつッと耳元で音が聞こえた。


「ほ、本当に切りやがった…」

再びコールをかけ、繋がったと同時に要件を切り出した。


「―――ってわけなんだけどさぁ。これって、結構な緊急事態だと思わない?」

〈二件目〉

「んー?」

榊が、電話越しにため息をついた。


〈鳴海んとこに依頼に来てた女が、以前、そんなようなこと言っていた。その女が見つけたって言う掲示板には、とりあえず”仕掛け”を施しておいたんだが…また、か〉

「ああ、なんだ。もう知ってたんだ」

〈とりあえず、な〉

榊の面倒くさそうな声、なかなか困り果てているようだ。

これ以上広められたら、”処理”が困る。そう言っているようだった。


この一件の犯人は、自殺屋を知る者。

まず疑うべきは、自殺屋の従業員。


けれど、花菱の脳内には、もう一つ―――可能性が存在した。


「きな臭くなってきた」

〈あん?〉

「犯人の話。大きく疑うべきは、自殺屋従業員。当たり前だよね、これが一番ありうる」

〈まあな〉

「けれど、もう一つ、可能性をあげてみることにしよう。これが、可能性は少ないが、最も厄介で、最悪なパターン」


花菱は、ほぼ確信していた。

携帯を持つ手と逆の、右手で操作していた手が止まる。

花菱は画面を見て、苦笑した。

可能性を前提として、追跡してみた結果だった。


画面には、一つの会員制のサイトがあった。なかなか防御が固く、短時間では入り込めそうにない。けれど、この"頑丈な防御"は、いわば大事な何かを護る"宝箱"というわけである。


つまりこの先に、"何か"がある。



「自殺屋を潰そうとしている、組織がある」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ