1.カツ、ネコを拾う
車はY県からN県に入った。冬の黒々とした海を視界の隅に置いてアクセルを踏む。明るいうちに峠を越えたかったが、打ち合わせが押して陽は沈んでしまっていた。昼過ぎまで降っていた雪のため道路も白く化粧している。この季節は、昼夜問わず鉛色の雲が居座っていることが多いが、今夜は風が強く、雲が流れて、珍しく月と星々が見え隠れしている。
海岸道路から峠越えの山道に入るため、信号を待っていると空に流れ星が見えた。やがて流れ星は二つに分かれて片方は海側に消えていった。珍しいものを見たが、願い事は言えず終いだったのに気がつく。そういう所は、大人になっても変われないらしい。時計は18時半を過ぎたばかりだが、年末だからか他の車の姿を見なかった。(俺だけかよ。)貧乏暇なしとはよく言ったもので、今年は大晦日まで編集作業をするつもりなのだ。
南井克司、40歳。独身。仕事は広告関係だ。元々は東京でウェブデザイナーをしていた。縁あってN県に来つ数年が経った。都会と此処では求められる仕事内容も違い、デザインの仕事よりも相談、時にはパソコンの設定やらSNSの講師の様なこともやっている。要は、その辺りの何でも屋だ。思っていた仕事とは違っているが、嫌ではない。
◇
冬の峠道は降った雪が踏み固められてテカテカとライトを反射している。右手に小さな川が峠道に沿って流れている。道幅はたっぷりあるが、スピードは出せない。スタッドレスタイヤを履いていようが、チェーンを巻いていようが滑ってしまえば同じで、事故の可能性は限りなく高くなる。のろのろ30分程車を走らせると左手に閉鎖されたドライブインが見えた。自動販売機だけが稼働している。
車外に出ると思ったより風が冷たく、パーカーのフードを被る。滑らないように足下に意識を置きながらヒタヒタと歩き、コーヒーを買った。冷める前に飲み干して車に戻ろうとした時、川の側で、小さな何かが動いた気がした。ふと興味が湧き、川に近づくと黒っぽいそれはまた動いた。(まさかな…?)この季節のこんな場所に子犬や子猫がいるはずも無いと思いながら5メートル程の距離まで近づいた時、雲間から月が顔を出し辺りを照らした。子猫だと分かった。捨て猫なのか、迷子なのかは知らないが、放っておけば間違いなく明日まで持たないだろう。今、保護することに躊躇はなかった。俺は姿勢を低くしてなるべく子猫を刺激しないようにゆっくりと近づいていった。猫を飼ったことがある人や頻繁に接したことがある人なら理解できると思うが、全く面識のない猫を触るのは中々難しい。猫にもよるが、警戒心の強い生物なのだ。
子猫は俺を認識すると、全身の毛を逆立てて耳を後方に倒して警戒体制に入っている。2メートルの距離迄近づいた時に、俺は手袋をして来なかった事に気づいた。子猫と言えど鋭い爪がある。手を保護するモノは必須な訳だが、車まで戻ると子猫が逃げてしまうかもしれない。
…覚悟を決めた。(肉を切らせて骨を断つ!)
静かに深呼吸をひとつして、俺はゆっくり、ゆっく〜りと子猫に左手を伸ばした。目の前まで左手が伸びてきた時、子猫は右前脚で手の甲を引っ掻いた!(立派な爪を持ってやがる!)左手の皮膚が破れ血が流れるのを感じながら、俺は残った右手で子猫の首根っこを掴んだ。…掴んだと思ったが、子猫は躱しざま、右手に齧り付いていた。親指と人差し指の間に齧り付く形になった。子猫の癖に力が強いのか、親指の付け根の骨が砕けたかと思った。が、大きなチャンスである。右手を齧らせたまま左手でパーカーの裾を広げ右手ごと子猫を突っ込んでしまう。パーカーの中に入れる時に左手に第二撃を喰らって手の平からも血が流れたが、任務を完了した。
車に戻ってドアを閉め、腹の辺りで暴れる子猫が落ちつくのを待つことにした。子猫の歯は右手にかなり深く食い込んでいる気がするし、噛みつかれた時、身体の中にバキバキと音が響いた。(歯じゃなくて、牙だな…)そんな事考えながらパーカーの中で暴れ続ける子猫がおとなしくなるのを待つ。お腹を追加で噛まれることがないように祈りながら、右手に感じる強い痛みをじっと耐えた。
どのくらい時間が経っただろう…子猫がおとなしくなった。興奮してフーフーいってた鼻息も消えた。恐る恐るパーカーから出した。落ち着いている。背中を触った時はビクッとしてたけど。怪我でもしていたのだろうか。子猫は虎毛のふわふわした毛を持っていた。全体的に俺の血でベタベタしてるが、洗えばキレイな毛並だろう。俺の噛み付かれた右手は深い傷になっていたし、左手からの出血で、服も車も酷いことになっている。助手席で毛繕いを始めた子猫を見ていると、自分の身体が随分熱いのに気がついたのだが、……意識が遠のいてそのまま眠りに落ちた。
◇
スマートフォンが身体を震わせて着信を知らせている。士郎さんからだ。士郎さんというのは、俺の借りてる借家の大家で、何から何まで世話になってる人である。
「あ、克さん、今どこだぁ?晩飯できっだど?」
「まだ、サルナシ村の辺りです。」
「あれ、もう1時間はかかるのう。事故でも遭ったかと思ったけど、待ってるよ。」
「事故ではないのですが、猫を保護しました。」
「ね、猫ぉ!瑠璃、克さん、猫拾ったど。」
電話の奥で瑠璃子さんが名前は?と訊く声がする。気が早い。
「まだ、飼うと決まった訳じゃ…」
と言うと、士郎さんは、雄か雌かを訊いてきた。電話じゃあ埒があかないので、すぐ帰ると電話を一端切った。
初めて書いた作品です。読みにくいかもしれませんが、暖かく応援していただけるとうれしいです。みなさま、よろしくお願いします。




