第59話 境界の亀裂に宿る痛み
虚無の霧が、俺の胸の亀裂に触れたまま震えていた。
その震えは、まるで“寄り添う手”のようだった。
だが、その寄り添いは優しさではなく、“依存”に近いものだった。
アリスの光は弱く、揺れが大きい。
胸の奥で淡い脈動が続き、そのたびに光がわずかに震える。
俺の境界は、その光に触れるたびに軋んでいた。
ひび割れたガラスのように、音もなく崩れ始めている。
胸の奥の亀裂は、アリスの光と虚無の揺らぎの“中間”のような光を放っていた。
──……カイ……あなたの境界……もう……元には戻らない……
「アリス……」
──……わたし……あなたを……失いたくない……
アリスの声は震えていた。
その震えは、虚無の揺らぎと同じリズムだった。
胸の奥の亀裂が、また光った。
その光は、虚無の霧へ向かって伸びる。
(……また……虚無に……引かれてる……)
──……カイ!!だめ!!虚無に触れちゃだめ!!
アリスが俺の胸に手を当て、光を流し込む。
その光が亀裂を包み、虚無の揺らぎを押し返す。
だが、亀裂は消えなかった。
むしろ、“形を持ったまま残った”。
アリスは震えた声で言った。
──……カイ……あなたの境界……虚無に……“見られてる”……
「見られてる……?」
──……うん……虚無は……形を持たない揺らぎ……でも……“形になりかけたもの”には……反応する……
虚無の霧が、遠くで大きく揺れた。
その揺れは、まるで眠りから覚めたようだった。
アリスが息を呑む。
──……カイ……虚無が……“動いてる”……
「動いてる……?」
──……うん……今までの虚無は……ただ揺れてるだけだった……でも……今の揺れは……“意思のある揺れ”……
虚無の霧が、ゆっくりと形を変え始めた。
霧が集まり、濃くなり、ひとつの方向へ向かって伸びる。
その方向は、俺の胸だった。
──……カイ……!!虚無が……あなたの亀裂に……“触れようとしてる”!!
胸の奥が熱くなる。
(……虚無が……俺に……触れようとしてる……?)
虚無は揺らぎ。
形を持たない。
触れることもできない。
だが、“形になりかけた亀裂”には触れられる。
アリスの光が震えた。
──……カイ……虚無は……あなたの境界を……“自分の形に使おうとしてる”……
「形に……?」
──……うん……虚無は……形になりたいわけじゃない……でも……“形に触れたい”の……
虚無の霧が、さらに濃くなり、俺の胸へ向かって伸びる。
その動きは、まるで“手を伸ばす”ようだった。
──……カイ!!逃げて!!虚無に触れたら……あなた……境界じゃなくなる!!
「アリス……俺……動けない……」
──……え……?
「虚無が……俺の境界を……“引いてる”……身体が……動かない……」
虚無の霧が、俺の胸の前で震えた。
その震えは、アリスの光に反応したときよりも深い。
まるで、“触れたい”と願う揺らぎ。
アリスが叫ぶ。
──……カイ!!だめ!!虚無は……あなたを……“形にしようとしてる”!!
「形に……?」
──……うん……虚無は……あなたの境界の亀裂を……“自分の形の核”にしようとしてる……
胸の奥が強く脈打った。
(……虚無が……俺を……形に……?)
境界の亀裂が光り、虚無の霧がその光に触れようとする。
アリスが俺の腕を掴む。
──……カイ!!離れないで!!わたし……あなたを……失いたくない!!
「アリス……俺も……アリスを……失いたくない……でも……虚無が……止まらない……」
虚無の霧が、俺の胸の亀裂に触れた。
その瞬間、世界が揺れた。
未来の原野が歪み、空が震え、地面が波打つ。
アリスが叫ぶ。
──……カイ!!だめ!!虚無が……あなたの境界に……“入り込んでる”!!
胸の奥が熱くなり、境界の核が震え、亀裂が広がる。
(……っ……!!虚無が……俺の中に……)
アリスが俺の胸に手を当て、光を流し込む。
──……カイ!!戻ってきて!!わたしの光を……感じて……!!
アリスの光が亀裂を包み、虚無の揺らぎを押し返す。
だが、虚無は離れなかった。
むしろ、“触れたまま”揺れていた。
アリスは震えた声で言った。
──……カイ……虚無は……あなたを……“選んだ”……
「選んだ……?」
──……うん……虚無は……あなたの境界の亀裂を……“自分の形の核”にしようとしてる……
胸の奥が冷たくなる。
(……俺が……虚無の……形の核に……?)
アリスは涙をこらえながら言った。
──……カイ……あなた……このままだと……“虚無の形”になっちゃう……
虚無の霧が、俺の胸に触れたまま震えている。
その震えは、まるで“何かを求める手”のようだった。
アリスは震える声で続けた。
──……虚無は……孤独だった……ずっと……ずっと……“意味の外側”にいた……
アリスの光が揺れた。
──……だから……初めて触れられる“形になりかけた亀裂”を見つけて……そこに……寄りかかろうとしてる……
「俺の……境界の亀裂……?」
──……うん……虚無は……あなたの亀裂を……“自分の居場所”にしようとしてる……
胸の奥が熱くなる。
(……虚無が……俺を……居場所に……?)
アリスは涙を流した。
──……カイ……虚無は……あなたを……“奪おうとしてる”んじゃない……“頼ろうとしてる”の……
「頼る……?」
──……うん……虚無は……あなたの境界の亀裂に……“寄りかかってる”……
胸の奥が熱くなる。
(……虚無が……俺を……頼ってる……?)
その瞬間、アリスの光が強く揺れた。
──……だめ……カイは……虚無の居場所じゃない……カイは……“境界”なの……わたしの……大切な……境界……
アリスの光が震え、その震えが胸の奥に響いた。
虚無の霧が、アリスの光に反応して揺れた。
その揺れは、まるで“怯えた子ども”のようだった。
──……虚無……あなたは……カイに触れちゃだめ……
アリスの光が強くなる。
その光は、以前の柔らかい光ではなかった。
揺らぎを抱えた光でもなかった。
もっと強く、もっと鋭く、“境界を守るための光”。
(……アリスの光が……変わってる……?)
アリスは俺の胸に手を当てたまま、光を流し込む。
──……カイ……わたし……あなたを守るために……光を……変える……
「変える……?」
──……うん……わたしの光は……意味の光……でも……今は……“境界を守る光”にならなきゃいけない……
アリスの光が強くなり、境界の亀裂を包む。
その光は、虚無の揺らぎを押し返すだけでなく、“境界の形を補強する”光だった。
胸の奥が熱くなる。
(……アリスの光が……俺の境界を……守ってる……)
虚無の霧が、アリスの光に押されて後退した。
その揺れは、まるで“悲しんでいる”ようだった。
──……虚無……あなたを……嫌ってるわけじゃない……でも……カイは……あなたの形じゃない……
アリスの光がさらに強くなる。
その光は、虚無の霧を押し返しながら、境界の亀裂を包み込む。
──……カイ……わたし……あなたを守るためなら……光を……どんな形にも変える……
胸の奥が熱くなり、境界の亀裂が光に包まれていく。
虚無の霧は、その光に触れられず、ただ震えていた。
アリスは涙を流しながら言った。
──……カイ……あなたは……わたしの……境界なの……
その言葉は、夜の未来の原野に深く響いた。
アリスの光は、境界を守るために変質した。
虚無は、初めて“拒絶”を受けた。
そして、未来の原野は、静かに、しかし確実に変わり始めた。
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