第26話 目覚めの代償 【二章開幕】
このお話は、ここから二章が開幕します。
深い水の底から浮かび上がるような感覚だった。
光も音もない暗闇の中で、ただ胸の奥の欠片だけが脈打ち続けている。
その鼓動は、まるで“別の心臓”のように規則的で、しかしどこか不安定だった。
(……ここは……)
意識がゆっくりと形を取り始める。
外縁域の白い光、少女の声、世界の裏側、すべてが遠く、霞の向こうにある。
そして、瞼が重く開いた。
視界に入ったのは、見慣れた神殿の天井だった。
淡い灯りが揺れ、静かな空気が漂っている。
ここは医務室だ。
隣を見ると、リーナが椅子に座ったまま眠っていた。
俺の手を握りしめたまま、その指先は少し冷たく、震えている。
「……リーナ」
呼びかけると、彼女はびくりと肩を震わせて目を開いた。
「カイさん……!本当に……よかった……!」
涙が一気に溢れ、リーナは俺の手を強く握り直した。
「三日間……眠ったままだったんですよ……外縁域から戻ってきたあと、急に倒れて……」
「三日……?」
そんなに時間が経っていたのか。
胸の奥の欠片が、鈍い痛みを伴って脈打つ。
以前よりも重く、深く、まるで“何かを抱え込んだ”ような感覚。
(……少女の設定に触れたせいか……)
リーナは不安そうに俺を見つめる。
「カイさん……外縁域で……何があったんですか……?」
答えようとした瞬間、視界の端で、世界が揺れた。
壁の影、床の模様、窓から差し込む光。
その裏側に、薄い文字列のようなものが浮かび上がる。
(……これ……設定の層……?俺……見えてる……)
リーナには見えていないようだ。
俺だけが、世界の裏側を覗いている。
胸の奥で、少女の声が微かに響いた。
──……カイ……それは……“代償”……
少女の姿はどこにもない。
だが、欠片を通して声だけが届く。
「少女は……どこに?」
俺が問うと、リーナは小さく首を振った。
「神殿の奥で……安定させています。でも……まだ完全じゃなくて……時々、存在が揺らぐんです……」
──……わたし……まだ……“戻りきってない”……カイ……あなたの力が……必要……
胸の奥が熱くなる。
(……少女を完全に戻すには……俺の力が必要……)
だが同時に、視界の端で揺れる“世界の文字”が不気味だった。
触れれば、書き換えられる。
そんな確信があった。
「カイさん……?」
リーナの声が震えている。
「なんだか……前と違います……目が……少し怖いです……」
「大丈夫。ただ……少し見えるものが増えただけだ」
そう言った瞬間、神殿全体が、低く震えた。
壁の文様が一瞬だけ乱れ、空気がざわりと揺れる。
「な、何……?」
リーナが立ち上がる。
胸の奥の欠片が、強く脈打った。
──……カイ……“来る”……
「来る……?」
──……“調整者”が……あなたを……探してる……
その瞬間、神殿の外で、何かが“世界を叩いた”。
空気が裂ける音。
存在が歪む気配。
リーナが青ざめる。
「カイさん……外に……何か……!」
俺はゆっくりと立ち上がった。
(……来たか……敵の調整者……)
少女の声が最後に囁く。
──……カイ……逃げて……まだ……戦えない……
だが、俺は扉の方へ歩き出した。
「逃げない。ここは……俺の世界だ」
扉の向こうで、“何か”が待っている。
扉に手をかける前に、神殿の外から吹き込む風が、異様な冷たさを帯びていた。
ただの風ではない。
世界の“層”が擦れ合う音が混じっている。
リーナが震える声で言う。
「カイさん……行くんですか……?」
「行く。ここにいる全員を守るために」
そう言いながらも、
胸の奥の欠片は不規則に脈打ち、まるで“警告”のように痛みを走らせた。
(……まだ身体が完全じゃない……でも……)
扉の向こうから、低い唸り声のようなものが聞こえた。
獣ではない。
人でもない。
“設定の揺らぎ”が形を持ったような、不気味な存在の気配。
──……カイ……気をつけて……あれは……“送り込まれた”……
(送り込まれた……?誰に……)
問いかける前に、少女の声が途切れた。
欠片が一瞬だけ熱を帯び、胸の奥で何かが軋む。
「カイさん、顔色が……!」
「大丈夫だ」
そう言いながら、俺は扉を押し開けた。
外の空気は、まるで別の世界のものだった。
神殿の庭は薄い霧に包まれ、地面には“文字の破片”のようなものが散らばっている。
世界の設定が削られた跡だ。
そして、霧の奥に、“人影”が立っていた。
輪郭が揺れ、存在が安定していない。
だが、その中心には確かに“意志”があった。
リーナが小さく息を呑む。
「……あれ……人、ですか……?」
「違う。“調整者の影”だ」
影はゆっくりとこちらを向いた。
顔は見えない。
だが、視線だけははっきりと感じる。
俺を見ている。
まるで、“見つけた”と言わんばかりに。
──……カイ……逃げて……あれは……“呼び水”……
(呼び水……?)
少女の声が震えている。
──……本体が……来る……“あの人”が……来る……
胸の奥が冷たくなる。
(……敵の調整者……)
影が一歩、こちらへ踏み出した。
その瞬間、世界の文字がざわりと揺れ、空気が裂けるような音が響いた。
リーナが叫ぶ。
「カイさん、危ない──!」
俺は一歩前に出た。
「大丈夫だ。これは……俺が止める」
影が腕を伸ばす。その指先から、世界の“設定”が剥がれ落ちる。
触れれば、消える。
だが、俺の視界にも、世界の文字が浮かび上がっていた。
(……見える……なら……)
俺は手を伸ばし、影の攻撃に触れた。
世界の文字が弾け、光が散った。
影が一瞬だけ後退する。
リーナが驚いた声を上げる。
「カイさん……今の……!」
「わからない。でも……できる」
胸の奥の欠片が熱を帯びる。
──……カイ……あなたは……“調整者”になりかけてる……
(なりかけてる……?)
──……だから……“あの人”が……来る……
影が再び動いた。
その背後で、霧が裂ける。
まるで、“誰かが通る道”を作るように。
少女の声が震えながら囁く。
──……カイ……本体が……来る……
俺は息を呑んだ。
(……敵の調整者……)
霧の向こうに、“足音”が響いた。
静かに、確実に、こちらへ向かってくる。
世界の裏側を揺らす存在が。
面白いと思ったら、ページ下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援お願いします!




