第24話 旅立ちの決意
観測者が消えたあと、神殿の廊下には、しばらく誰も言葉を発しなかった。
沈黙は、ただの静けさではなかった。
世界の層が一枚、薄く剥がれ落ちたような感覚があった。
廊下の空気は、いつもより重く、濃かった。
呼吸をするたびに、胸の奥に“世界の重さ”が入り込んでくるようだった。
壁に刻まれた文様は淡く光り、光は一定ではなく、心臓の鼓動のように脈動していた。
リーナが俺の袖をそっとつまむ。
その指先は冷たく、微かに震えていた。
「……カイさん……外縁域って……どんな場所なんでしょう……」
「わからない。でも、普通の場所じゃない」
胸の奥の欠片が、低く脈打つ。
その脈動は、まるで“境界の向こう側”から響いてくるようだった。
欠片は少女の存在と繋がっている。
その少女が“外”と言ったのだ。
ならば、そこに行くしかない。
神官長がゆっくりと歩み寄り、俺たちを見つめた。
その瞳は、いつもより深い影を宿していた。
「外縁域は、世界の“端”だ。設定が薄く、存在の密度が不安定になる。そこでは、時間も空間も“揺らぎ”に飲まれやすい」
リーナが息を呑む。
「そんな……そんな場所に行くなんて……」
「危険だ。だが、お前たちには行く理由がある」
神官長は俺の胸元に視線を落とす。
「カイ。その欠片は、少女の存在と深く結びついている。外縁域に行けば……お前は“彼女の記憶の核心”に触れるだろう」
胸の奥が熱くなる。
(……少女の記憶の核心……彼女が消えた理由……設定を消した“誰か”……)
リーナが小さく言った。
「カイさん……怖くないんですか……?」
俺は少し考えてから答えた。
「怖いよ。でも、それでも行きたい」
リーナは驚いたように目を見開き、そしてゆっくりと微笑んだ。
「……カイさんらしいです」
その笑顔は、どこか泣きそうでもあった。
神殿の外に出ると、夜が降りていた。
空は深い紺色で、星々はゆっくりと揺れている。
風が吹くたびに、星の位置がわずかにずれる。
まるで空そのものが“呼吸”しているようだった。
(……外縁域の影響が……もうここまで……?)
世界の端が揺らぐと、その波紋は中心へ向かって広がる。
星の揺れは、その“前兆”だった。
背後から足音がした。
「カイさん……」
振り返ると、リーナが立っていた。
薄い外套を羽織り、髪が夜風に揺れている。
「眠れなくて……」
「俺もだ」
リーナは俺の隣に立ち、夜空を見上げた。
「星……揺れてますね……」
「ああ。世界が……不安定になってる」
リーナは胸に手を当てた。
「外縁域って……本当に“世界の端”なんですよね……?」
「そうらしい」
「落ちたら……どうなるんでしょう……」
「わからない。でも、落ちないようにする」
リーナは小さく笑った。
「カイさんは……いつもそう言いますね」
「言うだけじゃなくて、やるよ」
リーナは俺を見つめた。
その瞳は、揺れているのに強かった。
「……私も……カイさんを守りたいです」
「え……?」
「カイさんは……いつも誰かを守ろうとするから……だから……私がカイさんを守りたいんです」
胸が熱くなる。
(……リーナ……)
リーナは続けた。
「私……怖いです。外縁域も……設定を消した誰かも……全部……怖いです」
その声は震えていた。
「でも……カイさんが行くなら……私も行きます」
夜風が吹き、リーナの髪が揺れた。
「だって……カイさんは……私を“見てくれた”人だから」
その言葉は、胸の奥に深く刺さった。
(……俺は……リーナに……こんなふうに思われていたのか……)
リーナは俯き、小さく呟いた。
「だから……置いていかないでください……」
俺は迷わず言った。
「置いていかない。一緒に行く」
リーナは顔を上げ、涙を拭った。
「……はい……!」
翌朝。
神殿の前で、神官長が俺たちを待っていた。
「これを持っていけ」
神官長は小さな護符を差し出した。
それは淡い光を放ち、触れた瞬間に温かさが広がった。
「これは……?」
「“存在の固定”を助ける護符だ。外縁域では、存在が薄れやすい。これがあれば、少しは安定するだろう」
リーナが驚いたように言った。
「こんな……貴重なものを……!」
「必要な者に渡すのが、神殿の役目だ」
神官長は俺を見つめる。
「カイ。お前はまだ未熟だ。だが、未熟だからこそ、世界はお前を選んだのだろう」
その言葉は、重く、しかし温かかった。
「行け。外縁域は、お前たちを待っている」
胸の奥の欠片が強く脈打つ。
(……行くんだ……少女を救うために……世界の真実に触れるために……)
リーナが俺の手を握る。
「カイさん……行きましょう」
「ああ」
俺たちは神殿を後にした。
その瞬間、遠くの空で、光が裂けた。
世界の端が、ゆっくりと開いていく。
外縁域への道が、ついに現れた。
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