第13話 揺らぐ書き戻し、揺らぐ心
リーナが儀式の部屋へ駆け込んできた瞬間、空気が変わった。
石碑の光が揺れ、壁に刻まれた文字がざわめくように震えた。
胸の奥の欠片が、まるで心臓とは別の鼓動を刻むように脈打つ。
「カイさん!」
リーナの声は、儀式の静寂を破るほど強かった。
その声が届いた瞬間、欠片が反応した。
(……リーナ……)
胸の奥が熱くなる。
だが同時に、石碑の空白が黒く濁り始めた。
神官長が振り返り、鋭い声を上げた。
「リーナ! ここに入るなと言ったはずだ!」
「でも……!カイさんが……苦しそうで……!」
リーナは涙を浮かべながら俺に駆け寄ろうとする。
だが、神官長が腕を伸ばし、彼女の前に立ちはだかった。
「これ以上近づけば、お前の設定が揺らぐ!お前自身が危険だ!」
「危険でも……!カイさんが消える方が……もっと嫌です!」
その言葉に、胸の奥の欠片が強く脈打った。
──返して。
白い髪の少女の声が、頭の奥で響く。
──返して……返して……!
少女の姿が、石碑の空白の中に浮かび上がる。
白い髪が揺れ、黒い瞳が俺を見つめている。
リーナはその姿が見えないはずなのに、何かを感じ取ったように震えた。
「……誰か……いる……?」
神官長が叫ぶ。
「カイ!意識を保て!欠片が再び“彼女”に引きずられている!」
(……やめろ……!俺は……消えたくない……!)
──返して……それは……私の設定……!
(……違う……!これは……俺の……!)
──あなたは……奪ったの……私の場所を……!
(……奪ってない……!俺は……ただ……落ちてきただけだ……!)
──ずるい……ずるいよ……!
少女の声が悲鳴のように響く。
リーナが叫んだ。
「カイさん!!」
その声が、欠片に触れた。
胸の奥の欠片が、強く、強く脈打つ。
(……リーナ……)
少女の声が揺れる。
──その声……その存在……あなたを……見ている……?
少女の瞳が揺れた。
──どうして……どうして……あなたは……見てもらえるの……?
(……リーナは……俺を……見てくれてる……)
──私は……誰にも……見てもらえなかったのに……!
少女の姿が歪む。
怒りでも悲しみでもない、もっと深い“喪失”の感情が渦巻いていた。
神官長が叫ぶ。
「カイ!欠片を掴め!お前の意思を示せ!」
(……俺の……意思……)
胸の奥の欠片に意識を向ける。
(……俺は……存在したい……リーナに……触れたい……この世界に……立ちたい……!)
──返して……!
(……返さない……!これは……俺の……!)
欠片が強く光った。
少女の手が弾かれる。
少女は驚いたように目を見開いた。
──どうして……どうして……返してくれないの……?
(……俺は……生きたいんだ……!)
──私は……消えたのに……あなたは……生きたいの……?
(……生きたい……!リーナが……俺を見てくれてるから……!)
少女の瞳が揺れた。
──そんなの……そんなの……ずるい……!
少女の姿が霧のように薄れていく。
──でも……あなたは……“見てもらえて”……いいな……
その声は、悲しみと羨望が混じっていた。
少女の姿が完全に消えた。
石碑の空白が白く光り始める。
神官長が息を呑んだ。
「……干渉が……消えた……!」
胸の奥の欠片が静かに脈打つ。
「カイ!今だ!欠片を石碑に重ねろ!」
俺は胸に手を当て、石碑に向かって歩いた。
足元が揺れ、世界が歪む。
だが、リーナの声が背中を押した。
「カイさん……!」
俺は石碑に手を伸ばした。
欠片が光り、石碑の空白に吸い込まれていく。
光が弾けた。
世界が震えた。
そして、石碑に、新しい文字が刻まれた。
神官長が震える声で言った。
「……成功だ……カイ……お前は……この世界に“存在した”……!」
胸の奥の欠片が、静かに脈打った。
リーナが駆け寄り、涙を浮かべながら言った。
「カイさん……!本当に……よかった……!」
その瞬間、リーナの手が、俺の手に触れた。
触れた。
確かに。
世界が揺れた。
だが、今度は拒絶ではなかった。
世界が、俺を“受け入れた”揺れだった。
リーナの手の温かさが、確かに伝わってくる。
(……触れられる……)
胸が熱くなる。
リーナは涙をこぼしながら笑った。
「カイさん……!本当に……触れられる……!」
俺は言葉が出なかった。
ただ、リーナの手を握り返した。
その瞬間、石碑が低く唸った。
神官長が顔を上げる。
「……まだ終わっていない……!」
「え……?」
「書き戻しは成功した。だが、“世界の揺らぎ”は完全には収まっていない!」
石碑の文字がざわめき、空気が震える。
世界の奥から、何かが近づいてくる気配がした。
観測者の声が、頭の奥で響く。
──観測再開。
──設定外の存在、確認。
──次段階へ移行。
神官長が叫んだ。
「カイ!リーナ!離れろ!」
だが、遅かった。
世界が、再び揺れた。
今度は、“受け入れ”でも“拒絶”でもない。
もっと深い、もっと根源的な揺れだった。
まるで世界そのものが、俺の存在を“再評価”しているような。
(……これは……)
胸の奥の欠片が、再び脈打つ。
リーナが不安そうに俺を見た。
「カイさん……?」
俺は答えられなかった。
世界が揺れ続けていた。
まるで、“次の何か”が始まろうとしているかのように。
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