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『異世界に転移したら、俺だけ世界設定に存在しなかった』  作者: 一ノ瀬 律
五章

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第122話 世界が選んだ、次の揺らぎ

 石碑の光が静まり、部屋の空気が落ち着きを取り戻したころ、胸の奥の欠片は、ゆっくりとした脈を刻んでいた。

その脈は、向こう側の世界が生んだ光を受け止めた証のように、深いところで静かに響いている。


 だが、安定は長く続かなかった。


 石碑の表面に残っていた光の粒が、ふいに細かく震え始めた。

まるで、何かを探しているような揺れ方だった。


 リーナが小さく息を呑む。


「……また、動いてます」


 神官長は光を見つめ、眉を寄せた。


「向こう側が、次の段階に入ったな」


 胸の奥の欠片が、再び熱を帯び始める。

痛みではない。

ただ、何かが近づいてくる気配。


 神官長は静かに言った。


「孤独を光に変えたあと、その光を“どこへ流すか”。世界はそれを選ばなければならない。今、その選択が始まった」


 石碑の光が一点に集まり、細い線を描き始めた。


 それは地図のようにも、道のようにも見える。

だが、どこか歪んでいる。

線が途中で途切れたり、ねじれたりしている。


 リーナが不安そうにその線を見つめた。


「……これ、何を示してるんですか?」


 神官長は指先で線の端をなぞりながら言った。


「世界の外層に生じた“傷”だ」


「傷……?」


「存在の輪郭が薄れ、形が崩れ始めている場所だ。放置すれば、周囲の記録が削られ、世界の一部が消える」


 胸の奥が強く跳ねた。


(……世界が、壊れ始めている……)


神官長は続けた。


「向こう側の世界は、孤独を光に変えた。その光は、世界の傷を修復する力になる。そして今、光が向かうべき場所を選んだ」


 石碑の線が、ひときわ強く輝いた。


 神官長はその線を指し示す。


「場所は、境界の森の奥だ」


 リーナが息を呑む。


「……どうして森なんですか?」


 神官長は静かに答えた。


「世界の層が薄い場所ほど、傷が生まれやすい。境界の森は、外層がもっとも揺らぎやすい地点だ。世界が最初に修復を求めるなら、そこになる」


 胸の奥の欠片が、静かに脈打つ。


(……世界が……俺を“使う”ことを選んだ……)


 リーナがそっと近づく。


「カイさん……行くんですよね」


 その声は、迷いではなく確認だった。

俺がどうするかを知っている声。


 俺はゆっくり頷いた。


「行く。世界が示したなら、向かわないと」


 リーナは少しだけ視線を落とし、それから顔を上げた。


「……近くにはいられなくても、見守ることはできますよね」


 神官長は短く頷いた。


「距離を保てば問題ない。お前の存在は、カイの欠片を安定させる」


 リーナは胸に手を当て、静かに息を整えた。


「じゃあ……一緒に行きましょう」


 その言葉は、決意というより、“そばにいる”という静かな意思だった。


 胸の奥の欠片が、ゆっくりと熱を帯びる。


 石碑の光が最後の震えを見せ、境界の森の奥へ向かう線が確かな形を持った。


 向こう側の世界が生んだ光は、世界の傷を示し、調整者としての“最初の揺らぎ”を選んだ。


 そして、その揺らぎは、境界の森の奥で待っている。


 境界の森へ向かう準備は、思ったより静かに進んだ。

神殿の外は夕暮れで、空の色がゆっくりと沈んでいく。

その変化を見ていると、胸の奥の欠片がわずかに反応した。

向こう側の世界の光が、まだそこに残っている。


 森へ向かう道は、神殿の裏手から続いている。

普段は誰も通らない細い道だ。

草が足に触れるたび、胸の奥の欠片が小さく脈打つ。


 リーナは少し後ろを歩きながら、周囲を見渡していた。

森に入る前から緊張しているのがわかる。

けれど、怖がっているわけではない。

ただ、何が起きるかわからない場所へ向かうことへの、自然な不安。


「……空気、変わってきましたね」


リーナが小さく言った。


 確かに、森に近づくにつれて空気が重くなる。

湿度が上がったわけでも、風が止んだわけでもない。

ただ、世界の層が薄い場所特有の“圧”がある。


 胸の奥の欠片が、ゆっくりと熱を帯びる。


(……世界の傷が近い……)


 森の入口に着くと、神官長が足を止めた。


「ここから先は、世界の層が不安定だ。カイ、お前は中心へ向かえ。リーナは一定の距離を保ってついていけ」

 

リーナは頷いたが、少しだけ眉を寄せた。


「……離れすぎなければ、大丈夫なんですよね」


「お前の存在は、カイの欠片を安定させる。近すぎれば干渉が強くなるが、遠すぎると支えが弱くなる。その中間を保て」


 リーナは胸に手を当て、静かに息を整えた。


「……わかりました」


 森の中は、外よりも静かだった。

鳥の声も、風の音もほとんどない。

ただ、世界の層が薄い場所特有の“揺らぎ”が、空気の中に漂っている。


 歩くたびに、胸の奥の欠片が反応する。

その反応は痛みではなく、方向を示すような感覚だった。


(……こっちだ……)


 森の奥へ進むにつれ、空気の密度が変わっていく。

重くなるわけではない。

ただ、世界の輪郭が曖昧になっていく。


 木々の影が少しだけ揺れて見える。

風が吹いているわけではないのに、影だけが揺れる。

その揺れが、世界の傷の存在を告げていた。


 リーナが後ろから声をかける。


「カイさん……歩き方、変わってますよ」


「……欠片が、方向を示してるみたいだ」


「方向……?」


「世界の傷がある場所に、引っ張られてる感じがする」


 リーナは少しだけ息を呑んだ。


「……そんなふうになるんですね」


 森の奥へ進むほど、胸の奥の欠片の脈が強くなる。

その脈は、向こう側の世界の光がまだ残っている証。

世界の傷を修復するための力が、欠片の中で形を保っている。


 やがて、森の奥に小さな空間が現れた。

木々が円形に開けていて、そこだけ光が落ちている。

夕暮れの光ではない。

世界の層が薄い場所特有の、淡い光。


 その中心に、空気の“歪み”があった。


 空気が波打つように揺れている。

触れれば形が変わりそうなほど、輪郭が曖昧だ。


 胸の奥の欠片が強く脈打った。


(……ここだ……)


 神官長が静かに言った。


「これが世界の傷だ。存在の輪郭が崩れ、記録が削れ始めている」


 リーナはその歪みを見つめ、息を呑んだ。


「……こんなふうになるんですね……」


「世界の層が薄い場所では、こういう傷が生まれやすい。向こう側の世界が最初に選んだのは、この傷だ」


 胸の奥の欠片が、熱を帯びていく。

その熱は、向こう側の世界の光が反応している証。


 神官長が俺の方へ向き直った。


「カイ。欠片を使え。向こう側の光を、傷の中心へ流すんだ」


「……どうやって?」


「欠片が示すままに動け。お前は調整者だ。世界の傷は、お前の存在を通して修復される」


 胸の奥の欠片が、さらに強く脈打つ。

その脈は、まるで“ここへ流せ”と言っているようだった。


 俺はゆっくりと傷の中心へ手を伸ばした。


 空気が指先に触れた瞬間、胸の奥の欠片が強く光った。


 リーナが息を呑む。


「カイさん……!」


 光が胸から溢れ、傷の中心へ流れ込んでいく。

その光は、向こう側の世界が生んだ“孤独を光に変える力”。

誰かの届かなかった想いが、世界の傷を修復する力へ変わっていく。


 空気の歪みがゆっくりと形を整え始めた。

揺れていた輪郭が、少しずつ安定していく。


 胸の奥の欠片が、熱を帯びながら脈打つ。

その脈は痛みではなく、“世界が受け取っている”という感覚だった。


 リーナが少しだけ前へ出る。


「……カイさん……大丈夫ですか……?」


 声が震えている。

その震えが、妙に現実的で胸に刺さる。


「……大丈夫。欠片が……流してる」


 光が傷の中心へ流れ続ける。

その光は、向こう側の世界が生んだ最初の法則の力。

孤独を光に変え、世界の欠けた部分を埋める力。


 やがて、空気の歪みが完全に消えた。


 森の空間が静まり返り、胸の奥の欠片がゆっくりと脈を落ち着かせる。


 神官長が静かに言った。


「……修復は完了した」


 リーナはほっと息を吐いた。


「……よかった……」


 胸の奥の欠片が、最後にひとつ脈打った。


 世界の傷は消えた。

向こう側の世界が選んだ“最初の揺らぎ”は、確かに修復された。


 そして、胸の奥の欠片は、次の揺らぎを待つように静かに光っていた。

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