第74話 ペット①
和花がベッドの端に腰を下ろした。
顔を真っ赤にしたまま、背筋をぴんと伸ばし、両膝の上にちょこんと手を置いている。
そのあいだも、和花はしきりに生唾を飲み込み、ちらちらと俺の顔を窺っていた。
(なんだか、すごく期待してるみたいだけど)
避妊なしでもいい、という言葉は、ただ雰囲気に流されて出たものではないはずだ。
今すぐ押し倒して、自分の欲求をそのままぶつけたとしても——おそらく和花は受け入れてくれるだろう。
いや、喜んでくれるかもしれない。
俺もベッドに上がり、和花の隣に腰を下ろした。
「このままするのか?」
「ま、まあ……。あんたの好きにしなさいよ」
「じゃあ、キスしたら焼肉の味がするけど、それでもいいのか?」
「え!? そ、それはちょっと嫌かも!」
和花はがばっと立ち上がり、そそくさと洗面所へ駆け込んだ。
俺はふっと笑いながら、愛理から受け取ったバッグを開けた。
ネットで注文しておいた品は、ちゃんと入っていた。
中身を取り出すと、そのうちの一つに付箋が貼ってあった。
――これは蓮くんが直接つけてあげたほうが、和花さんも喜ぶわよ。
……何なんだ、このコメントは。
とうとう愛理から指導まで受けるようになったのか。
奴隷ヒロイン志望だと言っていたが、実は愛理の方がご主人様なんじゃないか。
(とりあえず、アドバイス通りにしてみるか)
俺の望みに付き合ってもらうとはいえ、どうせなら和花にも喜んでもらいたい。
それに、和花は嫌なことを無理に飲み込むタイプでもないはずだ。
仮に我慢していたとしても、すぐに顔に出るだろう。
付箋のついていないほうを手に取り、洗面所へ向かった。
「和花、これ着て出てきてくれないか」
「ん?」
歯ブラシをくわえ、念入りに歯を磨いていた和花が、俺の手からそれを受け取った。
最初こそぽかんとしていたが、広げてみると、目をぱちぱちと瞬かせた。
「し、下着……?」
「まあ、そうだな」
「じ、じゃあ下着姿で出てこいってこと……?」
俺が頷くと、和花はさらに顔を赤く染めた。
もちろん、普通の下着ではない。
とはいえ、マイクロビキニに比べれば露出はまだ控えめだ。
だが、水着と下着とでは、やはり別物なのだろうか。
和花はどうしていいか分からない様子で、指をもじもじと絡ませ、体を強張らせていた。
「あまり無理はするなよ」
「む、無理なんてしてないわよ! ただ、ちょっと……。な、なんか、ラブホで下着姿になるだけでもアレなのに、しかも着る下着まで指定されると、なんていうか……。すごく変な感じがして……」
「興奮してる?」
「ち、違うわよ! ち、違わなくもないけど! 違うってば!!」
俺の問いにひどく慌てたのか、和花の口から水がぶうっと飛んできた。
これは照れ隠しのNOってやつだな。
やはり愛理の言う通り、和花も相当な変態らしい。
そんな和花を見て、口元が緩みそうになる俺も、人のことは言えない。
俺は和花の頭にぽんと手を置いて言った。
「もう一つあるから、早く着替えて出てきな」
「もう一つ?」
「ああ。楽しみにしてて。もちろん、俺も期待してるから」
「う、うん……」
洗面所を出て、ドアを閉める。
ベッドに腰を下ろし、和花を待つあいだ、ぼんやりと思考を巡らせた。
(……やっぱり俺、和花と愛理、どっちも好きなんだろうな)
知り合ってから、まだそれほど時間が経ったわけじゃない。
それでも、二人のいない日常なんて、もう想像できなかった。
いや、想像すること自体が嫌だ――そう言ったほうが近い。
もし今回も、結月の時のように誰かに寝取られたら?
今度こそ立ち直れない気がする。
それどころか、我を忘れて復讐に走るかもしれない。
(結局、問題は二股だな)
和花と愛理の仲は、少なくとも今のところは大きな問題もなく良好だ。
だが、二人と同時に付き合うことになったとき、果たして何の問題も起きないのだろうか。
今はまだ告白したばかりで、しかも二人のほうから二股を提案してきている。
だから、たまたまうまく回っているだけなのかもしれない。
(世間の目だって、優しいはずがないし……)
いくら俺たちがそれでいいと言っても、周りから非難されれば気にせずにはいられない。
もちろん母さんの言う通りポリアモリーといった概念はあるものの、やはり日本では一般的とは言いがたい。
だからといって、無計画に外国へ行くのも現実的ではない。
そもそも外国だからといって、奇異の目で見られないという保証もない。
(考えてみれば、親も説得しなきゃならないし)
まだ和花のご両親には、まともに挨拶すらしていない。
堂々と「二股をかけます」なんて言う男を、果たして許すだろうか?
愛理の父親である英樹さん相手なら、事後報告でも大きな問題にはならないだろうが……。
実のところ、うちの母さんだって、この前は二人の前だから露骨に反対できず、話を流しただけだ。
たぶん俺が本気で二股をかけると言い出したら、簡単には許してくれないだろう。
(とりあえず、せめて俺の気持ちだけは二人に話しておこうか)
実際に同時に付き合うかどうかはさておき、告白の返事はしなきゃいけないしな。
そう結論づけた、そのときだった。
ガチャッ、と洗面所の方からドアの開く音が聞こえた。
「ど、どうかな?」
和花がおずおずと俺の前まで歩いてきた。
彼女の姿を見て、俺は思わず声を漏らした。
「おお……」
黒のレースニーハイストッキングが太ももにむっちりと食い込み、素肌との間に鮮やかな境界線を引いている。
腰骨に細い紐を引っかけるような黒のパンツ。
その両脇にはピンクの鈴がぶら下がり、腰から下腹部へ、素肌の線がなめらかに続いていた。
黒いブラには上下にフリルがあしらわれ、中央の猫型の切れ込みから、柔らかな谷間がのぞいていた。
その穴の両脇には、ピンクのひげを模した飾り。
頭には、内側がピンク色の猫耳カチューシャが乗っていた。
「やっぱり似合うと思ってたよ。すごく可愛くてエロい」
「そ、そう……? な、ならよかったけど……」
まだ緊張は解けていないようだ。
どうやら、旅館よりもラブホのほうが、和花にとってはプレッシャーになるらしい。
俺は立ち上がり、和花の背後に近づいた。
そのまま脇の下から両腕を回し、後ろから抱きしめた。
「ひゃんっ! び、びっくりした。な、なんか蓮、今日は最初からせ、積極的なのね」
「今日は俺からしてって、お前が言ったんじゃないか」
「そ、そうだったわね」
「それとも、この前みたいにお前がリードするか? 俺は構わないけど」
和花がすぐに首を横に振った。
「ううん。私、何も分からないから。だ、だから、ちょ、調教して」
「……それ、愛理に言われた通りに言ってるだけだろ?」
「そ、そういうのも含めて全部蓮が教えて、わ、私を飼い慣らしなさいよ!」
「飼い慣らす、ねえ……」
わざと俺を刺激しようとして、こういう言葉を選んでいるのだろう。
もしかすると、ここに来る前、愛理とそんな打ち合わせでもしていたのかもしれない。
和花が俺を誘惑して、一線を越えさせるために。
「ちょっとじっとしてて」
「ん? 何?」
俺は、愛理の付箋が貼ってあったほうのビニール袋を開け、中身を取り出した。
そして、それを和花の首にそっと巻きつけた。
「今日、和花は俺のペットってことで」
「え? ぺ、ペット?」
「ああ。和花、本当に猫みたいだから。飼いたくて」
和花の首には、猫の鈴がついたピンクの革の首輪が収まっていた。
リードもしっかり繋いである。
「あそこの鏡、見てみて。あれがペットになった和花――いや、のどちゃんの姿だよ」
彼女は生唾を飲み込み、俺が指差した鏡のほうへ顔を向けた。
そこには、猫のランジェリーをまとい、猫耳と鈴つきの首輪をつけ、俺にリードを引かれている金髪ボブの女の子がいた。
和花は自分の姿を一目見るなり、ぷいっと顔を背けた。
チリン、と猫の鈴の音が鳴る。
(やっぱりこれは、ちょっと引いたか?)
もともと、こういうプレイは好みが分かれる。
人を物扱いしているような感覚が嫌なのかもしれない。
明らかに嫌がっているなら、NGだと判断してやめにしよう。
和花はちらちらと、何度も鏡を見やっていた。
ちりん、ちりんと、猫の鈴が立て続けに鳴る。
「私、なんで今までこういうの思いつかなかったんだろ」
「ん? どうした?」
「そうよ、可愛がってもらえる立場って、彼女だけじゃないじゃない」
「……ん?」
和花の様子が、どこかおかしい。
そう感じた直後だった。
彼女は突然俺に飛びつき、勢いよくベッドへ押し倒してきた。
そして俺の上に跨ったまま、両手を軽く丸めて猫のポーズを取った。
「私、今日だけじゃなくて、これからもずっと、蓮のペットでいる……!」




