第26話 ツインベッド①
木の質感を活かした落ち着いた色調のインテリアが、部屋の中を品よく彩っていた。
黒い大理石の天板とテラゾータイルで仕上げられたバスルームは、余分なものを一切そぎ落としたような、すっきりとした空間だった。
さすがは高級ホテル、清潔で上質な空気が漂うツインルームだった。
……ただ一点、和花と菅原先輩と同室になったこと。それだけが問題だった。
「うわあ、夜景すっごい!」
「この光は、残業が生み出す生命の灯火ってわけね」
二人とも満足しているようだった。
たぶん……。
(変に緊張するのはやめよう)
そうだ。物珍しげに客室を見回す二人の、あの無邪気な輝きを見習おう。
変なことを考えるから体が強張るんだ。
フロントで菅原先輩が言っていた通り、今日は俺も女子の一人だと思っていればいい。
いや、いっそ二人を男だと思い込んだほうが、気が楽かもしれない。
菅原先輩がテレビのリモコンを手に取りながら言った。
「ネット小説だと、何も考えずにホテルでテレビをつけたら、あんな動画やこんな動画が流れてきたりするんだけどね」
「先輩、それはラブホですよ……」
「あら、深川くんはラブホに行ったことあるの?随分と詳しいみたいだけど?」
いや、行ったことがなくたって、そのくらい普通に知ってる。常識だろ。
「まあ、そりゃあありますけど」
「一人で?」
「……」
まさか菅原先輩、俺を彼女いない歴=年齢の童貞と思ってるのか。
いや、考えてみれば先輩には結月のことを話したことがない。
そう思われても無理はなかった。
先輩が少し意地悪な口調で言った。
「こうやって女の子とホテルの部屋に一緒にいるのも初めてでしょ?」
「まあ、二人と一緒にいるのは初めてですね」
結月の話題は避けたかったので、適当に言葉を濁した。
だが、横で聞き耳を立てていた和花が、すかさず口を挟んできた。
「先輩、知らないんですか? 蓮、ついこの間まで彼女いたんですよ」
「……え?」
菅原先輩がそのまま固まった。
先輩はたぶん、ちょっと意地悪でSっ気のある年上のお姉さんを気取っていたのだろう。
俺が慌てふためき、初々しい反応を見せるのを期待していたのだ。
「じゃあ深川くん、本当に女の子とラブホみたいなところに行って、その……そういう経験があるの?」
「まあ、そうですね。俺の部屋で、ということのほうが多かったですけど」
本当に余計なことを言ってくれたな、和花。
おかげで妙な空気になっちゃったじゃないか。
菅原先輩が少し頬を染め、視線を斜め下に落とした。
「深川くん、やり手だったのね……」
「いやいや、付き合ったのは一人だけですから。しかも、もう別れましたし」
「私、何も知らずに狼を部屋に入れちゃったわ」
「先輩、赤ずきんか子豚でしたっけ?」
そもそも俺は、タクシーで帰るとちゃんと言ったはずなのに……。
「先輩、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ!」
すると和花が、なぜか得意げに俺を指さして言った。
「こいつ、自分の部屋のベッドに私を連れ込んだくせに、指一本触れませんでしたからね! 無害を通り越して臆病なんですよ!」
「小森さん、それは戦略よ。そうやって安心させてから美味しくいただくの。最初から牙を剥いたら怖がるでしょ?」
「え!? そ、そうなの、蓮!? こ、この、鬼畜!!」
「お前は俺をフォローしたいのかしたくないのか、はっきりしろ」
和花、案外影響されやすいな。
将来変な男に騙されないか、本気で心配になる。
……まあ、この状況なら警戒するのも無理はないけど。
「そこまで不安なら、今からでも俺はタクシーで帰るよ」
「まあ、冗談はここまでにして」
俺が真面目に言うと、菅原先輩が話題を変えた。
「そろそろお風呂にする? 誰から入る?」
俺と和花は顔を見合わせた。
さっきテーマパークで思い切り体を動かしたこともあり、汗は流しておきたかった。
とはいえ、一緒に入るわけでもないのに、恋人でもない異性と同じ部屋でバスルームを使うのは、妙に気恥ずかしかった。
「ちなみに私はシャワーだけで済ませるから」
「あ、じゃあ俺もシャワーだけで」
「え!? ここのバスタブすごく良さそうなのに、使わないの!?」
どうやら和花は湯船派らしい。
俺も別に湯船が嫌いなわけじゃないが、わざわざ自分から張るほうじゃない。
強いて言えばシャワー派だ。
「別に構わないけど、じゃあ俺は和花の次に入るよ。和花成分が溶け込んだお湯のままで」
「き、キモい!分かったわよ、私もシャワーだけで済ませればいいんでしょ!」
「残念」
「何が残念よ!」
菅原先輩が再び尋ねた。
「で、誰から入るの?」
「とりあえず俺から入ります。あ、和花、悪いんだけどギプス手伝ってくれる?」
「あ、うん」
和花の手を借りてギプスに防水カバーを被せた。
そして着替えを持ってバスルームに入った。
◇◇
部屋に残された菅原愛理と小森和花は、それぞれベッドに腰を下ろした。
二人のあいだに、沈黙が落ちた。
やがて、バスルームからシャワーの水音が響きはじめると、愛理が口を開いた。
「小森さん、ちょっと聞きたいんだけど」
「は、はいっ!」
「……どうして小森さんは、深川くんがいないとそんなにガチガチになるの?」
「あ、いや、それは……せ、先輩みたいな美人の前にいると萎縮しちゃって……」
愛理の頭上にハテナマークが浮かんだ。
系統は違えど、目の前の和花だって十分すぎるほど可愛い。
高校デビューのせいだという蓮の説明は聞いていたが、それでもあまり納得はできなかった。
「まあ、とにかく。小森さんは深川くんのこと、どう思ってるの?」
「ど、どう思ってるかって……?」
「人柄とか、そういうの」
「うーん……」
和花は人差し指をピンと伸ばして顎に当て、視線を上に向けた。
「少し意地悪なところもあるし、たまにヘンタイっぽいですけど、基本的には優しい人だと思います」
「そう?」
「はい。だって、私の命を救ってくれましたから」
「それってどういうこと?」
和花は、蓮が身を挺して自分を交通事故から救ってくれた出来事を話した。
言葉の端々に、蓮に対する申し訳なさや感謝の気持ちが滲んでおり、時折頬を赤らめていた。
「私を助けた後で頭を撫でてくれた時は、本当にヒーローみたいで……。今でも夢に見るくらいです。あの場で私が大泣きしちゃったのは、黒歴史ですけどね」
愛理は、なぜ蓮が腕にギプスをしているのか知らなかった。
他の子供じみた男子と同じで、ふざけた拍子に怪我でもしたのだろうと思い込んでいた。
おまけに若くして大金を稼いでいるだけあって、何事もお金で解決しようとするタイプに映っていた。
だからこそ、身を挺して誰かを守ったという事実が、愛理の胸に小さな波紋を落とした。
「小森さんさ」
愛理が和花の目を真っ直ぐに見つめて尋ねた。
「深川くんのこと、好きなの?」
「え、え!? そ、それは!と、友達としては好きです、はい!」
「そういう意味じゃないでしょ。正直に言って、もし深川くんが小森さんのこと好きだって、付き合ってって告白してきたら、断るの?」
「そ、それは……」
和花の瞳が泳いだ。
数秒ほどの沈黙のあと、彼女は恐る恐る言葉を紡いだ。
「分かりません。本当に、分からないんです。 結月の件もありますし……」
「結月?」
「あ、蓮の元カノです。同じクラスっていうだけじゃなくて、元々は私の友達だったんですよ。……今は事実上、絶交されちゃいましたけど」
「つまり、友達の元カレを好きになったってことね。そのせいで絶交されたんじゃないの?」
「うっ……」
愛理は、蓮とその結月という子の関係を詳しくは知らない。
だが、三人のあいだに複雑な事情が絡んでいることは、うっすらと伝わってきた。
「わ、私が蓮を好きだって断言はできませんよ! ……それにたぶん、蓮は今誰とも付き合う気はないと思いますし」
「そう?その結月って子と別れたばかりだから?」
「はい。私の口からは直接言えませんけど……。かなり酷い別れ方をしたんですよ。蓮もだいぶ傷ついたみたいで」
「ふーん……。そうなんだ」
今度、結月とかいう子に一度直接会ってみようかしら。
愛理がそう胸のうちで呟いた、その時だった。
「俺、終わったよ」
部屋着らしきシンプルなTシャツとスウェットパンツを身につけた蓮が、バスルームから出てきた。
「なんだよ、二人で何の話してたんだ? 和花の顔、めっちゃ赤いけど」
「な、何にも話してないわよ!? ただ暑いだけ!」
「暑い?じゃあエアコンつければ?」
「い、いいから! 次は私が入るからね!」
「お、おう」
逃げるように、和花がバスルームへ駆け込んだ。
愛理は思わず、くすりと笑った。
◇◇
なんだ、和花のやつ。
わけが分からないまま、俺はソファに腰を下ろした。
「そういえば、深川くん」
菅原先輩がなぜか意味深な笑みを浮かべ、頬杖をついた。
「ベッドは二つしかないじゃない?誰のベッドで寝るの?」
「……はい?」
考えてもみなかった。
そうだ、ここはツインルーム。
誰かが床で寝るわけにもいかないし、ソファで寝るのもさすがに限界がある。
菅原先輩が、小指を唇に当て微笑みながら尋ねてきた。
「私と一緒に寝る? それとも小森さんと?」




