第24話 約束
「そ、それじゃあ、深川くんの家に私が夜から朝までいるってこと……?」
菅原先輩の問いに、俺は頷いた。
戸惑うのも無理はない。
夜間の仕事とはいえ、まるで年頃の男の家に外泊するような形になるのだから。
「もし俺の家じゃ不便なら、近所のホテルを取りましょうか。その分、給料からは引かせてもらいますけど」
「……在宅じゃダメなの?」
「モニタリング中に何かあったら、直接起こしてもらわないと困るんです。俺、一度寝落ちすると、誰かに担がれても気づかないくらい熟睡するタチで。電話くらいじゃ、絶対起きないんですよ」
これも嘘だった。
俺はむしろ物音に敏感で、隣で誰かが寝返りを打つだけでも目が覚める。
だが、それを正直に言って在宅を認めてしまえば、この提案はまるで無意味になってしまう。
(うちの近所に菅原先輩の家は確実にないはずだ)
今日、登校の道すがら近所の表札をひとつひとつ確かめて回ったが、菅原という苗字はどこにもなかった。
もちろん、表札を出していないだけかもしれないし、マンションやアパートという可能性もある。
だが、もしうちの近所で放火事件が起こるなら、かなりの確率でその『悪夢』を見ていたはずだ。
「あ、もちろん、うちで働くと言っても俺の部屋じゃないですよ。空き部屋を使ってもらいます」
「それじゃあ、夜中に何か問題が起きたら、すぐに深川くんの部屋に飛んでいって起こせってことね」
「そうです。ホテルで働くことになったら、合鍵も渡しますよ」
菅原先輩が「ふーむ……」と呟きながら顎に手を当てた。
条件そのものは悪くないはずだ。
だが、夜間の仕事であること、そして何より雇い主が俺だということが、不安なのだろう。
いくら俺個人に金があっても、コンビニやファミレスのように確実に給料が出るという社会的な信用は、ほとんどない。
(それに、仕事の繋がりになれば、今みたいに気楽な関係じゃなくなるかもしれないし)
もしかすると、今の菅原先輩に一番必要なのは精神的な支えであって、お金ではないのかもしれない。
俺が『悪夢』を回避するために、やむなくお金の話を持ち出しただけのことだ。
彼女が慎重に口を開いた。
「今、私、夜に家へ帰ったらそのまま気絶するみたいに寝ちゃうの。だから、あんたの仕事を受けるなら、他のバイトは辞めなきゃいけないと思うんだけど……」
「ええ、どうしてもそうなりますね。その辺も考慮して、給料を高く設定したんです」
できれば他のバイトは全部辞めてほしいところだが、さすがにそうはいかないだろう。
「私としては……給料の額も大事だけど、その額をずっともらい続けられるかどうかのほうが重要で」
「つまり、俺が先輩をずっと雇い続けられるかどうかが知りたいんですね?」
「そうね。ずっと続けてたバイトを辞めなきゃいけないんだから。1、2ヶ月で終わっちゃうなら意味がないのよ」
俺としては正直、放火事件さえ回避できればそれでいいのだが……。
少なくとも今の菅原先輩は、家のために借金返済に集中している状況だ。
借金も決して小さな額ではないだろうから、理解はできる。
ただ、それがギャンブルで作った借金だということが問題なのだが。
「俺にとっても初めての試みですし、少なくとも五か月くらいは様子を見るつもりです。本当に役に立つかどうかも含めて」
「……そうなんだ。でも私、株のことなんて本当に何も知らないわよ?」
「証券会社の専門家レベルを求めてるわけじゃないですから。先輩でも無理なくできることだけ、お願いするつもりです」
俺の保有株が急騰・急落していないかを確認したり、株価に影響しそうなニュースを見張ったり。
単純すぎて、むしろ退屈に感じるかもしれない。
「深川くんにとって本当に役に立つってなったら?」
「その時は、少なくとも俺が大学を卒業するまではずっと雇い続けます」
「え? 今から大学卒業までって、ほぼ7年じゃない?」
「そうですね」
正確には6年9ヶ月だが。
別にこの部分は嘘ではなかった。
本当に菅原先輩が俺をサポートしてくれて負担が減るなら、そのつもりはある。
特に高3の時期なんかは、なおさらだ。
彼女が再び顎に手を当てて、じっくりと考え込んだ。
おそらく、彼女なりに天秤にかけているのだろう。
何よりもお金の問題だから、理解はできる。
「とりあえず、あんたの話はわかった。私もいいと思う。ただ、どうしても夜働くことになるわけじゃない? お父さんに聞いて許可をもらうわ」
「あ……はい。わかりました」
この時点の菅原先輩は、自分の父親がギャンブル依存症だということを知らないのだろう。
放火されようが何をされようが、夜に娘を一人残してギャンブルに出かける人間が、果たしてそこまで娘を大切に思えるだろうか。
(これからどうやって父親の正体を知らせるかも考えないとな)
◇
翌日、再び昼休みの非常階段。
菅原先輩が先に口を開いた。
「昨日あんたが提案してくれた仕事の件だけど」
「はい」
「お父さんが許可してくれたわ」
「俺のこととか、どこで働くのかも話したんですよね?」
「当然でしょ」
普通の父親なら、高校生の娘が年頃の男の家で働くと言えば真っ先に反対するはずだ。
それだけで、この男がまともじゃないとわかる。
菅原先輩はその事実を知っているのか、知らないのか。
「むしろお父さん、仲良くしなさいって言ってたわ」
「え? どうしてですか?」
「その歳でそれだけ成功した人間は、日本、いや世界でもほんの一握りだからって」
一見すると俺を褒めているようだが、そうじゃない。
娘を通じて都合のいい金づるを見つけた――ただ、それだけのことだろう。
もちろん、俺の金がギャンブルの資金として使われるのを黙って見過ごすつもりはなかった。
給料を支払う来月までに、どうにかして菅原先輩に父親の真実を知らせる。
そして、二人を引き離す。
「いつから働けばいい?」
「俺としては、できれば早くしてもらえると助かります。でも、他のバイトを辞めて引き継ぎするのに、少し時間が必要ですよね?」
「まあ、そこまで時間はかからないと思うけど。わかったわ」
「バイト、いくつ辞めるんですか?」
「2つくらい辞めると思う。残りの1つも週末だけにして、平日はあんたがくれた仕事だけをする感じで」
まあ、このくらいが今できる限界だろう。
本当は週末の夜も、菅原先輩を目の届くところに置いておきたい。
だが、そのための口実がもうない。
金を払うから一泊二日でデートしてくれ、なんて言ったら、さすがにレンタル彼女みたいで引かれるだろう。
(いや、デートじゃなくて、ただ遊ぶだけなら?)
折よく、今週末に和花と遊びに行く約束をしていた。
この前一度顔を合わせただけだが、和花と菅原先輩は案外気が合いそうだった。
俺が間に入ってうまく調整すれば――
「先輩、この前、俺と和花でテーマパークに遊びに行くって話、しましたよね」
「あのデート?」
「本当にそういう関係じゃないです。とにかく、先輩はそういうテーマパーク、興味ありますか? 正直なところ」
「……どうかしら。一度も行ったことがないから分からないわ。なんだか高そうだし」
「それじゃあ、俺が費用は全部出しますから、先輩も一緒に3人で遊びに行きませんか?」
「いいの? あんたの彼女、怒るんじゃない?」
「だから、彼女じゃないですってば」
それでも反応を見る限り、菅原先輩も満更でもないようだ。
「まあ、本当にその子がOKしてくれるなら私はいいけど……。どっちみちバイトが終わってから合流することになるわよ? 時間的には平気なの?」
「その辺も俺が調整します。あ、それから、どうせ行くならいっそ1泊しませんか?」
「え? 1泊?」
「ええ。もちろん部屋は別々に取りますよ。和花と夜に二人で女子会でもするのはどうですか?」
「女子会、ね……」
ついでにホテルで夕飯もご馳走する。
彼女にとっても気晴らしになるだろうし、俺としても安心だ。
その場で思いついたにしては、悪くない案だと思った。
「わかった。なんだかあんたの思惑通りになっている気がして少し癪だけど、正直、私には損が一つもないもの」
「俺が何を狙ってるって言うんですか」
「さあ? まあ、深川くんが責任を持って私をお嫁さんにして、一生養ってくれるなら、部屋に二人きりでも構わないけど。そのくらいのお金もあるみたいだし」
「先輩、そうやって結婚相手をお金だけで選んでると、結婚詐欺に遭いますよ?」
菅原先輩が膝を抱え、こちらに顔を向けたまま小さく笑った。
「心配しないで。こんなふうに思えたの、深川くんが初めてだから」
これまで見てきた彼女のどんな表情よりも、美しいと思った。
◇
「はあ!? 週末にあの先輩も一緒に行くの!? しかもホテルで1泊!?」
あとは和花を説得するだけだ。
菅原先輩にした提案をそのまま伝えてみたのだが、思った以上に手こずっている。
「なんだよ、そんなに俺と二人きりで行くのを楽しみにしてたのか?」
「ち、違うわよ! そ、それより、あ、あんたも知ってるでしょ。私、初対面の人の前だとフリーズしちゃうの」
「いやでも、この前非常階段では普通に会話してただろ」
「そ、それは、あの時あんたのせいで私も意地になってたからよ!」
「意地? 何の意地だよ?」
和花の言葉がよく分からず、首を傾げた。
実はすごく緊張していたのだろうか?
そんな素振りは見せなかったのに……。
「それで、お前は行けないってことか?」
「い、いやそういうわけじゃなくて! ……でももし、私が行かなかったらどうするつもり?」
「それならまあ、お前とはまた今度行くことにして、今週末は先輩とだけで行くしかないだろ」
「ホテルで1泊まで?」
「まあ、そうなるな」
彼女が「うう……」と苦しげな呻きを漏らしながら、両手で頭を抱え込んだ。
どうしたんだろうか。
そんなに菅原先輩が気に入らないのだろうか?
二人は相性が良さそうだというのは、俺の勘違いだったのか、と考えた矢先。
「わかったわよ! 3人で行けばいいんでしょ!」
「ああ。ホテルはご飯が美味しいところにするから」
「そ、それはすっごく楽しみね!」
瞬く間に、和花の目の色が変わった。




