第23話 油が明かした真実
ここがどこなのかは分からない。
ただ、俺と菅原先輩が二人きりで向き合っていた。
けれど、彼女の顔は見る影もないほど変わり果てていた。
「先輩、その火傷は……」
もともと滑らかだった顔立ちは、赤黒い蝋が垂れたように溶け崩れ、いびつな凹凸となって張りついていた。
引き攣れた肉の裂け目から、片方の唇がめくり上がり、白っぽい歯茎がおぞましく剥き出しになっていた。
瞼を失い、閉じることすら叶わない眼球が、滲出液に濡れたまま、焦点のない光をぎらりと返していた。
「あのさ、深川くん。私、これからどうやって生きていけばいいのかな?こんな顔で」
「ど、どうやって生きていくって。今までやってきたように——」
「今までやってきたように?この顔を晒したら、バイト全部クビになったわ。他のみんなも、先生たちも目が変わったの」
「再建手術の費用なら、俺が少しは工面します。そうすれば元通りに戻れますよ、きっと」
菅原先輩が、今まで聞いたこともないような大声で叫んだ。
「頭の悪い私にだって分かるわよ!元通りになんか戻れないってことくらい!!」
太い涙の筋が、火傷で歪んだ頬を伝って流れ落ちた。
「成績も悪い、運動もできない、要領も悪い、性格も変、お金もない、社会性もない——そんな私に!唯一、長所と呼べるものが、この顔だったの!!なのに、なのに——!!」
その場にへたり込む菅原先輩の嗚咽を聞きながら、俺にはかけるべき言葉が見つからなかった。
「私、このまま生きてて何になるの?こんなの生き地獄よ……」
クラスメイトに無視され、一日一食の暮らしになり、スマホも趣味も手放したとしても、ここまで絶望はしなかったはずだ。
もう少し頑張れば、いつかは良くなるかもしれない——そう思えたから。
だが、この火傷はこれまで積み重ねてきた努力のすべてを、水泡に帰してしまった。
糸のように細い希望さえも、無残に断ち切られてしまったのだ。
(だから自殺したんだ)
苦痛に満ちた未来しか見えない。
自分の価値が完全になくなってしまった。
永遠に目を閉じることこそが、最も安らかな道だと思い詰めてしまったのだ。
(それでも、俺がどうにかしなきゃならない)
菅原先輩の痛みを理解できるのは、俺しかいない。
彼女が命を絶たないよう助けられるのも、俺だけだ。
生きる理由を、俺が作る。
「先輩、どうしてこんなことになったのか教えてください」
「……借金取りのせいよ」
「借金取りですか?」
「うちのお父さんに大金を貸した人がいるの。でも、何年経っても取り立てられないから、その恨みで夜中にうちへ入ってきて、ガソリンを撒いて火をつけたの。私の顔にもガソリンがはねて……」
生き延びただけでも奇跡だった。
もっとも、当の本人にそう思えるはずもない。
一方で、菅原先輩がバイトを三つも掛け持ちしているのに、なぜ食事もまともに摂れなかったのか——その理由が、ようやく腑に落ちた。
「借金のせいで、お金に困っていたんですね」
「……そうよ。私、お父さんにこれで借金返してねって、毎月一生懸命稼いだお金をほとんど渡してたの。でも、うちのお父さん、それ全部ギャンブルに注ぎ込んだんだって」
「ギャンブル……」
「借金も、私には事業の借金だって言ってたのよ?違ったの、ギャンブルの借金だったの。借金取りもお父さんに騙されてたってわけ」
菅原先輩は返済しているつもりだったが、実際には父親のギャンブルに金を貢いでいただけだった。
「笑えるのは何だと思う?借金取りが火をつけた日、肝心のお父さんは家にいなかった。私一人だったの。お父さん、ギャンブルに行ってたんだって。……だから、あいつだけ無傷なのよ」
「……お父さんを、恨んでいますか?」
「当然でしょ。あんなの、父親でも何でもない。こんなことなら、家出してでも、どうにかして一人で生きていくべきだった!いや、あんな人間、包丁で刺し殺すべきだったのよ!!」
菅原先輩の瞳には、深い怒りが宿っていた。
あるいは彼女は、自殺する前に父親を殺害してから、飛び降りたのかもしれない。
俺は片膝をつき、彼女の肩にそっと手を置いた。
「先輩、俺がどうにかして救ってみせます」
「……本当に?」
「ええ、俺を信じてください」
「私、もう一度信じてもいいの?」
「はい」
これが『悪夢』だということは、とうにわかっていた。
「俺には、未来が見えるんです」
◇
はっと目を覚ます。
いつの間にか滲んでいた涙を乱暴に拭い、ベッドを蹴って立ち上がった。
記憶が薄れないうちにと、机へ駆け寄ってノートを広げた。
(今回の『悪夢』で、大半の疑問は解けた)
菅原先輩の父親は深刻なギャンブル依存症であり、彼女はその事実を知らなかった。
彼女の父親に騙されて大金を貸した債権者は、恨みを抱いて父親を殺そうと家に火を放ったが、実際に犠牲になったのは彼女だけだった。
事件の事後処理の中で、彼女は自分が今まで稼いできたお金がギャンブルに消えていたことを知った。
(身体的にも、精神的にも、取り返しのつかない傷を負ったのだ)
俺が同じ立場でも、絶望するしかなかっただろう。
これまでの努力がすべて無意味になり、未来もただ暗澹と閉ざされてしまったのだから。
正気でいられる方がむしろおかしい。
(夏服を見るに、9月以前だろう)
もしかすると、俺と関わったせいで放火事件が起きたのではないかとも考えたが、その可能性は低そうだった。
俺がいようがいまいが、借金取りの恨みには変わりないだろうから。
むしろ菅原先輩と少しでも距離を縮めていたからこそ、夢の中とはいえ、彼女の口から直接事の顛末を聞き出せたのだ。
(流れからして、火傷を負った後に自殺すると見るべきだろう)
自殺を回避した結果、代わりに放火事件が起きた——その可能性も完全にゼロとは言い切れない。
しかし、放火事件が自殺の引き金になったと解釈する方が自然だ。
俺の見る『悪夢』が、必ずしも時系列順だとは限らないのだから。
(問題は、どうやってその放火事件を回避するかだが……)
今回の悪夢の場合、事が起きた後に菅原先輩から直接話を聞いた形だ。
つまり、和花の時のように、いつ起きるのか——その時点が掴みにくい。
当然、まだ起きていない事件を警察に通報したところで、動いてくれるはずがない。
(一番いいのは、火をつけられる前まで家にいないことだが……)
どうやって?
菅原先輩に予知能力について話しても、信じてもらえるわけがない。
和花のように二日間の登下校というわけでもないし、だからといって、これから数か月ものあいだ毎晩俺と過ごしてもらうなんて、さすがに無理がある。
(お金でどうにか誘うしかないか)
『金を渡すから、家が燃える日まで帰るな』なんて、そんな言い方ができるはずもない。
菅原先輩が納得するような、もっともらしい理由がいる。
何かいい口実はないか。
腕を組んで悩んでいた、その時。
ピロン——
スマホから通知音が鳴った。
何かと思えば、証券アプリからのお知らせだった。
特に大したことではない。
サーバーメンテナンスが予定されているから、利用に注意してほしいという内容だった。
(あ、そうか。これだ)
多少のリスクはある。
それに、菅原先輩が応じてくれるかも確実ではない。
でも、提案してみる価値はある。
俺はそう考えながら、急いで学校へ行く準備をした。
◇
昼休み。
いつものように食券を買うと、俺はまっすぐ2年4組へと向かった。
菅原先輩の手に一万円を握らせ、さっさと非常階段へと引っ張り出した。
とりあえず、平常心を装いながら世間話から始めた。
バイトであったことだとか、貸した漫画の感想とか、今日の定食のメニューの話とか、などなど。
まだ少し無愛想ではあったが、最初に比べれば時折冗談も交えるほど、口数も増えていた。
「あの、先輩。もし条件のいい仕事を紹介したら、受ける気はありますか?」
「仕事?随分と唐突ね。まあ、内容にもよるけど。給料が最優先だけど、私にできないこととか、非合法だとか、そういうのは無理よ」
「全然そういうのじゃありません。とりあえず、給料はこのくらいです」
スマホの電卓アプリを開き、数字を打ち込んで見せる。
菅原先輩が、ぽかんと口を半開きにして画面を見つめた。
「え、こんなにもらえるの?今のバイト代全部合わせても、倍以上あるんだけど……」
彼女がしているバイトはどれも最低賃金か、それより少し多いくらいのものだ。
おまけにまだ高校生だから、どれだけ働いても稼げる額には限界がある。
この金額は、事実上新入社員クラスだ。
「それに、賄いも無料です。夜と朝の二食付きですよ」
「すごく魅力的ではあるんだけど……。本当に私にできる、合法的な仕事で間違いないの?」
「はい。先輩にもできる仕事です。法律的には、その……先輩が法に触れることはありませんから」
俺が抵触する危険はあるが。
それでも、先輩がどこかに通報したりはしないだろう。
そう信じるしかない。
「でもちょっと待って。夕飯と朝ご飯が出るってことは、夜に出勤して朝に帰ってくる仕事ってこと?」
「ええ、そうですね。あ、だからといって変なお店じゃありませんよ。事務作業ですから。アメリカとの時差のせいで、深夜勤務になるだけです」
「アメリカ?ふーん……。業務内容はともかく、高校生が深夜に働けるの?」
「そこは……先輩が黙っていてくれれば問題ありません」
俺はニヤリと笑いながら言った。
「だって、俺が先輩を雇いたいんですから」
「……え?あんたが、私を?」
「はい。先輩、気になってましたよね。俺の金がどこから出てるのか」
今度はスマホで証券アプリを開き、ポートフォリオの画面を突きつけた。
そこには当然、運用資金の額が表示されている。
「こ、これ全部あんたのお金なの?合成とかじゃないわよね?」
「はい。俺が運用している株式です。ただメインは米国株なんで、日本時間だと深夜に動くんですよ。でもその時間、俺は寝てたいんです。徹夜は体に悪いですから」
まあ、実際は徹夜でやっているわけじゃないのだが。
肝心なのは菅原先輩を納得させること——そのためなら、嘘も厭わない。
「週に5日、夜にうちへ来てもらって——俺の代わりに、深夜の米国株市場をモニタリングしていてほしいんです」




