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62.功成の秘密と鈴子の話


 功成くんは、見えざる者が見えるらしい。


 名前を呼ぶことを許された嬉しさで、鈴子の息はますます弾んだ。

「あ、あたしも、あのね、功成くん、あたしも小さい頃ね」

 緩やかな山道を登りながら、今度はあたしの番だと精一杯語り続ける。

 功成の話は、驚きの連続だった。しかし不思議とすんなり受け入れられた。もちろん、自分のかつての経験がすべてを真実だと教えてくれる。

 そして同時に、あの夏の日に感じた「彼なら聞いてくれる」という欲求は、間違いではなかったと確信した。

 功成の話に出て来たあの「女性」のことは、確かに気にはなった。けれどはっきり言って他人事だ。いや、まずは功成に近付くことが大事だと強く思った。


 そう、近付こう。

 功成くんに近付こう。あたしの話を聞いてもらって、全部聞いてもらって、そして……。


 前を行く功成の姿勢はぶれることがなく、一定の速度を保っている。耳たぶと鼻先が氷のようで感覚もなかったが、鈴子は小走りのまま言葉を紡いだ。

「……へえ。きりん様」

「そうなの。功成くん、あたし、ただひとりの大切な守り神、優しいきりん様と別れてから。ずっとひとりぼっち。でもね」

 革靴が枯れ枝を踏む。獣道とは異なる、たくさんの足跡が残る小道をひたすら歩く。

「ひとりは平気なの。全然構わないの。くだらない奴らとは付き合いたくもないし。ただ、きりん様が遠くに行ってしまって、それだけが悲しくて」

 訴えながら、望みが叶った歓喜の念がじわじわと込み上げてきた。

 自分の中だけに収めておくはずだった秘密を聞いてもらっている。

 ふたりだけの世界で多くのものを分かち合っている気がして、裂くような冷気も我慢できた。

 駅を出たところで功成に言われ、家には連絡してある。電話口に出たパパは、鈴子の「友達のうちで勉強して行く。遅くなる」という嘘をあっさり信じた。その上で「初めてだな、お前が友達のところへ行くなんて」と喜んでいた。真面目に勉強もいいが、ゆっくり楽しいおしゃべりでもして来なさいと拍手までしていた。

 馬鹿なパパ、と鼻で笑う。鈴子の周りは、何にも分かっていない下等な人間ばかりだ。

 この功成という存在以外は。

「ねえ功成くん。以前廊下で、僕もひとりだって言ってたでしょ。夏の三者面談の時。あれ、あたしもよく分かる。功成くんは見えざる者が見えるただひとり、あたしは唯一の相手だったきりん様が去ってずっとひとり。お互い本当にひとりぼっちだもの」

 転がった幹に足を取られてよろめくが、すんでで踏ん張った。

 浮ついた気分が極限を超え、酔ったような心持ちになる。

「あたしね、さっき功成くんが語ってくれた話の中で、ほら、哲也って男の話。哲也って人はさ、自分が見えていないと認めずずっと特別だと思い込んでたんでしょ。でもね、あたしは違う」

 あたしは知っている。自分がちっとも特別ではないことを。

 たまたまヘビが巻き付いていて、ちょっと見えただけだ。

「でも、だからこそ。あたしを大事にしてくれた、大好きなきりん様のことを。忘れないでいたいの。ずっと覚えてて、ずっと心の内で呼んでいたいの」

 こんな地味で暗い価値のないあたしを、慈しんでくれたきりん様。

 だからこそ、絶対に忘れられない。

「きりん様のことを思うだけで。あたしは、ひとりでも平気なの」

「ふうん」

 突然功成が止まった。ぶつかりそうになって、慌てて仰け反る。

 白く曇る呼気の向こうで、功成が額の前髪をかき上げた。


「……」

 ふいに肌に冷気を感じる。

 その両目を見返した途端、寒さが全身を巡った。

「ねえ、鈴子さん。僕はひとりでも大丈夫だけど、鈴子さんは違うと思うなあ」

「え?」

「僕はひとりでも大丈夫。そうやって呪いをかけられちゃったからさ。……でも君は」

 耳たぶが痺れてよく聞き取れず、鈴子は必死に首を傾けた。


 腿から下が疲労で痙攣している。

 冷気を深く吸い込んで初めて、功成が今までまったく歩調を合わせてくれていなかったことに気付いた。


「ごめ、聞こえな……あの、あたし、足がすごく疲れて……」

 制服のスカートが震え、脳の奥でしこりのような塊が浮かんだ。

 品行方正で優しく親切な功成――

「ま、いいや。さっさと行こう。……なんかもう、面倒になってきちゃったし。まあ途中で放り出すことはしないけどさあ」

 身を翻して、功成はぽつりと付け足す。

 面倒、と。

 鈴子の耳が、かろうじてそれを拾った。

「……あーあ。やっぱり僕は無理だなあ。できる限りでいいから人を助けろってさ。……オヒトヨシって、めんどくせ」

 何、何を言ってるの、と叫ぼうとしてまた肩が遠くなる。必死で追いすがる自分に、ずっと小走りだったと改めて知った。

 ついさっきとは真逆の、不安に似た重い感覚が積み重なる。

「……功成、くん」

 鈴子は、徐々に冷静さを取り戻していた。


 目的地も知らず、言われるがまま、どうしてこんなところまでついて来た。

 夜だ。

 山道だ。暗闇の山道だ。

 あたし、何か、ちょっとおかしくなって……


「鈴子さん」

 冷水を浴びせられたように、びくりと立ち竦んだ。

 呼ばれて仰ぐ。いつもの穏やかな笑みに、しかし違和感を覚えた。

 唇は曲線を描いているのに、切れ長の目は笑っていない。通った鼻筋が顔に影を落とし、頬には感情が皆無だ。

 そして直感した事実に、鈴子は自分で瞠目した。


 この人は、今だけじゃない。普段も、教室でも、みんなに囲まれていても、そうだ。

 誰も気付いていないだけで。

 ……こんな顔をしている。


「……」

 なぜか唐突に、頭に「騙し絵」が浮かんだ。

 うさぎに見える絵が、見方を変えると女の人の横顔にも見える。

「……あたし」

 突如思い出した言葉に声が震えた。

 

 お兄ちゃまは、狂ってる。


「あ、あたしっ。もう帰っ……」

「残念。もう着いちゃった」

 功成がおどけた仕草で両手を広げた。


 見上げた先には、教室のテレビで観た通りの光景がある。

 闇夜に浮かぶ廃墟は、崩壊寸前の姿でそこに建っていた。





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