188.表裏の言霊8
「栄美子さん、栄美子さん」
「はあい。なあに、沙貴ちゃん」
「うふふ。……一体、なんの謎かけ?最新の赤ちゃん名付けの漢字当てクイズ?栄美子さん、正解は…………じゃなくて!私、なんでこんなにのん気に!みんなに知らせなきゃ……!」
突然、沙貴が瞬きをした。
焦ったように肩のカバンを探る。
「栄美子さんが、栄美子さんがなぜか急に、元に……元気に?回復したの?治癒、寛解、えええ、なんて言えばいいの、私のことを思い出してくれて……会話も視線も……え、私よりも先にまずご家族だよねこれ!」
ぶつぶつと呟き、そして取り出したスマホを握って、本院へと走り出そうとする。
「わ、私、住職に伝えてくるっ」
「大丈夫よ、沙貴ちゃん。住職にはわたしが言うわ」
にっこりして言うと、沙貴はふと肩の力を抜いた。
「そ、そうだよね、自分で言った方がいいよね。ごめん、慌てちゃって」
そうして、スマホを見つめて少しだけ離れて行く。
「コウ……は講義中か……うーん、鞘子、鞘子も授業中だよね、でも着信履歴だけでも残しておいて、」
見計らったように震える手元にため息を吐き、沙貴はすぐ耳に当てる。
「はい。あんた講義中なんじゃないの、え?なんとなく気になってかけちゃった?ああ、はいはい。もういつものことだからそんなに驚かないってば。それより講義、ちゃんと勉強しなさいって。え、私?いやいや帰るよ、おじい様に杖渡したら。コウの帰宅までって、そんな時間までお邪魔してるわけには…………じゃなくて。じゃなくて!大変なことが起こったの、聞いて聞いてコウ、栄美子さんが……え?講義に戻らなきゃ?どういうタイミングなのそれ」
また笑ってしまいそうになって、とっさに口を押さえる。
コウちゃんはきっとわたしを監視しているのねえ。電話で確認してきたのね、わたしの糸の復活を。そういうことができる子だものねえ。ふふ。
沙貴が笑いを堪える栄美子を見て、少し困ったように眉を下げて言葉を濁した。
「……切られちゃった。向こうからかけてきておいて。なんか、最近……ここ数年ずっとか。栄美子さんへの遅い反抗期続いてるらしいね。コウ」
「ふふ、仕方ないわ。わたしは全然かまわないもの」
「さすが。母は強しだね」
「ふふふ」
本当に構わないもの。あの子がどう思っていようが。
微笑む栄美子に安心したように笑って、沙貴がまたスマホに目を落とす。鞘子に着信履歴だけ残すらしい。その吊り目がちな横顔を見ながら、栄美子はもう一度内心微笑んだ。
構わない。だって最後は地獄だもの。
「…………え。鞘子、出た……」
授業は?いま普通に授業中だよね?!とスマホを二度見している彼女に軽く手を振る。
沙貴も栄美子に振り返して、背中を向けた。
「え、ちょっと。兄妹そろってなんで平気で電話してるの?いま授業中じゃないの鞘子…………ん?いまちょうど職員室で?お説教中?……ますますだめじゃないのそれ」
鞘子も本当に、困ったわねえ。
のんびりそう思いながら、ぴんと張った愛おしい背中を見る。
それから、地面に視線を落とした。
「……うーん……」
栄美子は大きく首を傾げた。
変だわ。
こういう感じの勘、外れたことないのに。
「……」
口に手を当てて考える。久しぶり過ぎてくすぐったい。この感じ。
答えを聞いて、ああ、やっぱりね、と思うこの感じ。
……これが外れることなんて、あるの?
「……なんでこの時間にお説教されてるの?え?……一時限目からずっと寝てたから?うん納得。て言うか、いまこれ大丈夫なの電話。……目の前に、怒りで顔を赤くしている担任の先生がいると。でしょうね。もう切るわね、…………え、なに?ちょっと待ってって、なに」
あきれ果てたような声音の沙貴の、その背中に優しい風が当たって柔らかな匂いがした。
「……うん。一時限目からぶっ通しで居眠りをして、なんだかすごい夢を見た、と。……いまここでする話?目の前の先生、怒り過ぎて卒倒されてない?大丈夫?」
栄美子は思わず吹き出してしまう。
そしてもう一度、自分の足元、真下の地面をじっと眺めた。
砂に書かれた拙い文字は、風に流されて消えかかっている。
なる。と、あお。
成。
そして阿央。
「なる、成は……コウちゃんと同じ字よねえ。……違うのかしら。父親から取った字だと、思ったのに」
『違う』のかしら。
「あお、は……うーん。結構珍しい字だわねえ。阿もそうだし。お、もそうだわ。……『央』……どこから取ったのかしら」
勘が外れるなんてことがあるのかしら。
わたしの。
結果を知り、純粋に驚き喜びに震える未来が、来るなんて。ありえるのかしら。
……まあ、違ったのだとしても構わないわ。わたしの命は彼女のためだけのものだし、苦難はすべてわたしが引き取るし、最後は地獄だし、それに、
鬼は来ないのですって。
明るく心地よい声が風に乗り、境内の木々をかき混ぜる。はずみで砂が舞い、地面に書かれた字を消した。
「うん。うん。……なるほど。夢の中で鞘子は学生結婚をして双子を産んだと。子育ての日々は大騒動でガチ大変でやばくて目が覚めたと。なるほどなるほど。…………まずはそんな現実味のない夢は忘れて、目の前の先生に誠心誠意謝罪して、寝ぼけた顔を洗って、はやく授業に戻りなさい鞘子」
境内に七色の木漏れ日が降る。
守ってくれて、ありがとね。
わたしがその言葉を、胸を張って受け取ることは生涯ない。
でも、春がまた、わたしの好きな季節になりますように。今後の贖罪の人生で、それだけは叶えてもいい気がするの。
栄美子は願って目を閉じた。
「……守ってくれて、ありがとね」
受け取ることはできないけれど、その言葉をそのまま別の人へ送ることはできる。
守ってくれてありがとう。わたしの糸から彼女を、さらに出来損ないの鞘であるわたしまでも。守ってくれて、ありがとね。
わたしの剣。
春よ。
春が来たわ。
阿央の央は未央ばあちゃんの央
さて、こちら188で「首桃果の秘密」はいったん完結とさせていただきます。
以前書いていた際に完成していた分はここまでなので、一度区切りを。
功成幼年~少年~青年が首桃果第一部なので、ここが第一部完。
第二部(続き)はすでに書き貯めておりますが、直しを加えてまた二か月後くらいにこっそり始めるつもりです。
春頃にまたお会いできれば幸せです!
その間、別の作品もちょこちょこ公開しますので、お時間ある時にぜひのんびり読んでいただけると嬉しいです。
改めまして、この第一部終了まで、本当にありがとうございました。
ずっとひとりで書いておりましたのに、ある日知人から、
「お前の作品ずっと何年も探してる人おるぞ」
と聞いて、えいやっとここに来ました。
それからは読みに来て下さる皆様が、いつも公開への勇気を
くださいます。
どうぞ今日もよい一日になりますように。
首桃果、また春頃お会いしましょう。




