15 群像 七福あんこ
○
「なー、麻優氏ならどっちを攻め認定?」
「もちろん、こっちの冴えない方なのだ」
「さすが麻優氏わかってますなー」
「やっぱりひーひー言わすならイケメンの方だよなー。ところで何これ? クラスメイト?」
「うん」
それは七福あんこが苦労の末に編み出したカップリングだった。
あんこはスマホの向こうの親友に、このカップリングの設定を説かずにいられない。
――イケメンの方の父親の会社が買収されそうになって、それを陰で助けようとするのが冴えない方なのだ。だけどイチ高校生に会社の買収なんか防げるわけがない。けどその男子は健気に、ろくに面識のないクラスメイトの女子を頼ってでもなんとかしようとする。だから女子は訊ねる。どうしてアナタはそんなにあの男を助けたいの? 男子は答える。……わからない。
だが、あんこちゃんにはわかっていた。それは愛よ。男子なら誰もが秘めている真実の愛なのよ。
かくして、七福あんこの中に「長谷川創汰×清掃部晴人」のカップリングが爆誕した。
クラスメイトの男子が部屋に訊ねてきたあの日、七福あんこはその男子にBLの匂いを嗅ぎつけるやいなや、脊髄反射的にカップリングを完成させていた。
設定を含めなかなか良いカップリングだったから、その感動を誰かに伝えずにはいられなかった。
けれど高校をドロップアウトした自分には伝える人間がいない。
――そうだ、久しぶりに麻優氏に電話しよう。
餡螺麻優は中学時代のあんこのクラスメイトで親友だった。麻優は学業成績に致命的な問題があって、別々の高校になってしまったけれど、中学時代に築いたBLの絆は簡単に断てるものではなかった。
あんこは高校入学時に撮ったクラスの記念写真をひっぱり出す。創汰と晴人にぐりぐりと赤丸をつけ、それをスマホのカメラで写すと、さっそくラインで麻優に送りつけた。
――麻優氏ならどっちを攻めにするだろう。
「――ねえねえあんこ。このイケメンの方すごくイイ感じじゃないか?」
「むー。同意しかねますな」
「あれ? あんこの好みだと思ったのだが」
「見た目はねー。でもそいつは性格極悪ス。なんで人気あるのかわかんねっス。学祭の実行委員とかにも選ばれてるみたいだし」
あんこは、クラスメイトが届けてくれた学祭のパンフレットを眺めながら答える。うちのクラスのイランフェスティバルってなんだ。
「むしろこの凶悪性格イケメンをぼろぼろにして、首輪につないでみたいとは思いますがなー」
「あ、リードとか似合いそうなのだ。さっすがあんこ」
「もちろんお尻には犬のしっぽを突っ込むのよ」
「素敵!」
夢のようなBL談義もほどほどに、あんこは電話を切る。
紅茶に舌鼓を打ちながら、あんこは改めて充実したひとときを反芻した。
「清掃部晴人を素敵だなんて思ったころもあったわ……」
遠い目でつぶやくあんこも、入学当初は清掃部晴人に憧れていた。細面の顔にさらさらの短髪、誰にも愛想を振りまく好性格はわんこ受けの素質を感じさせ、色んなものを出し入れしたい欲求を掻き立てた。次の同人創作のモデルが決まったとさえ思ったものだった。
幸運にも晴人の席はあんこの目の前だった。だからあんこは数学の授業中も、晴人の背中を眺めながらたっぷりとカップリングを練ることができた。
「(x)×清掃部晴人」。
――なんて困難なかけ算かしら!
だがあんこはxを探して労を惜しまない。あんこが住む世界では、かけ算の前の方には「攻め」がくる(「攻め×受け」となる)のが常識だったので、あんこにとって例えば三×四と四×三は、答えが全く異なるものだった。あんこには三×四が適切に思えた。三は奇数だし、棒が三本だからだ。だから数式に初めてxやyといったものが登場したとき、あんこは目を見張った。外人だ、と思った。その発想はなかったあんこはにわかに興奮し、「やるじゃん」とつぶやいて、数式にアルファベットを組み入れた人間の労をねぎらった。
――晴人のカップリング相手は誰が良いだろうか。
晴人のような逸材を攻めるには、やはり相応の逸材でなければならない。
あんこは教室の男子を舐めるように見渡す。「高橋大和×清掃部晴人」「佐々山惣一郎×清掃部晴人」……と、候補生たちをずらずらとノートに書き出していく。字面も大事だ。ポスト晴人の座を狙う「八十島奈々樹×清掃部晴人」辺りが無難かに思えたが、それは発想の墓場のような安直さも感じさせ、あんこの腑に落ちることはなかった。
「七福さん、プリント――」
あんこは行為に熱中するあまり、前からプリントが回ってきていることに気づかなかった。
――やべえ!
と思ったときには、ノートを目にした晴人がすでに「うわあ」という顔をしていた。
以来晴人はあんこを胡乱な目で見るようになった。信用ならないといった感じだった。自業自得だと思えばあんこもまだ我慢ができた。
だがあんこの考えを一転させる事件が起きる。
落とした定規が晴人の方に転げたときのことだった。
「こ、これ……」と拾い上げた晴人は、定規を親指と人差し指で摘み上げた。汚いものを拾うようにしていた。
あんこは少なからずショックを受けた。
――ぼくが変な目で見られるのはかまわない。
あんこは唇を噛む。
――だけど、アキラ×セツナがこんな仕打ちをうけるなんて。
アキラとセツナはあんこが愛してやまない芸術映像作品『YOU雄ロマンスミステリカ』の登場人物なのだが、落とした定規には二人のイラストが描かれていた。どちらもビキニパンツの水着を着けていて、線が細いのに筋肉質で、やけにたくさんの汗が光っていたのだけれど、あんこの芸術観では問題が発見できなかった。
――人を傷つけるのは簡単なんだ。からだを傷つける必要はないんだ。相手が大切にしているものを思い切り蹴飛ばすだけでいいんだ――
と、書いたのは『隣の家の少女』のジャック・ケッチャムだ。
よってあんこのショックは度が過ぎて、怒りに転じた。
――あの男は、わたしの大切なアキラ×セツナを汚ない目で見やがった。
「三次元の分際で!」
苛立ちが隠せないあんこに転機が訪れたのは、五月二三日。十六歳の誕生日のことだった。
部屋のクローゼットから紳士が飛び出した。
「あなたはこのたび『富豪』の能力者として、正義ノ味方管理協会に登録されました」
あんこはにわかには信じられなかった。だが試しにナンバーズ3を買えばストレートで一一四九〇〇円が当たったし、自販機でジュースを買えば買った以上のおつりが出た。一万円札がたくさん入った財布も拾った。さすがに恐くなって警察に届けたら、落とし主の金持ちが「感心だ」とお礼に札束をくれた。
「まじか……」
札束を握り締めるあんこ。
金の力は人を狂わす。
あんこはまず学校に通う必要性を見失った。
学校は何のために行くのかと考えたら、将来より良い仕事について、より多くのお金を稼いで、よりたくさんの乙女グッズを収集するためだった。
――富豪の能力があれば、もう学校に通う必要なくない?
あんこにとって学校はもともと居心地の良い場所ではなかった。
クラスメイトの女子の恋愛談義は退屈だったし、ルックスや運動能力や安っぽい優しさが好まれる恋愛観は、あんこにしてみれば浅はかだった。そこには真理や哲学といったものが欠けていた。そもそも男子という生き物は、本質的には男子が好きなのだということがわかっていない。彼らには女子など必要ないのだ。BLアニメに女キャラがしゃしゃり出てくる必要もないのだ。真実の愛は、男子だけに存在するものを、本来男子に存在するはずのない穴に突っ込むことによって達成されるべきであって、美少年を囲うことが優れた男のステータスとされていた古代ギリシャに世界は回帰すべきなのだった。
――ここにはぼくと同じ高みで意見を交わせる人間がいない。
だから、孤高のあんこは一人で昼食のパンを囓らなければならなかった。
登校を拒否したあんこは、駄目な人に大金を持たせるとこうなる部屋を順調に体現していった。あんこは金にものを言わせた。能力がばれると動物にされるらしいので、購入はもっぱらネットでポチることに頼った。外出するのは週一回、コンビニに少年チャンプを買いに行くのみとなった。少年チャンプだけは発売日に読まなければならない。
そんなあんこを九月が襲う。
九月一日現在のあなたの善行点は 二 ポイントです。
目標の一〇〇点まで 九八 点不足しています。
前期末の九月三〇日までに目標を達成するよう努力してください。
「しらんがな……」
人の話を全く聞いていなかったあんこは、急遽善行点を稼ぐ必要に迫られた。
そういえば、クローゼット紳士が「自分で考えた悪を倒せ」とか言ってた気がする。
――悪ってなんぞ?
あんこが真っ先に思いついたのは『YOU雄ロマンスミステリカ』のネットコミュニティで「セツナ×アキラ」のカップリングを提唱するメスどもだった。
幼くして両親を殺され、心を病み、小動物しか愛せなくなった可哀想なセツナは、アキラが強引に心を開かせることによってあっちの穴も開かせるしかないのに、どうして「セツナ攻め」などという発想が沸いてくるのか。
実際に世間も「アキラ×セツナ」派が圧倒的だから、あんこにとって「セツナ×アキラ」派は、単にマイノリティ(少数派)を気取りたいだけの屑に思えた。カップリングとは己の主義を主張するために構築されて良いものじゃない。もっとヒトの深淵から自然と沸き溢れでるものであって、最初に嗅ぎ取った匂い立つものを信じるべきなのだ。
けれど、連中が「悪」かと言われると違う気もした。それは単なる「カップリング戦争」という名の内戦であって、我々は本質的には同じ人種だった。もっと大きな敵が現れたなら、手を取り合って戦うべき関係だった。
ではぼくら全てにとっての大きな敵とは――悪とは何だろうか。
それはBLの存在自体を否定し、蔑視する人種である。
腐ったものを見るような目をぼくたちに向ける人種である。
――そう、あの清掃部晴人のように。
清掃部晴人のような差別主義者は悪なのだから、正義の力によって改心させなければならない。
「どうやって目覚めさせようかな……」
富豪の能力で悪を倒す――といわれても、あんこは具体的にどうしたら良いかわからなかった。悪と戦う慈善団体にお金を寄付すれば良いのだろうか。だけどそれじゃ晴人は服従させられない。考えたところであんこに浮かぶのは、晴人のほっぺたを札束でひっぱたく発想だけだった。
「札束でひっぱたいたら、ぼくにひれ伏さないかな」
ひれ伏せる、という言葉に土下座姿の晴人を連想して、あんこの頭に稲妻が走った。身体がぶるぶると震えた。四つんばいになった想像上の晴人(全裸)に、試しに首輪をつけてみたらこれがたいへん良く似合った。
これはいい。と思ったあんこは実現に向けて検討した。
――金の力で清掃部晴人を飼い慣らす。
字面がことさら酷くなったけれど、それはつまり「富豪の力で悪を正義の制御下に置く」と言い換えることができた。
あんこが打ち出した作戦はこうだ。
一.晴人の父親が経営する清掃部フーズを何らかの形で危機に追い込む。
二.清掃部一家が路頭に迷ったところで、謎の仮面美女が現れ資金援助を申し出る。
三.『息子さんの学費と住居も提供しましょう』と提案し、事前に準備した奥の院に囲う。
四.『君さえ犠牲になれば一家は幸せに暮らせるのだよ』と言いながら首輪をつける。
――そして訪れる朝チュン。
完璧だと思った。薄い本に染まったあんこの脳にすれば、何の問題もないシナリオだった。趣味と実益(善行点)を兼ねてしまったから、他の選択肢が見えなくなった。
あんこはさっそく『よくわかる企業買収』ほか株式投資など諸々の本を購入し、三日三晩読みふけった。あんこはその世界のシステムさえわかれば良く、勝つためのノウハウといった部分は必要なかった。そこは富豪の能力があればどうにでもなる。
そしてあんこは富豪の力で謎の会社を陰から操り、清掃部フーズの株を買い占めた。もちろん清掃部フーズも買収対策はしていたが、富豪の能力の前では全てが無意味だった。想定の範囲外だった。ホワイトナイトやパックマン・ディフェンスは灰燼に帰し、不当な買い占めを防止するはずの法律は機能不全に陥った。清掃部フーズの株は謎の買い占めにより異常な高騰をみせ市場は騒然としたのだが、そんなニュースが高校生たちの耳に届くことはなかった。
もうすぐ買収完成、というところで珍客が現れた。
『――覚えてるかな。同じクラスの清掃部晴人』
その地味なクラスメイトは清掃部晴人を救おうとしていた。
それだけでもカップリングを成立させるに十分だったのだが、あんこの「どうしてそんなに助けたいの?」という問いに、その男子は戸惑いながら「……わからないんだ」と答え、高度なラブ暗示をやってのけた。
「一緒にいきたい(カラオケに)」とか「あいつとしたいんだ(バスケを)」のようなあからさまな示唆は、あんこのような上級者にとってはかえって興ざめなのだけれど、「わからない」は良かった。あなたはまだ自分に目覚めた感情の正体がわからないのね。それは愛よ。BLという正しい愛の形なのよ。
『長谷川創汰×清掃部晴人』
とりわけ地味な男子だった長谷川創汰はあんこにとって盲点だった。
地味ではあるものの、よく見れば見た目もさほど悪くない。
創汰が帰るや否や、電話で麻優とカップリング談義に花を咲かせたあんこは、さっそくデスクトップパソコンに向かった。
漫画作成のソフトを立ち上げ、原稿データにペンタブを走らせる。あんこは下絵からパソコンで書くフルデジタル派だ。
――地味男子がイケメンリア充男子に寄せる片思いの恋。
――人気者のイケメンリア充を、遠くから一人寂しく眺める地味男子。
――なぜこんなに切ないのだろう。
――地味男子はその気持ちの正体がわからず一人悶えている。
ついにエックスを見つけたあんこのペンタブは、とどまるところを知らない。
――この二人をいま離れ離れにするわけにはいかない。
「買収なんて中止中止!」
学園祭の前日。
不眠不休のあんこは全てを忘れ、今日もペンタブを動かし続ける。