Ⅲ
ようこそ、不思議で不可思議な世界へ。
素敵な出会いが君を待ってる。
次の日。僕はのろのろと目を覚ましカードの連絡の受信を確認していると、二件の連絡が届いていた。一件はマカロンちゃんから。もう一件はマフィンからだった。
まず滅多に届かないマカロンちゃんからの連絡を確認する。内容は、在住者全員に送信しているだろう今月のイベントの配信だった。
僕はその中の一つに目を止める。
「炎夏祭…?」
名前から見たら中々なぞの祭らしいが、内容は普通の祭のようだった。
が、何より目を留まらせたのはその祭の内容だった。
『総勢五名でのリレーがあり』
これには流石に僕の競争心が騒いだ。足は自分自身確かに早いらしい。マフィンと競争した際は足の早さに自信があるといっていた彼女に少量の差を空けて勝利した。
これには僕も興奮した。足が早いという印象を自分自身持っていなかったから、少し嬉しかったのだ。
そこで、マフィンからも連絡が来ていたことを思い出し、彼女のメールを開いた。するとそれと同時に僕の部屋のインターホンが鳴る。
「はい」
僕が扉に向かって叫ぶと、「マフィンだよ」という少し高めな声が聞こえた。僕は自分で頬が緩むのを感じる。
「入っていいよ」
彼女はゆっくりとドアを開いた。そして僕の部屋を見渡して笑った。
「なにかと君の部屋に入ったのは初めてかもしれないね」
「そういえばそうだね。君の部屋には入ったことはある気がするけどね」
彼女はソファーに腰を下ろした。そしてこっちを見る。
「今日、予定空いてる?」
「はい、まあ。でも煙たしと会う約束をしてしまいましたので部屋にいなければならないんですすみません。」
「煙たしなら今日は来ないよ」
彼女は不思議そうに呟いた。僕はえっと声をあげる。
「彼女は今日は貿易の関係でここにはいないからね。用事はそれだけ?」
彼女もそれくらいなら言ってくれたら良かったのに。
「はい、どこかにいくんですか?ギルの問題上、そんなに豪遊することは出来ませんよ」
もちろんさ、と彼女は笑って告げた。
「この前服を買うのを手伝ってくれたでしょ?」
「あの時ですか。懐かしいですね」
「うん、その服を買うのを手伝ってくれたお礼というかなんというかそんなのをしたくてね」
彼女はそう言ってカードの情報を確かめた。少し難しそうな顔をしたが、すぐにいつもの陽気な顔に戻って僕に言う。
「昼食奢るよ」
「いえ、昼食を食べれないほど僕も困っておりませんので。わざわざ奢ってもらわなくとも構いませんよ」
彼女は安心したように息を吐き、僕の手を取った。僕は突然の出来事に顔を真っ赤にして対応する。
「な、な、何するんですか」
「なんでそんなに緊張してるの?彼女に手を捕まれたくらいで」
僕は彼女の手を振り払い、お茶を入れに行った。後ろから「ぶー」と不満らしい声が聞こえてきたが聞いていられない。
「マフィンちゃんはお茶でいいかい?アップルジュースもあるけどそっちにしとこうか?」
「…不満」
「へ?」
彼女は僕に向かってぶうたれていた。手を離したことがそんなにも不機嫌に繋がったのだろうか。
「…なんかごめん、マフィンちゃん」
「何にも分かってないじゃん」
何が分かっていないのだろうか。全くわからない。
そこで僕が返答に困っていると彼女ははあ、と大きなため息を吐いて僕に向かって不満度を増したように呟いた。
「私たち二人でいるときは、私の事を本名で呼んでくれるんじゃなかったの?」
「あ」
「もういいよ、マフィンで。どうせ私はマフィンですよ。そこらのマフィンですよ」
彼女は完全に拗ねていた。そんな様子もかわいいと感じる僕は彼女中毒なのだろうか。が、いつまでも拗ねさせておく訳にもいかず、僕は深呼吸してもう一度質問した。
「サヤ、アップルジュースかお茶かどっちにするんだい?」
「サヤはアップルジュースが飲みたいでーす!」
何という無邪気な可愛さ。僕の心臓はバクバクと音を立てた。そんな素敵な少女の彼女というだけで胸が踊る。
過去の僕も彼女と付き合えていたなんていい仕事してるなと思った。過去の自分を褒めた初めての瞬間だった。
「アップルジュースね。僕は紅茶にしようかな。そういえばここまで気楽に君と話すのも初めてかもしれないね」
「サヤでいいよ」
しつこい。
「まあ、しばらくゆっくりしていってくれて構わないよ。僕も少しばかり聞き相手が欲しかったんだ。」
「私は聞くより話す方が好きなんだけど君と一緒に入れればなんでもいいや。さ、何を話すの?」
「この階層の面子の事かな。君、いやサヤ以外僕はあまり詳しくは知らないからね」
彼女が何かを発しようとすると、部屋のインターホンが鳴った。僕は彼女に少し待ってて、と告げて扉を開けにいく。
「誰かな…ってうわっと」
「お兄ちゃん、おはよう!今日も遊びに来たけどいいかな?…女の人が来客してるの?」
透き通った綺麗な声で少々残っていた眠気が全て消し飛んだ。そして最後の全てを貫くような一言が俺の汗を出す器官を刺激し、ダラダラと汗をかかせた。本当にこの体質を何とかしてほしい。
「…どうして」
「ハイヒールがそこにあるから。で、誰なの?」
サヤの奴、一人前にハイヒールなんて履いてたのか。それであの身長かよと突っ込んでやりたいが今はこの子をどうにかせねばならない。
「マフィンだよ、マフィン。僕の隣に住んでいる」
「誰それ、知らない」
なんでだよ!と叫びたいがそれを叫ぶのは彼女にたいしての侮辱なのだろうか。
「来客者誰なの?」
誰でしょう、と少し脅かしてしまいたかったが、それをしたらマフィンに視線で殺されそうだったので止めておく事にした。
やばい、修羅場だ。
修羅場がやって来た。
僕の元にもついに修羅場がやって来てしまった。
マフィンは空と対面し、首を傾げる。
「空ちゃん?どうしてここに?」
対する空の返事はそっけない。
「えーっと。私この人知りません。お兄ちゃんの知り合いですか?」
「なんで知らないのよ!知らないはずがないでしょ?同階層なんだよ!」
マフィンは柄にも無く叫んでいる。子供か。
「知りません。それにしてもこんな朝から男の人の部屋に入り込むなんてとんだビッチですね。お兄ちゃんもこんな人を入れては行けませんよ何かを盗まれるかもしれません」
「盗まないし!ところで、お兄ちゃんでもないのにお兄ちゃんとかどこの時代よ。なに?君が強制してるの?」
「してませんよ!」
「私からしたら、お、お兄ちゃんなんです!ほっといてください!」
へえーっとマフィンが正気の悪い笑みを浮かべた。なにを考えているのだろうか。
「まあ、いいよ。彼は今は私とお取り込み中だから、子供は帰りなさい。しっしっし」
彼女は空を邪魔物とするように追い払った。表現がなんだか誤解されそうで嫌だ。
「お兄ちゃん、また午後来るからね?」
「午後は私と買い物です、夜は私と寝るので。だから今日は彼は予定が埋まっているのでもう来なくていいですよっと。サヨナラ」
「お兄ちゃん、駄目だよー騙されてるよう!このビッチから離れてー!」
「ビッチじゃありませんー!私は一途…だから。ずっと。ずっと」
彼女は横目で僕を見た後、恥ずかしそうに目を反らした。空は負けじと外に出されたにも関わらず反論する。マフィンは静かに扉を閉めようとするが、空は足を間に入れた。なんの利益のないなにが目的なのか分からない謎な空間が流れる。早く終わってくれないだろうか。
「君、私と空、どっちの方が好きなの!?」
僕を話に入れ込むのは止めてほしい。が、二人揃って自分を見つめているのを見て僕は頭を抱えた。
「僕は中に戻っておくよ、マフィンは早く終わらせて戻って来てくれ」
「ほらね?私なんだよ。彼は私の彼氏なんだから!」
「…知ったふうに語らないで」
空の声が急に鋭くなったように感じた。僕は悪寒と寒気に身を強張らせる。叫んでいたマフィンもこの時ばかりは静かに次の言葉を待っていた。
空は一瞬びくっと震えたかと思うと元に戻ってマフィンを睨みつけた。
マフィンは一歩二歩と後退する。そこで空の透き通るような声が僕の部屋の中に響き渡った。
「お兄ちゃんの恋人はサヤさんだけなんだから」
僕は言葉を失った。彼女の前でマフィンをサヤなど呼んだことはないはずだ。なら何故その名前を知ってる?
「貴方、誰なの?」
マフィンが目を見開いて空を睨みつけた。マフィンらしくない、冷静さを欠かした声だった。
「私、帰ります。気分が、少しばかり、悪いので。さようなら、二人とも」
「待って、いや、待ちなさい!」
空は猛スピードで階段を降りて行った。それを見てマフィンは納得いかないように僕に笑って見せた。
「彼女、誰なのかしら」
「一つ聞いていいかい?サヤ」
「どうぞ」
「僕の過去に妹はいたかい?」
マフィンはその質問に目を反らすように答えた。
「いた、という答えが正しいだろうね。私たちが出会って暫くしたら死んでしまったから」
「どうして?」
「話せる限界というものはあるけど、病気だったね。その時の君の落ち着きのなさは異常だったよ。確実に狂ってた。壁を妹と思って話していたレベルだったからね」
僕は顔を引き攣らせた。
「やばいね、それは。そして、その妹の名前は覚えているかい?」
「覚えているよ。確かね…」
彼女は少し考えた後、思い出したように相槌を打って真実を告げた。
「美空ちゃんだった気がするよ」
ミソラ。どこかで聞いたことのあるような感触だ。
この感触、どこかで味わったことがある気がする。
どこだっけ。
覚えてないや。
僕は何も覚えてないや。
なんてくだらなくて馬鹿な脳なのだろう。
僕はその時自分を悔やんだ。
「知ってるの?」
彼女は心配そうに僕の背中を撫でながらそう呟いた。僕は何も思い出すことがやはり出来なかった。
「分からないんだ。僕の過去の全てが。僕の過去は一体何だったのか…って思い出すことも出来ない」
「それが普通だよ。君はもう記憶のピースをばらばらにしてしまったんだから。ゆっくりとつなげていけばいいだけ」
彼女は優しさに溢れる笑顔で僕を見つめた。僕はその笑顔に見とれる。
「ゆっくりと、この世界で私と一緒に過去を取り戻していこうね。君」
彼女はどんな気持ちなのだろう。
きっと僕がこの世界に来る前から僕を大切に思ってくれていて、僕を信じてくれていただろう。
そんな相手がこの世界に来た時に自分自身のことを覚えてないといったら。
きっと傷つく。僕だったら傷ついて外に出れなくなるかもしれない。
でも彼女は違う。
そんな記憶のなくなった馬鹿みたいな僕をまだ愛し、そして記憶を取り戻す手伝いをしてくれるのだ。
そんな親切な人はきっとこの世にいるはずがないのだ。
そう、彼女自身もきっと誰にでもこのような対応をしている訳ではないだろう。
自惚れているかもしれないが、きっと僕だから。
彼女が僕と前世で関係があったから、彼女は僕に親切に対応してくれている。
どんな関係かは覚えていないが、きっと彼女にとって忘れたくない記憶なのは間違いないのだろう。
僕は少しでも早く彼女との記憶を蘇らせようと改めて決意した。




