二十九話目 魔法少女は逃れたい
「はっ! はぁ、はぁ、はぁ……」
目が、覚めた。
咄嗟にまわりを確認するけれど、ここは私が借りているアパートの一室で、さっきまで夢に見ていた光景の残滓はどこにもない。
いつものベッドの上で、ただ起きただけ。
激しい呼吸を、何分か繰り返して、ようやく私は夢を見てたんだって理解した。
久しぶりに見た夢だったから、どうにも、現実に戻ってくるの時間がかかっちゃった。
見たくもない、昔の夢。本当に、何年ぶりだろう。
「――気持ち悪いや」
酷く汗をかいていたみたい、全身がぐちょぐちょで気持ち悪い。
頭の中を直接かき回されたみたいで吐き気もめまいもする。
この夢を見た後は、いっつもこう。本当に、碌な気分じゃないや。
目覚まし時計へ視線を移すと、そこに表示されてる時刻は午前五時。起きるには少し早すぎる時間帯だね。
「大学、は今日ないか。他の予定、も特にない」
気分が悪いまま、やらなければならないことへ思考を移すけれど、特に今日は何にもなさそうかな。
芹香ちゃんからも、環ちゃんからも連絡はないから、本当のフリーだね。久遠美羽としても、ルミコーリアとしても、今日一日は自由に使える日だ。
……二人は本当に強くなったよね。最初と比べると、見違えるほどに。
トリムシスタも、改めて連携を教えた時には、格段に動きが良くなってた。
そろそろ、師匠としてもできることはなくなってきた頃合いかな。
ぎゅっと胸の前で拳を握る。元々私が引退するために育てようって思った、凄い利己的な理由から始まった付き合いなんだから。
そんな、私にこんなことを思う資格だなんて、どこにもないのに。
「……シャワー浴びようっと」
汗で服が張り付いて気分が悪い。何をするにしてもこのままでいたくないや。
嫌な気分の時には、シャワーで全部洗い流すに限る。あの床に叩きつけられる水音だけが、いらない思考をかき消してくれる。
ああ、でも、その前に確認しておきたいことがあるかな。
「ポムム、いる?」
「……なんだポム?」
「私はいつになったら魔法少女を辞められるの?」
クリムセリアとプリズシスタも強くなった。トリムシスタも、二人ほどではないにしても強くなった。
もうそろそろ、私がいなくてもいいんじゃないかな。
私の居場所は、もうそろそろなくなってしまうんじゃないかな。
最初からそれが目的だったはずなのに、意識すると苦しくなる。
駄目だ。追い出される前に自分から抜けようと思ってたのに。本当に、未練がましい。
「確かに、二人は強くなったポム。美羽の言う通りポム」
「なら――」
「でも、あの二人だけじゃ魔神を倒せないポム。だから、まだ美羽に辞められると困るポム」
「魔神? 魔人じゃなくて?」
聞いたことがない単語だ。何だろう。
「そうポム。魔神は、魔人と魔獣を生み出す奴らの親玉みたいな存在だポム」
「なる、ほど」
そんな存在がいたんだ、知らなかった。
そもそも、私も魔人たちについては全然知らないや。あいつらは人を襲って、魔法少女でしか対抗できない。だから戦う、ぐらいの認識しかなかった。
「あの三人でも倒せないってなると、相当強いんじゃない?」
「でも、美羽なら――」
「それは、違うよ」
私なら? 私ならなんだって言うの。
私なんて大したことない。あの三人より強いのも、年季が入ってるからに決まってる。
「私だからなんなの。確かに、あの三人と戦っても、私は勝てるよ」
「……」
「でも、私は特別な子なんかじゃ、ない。無責任なことばっか、言わないで」
そうだ。昔の子たちに比べて、今の魔法少女の子たちは数が多いからか、一人あたりは弱くなってる。
クリムセリアは、最近凄く強くなってきてるけれど、あの頃のみんなに比べればまだ弱い。
私が特別強いんじゃなくて、今の子たちが弱いんだ。
ああ、頭が割れるように痛い。
頭の奥をノックされてる。ここから出してと叫んでる。
誰が? 何が? 答えなんてわかるわけないし、わかりたくもない。
絶対に夢を見たせいだ。本当に最悪な気分。最悪すぎて、最悪以外の表現が出てこないぐらい最悪。
駄目だ。これ以上話してても、悪いことばかり口にしてしまいそう。
「ごめん、ありがとう。シャワー浴びるから、休んでて」
「ポム……」
話を無理やり終わらせて、下らない頭の中ごとシャワーで流してしまおう。
真っすぐ歩くのも難しいけれど、頼れる人は他にいない。ゆっくりと、進む。
脱衣所で服を脱ぐ。洗濯かごに入れるのも、今は面倒で、そのまま床に散らかしてしまう。
着替えの用意は、残ってるね。いつもストックしてて良かった。
お風呂場の扉を開けて、シャワーヘッドを手に取る。きゅるりと栓を回せば、望み通り水を噴き出してくれた。
お湯が出る間の冷たいシャワーを手に浴びせながら、ぼんやりと考え事をする。
魔法少女を辞めて、もしも普通の生活を送れるようになったらどうしようか。
友達も増えて、彼氏とかも作って、きっと、笑顔で暮らせるようになるはず。
――本当に?
私が、そんなことをできるの?
施設でも上手くできてなかったのに。追い出されないことで、精一杯だったのに。
「駄目だ。考えるな、考えるな、考えるな……」
排水溝に流れていく水を眺めながら、私は言い聞かせるように口にする。
ああ、本当に、気分が悪い。何もかも、夢のせいだ。
最近はすっかり忘れられてたのに。本当に最悪、最悪最悪最悪。
いつの間にかに、手のひらに浴びせてたシャワーは温かくなってた。
軽く全身を濡らしてから、シャワーを被る。
汗の気持ち悪い湿り気が流されて、温かく心地よい感覚が全身を包む。
床に打ち付けられる水音が、頭の中の雑音をかき消してくれる。
段々と気分が良くなってきた。頭痛も、段々と収まってる。
やっぱり、こういう時は一回全部洗い流してしまうに限るね。
昔からこうやってきたんだもん。忘れてしまおう。時間はかかるかもしれないけれど、大丈夫。
心臓の音が聞こえなくなったのを確認してから、きゅっとシャワーを止める。髪の先から、ぽたりぽたりと水滴が落ちる。落ちた水滴は、床に落ちては叩く音を響かせる。
一息入れて、目の前の光景がはっきり見えているのを確認する。
うん、しっかりと落ち着いた。もう大丈夫。
ぼんやりと湯気が上がってるお風呂場から出て、用意しておいたタオルで体を拭く。
トントントンと叩くようにして、髪の毛から優しく水気を取る。体からもゆっくり水気を拭きとってから、洗面所にストックしてある替えの下着と服を身に着ける。
髪を乾かしきるのは……今はいいや、気分じゃない。濡れたまま放置すると髪の毛が痛んじゃうけれど、そこまで気にする気にはなれないや。
洗面所から出ると、既にポムムの姿はなかった。呼べば出てきてくれるだろうけど、今はあんまり顔を見たくない。
代わりに、私を出迎えるようにして机の上に放置してたスマホから通知音が鳴って出迎えてくれる。
拾って、画面を見てみると、彩花からの遊びの誘いだった。
どうせ暇してるんだから、ショッピングモールへ買い物に行かないかって。
急な話だね。普段は数日前には予定を確認してくれるのに、当日のこんな朝に連絡を寄こすだなんて、珍しい。
んー、どうしよう。とはいっても、断る理由もないかな。
暇してるって断言されてるのもちょっと、ちょっとだけど。
返事しておこうっと、構わないよって。
返事を返すと、すぐに既読が付いて、色々とメッセージが送られてくる。約束の時間やら場所やら。
少しだけ笑顔になれる。いつでもあの子は元気だよね。
思えば、出会った頃からそうだった。
そりゃあ、悪戯いっぱいされた時期もあって、嫌な思いもしたよ。
でも、飄々としてて、いつでも自信満々な様子には、元気づけられたこともいっぱいある。
「……それじゃあ、準備するかな」
夢に見た幻影を背後に置いたまま、気にはしないで、何からしようかと考える。




