26.自由に生きること、らしく生きること
シャロにとっては相当に恥ずかしいことだったようだが、俺にとっては大したことはない。と思ってしまった。
俺は恥ずかしそうに俯いたままのシャロに対して思っていることを素直に口にして伝えることにした。
「別に恥ずかしがるようなことじゃないと思うけどな……」
「先ほどはフィオナさんと一緒についつい盛り上がってしまいましたが、早く食べに行きたいっていうのは、少しはしたなかったかなって思いまして……」
「子供がそんなこと気にするなよ。むしろお前くらいならしっかり食ってさっさと大きくなれ。って思われるんじゃないか?」
「そうだとしても、女の子としてそういうのは気を付けなさいってお母様が……」
そのお母様とやらは随分とシャロのことを淑女として育て上げたかったようだ。
俺としては子供なんてものはそういったことをいちいち気にするよりも元気に育ってもらいたい。と思うのが普通な気がするのだが、世の母親は違うのだろうか。
いや、もしかするとシャロの母親の方が一般的な考えからずれているのかもしれない。何故なら俺の知る王都の母親の姿は何よりも子供が元気に育ってくれることを願っているからだ。
まぁ、シャロの母親のそうした考えが悪いとは言えないのだが。
「お母様が言っていた、ってのはどうでも良いだろ。そのお母様は傍にいないわけだし、今くらいは自由に生きたって良いんじゃないのか?」
「今くらいは、ですか?」
ずっと自由に好き勝手生きれば良い。というのではなく、今くらいは。という言い方が気になったのか、シャロは首を傾げていた。
「あぁ、今くらいは、だ。どうせ人はずっと自由に生きるなんてことが出来るわけがないんだ。何処かで必ず不自由な生き方を強いられるようになるのが当たり前なんだからな」
「必ず、不自由な生き方を……」
「お前の場合は、先に不自由な生き方を強いられてたのかもしれないけどな」
シャロの言うお母様はどうにも厳しい育て方をしていたような気がして、そんなことを口にしてしまった。別にその様子を見たことがあるわけでも、そうした話を聞いたわけでもないのに、だ。
「何にしろ、今は好きに生きてみれば良い。イシュタリアの神託も大事かもしれないけど、そんなのより自分の思うがままに、ってな」
「…………主様のそれは、言うほど簡単ではないと思います」
「だな。好きに生きたくてもそう簡単に出来るものじゃないさ。ただ、完全に好きに生きることは出来なくても少しくらいは出来るんじゃないか?例えば……お母様の言葉に逆らって食いたい物を食いたいって言うとかな」
シャロが本当に好きに生きるというのは性格的に難しいだろう。それでもほんの少しくらいは好きに、というか自由に生きることは誰にだって出来る。
人に合わせるのではなく、誰かに言われた通りにするのではなく、自分の思いのままに動けば良いのだから。
いや、難しいか。うん、普通に難しいな、これは。
「悪い、普通に難しいわ、これ」
「えっと……そこは格好良く決めるところだと思いますよ?」
「格好良くとか、面倒だろ。自分らしくやって行けば良いんだよ、何事もな」
「もう……何だか難しいことを言ってて、格好良かったのに…………でも、何だか主様はその方がらしい、ような気がします」
言ってからどうしても我慢が出来なかったというように小さく零れた笑みはありきたりな言葉で言えば綺麗なものだった。作らず、飾らず、ただ自然な笑みというのはそれだけで綺麗なものなのだから当然と言えば当然なのだが。
「なら俺は好きに生きてるのかもな。好きに生きるのも、らしく生きるのも、割と同じような物だからな……」
「そういうものですか?」
「そういうものだろ」
「なるほど、そういうものなのですね」
そんな意味もないような言葉を互いに交わして、ついつい笑みが零れてしまった。
何だ、悪くないじゃないか。こうしてシャロと言葉を交わして、くだらない言葉でも笑みが零れるのだから、多少なりと心は許せていそうだ。
不確定なのは、自身の生まれだったり性格だったり性分だったりするのでそこは諦めよう。
「それで、そういうものだってわかった上で、お前はどうしたいんだ?」
「……ピースフルのパンケーキ、早く食べに行きたいです!」
「上出来だ」
俺の言葉を受けて、意を決したようにそう言ったシャロに上出来だと返してから俺は座っていた椅子から立ち上がった。
立ち上がった俺を不思議そうにシャロが見てくるが、俺としては話は終わったしいい加減動いても良いと思ったからこうしたのだ。
「だったら行くぞ。いつまでもここに居たって仕方ないだろ」
「え、でも……フィオナさんを待たないと……」
「フィオナなら戻って来てる。外で趣味の悪い盗み聞きなんてことをしてるけどな」
フィオナが戻って来ていたのは気配でわかっていた。
どのタイミングで戻って来ていたかというと、シャロが女の子としてそういうのは気を付けるように、とお母様に言われた。という話をしていたタイミングだ。
それからずっと外で俺とシャロの会話を盗み聞きしていたのだから趣味が悪いと言われても仕方ないだろう。
「あちゃー……流石にばれてました?」
俺の言葉を聞いてから扉を開けてひょっこりと顔を出したフィオナは気まずそうにそう言った。
「当然だな。外から人の気配がするかどうかくらいわかるっての。あまり冒険者を甘く見るなよ」
俺が冒険者を名乗って良いのか微妙なところだったが、とりあえず今回はそう言わせてもらった。
あそこまでわかりやすい気配なら、きっとそれなりに冒険者として活躍している人間ならすぐにわかっただろう。
「いやぁ……気配がどうこうって、そう簡単にわかる物じゃないと思ったんですけどねぇ……」
「経験を積めば誰にだって出来る、可能性はあるな」
「可能性の話ですか……私にも出来るようになるでしょうか?」
「どんな経験を積むか次第じゃないか?とりあえず戦い続ければ何とかなる、かもな」
「それはそれで大変そうですね……」
気配を察知するためには戦場で経験を積むのが早いと俺は思うのだが、誰も彼もがそれで何とかなるとは限らないので何とも言えないのだが。
何にせよ、こうして揃ったのだから本当にピースフルに移動しても良いはずだ。
「それよりもピースフルに行くんだろ」
「あ、そうでしたそうでした。シャロさんも楽しみで楽しみで仕方がない、ってことらしいですから行きましょう!」
「はい!」
俺の言葉に手を打って嬉しそうにフィオナが言うと、それに応えるようにシャロが元気よく返事をした。これでようやく本当にピースフルに向かうことになりそうだ。
それ以上俺は何も言わずに個室を出ると、それに続くようにシャロとフィオナの二人が続いた。二人ともこれから食べに行くパンケーキの話で盛り上がり始めていて、俺が口出しをする暇が全くない。
それならばそれで口を挟まず、冒険者ギルドを出ると太陽は頂点から少しだけ傾いている、ような気がした。時間的には既に太陽が最も高い位置を通り過ぎている頃なのでそう思えるのも当然か。
大通りを歩くとやはりと言うべきか、昼過ぎということもあって人の数が非常に多かった。冒険者、町人、憲兵、商人、旅人、ざっと区分することが出来るだけでもこれだけ多くの人々が大通りを行き交っている。
流石というべきか、この時間の大通りは飲食店が活発に営業をしているので単純に道行く人々の話し声による喧噪だけではなく、呼び込みをする店員の大きな声も聞こえてくる。
ただそうした呼び込みをしているのは大通りの店でもある程度の大きさがある店だけなので、ピースフルのようなどちらかと言えば小さな店ではそうした呼び込みは行われていないようだった。
事実として大通りを進んで辿り着いたピースフルではそうした呼び込みは一切行われておらず、フィオナの言うように席が空いていてこの時間にしては珍しく本当に座ることが出来た。
「本当に座れたな」
「そうですね。それにお客さんの数も大通りの人の多さを考えるとすごく少ないと思います」
「ピースフルは呼び込みとかしませんからね。基本的には常連さんたちからの売り上げで経営が上手く行ってるみたいですよ」
「常連か。結構な数がいそうだな」
「そうですね……私が聞いた話だと、開店から閉店まで常にお客さんが入れ替わり立ち代わりするくらいには常連さんの数が多いって話です」
「それは……確かに沢山いそうですね」
決して大きくはないピースフルではあるが、それでも常に客が入っているというのであれば確かに常連の数は多いのだろう。毎日来る客もいれば、数日おきに来る客もいるはずなのだから。
「何にしても、ピースフルはそうした常連さんたちに支えられてるわけですよ。勿論、私もその常連さんの一人なわけですけどね」
「なるほど……」
「それに今日は何と常連さんが二人も増えるわけですよ!」
何かを期待した目で俺とシャロを見てくるフィオナ。まぁ、何を期待しているのか何てのは先ほどの言葉を聞けば丸わかりなのだが。
何と答えれば良いのか、少し考えている間にシャロが口を開いた。
「そうですね……私もピースフルの常連さんになるのも良いかもしれません。主様、良いですよね?」
なりたいのであればなれば良い。と思うのだが、どうしてここで俺に確認を取るのだろうか。
「なりたいなら好きにすれば良いだろ」
「いえ、その……昨日も今日も、ずっと主様と行動していましたから……」
「あぁ、そういうことか。暫くは一緒に動くことになるだろうけど、落ち着いたら一人で出歩いても問題ないって判断できると思うぞ。そうしたら好きな店に行けば良い」
「本当ですか?」
「というよりも、今こうして一緒に行動し続けるのは見習いの保護者だから、ってのと、お前が俺の世話役だからってのがあるわけだ」
「あ……」
「おい、もしかして……」
シャロの反応を見る限り、俺の世話役という役目を忘れてしまっていたのではないか。と思ってしまったが本当にシャロは忘れていたらしく、目が泳いでいた。
そんなシャロの様子についため息が零れてしまうが、そうするとシャロは居心地が悪そうに小さくなってしまった。小さくなってしまったシャロを見て、ため息を零すべきではなかったと心の中で反省しつつ、フォローを入れておくことにした。入れておくも何も、俺のせいなのだが。
「あー……いや、忘れてたなら次からは忘れないようにしろよ、な?」
「は、はい……申し訳ありませんでした……」
「別に、怒ってるとかそういうのはないからそこまで気にするなよ?」
「怒っていないとしても、大事なことを忘れてしまった自分に失望してます……主様、次はこのようなことがないようにします!」
「お、おぉ……頑張れよ……?」
どうにかフォローしようとしていたら、小さくなっていたシャロがぐっと両手を握り締めて気合を入れるようにしながらそう宣言した。
それに若干戸惑うというか引きながらそう返事をしたのだが、そんな俺とシャロの様子を見てフィオナがクスクスと笑っていた。




