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【最新作】普通を演じる元天才子役は、隣室の美少女優等生に生活を管理される  作者: 優
第三章 恋人になった学年一位と、隠された天才

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第55話 合鍵で開く朝


 窓の外には、住宅街の明かりが広がっている。


 壁に掛けられた時計の針は、午後九時へ近づいていた。


 夕食を食べ、食器を片づけ、プールで交わした約束も果たした。


 普段なら、そろそろ悠真が自分の部屋へ戻る時間だった。


 帰るといっても、目的地はすぐ隣だ。


 玄関を出て数歩進めば、そこに悠真の部屋がある。


 それでも腕を解いてしまえば、今日のデートが本当に終わってしまう。美咲が名残惜しく思う気持ちは、悠真にも分かった。


 美咲の背中へ回していた腕へ、少しだけ力を込める。


 柔らかな部屋着越しに、体温が伝わってくる。


 美咲もそれに応えるように、悠真の服を掴んだ。


「悠真くん」


「何?」


「苦しくない?」


「平気」


「肩は?」


「もう治ってる」


「本当に?」


「この体勢で痛かったら、とっくに言ってるよ」


「言わずに我慢するかもしれないでしょう?」


「もうしない」


「前にも聞いた気がする」


 美咲は疑うように顔を上げた。


 二人の距離が急に近くなる。


 先ほど唇を重ねたときより、互いの表情がはっきり見える距離だった。


「今度は信じて」


「じゃあ、約束」


「何を?」


「体調が悪いときも、怪我をしたときも、必ず私に言うこと」


「軽くても?」


「それでも心配するよ」


 迷わず答えた。


「私は悠真くんの恋人なんだから」


 美咲は恥ずかしさを誤魔化すように、ほんの少し頬を膨らませる。


「悠真くんが苦しいのに、何も知らずに隣の部屋で過ごすのは嫌なの」


「でも、心配させる」


「何も言ってくれない方が心配するよ」


「分かった」


「本当に?」


「うん」


「また無理をしたら?」


「今度は何日、美咲の言うことを聞く?」


「罰を受ければ無理をしてもいいみたいになるから、もう使いません」


「意外と厳しいな」


「大事なことだから」


 美咲は表情を引き締める。


 叱られているはずなのに、その言葉の一つ一つから自分を大切に思う気持ちが伝わってくる。


 悠真は怒られることが嫌いだった。


 子役だった頃、大人から叱られるのは、求められた結果を出せなかったときだった。


 台詞を間違えた。


 表情が違った。


 撮影の進行を遅らせた。


 そこに悠真自身への心配はなかった。


 だが美咲は違う。


 成績や結果のためではなく、悠真が傷つくことを嫌がっている。


「約束する」


 悠真は改めて答えた。


「何かあったら、最初に美咲に言う」


「うん」


 美咲の表情が柔らかくなる。


「私も、何かあったら悠真くんに話すから」


「美咲は一人でも何でもできそうだけど」


「できないこともあるよ」


「例えば?」


「今まで、好きな人に自分からキスしたことはなかった」


「それは俺にしかできない方がいい」


「そうじゃなくて……」


 美咲は頬を赤くする。


「私も怖かったり、恥ずかしかったりすることがあるって言いたかったの」


「知ってる」


「本当?」


「今日、ずっと顔に出てた」


「そんなに?」


「水着で来たときも、帰ってからも」


 美咲は悠真の胸元へ顔を隠す。


「見ないでほしかった」


「俺に見せるために選んだんだろ?」


「水着は見てほしかったけど、緊張してる顔まで見られるのは恥ずかしいの」


「全部可愛かったよ」


「またそういうこと言う」


「本当だから」


 美咲は何も答えず、悠真の胸元へ額を押しつけた。


 ただ、抱き締める腕が少し強くなっている。


「……悠真くん」


「今度は何?」


「今日の私、本当に可愛かった?」


「何回聞くんだよ」


「もう水着じゃないから、聞けるの」


「可愛かった」


「水着も?」


「うん」


「恥ずかしくなかった?」


「恥ずかしいのは、美咲の方じゃない?」


「悠真くんは?」


「かなり意識した」


 美咲がゆっくり顔を上げる。


「どのくらい?」


「言わない方がいいと思う」


「どうして?」


「美咲が怒りそうだから」


「変なこと考えた?」


「高校生なんだから、少しくらいは仕方ないだろ」


 悠真が視線を逸らす。


 美咲はしばらく、その横顔を見つめていた。


「嫌じゃないよ」


 予想していなかった言葉に、悠真は顔を戻す。


 美咲は頬を赤くしながらも、逃げずにこちらを見ていた。


「悠真くんが、私のことを好きだから意識したんでしょう?」


「そうだけど」


「それなら、嫌じゃない」


「でも、困らせるようなことはしない」

 

「うん」


 美咲は悠真の頬へ、そっと手を添える。


「我慢してくれてたのも分かってる」


「そんなに顔に出てた?」


「真面目な顔で、何度も目を逸らしてたから」


「……気づいてたのか」


「少しだけ、嬉しかった」


 美咲は照れくさそうに目を細める。


「私のことを可愛いって思ってくれてるんだって分かったから」


「今も思ってるよ」


「今は水着じゃないよ」


「水着じゃなくても」


 悠真が答えると、美咲は数秒黙った。


 それから顔を近づけ、悠真の頬へ短く唇を触れさせる。


 一瞬の出来事だった。


 美咲はすぐに離れ、自分の口元を手で隠した。


「今のは?」


 悠真が尋ねる。


「可愛いって言ってくれた、お礼」


「唇じゃないんだ」


「さっき、もうしたでしょう?」


「回数制限あるの?」


「ないけど……」


 美咲は悠真の唇を一度見て、すぐに目を逸らした。


「これ以上したら、本当に帰ってほしくなくなるから」


「帰らなくてもいいけど」


「部屋は隣です」


「知ってる」


「それに、今日は泳いで疲れてるでしょう?」


「美咲も」


「だから、ちゃんと休まないと」


 自分へ言い聞かせるような声だった。


 悠真は名残惜しく思いながらも、背中へ回していた腕を解いた。


 美咲の身体が離れる。


 ソファの間に僅かな隙間が生まれ、そこへ冷たい空気が入り込んだように感じた。


「帰るよ」


「うん」


「寂しくなったら、また来てもいい?」


「さっきは私が行ったから、今度は悠真くんが来て」


「鍵が閉まってたら?」


「呼び鈴を押してください」


「開いてたら?」


「勝手に入ったら駄目」


「俺は駄目なんだ」


「当たり前でしょう?」


 美咲は呆れたように笑う。


「でも、いつか悠真くんにも合鍵を渡すから」


「いつ?」


「私が心の準備をできたら」


「合鍵を渡すだけだろ」


「違うよ」


 美咲は立ち上がり、自分の部屋を見回した。


「好きな人が、私のいないときでも部屋へ入れるようになるんだよ?」


「勝手には入らないけど」


「それでも、意識するの」


「俺の鍵は?」


「欲しい」


 美咲は即答した。


「そこは迷わないんだ」


「悠真くんは、一人で具合が悪くなっても隠すかもしれないから」


「もうしないって約束しただろ」


「念のためです」


「俺の合鍵は安全対策で、美咲の合鍵は心の準備が必要なのか」


「そういうことです」


 美咲は少し得意そうに頷いた。


「少し待ってて」


「何をするの?」


「合鍵を取ってくる」


「今から?」


「今日渡すって約束しただろ」


 悠真はソファから立ち上がり、自分の部屋へ戻ろうとする。


 しかし、美咲が服の裾を掴んだ。


「一人で行くの?」


「鍵を取るだけだから」


「でも、今行ったら、そのまま戻ってこないかもしれないでしょう?」


「戻ってくるよ」


「本当に?」


「美咲の部屋にスマホも置いたままだし」


「スマホがなかったら戻ってこないの?」


「そういう意味じゃない」


 悠真が苦笑すると、美咲は恥ずかしそうに指を離した。


「早く戻ってきてね」


「数十秒だよ」


 廊下へ出て自室へ戻り、玄関脇の収納棚を開ける。


 小さなトレーの中に、未使用の予備鍵が一本入っていた。


 以前は、誰かへ渡すことなど考えたこともなかった鍵だ。


 この部屋は、外の世界から自分を切り離すための場所だった。


 誰にも踏み込まれず、一人でいられる場所。


 その入口を開ける鍵を、自分から誰かへ渡そうとしている。


 悠真は鍵を手に取り、隣室へ戻った。


 美咲はソファへ座らず、玄関近くで待っていた。


「おかえり」


「ただいま」


 悠真は美咲の前へ立ち、右手を差し出した。


 手のひらには、銀色の小さな鍵がある。


「これ」


 美咲はすぐには受け取らなかった。


 鍵と悠真の顔を交互に見つめる。


「本当に、私が持ってていいの?」


「美咲に持っていてほしい」


「でも、これを渡したら、私がいつでも悠真くんの部屋へ入れるようになるんだよ?」


「いつでも入っていいよ」


「悠真くんが起きなかったときだけだよ」


「分かってる」


「勝手に冷蔵庫を確認したり、お部屋を掃除したりするかもしれないよ?」


「それは今まで鍵がなくてもやってただろ」


「必要だったからです」


 美咲は少しだけ頬を膨らませた。


 それから両手を差し出し、悠真の手のひらから鍵を受け取る。


 美咲は鍵を胸元へ近づけ、大切なものを受け取ったように両手で包む。


「ありがとう」


「そんなに大げさなものじゃないだろ」


「私にとっては大切なものだよ」


 美咲は鍵を見つめ、柔らかく微笑む。


「悠真くんが、私なら入ってもいいって思ってくれた証拠だから」


「うん」


「なくさないね」


「何かにつけておいた方がいいかもな」


「あとでキーホルダーを選ぶ」


「美咲の好きなものでいいよ」


「お揃いにしてもいい?」


「またお揃いが増えるな」


「嫌?」


「嫌じゃない」


 悠真が答えると、美咲は嬉しそうに鍵を握り直した。


「大事にするね」


「鍵は使うものだろ」


「大事に使います」


 美咲はそう訂正すると、一度自分の部屋へ戻り、普段使っている鍵束へ悠真の合鍵を取りつけた。


 自室の鍵と、隣室の鍵。


 二本が並び、小さな音を立てる。


「これで、何かあったらすぐに行けるね」


「何もなくても来てよ」


 悠真が言うと、美咲は目を丸くした。


 やがて、安心したように目元を緩める。


「うん。でも、入る前にはちゃんと連絡する」


「分かった」


「悠真くんが起きないときだけ、鍵を使うね」


「それでいいよ」


 美咲は鍵束を胸元へ抱き、もう一度嬉しそうに微笑んだ。


     ◇


 悠真が自分の部屋へ戻る前に、二人は指輪をつけ直した。


 料理の時に外していたリングは、テーブルへ並べて置いてあった。


 美咲が青い石のリングを手に取り、悠真の右手を持ち上げる。


「つけるね」


「うん」


 薬指へ、ゆっくりとリングが通される。


 次は悠真が薄桃色のものを取り、美咲の右手を取った。


 細い薬指へリングを通す。


 根元まで収まったところで、美咲は嬉しそうに手を持ち上げた。


「やっぱり、これがあると落ち着く」


「部屋の中でしかつけないのに?」


「二人だけのものみたいでしょう?」


 美咲は悠真の手と自分の手を並べる。


 二つの小さな石が、部屋の照明を受けて淡く光った。


「明日も会える?」


「朝食を作りに来るだろ?」


「今日疲れたから、少し遅くてもいい?」


「別に昼でもいいよ」


「悠真くん、一人で朝ご飯を食べられる?」


「食パンくらいなら」


「焦がさない?」


「焼き時間を確認する」


「牛乳も飲んでね」


「子ども扱いするな」


「心配だから」


 美咲はそう言うと、玄関まで悠真を見送った。


「おやすみ」


「おやすみ、美咲」


 悠真が扉を開ける。


 廊下へ出ようとしたところで、後ろから服の裾を掴まれた。


「待って」


 振り返る。


 美咲は何か言いたそうにしながら、悠真を見上げていた。


「どうした?」


「最後に、もう一回だけ」


「何を?」


「……言わせないで」


 美咲の視線が、悠真の唇へ落ちる。


 悠真は部屋の中へ一歩戻り、扉を閉じた。


「美咲から?」


「今度は悠真くんから」


「さっき、帰れなくなるって言っただろ」


「一回だけなら大丈夫」


「本当に?」


「たぶん」


「たぶんなんだ」


「早くしないと、やっぱりやめるよ」


 美咲は恥ずかしそうにしながら、ゆっくり目を閉じた。


 悠真はその頬へ手を添え、短く唇を重ねる。


 離れようとした瞬間、美咲の両腕が背中へ回った。


 ほんの少しだけ引き寄せられ、二人の距離がもう一度近づく。


「一回だけじゃなかった?」


 唇が離れたあと、悠真が小声で尋ねる。


「今ので一回」


「長さは関係ないんだ」


「細かいことは気にしないで」


 美咲は顔を赤くしながらも、まだ悠真の背中へ腕を回している。


「これ以上は、本当に帰れなくなるよ」


「分かってる」


 そう答えても、美咲はすぐには離れなかった。


 しばらくしてから名残惜しそうに腕を解き、今度こそ悠真を廊下へ送り出す。


「また明日ね」


「うん。また明日」


 扉が閉まる。


 数歩進み、自分の部屋へ戻る。


 距離にすれば、わずかなものだった。


 それでも悠真は、部屋へ入った瞬間から美咲の声が聞きたくなった。


     ◇


 日曜日の朝。


 悠真は、自分の部屋の鍵が開く小さな音で目を覚ました。


 まだ完全には意識が戻っていない。


 誰かが玄関へ入ってくる。


 足音は小さく、迷いがちだった。


「悠真くん?」


 美咲の声。


 昨日の夜、約束どおり合鍵を渡した。


 眠る前のメッセージでは、午前九時に朝食を作りに来ると書かれていた。


 悠真は枕元の時計を見る。


 九時十分。


 呼び鈴にも、スマートフォンの着信にも気づかなかったらしい。


「まだ寝てるの?」


 寝室の扉が、ゆっくり開く。


 美咲が顔を覗かせた。


 薄い桃色の部屋着に、白いカーディガンを羽織っている。片手には、悠真から渡された鍵が握られていた。


「おはよう」


 悠真は布団の中から声をかける。


「起きてたの?」


「今起きた」


「何度も呼び鈴を押したんだよ」


「聞こえなかった」


「メッセージも送った」


「見てない」


「電話もした」


「ごめん」


 美咲は安心したように息を吐く。


「何かあったのかと思った」


「寝てただけ」


「本当に?」


「熱はないよ」


 疑うような視線を向けられ、悠真は布団から右手を出した。


「確かめる?」


「うん」


 美咲は寝室へ入り、ベッドの横へ腰を下ろす。


 右手を悠真の額へ当てた。


「熱はなさそう」


「だから言っただろ」


「でも、昨日泳いだから疲れてるのかも」


「少し眠いだけ」


「朝ご飯、あとにする?」


「今食べる」


「起きられる?」


「たぶん」


 悠真は身体を起こそうとする。


 しかし眠気が残り、上手く力が入らなかった。


「ほら、まだ眠そう」


 美咲が困ったように笑う。


「もう少し寝てていいよ」


「美咲は?」


「リビングで待ってる」


「ここにいて」


 半分眠った頭で、そう答えていた。


 美咲の動きが止まる。


「ここに?」


「うん」


「でも、ベッドだよ」


「見れば分かる」


「そうじゃなくて……」


 美咲は落ち着かなそうに視線を動かす。


 寝室。


 ベッド。


 眠っている恋人。


 その組み合わせを意識しているのだろう。


「嫌ならいい」


「嫌じゃないけど」


「じゃあ、もう少しだけ」


 悠真は布団の中から左手を伸ばし、美咲の手首を掴む。


 強く引いたつもりはなかった。


 だが美咲が体勢を崩し、ベッドの上へ片手をついた。


「悠真くん」


「ごめん」


「急に引っ張らないで」


「眠くて力加減を間違えた」


「本当に?」


「うん」


 美咲は顔を赤くしながらも、すぐには立ち上がらなかった。


 ベッドの端へ座り直し、悠真の手を握る。


「これでいい?」


「もう少し近く」


「注文が多いね」


「甘えていいって言っただろ」


「いつの話?」


「球技大会のあと」


「あれは、その日だけだったんだけど」


「恋人になったから延長」


「勝手に延長しないで」


 美咲は呆れたように言う。


 それでも悠真の手を離さず、ベッドの上で少しだけ位置を移動した。


 悠真のすぐ隣。


 布団越しに、美咲の脚が触れる。


「これ以上は近づかないからね」


「うん」


「十分だけ」


「分かった」


「眠ったら起こすよ」


「美咲」


「何?」


「おはよう」


「さっきも言ったよ」


「ちゃんと見てなかったから」


 悠真は眠そうに目を細めながら、美咲を見る。


「今日も可愛い」


 美咲の頬が赤くなる。


「寝ぼけてる?」


「少し」


「起きたら忘れてる?」


「たぶん覚えてる」


「じゃあ、私も言う」


 美咲は悠真の手を握ったまま、柔らかく微笑んだ。


「おはよう、悠真くん。今日も好きだよ」


「うん。俺も」


 悠真は安心したように目を閉じる。


 美咲が隣にいる。


 それだけで、もう一度眠りへ落ちるのは簡単だった。


 数分もしないうちに、悠真の呼吸は規則正しくなる。


「本当に寝ちゃった」


 美咲は小さく呟く。


 握られた手を見る。


 悠真が眠っているのなら、そっと外してリビングへ戻ることもできる。


 しかし、美咲は動かなかった。


 自分の部屋とは違うベッド。


 すぐ隣では、好きな人が無防備な表情で眠っている。


 少し緊張する。


 それでも怖くはなかった。


「十分だけだからね」


 聞こえていないと分かりながら、美咲は言う。


 そしてベッドの背板へ身体を預け、悠真が目を覚ますまで、その手を握り続けた。

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