第22話【瞳の狭間に溶ける 君との双眸視差】
昼休みの時間。
教室で昼食をとる者、食堂へと足を運ぶ者、即座に食べ終わり出歩く者。
過ごし方は様々。クラスメイト達の会話が教室を満たしている。
灯里は廊下を歩いていた。生徒たちが行き交い、または一か所に固まり会話している。
クラスメイトの横を通ろうとしたとき、互いの不注意から衝突してしまった。
大した衝突ではなかったものの灯里のサングラスは吹っ飛び、灯里の瞳は露になる。
そこに藍良はいなかった。
「ごめん、蛇ノ目さん。大丈夫?」
「ああ、えぇと」
目を隠しながらサングラスを取ろうと膝をついてサングラスの方へと向かおうとするとぶつかった男子がサングラスを拾い上げ、灯里に手渡した。
油断していたわけではない。
サングラスを受け取ろうと手を伸ばした時、灯里は男子と目を合わせてしまう。
思わず手を引っ込めて、俯く灯里。
「蛇ノ目さんの眼って綺麗だったんだね」
その一言を聞いた途端、灯里はバッと立ち上がって走り出す。
近くにいた女子は「コラ」と男子に注意し、ぶつかった男子も再度「蛇ノ目さんごめんー!」と叫んだが、灯里の耳には届いていなかった。
灯里は足を止めることはしなかった。
目の前に人の気配を感じたら道を変え、人の少ない方へ人の少ない方へと走り抜けていく。下を向いてろくに前は見えていなかった。
どこかへと向かおうとしたわけではなかった。
人がいないところに行きたかった。
だから自然といつもの教室へ、秘密の教室に駆け込んでいた。
そこに藍良はまだいなかった。
先程の騒ぎを聞きつけた藍良は灯里が走り去る姿を見かけていた。
トラウマが蘇ったわけではなかったが、辛かった。苦しかった。
涙がこぼれていた。
サングラスは受け取れなかったから目を隠すものも何もない。
ただ嗚咽だけが教室に響く。
そこに扉が開く音が聞こえた。
勢いよく振り返る灯里の視界にいたのは藍良だった。
藍良はクラスメイトに事情を聞いた後、追いかけてきたのだ。
急いで走って、息を切らせていた。
だから一呼吸を置いて、ゆっくりと灯里に近づく。
静かに灯里の近くへと座って、ハンカチを取り出し灯里の涙を拭きとる。
「……泣かないで、灯里ちゃん」
「……」
灯里は藍良の顔を見ていた。
そこにはサングラスという壁はなかった。
「大丈夫、男子も女子もそんな気にしてないし、むしろ申し訳なかったって言っていたよ。でも……もう少しここにいようか」
灯里は小さく頷いた。
藍良はその瞳が自分に向けられていることに気づいてはいたが、何も言わなかった。今はそれを言う必要はないと思った。
「まずは深呼吸しよう深呼吸。吐いてー」
藍良は見本を見せるように「ふー」と言いながら息を吐いていく。灯里も一緒になって息を吐く。「吐いて吐いてまだ吐いて」と苦しくなるまで息を吐かせて、灯里がぷるぷるとしてきたところで
「吸ってー」
と息を吸わせた。
それを何度も繰り返して、一息をついた。
「どう?」
「……あり、ありがと、ございます」
「うん」
ようやく言葉が出てきた灯里に満足げに頷く藍良。
落ち着いてくると灯里はいつものように下向きで目を合わせないように別の方向を見ながら喋り出す。
藍良はその状態が懐かしく思えた。
最近の彼女はサングラス越しなら藍良の目を見て話すようになっていたからだ。
実際の瞳を見る機会は数えられるほどしかないが、そうやってあらぬ方向を見て話す姿は久々に思えるほど互いの顔を見て話していた。
「まだ……怖い?」
「はい……」
「そっか」
それからちょっとした沈黙が挟まる。
先に口を開いたのは灯里だった。
「……メドゥーサって知ってますか」
「目を合わせると石化するやつだ」
灯里は頷いて答えた。「目を合わせると」と自分で言ったことで藍良も灯里が何かしらメドゥーサと自分を重ねているんじゃないかということを察した。
「メドゥーサは身も心も怪物にされてしまった女性なんだそうです」
「灯里ちゃんは怪物なんかじゃないよ」
「……怪物は最後討伐されてしまいます。私は思う時があるんです。身も心も怪物なまま倒されたが幸せだったのかもしれないって」
藍良は「どうして?」と返した。
「自分が悪かったと言えるじゃないですか」
その言葉は灯里の自責の念そのものだった。
自分が悪い存在であるなら、怪物として倒されたのは当然のことである。
悲劇のヒロインではないのだ。
「じゃあ、そこにひとつお話を足そう」
藍良は灯里と向かい合って手を取った。
「メドゥーサは怪物だった。だけど、怪物だったときひとりの少女を意図せず助けていた。……どう? 少し救われた感じにならない?」
「メドゥーサの話にはそんな話は…」
「メドゥーサの話だって色んな人が付け加えていると思うよ? もしかしたらメドゥーサは最初から怪物だったかもしれない」
そう言われて灯里は口を閉じた。
灯里が話したメドゥーサの話は諸説あるうちのひとつでしかない。
その一説を都合よく自分に当てはめたにすぎないのだ。
都合よく自分に重ねたのなら、都合よく話を盛ってもいいだろう。
それが真実であると吹聴しなければ。
「灯里ちゃんは怪物じゃないよ。怪物ならみんなを石にしちゃってる」
「……」
藍良の手が灯里の顔を両脇から持ち上げる。
灯里は顔を上げるとそこには藍良の顔があった。
至近距離で灯里と藍良は瞳を合わせる。
おでこがくっつくぐらいの近い距離。
灯里の瞳は涙でより輝いて見えた。
「ようやく、目が合ったね」
その目は灯里の瞳を見据えたまま微笑む。
灯里は目をそらさなかった。
「思い出して、翠希が言っていたこと」
美人を見た時に綺麗だなーって思う程度、と翠希は表現していた。
藍良は一目ぼれした程度でそれ以降の行動は相手の責任だと語った。
一度離れて座りなおす。
「私の表情はどう見える?」
「……わ、笑ってます」
うん、と藍良は口角を上げて頷いた。
そこでようやく灯里は自分が藍良の顔を見ていることに気づいた。
「あれ……いつから……」
「結構前から、かな」
藍良は気づいていた。
ずっと前からサングラスをしているときなら目を合わせられることに気づいていた。
そして今、灯里と藍良はサングラスなしで顔を合わせている。
「私の顔、どう?」
「ぇぁ……か、かわいいです」
「うん、ありがとう」
満面の笑みを浮かべる藍良。
内心かわいいと言われて恥ずかしかったが、それを表に出さなかった。
「先生には伝えてあるからもう少ししてから戻ろっか」
「……はい」
それからいつものように藍良と会話をし、緩やかな時間を過ごす。
灯里の表情は憑きものが取れたかのように穏やかなものになっていた。
先生に伝えてあるとはいえ、時間を過ぎて戻ることには抵抗があり、チャイムが鳴る前に教室に戻ることにした。
藍良は、灯里は下向いていても安全に歩けるように手を繋いで前を歩いて誘導した。ゆっくりとこまめに灯里の様子を確認する。
藍良が振り向くたびに灯里は藍良の表情が視界に入った。
教室に着くと、灯里とぶつかった男子は正座姿でクラスメイト達に囲まれていた。
「……何事?」
「藍良。これは裁判です」
「さ、裁判?」
藍良が状況を聞くと、女子のひとりが「裁判」と答える。それと同時に周りから「裁判長判決―」「死刑か!?」などという声が飛び交っている
灯里は周りの様子を見られないながらに声を聴いて何事かと動揺して震えた。
「あー、もしかして灯里ちゃんの件?」
「そうだよ。蛇ノ目さんを傷つけた男子を裁かねばならぬ」
「何その喋り方……」
「ぇぁ……」
灯里のこととはいえここまでの騒動になっているとは思っていなかったふたり。藍良はクラスメイト達の熱狂ぶりにちょっと引いていて、灯里はどう対処すべきかわからずショートしかけている。
「大変申し訳ございませんでした!! どうか、どうか謝罪のチャンスだけはいただけますでしょうか!!」
すごい辛そうに懇願する男子。もう俺はどうなっても良いからと言いだしそうな剣幕をしている。
「よかろう」
取り仕切っている裁判長は男子に立ち上がるようにジェスチャーをする。
男子はゆっくりと立ち上がり、サングラスを手に取ろうとして、
「それに触れるなっ」
「申し訳ございません!!」
そのやり取りに灯里の方はビビって泣き出しそうだった。
藍良は熱のこもった寸劇を見て、逆に冷静になっていた。
男子が灯里の目の前にやってくると、灯里の視界に入って来たのは首にぶら下げられた紙に『反省しています』の文字だった。
「あ、ちょっと待って」
と遮ったのは藍良。
藍良は置かれたサングラスを灯里に装着させた。
その時、灯里は自然と顔を上げていた。
男子の顔を見ていた。
その表情はとても悲しそうだった。申し訳なさそうで、弱々しかった。
「ごめん、俺の不注意で。怪我とかしてないかな」
「あ……いや、だ、だい、大丈夫です……」
だけど、話し始めると目が泳ぐ灯里。
ずっと相手の表情を見られたわけではない。だけど、下だけを向いていたころには見えなかった景色がそこにあった。
「反省しろー」「次はないぞー」と楽しそうにヤジを飛ばす男子たちに連れてかれる彼を尻目に女子たちが灯里を囲う。
「本当に大丈夫だった?」
「あいつデカいくせに周り見ないからさ」
「サングラス壊れてない? 弁償させよ弁償」
なんて言って灯里を心配していた。
灯里は女子たちの表情が見えた。サングラス越しだけど顔を上げて彼女たちが見えていた。
「あ、あり、ありがとうございます。……ほ、本当に大丈夫、なので」
精一杯の感謝を伝えると、彼女たちは笑顔になった。
横にいる藍良に顔を向けると、藍良も微笑んでいた。
「顔、上げられるようになったね」
「……はい」
ずっと不安そうにしていることが多かった灯里の表情も少し緩やかになる。
「藍良、何かしたの?」
「えへ、秘密~」
上機嫌な様子で笑う藍良。
「次はサングラスを外してみる?」
「そそそそ、それは無理ですっ!」
その提案に即座に拒否をした灯里。
「新たな容疑者確保―!」
「えっ、私!?」
「これより尋問に移ります」
女子たちに連れていかれる藍良。
灯里はそれを止めることは出来ず、見送るしかなかった。
それと同時にチャイムが鳴り、休み時間の終わりを告げた。
「お前ら何やってんだ」
先生が教室の異様な様子を見て、聞くと
「尋問です」
「ふざけてないで授業始めるぞ~、ほら戻れ戻れ」
こうして小さな騒動は幕を下ろした。
また変わらない日々が……いや、少しだけ変わった日々が幕を開ける。
灯里の世界は少しだけ上向きになった。
先生は灯里の顔が少し上がっていることに気づいたが指摘することはなかった。だが内心すごく喜んでいた。
その後校長に報告したのは言うまでもない。
クラスメイトとはサングラス越しに顔を見られるようになった。藍良とはサングラスなしでも目を合わせられるようになった。
だけど、2人の関係は終わりじゃない。
少しだけ顔を上げて過ごせるようになった世界で今日もまた秘密の教室を訪れる。
今日は何をして過ごそうか。
(おわり)




