第1話【メドゥーサの瞳】
一説によるとメドゥーサはポセイドンに愛されてしまい、それをアテナの怒りを買い罰せられた結果、メドゥーサは身も心も醜く恐ろしい怪物にされてしまったのだという。
メドゥーサはその後、様々な人の思惑の中英雄ペルセウスによって打ち倒されてしまう。
彼女は醜い心のまま倒されてしまったのだろうか。
死の間際にも心は醜いままだったのだろうか。
そもそもこの悲劇も後付けって話もあるけど。
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それは登校時間の朝。
生徒たちが学校へと向かう通学路。
ある者は友人と談笑し、ある者は一人黙々と歩く。
それが日常の風景であろう。
そこにたたずむひとりの少女がいる。
その制服に身を包んだ少女には他の生徒たちとは違う特徴がひとつだけあった。
彼女にかけているのは眼鏡ではなく、サングラス。
瞳をすっぽりと覆い隠してしまうほどの少女がするには少し大きめのサングラスをしていた。
彼女の名は蛇ノ目灯里。今年の春、諸般の事情により転校してきた。
それから数か月ともなれば周囲の目も慣れて――
慣れるはずもなく。クラスメイトのように毎日会う間柄であればいざ知らず、別のクラス、学年、近隣住民。彼女をよく知らない人たちには未だ奇異な目で見られることは珍しくもない。
そんな彼女にもサングラスを外せない理由も人の顔を見られなくなった理由もある。
それは【異性と瞳を合わせると魅了してしまう】という体質が彼女にはあった。いや、正確にはそう信じてしまっていた。
信じた理由はいくつかあるが、ひとつ取り上げるなら転校した理由となる事件にある。瞳を合わせた男子たちが灯里に優しくし続けていれば、女子たちから見れば男子に色目を使っているようにも見える。そういったトラブルが原因だった。
だから彼女はメドゥーサのような、サキュバスのようなそんな瞳の力を信じてしまっていた。本当にそんな力があるのかは証明出来てない。
しかし、それを信じてしまうほどに彼女の瞳を見た男子の態度は変わる。
彼女の瞳の秘密を知る者は少ない。
この高校では校長が事情を聞き、サングラス着用での登校を承諾した。
それでも転校したばかりの頃は人目を怖がり、登校すら出来ない日も多かった。
数か月が経ち、ようやく登校を継続できるようになったのが今である。
ただし、顔は上げられない。人の顔を見られない。男子の瞳も女子の顔も灯里にとってはトラウマだった。
そうして今日も教室に入ると、クラスメイトから挨拶される。
「蛇ノ目さん、おはよ~」
「あ……ぇぁ……お、おおおはようございます……」
第一声から上手く出ない声、安定しない声量。そして、相手に向けられない顔。
身体だけはクラスメイトの方に向いているため、かろうじて挨拶を返したのだと判別できるような体勢だった。
しかし、詳しい事情は聞いていないながらもクラスメイトは暖かく彼女を迎え入れる。そんな一見失礼にも感じ取れる態度も笑って許していた。
灯里にとって、それが恥ずかしかった。優しいからこそ自分がみじめになった。
サングラスをして、ずっと下を向いて、顔も合わせられない。
クラスメイト達にどう思われているのか、不安で仕方なかった。
「蛇ノ目さん、これ食べる?」
「藍良、あんた変な味蛇ノ目さんにあげようとしないの」
声をかけたのは妻鳥藍良。彼女はクラスの中心人物であり、人気者であり、人に優しく接する笑顔が印象的でかわいらしい少女だった。
そして、藍良の手にあるのは期間限定の通常では出てこないような味のお菓子であった。彼女の趣味のひとつで期間限定のお菓子をコンビニで見つけては買って登校。始業前の時間で友達と分け合うのがいつもの風景である。
「はいはい、自分で処理する~」
「これは美味しいのに」
「美味しくないのもあるんかいっ」
クラスメイトの女子はじゃれあうように藍良からお菓子を取り上げて、彼女の口へと運ぶ。藍良もまたそれを受け入れて自然と頬張る。
灯里はそれを眺めているしか出来なかった。自分が返答せずとも彼女らの会話は進んでいく。傍観者になっているかのようでさみしくもありつつ、自分が関わらないことに安心感を覚える。
「蛇ノ目さんには美味しいやつしか上げないし~っ」
「私らにはいいのか藍良。こないだのお菓子なんか……」
「私らの仲でしょ~。へへーっ」
無邪気な笑みを友達に向ける藍良。
「ところでそっちはいつ食べるのかな?」
「あっ、こっちは……」
「お仕置きだっ!」
と開けるだけ開けて一口食べてはそのまま放置していた方のお菓子を手に取って藍良の口に入れさせた。悶絶する藍良。それと機を同じくしてなる始業のチャイム。「チャイムなったぞ~」と教室に入ってくる担任の教師。
楽しい空気がそこには広がっていた。だけど、灯里の視界には彼女たちの表情は映らない。手元と口元までしか見られなかった。
時は過ぎ、昼休み。
彼女はその時間人気のない場所を探していた。教室にいてはクラスメイトの空気を悪くしてしまうかもしれないと不安になるからだ。
学校のあちこちを探し回ったが、人がいない場所は限られている。どこに行っても誰かしらがいる。避けられない。
灯里はひとつの場所を見つけた。
校舎の横を通り、裏手にまわる通路。生徒は用もないし、その先にあるのは畑なのかただ草木が生い茂っているだけなのかわからない土地や倉庫があるだけだった。
そこを訪れる者はほぼいない場所であるのは確実であった。
灯里にとってそれは好都合なことで、その奥地へと足を踏み入れる。
誰かが手入れしているのかしていないのかわからない畑は区分けされているものの緑に侵食されかかっているのがわかった。
しかし畑には何かしら育てられていて、何本か支柱が立てられていた。
校舎に沿って歩いていると外階段が目に入った。見上げてみればそれは2階の高さまで続いている。灯里はその先が気になり、静かに階段を上がっていく。
手すりのひんやりとした感触を感じながら一段一段と登り、そこには校舎の中へと繋がっているであろう扉が取り付けられていた。
まさしく裏口のような出で立ちで、扉には窓ガラスが取り付けられて中が見えるようになっていた。
だから灯里は恐る恐る中を覗いた。人がいたら即座に逃げる腹積もりだった。
中は教室というにはものが煩雑に置かれていて、半分物置のような状態になっている場所だった。そして彼女はその教室の椅子にひとり座っていた。
その彼女は妻鳥藍良だった。
気づかれる前にそっと立ち去ろう。灯里がそっと顔を引っ込めようとしたのと同時に藍良がこちらを振り向く。目が合った――気がした。
灯里が立ち去ることを考えるよりも先に藍良は行動していた。頭を引っ込めると近づいてきた藍良が扉を開けた。
「あ、やっぱり蛇ノ目さんだぁ」
屈託ない笑顔で灯里を迎えた。その時、近くで人の声がして思わず扉の中へと隠れこもうとして、なぜか藍良も導くように手を取った。それに灯里が気づいた時には扉の内側だった。
「あ、えと……」
「ようこそ、秘密の教室へ!」
中に入ると藍良が手を大きく広げて、迎え入れた。
その教室は外から見るよりも幾分かは綺麗に保たれており、物置は物置でも一時保管庫のような道具の仮置き場であった。
それらの何割かは校長の私物であることを彼女らはまだ知らない。
「私ね、蛇ノ目さんとはふたりっきりでお話したかったんだあ」
「ど……どうしてですか?」
視線を外に向けながら藍良は言った。その瞳に映っているのは外の風景ではなく、何かの記憶のようだった。
どうしてか、と聞かれた藍良は灯里に微笑みで返した。
「蛇ノ目さんにもっと頼ってほしいから」
その表情はどこかいつもとは違い、寂しげで悲し気な微笑みだった。何かを言いたげで何かを我慢しているようなそんな様子で藍良は灯里と向かい合う。
「……えと」
対する灯里は言葉を選びすぎて、会話にならない。何を言えばいいんだろう、何を返したらいいんだろう。そんな想いでいっぱいになり、言葉が続かない。
でもその様子に藍良はただ待った。彼女の言葉が聞きたいから。
「みんなにめ、迷惑かけ、かけられませんので…」
精一杯言葉にしようとする。言葉を発するたびに視線は泳ぎ、顔の向きはあちらこちらと動き回る。挙動不審だ。
「……目を合わせるのは怖い?」
核心を突かれた。灯里はそう感じて、動きを止めた。
事実を話したのは数少ない大人たちばかりで誰もが信用出来ると感じた。誰かが彼女に教えたのだろうか。
それよりも彼女はこの体質のことをどう思っているのだろうか。
逆に灯里は動けなくなり、その位置から視線を動かさなくなった。それは蛇に睨まれた蛙のようだった。
しかし、その沈黙こそが彼女の応えだった。
「別にね、蛇ノ目さんに嫌な思いをさせたいわけじゃないんだ」
迎え入れてからずっと掴んでいた藍良の手は優しく引っ張り、そのまま灯里を椅子の上へと誘った。灯里は拒絶することはしなかった。その優しい導きに流されるまま椅子に座る。
藍良はそのまま灯里の前で跪いて、灯里の手を優しく包んだ。
「あなたがどんなつらい思いをしたのかはわからない。けど、もし。もしも力になれることがあったら、私はなんでもしてあげたい」
「な……なんで」
「これは知り合いからの受け売りなんだけど」
灯里が思わず藍良の方を見下ろすと、藍良も灯里を見つめ返した。しかし、目が合う直前に灯里はまた顔を逸らした。
そして、灯里の手を撫でながら、
「みんなが少しずつ人に優しく出来れば、それが積み重なって今よりも少しだけ幸せな世界になる。とかなんとか」
「……」
それは藍良の知り合いが語った絵本の話である。ささやかな幸せに満ちた世界。それは藍良にとって魅力的に感じられた。
だからこそ、彼女は人に優しくしているのだ。それは優しさという名の強さだった。
誰かを救えるヒーローになれるとは限らない。自分に出来る小さなことで誰かを少しだけ救えたなら。それはきっと素敵なことだろう。
藍良はそう思っていた。
「別に蛇ノ目さんがかわいそうだからとかじゃなくて、蛇ノ目さんは素敵な人だと私は思ってる」
目を合わせなくても藍良がまっすぐ灯里を見ていることは彼女にも伝わっていた。
「ご、ごめんなさい……そ、そんな素敵な人じゃ、ないです……」
それでも灯里は逃げ出さなかった。逃げ出そうと思えば手を払って扉から出ればいいだけのこと。人との関わりを立ちたいのならすぐさまこの場を立ち去るのが得策である。
そのような行動をしたところで藍良は問い詰めることはしないだろう。クラスメイトにも言いふらすこともしないだろう。
だけど、灯里は目を合わせられないながらに藍良と向き合おうとした。
「じゃあ、目を合わせたいとは思わない?」
「思わない」と拒絶するのは簡単だ。むしろ恐怖しているのなら自分の心を守るために拒絶の選択肢を取る方が普通である。
灯里は目を合わせることに恐怖はしていても、恐怖したまま過ごしたいとは思っていない。このままでいても居心地が悪いままだということは自覚していた。
だから、肯定も否定もしなかった。それもまた彼女の応えだった。
「私と目を合わせてみない? 練習!」
「あぇ!?」
さっきまでのしんみりとした語りかけから一転して、明るく元気なトーンで提案した藍良に灯里は思わず変な声を上げた。
「あ、あああ、あのあのあの、えと」
「うんうん、まずは友達になろ!」
「えとえとえと」
動揺して言葉が出てこず混乱している灯里に対し、笑顔で言葉を続ける藍良。
「嫌なら嫌って言っても大丈夫だよ」
「……えと」
また一転して優しい声色で藍良は微笑み、灯里はその様子に動きを止めた。
「……」
俯き、視界には自分の手に覆いかぶさる藍良の手が映った。
白い肌に細い指、綺麗な手をしている。
「と、ともっ友達は……い、嫌じゃ……なっ、ないです」
「やたっ!」
藍良は飛び上がり、教室を飛び回って身体で嬉しさを表現していた。
灯里からしてみればなぜそこまで喜んでいるのか疑問に思うほどであったが、それは知る由もない。
「蛇ノ目さん、これからよろしくね。目を合わせる方は、したいな~って思ったらで良いから」
「……よ、よろしくおね、おねがっ、しまふ」
最後は噛んだ。
その様子に楽し気に笑う藍良。
「こ、ここはかっ、勝手に、つ、使っていいんですか?」
「……」
藍良は答えなかった。それは藍良の返答だった。
「ま、まあここの鍵持っているのは校長ぐらいから私達以外誰も入れないし、大丈夫!」
「ぇぁ……」
こうして、友達となった灯里と藍良の密会のような日常が幕を開ける。




