最終話|『最愛/ダーリン』
沼地へハイキングに訪れたある男は、
運悪く、雷に打たれ死んでしまう。
しかし。ほぼ同時に、
もう一つの雷がすぐ近くの沼へと落ち、
雷の電流と、沼の汚泥が化学反応を引き起こし、
落雷で死亡した男とまったく同じ“存在”が誕生した。
泥男と呼ばれるその存在は、
死亡した男と全く同一の生命体で、
同じ姿形をし、同じ記憶と感情を持っていた。
――同じ人を、愛していた。
最終話|『最愛/ダーリン』
都内某所。
地下駐車場に、男の怒声が反響する。
「おい、貴様らッ!! わざわざ高い金払ってんだぞ!! 死ぬ気で私を守れ!! それがお前らの仕事だろ!! ……くそっ。こっちは雷で死にかけたんだぞ」
ボディーガードに当たり散らしながら、彼は絶えず何かを警戒するように辺りへ視線を走らせていた。そんな東明の前方から、こちらへ近づいてくる人影がある。
数人の部下を連れた、水傘だ。
東明に対して丁寧に頭を下げると、彼女は鴉の面の奥で静かに微笑んだ。
「お久しぶりです、品都先生。最近はずいぶんと精力的に活動しているらしいじゃないですか。なんでも、黄泉人をこの日本から駆逐するとか、なんとか。品都先生を指示する声も多いと伺っています。とくに、若者の支持者が多いと……」
東明は、値踏みするように水傘を見ると、
「何者かは知らんが。面を付けて私に会いに来るなど、礼を欠いている。話があるならまずはその面を外してからにしなさい。私は忙しいんだ」
腕時計を確認しながら彼女の横を通り過ぎていく。
――その背中に向かって、水傘は構わず言葉を続けた。
「品都先生。そういえば、先日有島先生とお会いしたそうですね」
「ん? あぁ、そうか。君はあの漫画家の知り合いだったのか。漫画家だとか、アイドルだとか、プーチューバーだとか、どいつもこいつも夢を売りにして人間を腐らせるクズどもだ。有名人らしいが、気に入らんから無視してやったよ」
「……そうですか。では、有島偽語という“言葉”を、認知したということですね」
「はぁ? 意味の分からん質問をするな、いい加減にしなさい」
わざと聞こえるように深くため息をついてから、車へと歩き始める東明。――そのときだった。 突如、東明が口から泡を吹き、悶え苦しみ始めた。
その異変を見て、ボディーガードたちが一斉に水傘へ駆け出す。
「おい、お前! 先生に何をした!!」
「私は何もしていませんよ。――俱霊装・糸」
静かに水傘がつぶやくと、
ボディーガードたちの体が、金縛りに遭ったようにぴたりと停止する。
「品都家も落ちぶれたものですね。罪以離の力を、実の娘を傷つけるために使うなんて。……さぁ出てきなさい、罪以離」
水傘の声に呼応するように、地面から這い出てきたのは、白無垢を着たヒガンバナの顔の女――罪以離だった。罪以離はその巨躯を浮遊させ、水傘の前へゆっくりと近づき、異様に肥大化した手を伸ばす。その手を取って、水傘は言う。
「あなたの契約者はたった今、確実に死亡しました。二年前のように、あなたの力で生き返らせる必要はありません。罪以離、我々と新たな契約を結びましょうか」
――
……後日。政治家の品都東明の死体が、彼の自宅から見つかった。
近くには遺書が残されており、そこには、二年前の品都彩凛の死亡事故が殺人事件であり、自分がその犯人であると記されていたらしい。
事件の真相が報道されてからの数日間、SNS上には、彼への侮辱の言葉が溢れかえった。――だが、東明の死もいずれは渦に呑まれ、忘れ去られていく。
人はみな、透明になって消えていく。
*
地上600M――
展望回廊よりもなお高い、東京スカイツリーのゲイン塔。その非常階段を、長門海音子が駆け上がっていた。四月、青い春に染まる東京の街並み。果てしなく続く高層ビルの群れが陽を反射し、きらきらと輝いて、ただ静かに、美しく息づいていた。
海音子は走る、息を切らしながら。
青の塔――スカイツリーの頂部を目指して。
「(まってて……彩凛……!!)」
彼女はいま、この東京の街で、
――、一番高い場所にいた。
離れ離れになったすべての物語を、再び繋げるために。
――――
――
「着いた……っ!!」
東京スカイツリーの、そのてっぺん。そこでわたしを待っていたのは、雲一つない【青】の空と、蜃気楼のように揺らめく都市の海――
目をとじて、耳を澄ます。
「――すごく静か。何も聞こえない」
わたしの世界には、いつだって音があった。
無音は、死を想像させる。
だからイヤホンで耳を塞ぎ、ノイズの中に自分を沈めてきた。
致死量の音楽を浴びて、思考を封じるみたいに。
死は怖い。
だけど、わたしが人間である限り、死から逃れることはできない。
でも。
それでも、わたしはこの計画を実行する。
絶対に反対される。
お前のエゴだろって、きっと言われる。
わかってる。……でも、嫌われ者でいい。
わたしは、ただ。
彩凛に、生きていてほしいんだ。
セカイ系上等。
わたしの物語は、わたしのものだ――
「……俱霊装・雷天渦」
わたしの声に応じて、透明な電撃が顕現する。
それは、人の形をした風――青いプラズマの衣を纏った、怪異。
二年前、わたしはこいつと契約した。
「はじめるよ、雷天渦。わたしの合図で、避雷針に雷を落として」
カバンの中からノートパソコンと、モーションキャプチャー用のスマホを取り出して、いつものように準備を始める。
「……よし」
配信開始だ。
「おっ? 始まったかな? 声入ってる~?」
「聞こえてる? ありがとー。ということで。どもども、ばけのかわです」
「今日は、ちょっと特別な場所から配信してます。わたしはいま、すごくすごく高い場所にいます」
「あっ。コメントありがとうございまーす。テロリストめ、さっさと捕まれ? あはは~。そうしたいんだけど、まだやることがあってさ~」
「……あの、ね。みんなは、大切な人っている?」
「ぜったいに失いたくない、いなくなってほしくない、そんな人」
「わたしには、いる……というか、いたんだけど」
「その子がわたしの前から消えて、はじめて気がついたんだ」
「死が、ほんとうに存在してるってことに」
「……わたしは、もう二度とあんな思いはしたくない。だから」
「メメント・モリ。死を忘れるなかれ――」
わたしが雷天渦に合図を送ると、彼は空へ高く舞い上がる。
そして、スカイツリーの避雷針へ向かって手をかざした。
瞬間。
雲ひとつなかった青空に、
黒々とした雨雲が渦を巻きはじめる。
ビリビリと、電流が奔り、
「落として」
渦の中心から、一条の巨大な稲妻が、
避雷針めがけて放たれた――
「|Reconnecting…《再接続します…》」
刹那。
新宿駅前を行き交う人々のスマホが、イヤホンが、一斉に謎の音声を鳴らしはじめる。その中にいた、ある一人のサラリーマンは――いつの間にか、目の前に立っていた女性を見て、言葉を失った。
その女性は、病気で亡くなった彼の妻にそっくりだった。
「君は――まさかそんな――」
同じような現象は、全国各地で同時に起きていた。
北海道札幌市、とある警察署の霊安室では。
両親の前で、殺人事件によって亡くなった息子が目を覚ます。
沖縄県那覇市、海水浴場では。
死亡確認に立ち会っていた警察官たちの前で、
水難事故で亡くなった女性が目を覚ます。
そして、神奈川県横浜市――
*
「それじゃあ、今日も見に来てくれてありがとね~! みんな、おつにゃこ~!!」
いつものセリフで配信を閉じてから、わたしはメガネを机の上にそっと置いた。――横浜市内のとあるワンルーム、家賃は九万、一人暮らし。今年の七月に十八歳になる、職業バーチャル・アーティストの女……はっ。笑えない。
高校を中退してからどれくらい経ったっけ?
「……まぁ、どうでもいいや」
スマホの画面を指で叩く。時刻は正午――
今日はめずらしく、昼に雑談配信をしてみた。
失敗だ。すっげー、ねむい。
「けど、腹減った~」
フードを深くかぶって、マスクを付けて、イヤホンはノイズキャンセリングモードで流行りのアニソンを流す。ねむいけど、コンビニにご飯買いに行かなきゃ。
歩いて十五分ほど。顔を覚えられるのがイヤなので、住んでいるアパートからすこし遠いコンビニまで歩く。――店内に入って、イヤホンを外せば、知っているVtuberの声が店内放送から聞こえて、ちょっと変な気持ちになる。
……サラダチキンとピスタチオのアイス、ツナマヨのおにぎり、カフェラテとのど飴、最後に青色のエナドリをカゴに入れてセルフレジへ。支払いはもちろん電子決済で。何も変わらない、いつもと同じ日常の繰り返し。
〈ねぇ、うみねこ? 今度そっち行ってもいい?〉
配信中に届いていたらしいママからのLIMEに、「いいよ」とだけ返事する。
そして、コンビニからの帰り道。
あえて遠回りをして、みなとみらい大橋を通る。
――横浜駅前の高層ビル群の間から吹き抜けるさわやかな風が、帷子川の鮮やかな青と溶け合って、海へ向かう。この橋は、二年前に亡くなった幼なじみの彩凛との思い出の場所だ。この橋の上で、バンドを組もうって約束したんだ。
「あっ。ばけのかわの新曲だ」
欄干に背を預けながら、イヤホンを取り出して耳に当てる。嫌なこと、不安なことが頭に溢れそうになったら、致死量の音楽を浴びて封じ込めればいい。
わたしはまた今日も、自分だけの世界に閉じこもる。
何も変わらない、変わるはずがない日常。……そう、思っていた。
しかし、イヤホンを装着した瞬間――
「|Reconnecting…《再接続します…》」
聞いたことのない音声が流れる。
「えっ? なに、この声?」
アップデートで新しい起動音になったのだろうか。
思わず、イヤホンを外してしまう。
――そのとき、誰かがわたしの肩を叩いた。
「あっ、はい……」
振り向く。――わたしの頬につんと当てられる細い人差し指――そこにいたのは……そこにいたのは。長い黒髪の少女――
ずっと、ずっと待っていた。
もどってくるはずがないと分かっていても、ずっと待っていた。
「うそ……。彩凛、……ほんとうに彩凛?」
「――うん。ただいま、海音子」
大切な親友。品都彩凛の笑顔が、あった。
――
車道を挟んだ橋の反対側。
一人の少女のもとに、赤い髪の少年が走ってくる。
「煤航さん……!」
「あ、ヒバナくん。待ってました。それで話って?」
「言われた通り、君と長門海音子の母校の小学校に行ってきたんだ」
「それで、タイムカプセルはあったんですか?」
「あったよ。……で。その中に、これが入ってたんだ。たぶん、最近入れられたものだと思う」
煤航六花にヒバナが差し出したもの。
それは、バーチャル・アーティスト“ばけのかわ”のライブのチケットだった。




